最初に
子供ができる予定はありません!!
という前提でよろしくどうぞ。
そんなこんなもこのような記事を書いてから考えてたんですけど。世の中のお父さんお母さんは自分の子供に自分の親が自殺したことをどのように伝えているのでしょうか。そもそも伝えていないのでしょうか。
私が子供だったら自分のおじいちゃんが自殺したと聞いてどう思うか想像してみたんですけど、想像がつかないんです。なんかとてもとても、どんなことを思うのか...つらいのか、悲しいのか、はたまたなんとも思わないのかわからないんですよね。
どなたか同じような境遇の方がいたら教えてもらいたいです。
例えばもっと大衆的な例としてあげるならば、自分がいじめられていたことを子供にどう伝えるかとか。多分自分がいじめられていたからこそ得られた価値観とかあると思うんですよ。それが痛みを伴う過程だったとしても、最終的に自分の肥やしにできたりしますから。でも同じことを、同じ思いを子供にしてもらいたいかといえばそうじゃないですよね。自分の子供にいじめられる経験を得てほしいなんて思う親はあまりいないじゃないですか。
それと同じなんですよ。自分は父の自殺によって命の重さやひとりじゃないことの幸せを喜びで泣きたくなるほど学ぶことができたけど、できれば自分の大切な人には私と同じ思いをさせたくないんですよ。あんなさみしい思いをするのは私だけでいいと思ってしまうんです。
そうなると自分の子供には「おじいちゃんは病気で死んじゃったのよ」なんていう可も無く不可も無い言葉をかけるしかないんですけど、なんかそれも子供に嘘をつくようで嫌なんですよ。人生が楽しいものであってほしいけど、苦悩や葛藤の末にあるものが人生の醍醐味であることもまた真実なんですよね。
そう思うと私は、いや、私だけがこの思いを背負えば済むのではないかと思うのですが、でも自死遺族という存在になった私もまた何かの使命を与えられた存在なのではないか、この事象に意味を見いだしたいのではないのか、しかしそれは私の勝手なエゴなのではないか、そんなことばかり考えてしまいます。あなたが私ならどうしますか。あなたが子供ならどうされたいですか。私が子供なら聞きたいけど、知らなくていいこともあるというのもひとつの価値観だと知ってるんです。
人生とは葛藤です。いくつも分岐のある迷路です。でも、望まずにして迷うか、望んで迷うかだけは選べる。
自分を好きになりなよ、認めてあげなよというのはかなり負担な声かけだと思う。誰からも愛されないと自分を好きになりづらい。その思いを支える柱がないからだ。だから「自分を好きになりなよ」より「私は貴方が好きだよ」と声をかけられたほうが自分のことを少し好きになれるんだよね。
— ポンコつっこ (@ponkotukko) 2015, 4月 20