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【芸能・社会】加瀬邦彦さん自殺か 自宅で発見 ザ・ワイルドワンズ 74歳2015年4月22日 紙面から
グループサウンズ「ザ・ワイルドワンズ」のギタリストで、作曲家、音楽プロデューサーの加瀬邦彦さんが21日、東京都港区の自宅で亡くなっているのが見つかった。74歳だった。詳しい死因は不明。警視庁麻布署は、現場に荒らされた形跡がないことなどから事件性はないが、自殺の可能性があるため、死亡した経緯を調べている。加瀬さんの関係者によると、1年ほど前から自宅で病気療養中だったという。加瀬さんがオーナーを務める銀座のライブハウス「ケネディハウス銀座」での月例ライブも、体調不良のため、昨年から出演を取りやめていた。1994年には食道がんの手術をしている。 加瀬さんの自宅前には21日夜、報道陣が詰めかけた。事務所関係者は、死亡を認めたうえで、22日午後に詳細を発表するとしている。 ◆ビートルズ日本公演刺激で結成東京都出身。慶応高校在学中に神奈川県茅ケ崎市に引っ越し、加山雄三(78)と出会ったことが人生の転機となった。慶応大学在学中から音楽活動を行い、かまやつひろしらと結成した「キヤノンボール」、寺内タケシの「ブルージーンズ」などのバンドを経て、1966(昭和41)年、ザ・ワイルドワンズを結成し、リーダーに。グループは加山が「自然児」の意味を込めて名付け親になった。 結成は66年6月のビートルズ日本公演に刺激を受けており、ギターの鳥塚しげき(68)、ドラムスの植田芳暁(67)、ベースの島英二(67)とともに、「想い出の渚」でデビュー。71年解散するまで「愛するアニタ」などをヒットさせる。 ザ・ワイルドワンズの最大のヒット曲は「想い出の渚」。名ギタリストで作曲も担当した加瀬さんの12弦ギターの美しいイントロのフレーズとともに、夏の代名詞のように、50年近く多くの人に愛され歌い継がれてきた名曲だ。 ◆沢田研二らにもヒット曲を提供解散後は「PYG」「井上堯之バンド」などに加入したほか、沢田研二(66)のプロデューサーとなり、多岐にわたって沢田を支えた。81年に「加瀬邦彦とザ・ワイルドワンズ」としてグループを再結成し、変則的ながらコンサートやライブ活動でファンを喜ばせ、06年には武道館で結成40周年コンサートを開催。また、長年にわたり、加山のステージのバックを数多く務めてきた。 加瀬さんは作曲家としても知られ、沢田に「危険なふたり」「TOKIO」「恋のバッド・チューニング」、小柳ルミ子に「冬の駅」、アンルイスに「女はそれを我慢できない」などを提供し、数多くのヒットを生み出した。 <音楽評論家の富澤一誠さんの話> グループサウンズのヒット曲の中で、スタンダードナンバーとなったのはザ・ワイルドワンズの「想い出の渚」と、ザ・タイガースの「花の首飾り」しかない。沢田研二さんのヒット曲も手掛けるなど、洋楽に負けない日本のポップスを作った功労者の一人と言える。優しく、胸を打つメロディーには、加瀬さんのキャラクターがそのまま表れていた。 PR情報
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