Aは,Bに対して,100万円の売買代金債権(以下「甲債権」という。)を有している。Bは,Cに対して,自己所有の絵画を80万円で売却する契約を締結した。その際,Bは,Cに対して,売買代金を甲債権の弁済のためAに支払うよう求め,Cもこれに同意した。これに基づき,CはAに対して80万円を支払い,Aはこれを受領した。この事案について,以下の問いに答えよ。なお,各問いは,独立した問いである。
1 甲債権を発生させたAB間の売買契約がBの錯誤により無効であったとき,Cは,Aに対して80万円の支払を求めることができるか。Bに対してはどうか。
2 甲債権を発生させたAB間の売買契約は有効であったが,BC間の絵画の売買契約がBの詐欺を理由としてCによって取り消されたとき,Cは,Aに対して80万円の支払を求めることができるか。Bに対してはどうか。
(出題の趣旨)
AB間とBC間に独立した契約関係が存在する場合において,この2個の契約のうちの1個に瑕疵があったときに,CがAやBに対して不当利得の返還を請求できるか否かを,その理由とともに問う問題である。BC間の契約に基づく出捐の返還先が誰であるか(給付利得の相手方),Cの出捐がBのAに対する債務の弁済としてされたことにどのような意味があるのかに関する思考力を問うとともに,Aに対する返還請求の可否とBに対する返還請求の可否の理由づけにおいて矛盾をしない論理的展開力を問うものである。
第1 総論:本件の当事者間の法律関係
本件では,AがBに対し100万円の売買代金(555条)債権(甲債権)を有しています。そして,BもCに対し,80万円の売買代金債権(乙債権)を有しています。この乙債権について,BがCに対し,Aに支払うよう指示し,CがAに対して支払いました。
これが,まず,本件の状況です。それでは,かかる三者間の関係はいかなる関係なのでしょうか。本問に関する予備校の解説には,これを「第三者のためにする契約」とするものもあります。もっとも,第三者のためにする契約といえるには,第三者Aの同意がいるはずですが,本件ではそれがありません(ただ,Aが受け取っていることを捉え黙示の同意とみることは出来ないこともありません)。
また,第三者のためにする契約といえるには,第三者AがCに対し,支払いを請求できる関係(権利取得関係)にある必要があります。しかし,本件では,そのような関係があるとは少なくとも明示的には見て取れません。そうすると,本件は単にCがBのためにその履行を引き受けたに過ぎないといえるのではないでしょうか(このような場合を履行引受といいます)。
- 第三者のためにする契約と履行引受の区別
我妻=有泉コンメン1013頁も「第三者のためにする契約は,第三者に権利を取得させる趣旨のものであることを要する。たとえば,Aが第三者Cに対し100万円の債務を負担する場合において,A・B間の契約で,BがCに対してAの債務100万円を弁済する約束をしていたと仮定しよう。もし,A・B間の契約の趣旨が,単にBが弁済をするべき義務をAに対して負担するにとどまり,Cが直接にBに対して弁済を請求する権利を取得するのではない,という場合には,第三者のためにする契約ではない。第三者に直接権利を取得させる旨の合意が,第三者のためにする契約の成立要件である。そして,この合意の有無は,当事者の意思だけでなく,契約の種類,取引の慣行などを考慮して認定しなければならない。たとえば…履行引受契約などはとくに第三者に直接に債権を取得させる合意がある場合にだけ。第三者のためにする契約となるのがふつうであるとされる(大判昭和11年7月4日民集15巻1304頁)」としています。
出題の趣旨においても第三者のためにする契約という用語が出てきていませんから,本件では,第三者のためにする契約ではないと考えるのが素直かと思います。
第2 三者間の関係の用語の整理
上記を前提に,問題を検討していく前に,当事者の関係に関する用語を整理しておきたい思います。少し複雑ですので,当事者関係図を書きながら読み進めて頂けるとありがたいです。まず,AB間の関係,これを「対価関係」と呼ばれています。そして,BC間の関係,これは「補償関係」と呼ばれています。そして,CがAに対し,弁済する関係,これを「給付関係」といいます。以下では,解説を簡略化するために,以下の用語を使用し,解説していきたいと思います。
第3 小問1
1 総論
本件ではCが弁済したところ,その弁済の対象を生じせしめたAB間の契約がBの錯誤で無効でした(95条本文)。かかる場合にCがAに対し,弁済した80万円を返還するよう請求できるかという話です。まず,Cが請求の根拠とするのは不当利得返還請求(703条),これはいいでしょう。もっとも,問題は,その要件を満たすのかです。
2 対価関係の瑕疵による影響
