蒋介石政権の台湾
蒋介石
台湾は大東亜戦争終結時において独立を獲得すべきだったのだ。しかしそうはならなかったところに最大の悲劇がある。一九四三年十二月一日、ルーズヴェルト米大統領、チャーチル英首相、蒋介石中華民国総統による『カイロ宣言』に、「満洲、台湾及び澎湖島のような日本が清国人から盗取した全ての地域を中華民国に返還する」と書かれたことにより、戦争終結後、蒋介石軍が台湾に入って来て、台湾を「中国領」にしてしまった。しかし、この『カイロ宣言』は戦勝国同士がその分け前を談合した勝手な取り決めに過ぎず、国際法上何の効力もないのである。第一、台湾は日本が清国から盗取したものではない。日清戦争の結果、条約に基づいて割譲を受けたのである。つまり、国際法上も、台湾は中華民国や中華人民共和国の領土ではないのである。
國民党は戦後日本人が台湾から引き揚げた後、日本人が孜孜営営と築いた財産を接収し、政府・國民党・国民党幹部のものと三分割した。
しかも、台湾に進駐して来た国民党軍は劣悪であった。規律正しい日本軍と比較すると、軍規が乱れまるで敗残兵のような姿であった。鍋・釜・カラ傘・天秤棒を担いだ草鞋履きの兵士が多かったという。さらに大陸と台湾では全く言語が異なるので言葉が通じない。要するに国民党軍は台湾人にとって事実上外国の軍隊だったのである。
実際、支那大陸では日本軍が優勢だったのであり、中国が日本に「勝った」といってもそれはアメリカの日本本土空襲や「ソ連の参戦」の御陰で「勝った」に過ぎなかったのだ。また、台湾統治のためにやって来た国民党の官僚たちも日本総督府の官僚に比較するとこれまたきわめて劣悪であった。
そして、中国人権力者特有の強権政治・賄賂政治が行われ、汚職が横行した。つまり、日本統治時代の「法治体制」「安定した社会状況」「近代台湾」が崩壊したのである。中国には法の絶対支配が存在したことはない。つまり中国という国は法治国家であったことはないのだ。時の権力者が支配する国即ち人治国家なのである。日本は言うまでもなく法治国である。台湾統治も法に基づいて行われた。しかし戦後の国民党の台湾支配はそうではなかった。日本統治時代と国民党植民地支配時代の台湾の大きな違いはこの点にあるし、戦後五十年間の台湾人の悲劇もこの点にあるのである。
加えて、大陸の国共内戦の激化により、台湾の産出される物資や食糧などが大陸に運ばれるようになり、たちまちのうちに、台湾の経済状況は悪化した。また、国民党政権は、台湾人を「日本に協力した」として差別し、排除したことにより、台湾人の就労の機会が激減した。
つまり、日本の統治から「解放」され「光復」されたはずの台湾は、国民党支配下で日本時代よりもずっと悲惨な状況を強いられるようになったのである。台湾人はこうしたことを「犬去りて豚来たる」(日本人は厳しかったが規律を保ってくれた。しかし支那人は貪るばかりである、いうほどの意。またこの「犬」というのは必ずしも日本人を蔑視したのではなく田川水泡のマンガ『のらくろ』の影響だという。本当だろうか?)と表現した。
こうして、五十一年間にわたって日本統治下に生きて来た台湾人に「反中国感情」「反国民党感情」が高まった。それは日本統治時代への郷愁と一体の感情であった。台湾人が、韓国人と比較すると反日感情が希薄であるどころか、親日感情を持つ人が多いのはこうしたことがその原因の一つであろう。
二・二八事件
二・二八事件と台湾人ナショナリズム
一九四七年二月二十八日に起こった密輸タバコ取締りに端を発した反国民党暴動「二・二八事件」は、台湾人の「反中国感情」「反国民党感情」の爆発であり台湾人ナショナリズムの興起であった。台湾人たちは勇敢に戦い、最初は優勢のうちに戦いを進めた。「汚職の一掃・台湾人の自治拡大要求」を根幹とした要求を国民党に突きつけた。
ところが、三月八日、大陸から約一万三千人以上の国民党軍応援部隊(戦争直後に来た兵隊たちと違ってアメリカ式装備を付けた精鋭部隊)が台湾に上陸し、「台湾人不是中国人、殺、殺」と叫びながら、無差別の機関銃掃射を行った。また、事件に参加した者は勿論、多くの台湾人有識者・知識人・指導者などが逮捕・拷問・虐殺された。国民党軍による殺戮の犠牲者は、国民党政権側の発表によっても、その数は二万八千人となっている。実際には、四万人とも五万人とも言われている。
私は、あの天安門事件を見て、二・二八事件を想起した。しかし、二・二八事件の虐殺の凄まじさは天安門事件の比ではない。中国の支配者・権力者は、従わない者・反抗する者に対しては、容赦なく武力を行使しこれを殺戮する。孔子でさえ「民は由らしむべし、知らしむべからず。」(民は力で従わせるべきであって、色々と教えるべきではない。ただしこれには別の解釈もある)と言っている。これが中国権力者の基本的な統治姿勢である。
二・二八事件では、台湾人側が占拠した台北の放送局から一日中『軍艦マーチ』『愛国行進曲』『君が代行進曲』といった日本の軍歌が流され、台湾人の士気を鼓舞した。多くの台湾人復員兵すなわちかつての皇軍兵士が先頭に立って戦った。彼らは、『露営の歌』(勝って来るぞと勇ましく……)『日本陸軍』(天に代わりて不義を討つ……)などの日本の軍歌を歌って進軍したという。
つまり、「二・二八事件」とは、「大和魂」を持つかつての日本同胞台湾人と、日本の敵であった中国人との戦いであったのだ。台湾独立意識・台湾ナショナリズムの原点は、中国軍による台湾人虐殺事件たる二・二八事件である。
