恋愛関係にある二人が、お互いを唯一の
恋愛パートナーとして認め合い、その義務を果たし合い、お互いに信頼に応えるよう約束すること、そのような関係になるという意思確認を交わすこと。
婚姻関係とは異なり、法的根拠はなく、果たすべき義務などの約束された内容も明文化されていない。そのため、婚姻よりは緩い約束(誓い)であると言える。
ある状態が「付き合っていると言えるのか」ということがしばしば問題になり、
付き合うことの定義は何かということが議論されがちだが、まず「
付き合うこと」というのはお互いの意思確認が最低限必要である。したがって「付き合おう」という申し出(
告白など)を伴わず、関係
性がはっきりしていない場合は、付き合っているとは言えない。
事実上、どちらかが付き合っていることに疑いを持たせるような行動を取っていたり、その義務を果たしていない場合でも、明確な「
別れ」の意思確認がされていないかぎり形式上は「付き合っている」状態だと言える。実質的に関係が破たんしているなら、付き合っていると言えるのか、お互いの気持ちを確認すべきである。
付き合うということは、お互いが唯一の
恋愛パートナーであると暗黙のうちに認め合い、その信頼に応える義務を背負うことである。約束(誓い)を交わし、制約を背負うことで、人は覚悟を示し、信頼関係を強めることができる。その信頼関係が安心感を強め、お互いの関係に集中しやすくなり、心の共鳴や理解を促進し、関係
性が強固になるという効果を生む。それが
付き合うことの意義である。
逆に
付き合うという意思確認なく、態度や行動だけでお互いを信頼し、関係を深めていくというのは、難易度が高い。しかも「なぜ付き合えないのか。私のためになぜ制約を背負えないのか」という不信感を生じ、関係
性が不安定になるというのが現実である。
付き合うということは、男
性の
経済力と女
性の肉体などの交換である、独占契約である、
愛人契約である、という考え方をする人もいるが、先に説明した通り、
付き合うということは約束(信頼を高める行為)であり、単なる交換の契約ではない。
このような契約的な考え方は、特に男
性や、
愛などを信用できない者の考え方である。男
性は肉体関係を第一目的としていて「安心」「信頼」を必要としない傾向があるが、女
性は「安心」「信頼」を求めるため、
付き合うことについて信頼や安心という要素を欠いて考えることは難しい。ただ女
性の場合でも、気持ちが荒み、人の心が信頼できない場合などは、このように契約のように捉えることもある。
付き合うかどうか、どちらと
付き合うか、付き合って良かったのかどうか、と悩んでいるうちは「どう幸せになるか」に駒を進めることはできない。腹を決めないと、次に取り組めない。
恋愛の学校 校長
「
付き合う」というのは「約束、誓い」である。しかし、契約ではないのだから、厳密に「何を約束したか」は決められていない。最低限「相手を第一に
愛し、思いやる」ということが約束され、あとは良識とその
愛に任されている。
恋愛の学校 校長
押し入れに入るのは楽しいが、閉じ込められるのはつらい。
付き合うという「誓い」は、うまくいかないと「鎖」になる。
恋愛の学校 校長