試験を受ける。ならばいい点を取らないといけない。子どもならそう思うのが普通だ。

 中学3年生と小学6年生を対象とした年1回の全国学力調査は違う。事前対策などせず、どの子もふだん通り問題にむかい、日頃の実力を試すものだ。

 それは調査の目的が、義務教育の機会均等という立場から教育水準が保たれているかを検証し、指導の改善に役立てるという、教える側の情報収集にあるからだ。

 だが今年で8回目となる調査は、時に競争をあおり、学校の格付けにも使われてきた。文部科学省も自治体も、何のための試験か原点に立ち返るべきだ。

 見過ごせないのは大阪府教委の例だ。府教委は今回の調査の結果を、高校入試の合否判定の材料となる内申点の評定に活用することを決めた。

 調査結果をもとに中学校別の平均を出し、府教委が各中学校に内申点(5段階)の平均値の範囲を示す。学校側はそれをもとに各生徒の内申点をつける。

 大阪府では、来春の入試で使う内申書から絶対評価に切り替える。「学校ごとに評価のばらつきがないようにするため」というのが府教委の言い分だ。

 しかし学力調査の教科は今年の場合、国語と数学、理科の3教科だ。音楽や体育、英語など9教科の各内申点に反映させるには無理がある。個々人の頑張りに関係なく平均点が高い学校ほど有利になることに、不合理さを感じる生徒もいよう。

 文科省が「調査の趣旨を逸脱する可能性がある」と懸念表明したのはもっともだ。府教委は一から考え直すべきだ。

 過去にも調査の趣旨をふみ外すような動きはあった。

 一昨年、北海道教委は調査日前に「そろそろ見せてやろう! 道産子の本気を!!」と奮起を促すチラシを保護者に配り、トップレベルの秋田県と、北海道の成績を比べるグラフを載せた。静岡県では昨年秋、成績が全国平均以上だった校長の名前を、知事が独断で公表した。順位を過度に意識した、競争をあおる行為と言わざるを得ない。

 学力調査は点数主義に陥りやすい。文科省は実施要領で「序列化や過度な競争が生じないよう配慮が重要」と定めている。

 もちろん良い活用例も定着しつつある。成績上位県の教育施策を、他の自治体が学ぶ動きは各地にある。親の経済状態と学力の関係を分析し、教員配置に生かす取り組みもある。

 調査を通じて授業や指導を改善していく。自治体は本来の趣旨を忘れてはならない。