この二・二八事件の後、李登輝氏が総統に就任して実権を掌握するまで、国民党政権による恐怖政治は約半世紀にわたって続いたのである。そして、計り知れない数の台湾人指導者・有識者が投獄され殺された。
大陸を追い出されて台湾にやって来た中華民国は亡命政権であり、台湾人にとっては実質的に外来政権であった。台湾は、戦後五十年間、「中華民国」という名の亡命政権・外来政権の植民地支配下にあったのである。今日「統一」という名の共産中国の台湾侵略支配が現実のものとなれば、「中華人民共和国」という名の新たなる外来政権による植民地支配の始まりとなる。
前述したとおり、台湾人意識は日本統治時代に形成された。そして二・二八事件が大きなきっかけとなり、中国に対する広範な抵抗運動が起こり、中國人と台湾人に大きな隔たりが出来た。中國人による台湾人の殺し方がひどすぎたので、台湾人は「中國人は同じ民族ではない」と体験的に実感した。
つまり、二・二八事件とその後の暴虐なる恐怖政治によって、台湾人から「中国は日本の統治から台湾を『解放』してくれたわが祖国」という感情は雲散霧消し、「我々は中国人ではない」「中国人にはなりたくない」という自覚が強くなった。ナショナリズムとは外部からの圧力を排して民族の独立を勝ち取ろうとする国民的規模の精神と行動である。二・二八事件とその後の長期にわたる国民党政権による植民地支配という歴史が、台湾人ナショナリズムを勃興させたのである。
台湾人による台湾人のための台湾人の国家が建国されるべし
ところが、國民党は半世紀にわたる台湾人に洗脳教育と宣伝によって中華民族意識を植えつけた。民族意識には教育の影響が大きい。現在台湾に住む人々には、『私は中國人』『私は台湾人であって中國人』『私は台湾人』という三つの自覚を持つ人々がいるという。それだけ混乱し台湾人はモザイク化しているのである。内でも外でも台湾はアイデンティティーがまだ確立していない。
「ethnic identity(民族としての同一性)とnational identity(国家としての同一性)は違う」という説がある。民族としての同一性と国家としての同一性が一致している国は、そう多くはない。日本はほぼ一致しているが、殆どの國は複数のethnic group(民族としての同一性)によって形成されている。現在の台湾はまさにそういう国である。台湾はいくつかの「ethnic group」 のモザイク社會になっていると言える。
台湾人が、中國大陸に投資するのも、中國の威嚇があると李登輝・陳水扁への支持が増えたのも、台湾人の複雑な意識が原因であろう。
戦後、大陸から台湾にやって来た中國人とその子孫は一四〇萬人いるという。在台約半世紀台湾で生活して完全に台湾人化した中国人も多い。台湾人口二三〇〇萬の中で、中華人民共和國の支配を受けても良いというのは五%もいないといわれる。
また「自分は中国人だ」と自覚している人は一割にも満たないという。残りの人々は「台湾人、あるいは中国人であるとともに台湾人」と思っているという。しかし、それが必ずしも台湾独立に結びつかない。台湾に住む八十%の人が現状維持を望んでいる。即ち共産中国と決定的な対立すること望まないが、共産中国との統一もしない方がいいと思っているという。
台湾人の大多数は『安居楽業』(安定した生活と楽しい仕事)を望んでいるといわれる。先の総統選や立法院選での国民党の勝利を「統一派の勝利」と考えるのは誤りで、台湾人の多くは、共産中国との決定的対立による共産支那の武力行使を恐れただけであり、台湾人が共産中国との統一を望んだとわけでは決してないと思う。
昔、ある愛国運動の指導者に、「台湾独立運動についてどう思われますか」と質問したら、その方は、「君、台湾は立派に独立しているじゃないか」と言われたのを覚えている。台湾はある意味では独立している。領土もあるし、国民もいるし、国歌・国旗もあるし、政府もあるし、軍もある。しかし、いまだに「中華民国」と称している。台湾人による台湾人のための「台湾国」が建国されることこそ、真の台湾独立である。
台湾人は、明代から日本統治時代そして何よりも戦後半世紀近くにわたる国民党外来政権の植民地支配下において、大陸とは異なった運命共同体意識・文化・言語・伝統精神を形成し、台湾自主独立精神・台湾民族主義が現出したのである。これから台湾自主独立精神・台湾民族主義がより一層高まり、台湾人による台湾人のための台湾人の国家が建国されるべきである。
李登輝氏は司馬遼太郎との対談で、中華民国政府を「外来政権」と明言した。これが台湾人の圧倒的多数の自覚であり意識であろう。ちなみに李登輝氏は、日本語で話す時が一番リラックスしており、今でも本居宣長の『玉勝間』を暗誦しているという。私に言わせれば、李登輝氏の年代の台湾人は中国人では決してなく、むしろ日本人に近いのである。
ただ、我々日本人が注意しなければならないことは、李登輝氏のような人々は次第に少なくなっていくということ、今日の台湾の人々が全て李登輝氏のような人ではないということである。
戦後の国民党政権により反日教育などによって、親日一色ではなくなっている。日本にルサンチマンを持つ人も増えつつある。つまり、台湾人の親日意識も最近次第に希薄になりつつあるのだ。
問題なのは、国民党が政権の座に復帰したことによって、台湾という国家が反日姿勢を強める危険があるということである。