本件で,Cの給付は,BC間の履行引受契約(その前提としての売買契約)に基づくものです。そして,これらは無効になったAB間の売買契約とは別個の契約です。そのため,別個の契約である以上,Cがなした給付(給付関係)には何ら影響はないということになります。そして,Cはその有効な給付によって,Bへの代金支払債務を免れている状態であり,Cには,何ら「損失」がありません。
そのため,CはAにも返還請求できないし,また,Bに対しても請求できない,というのが小問1の帰結になるでしょう。対価関係の無効は何ら給付関係や保証関係に影響を与えないのです[1]。
- 本小問の当事者間の利害調整
それでは本小問契約関係の清算はいかになされるのでしょうか。これはAB間でなされるのではないでしょうか。すなわち,BはCが履行引受契約を履行した結果として,自己のCに対する売買代金債権を失っています。その反面,AはCから弁済を受けています。そして,かかる弁済はAのBに対する代金支払請求権のためになされたいたわけですが,それが無効であった,つまり,Aは何ら「法律上の原因」なく,Cからの給付を保持しているということになるわけです。そのため,本小問での利益調整は,BのAに対する不当利得返還請求でなされることになります[2]。
- 対価関係・補償関係の無因性
ある契約が効力を失った場合に,他の契約に影響を及ぼさない状態を無因性といいます。上記で示したように,別個の契約は原則として,無因であるといえます。しかし,それはあくまで原則で,例外的に有因性を持つ場合もあります。それでは,なぜ,本件対関係や補償関係は無因性を維持するのでしょうか。
四宮事務管理上230頁は以下のように述べています(原文を引用しているため,当事者関係が本問とずれています。注意してください)。「指図は,AをしてCに給付せしめ,その出捐についてはA・Cとともに指図者Bとのみ清算することを,めざす法技術である。そこでは,Aにとっては,自己に無関心なCB間の対価関係は問題とならず,Cにとっては,自己に無関係なBA間の補償関係は問題とならない。したがって。これらの法律関係に瑕疵があった場合,給付されたものの清算は,それぞれの法律関係の当事者間でなされるものとするのが,事態適合的である。そのようにするためには,対価関係・補償関係の当事者間に給付関係を生ぜしめる基礎となるA-Cの出捐行為自体は効力を失わないとしなければならないのである。」
第4 小問2
1 Aに対する請求
本件では,小問1とは逆に,BC間の契約が詐欺で取り消され(96条1項)遡及的に無効であった(121条本文)場合です。すなわち,補償関係に瑕疵があった場合といえます(より,厳密にいえば,BC間の売買及びそれに伴う履行契約が無効になります(ある意味,こちらは有因関係を観念しているといえるでしょう)。)。かかる場合に,CはBC間の売買を取消した以上,そもそもかかる代金を支払う必要がなかったはずです。しかし,本件では,既にAに対し80万円を支払っています。そこで,Cはこの80万円を「損失」として,どうにか取り返したいと考えるわけです。
しかし,まずAに対する請求は認められません。Aは自己の売買契約に基づき代金支払請求権に対する支払いとして,かかる80万円の弁済を受けたわけですから,その利得に「法律上の原因」があります。BC間の契約と,AB間の契約関係は別個であり,一方の瑕疵が他方の契約(対価関係)や給付関係に影響がないことは上記で述べたとおりです。
2 Bに対する請求
そこで,CとしてはBに対し,80万円を返せと主張していくことになります。もっとも,この際問題になるのが,あくまで80万円を受け取ったのはAであり,Bに利得があるのかということです。しかし,BはCの支払いによって,Aに対する代金支払債務を逃れています。これは,Bにとって利得であり[3],Cの80万円の損失との間に因果関係も認められるでしょう。そして,AB間の売買契約が取消された以上,Bにはその利得保有の「法律上の原因」はないはずです。以上から,Bに対する請求は認められるでしょう。
かかる結論はBがCに対し詐欺を行った者であることからしても是認できるでしょう[4]。
- 二重欠缺の場合の処理
本問は対価関係と補償関係のいずれかを欠く事例でしたが,その双方について欠く場合(二重欠缺)の判断をした判例として,最判平成10年5月26日民集52巻4号985頁(百選Ⅱ7版78事件)が挙げられます。余裕のある方は取り組んでみてください。
- 第三者のためにする契約の場合
第三者のためにする契約の場合は,若干結論が変わってきます。本問の解説からは逸れるため,省略しますが,その詳細の解説としては,四宮事務管理上234頁以下が挙げられます。
参考答案
第1 小問1
1 Aに対する請求
(1) CはAに対し,不当利得返還請求権(703条)として80万円の返還を請求する。まず,本件で,CはBとの売買契約に際し,BがAに対して負っている代金支払債務を代わりに支払うとして,履行引受契約も締結した。そして,かかる履行引受に基づいて,Aはその80万円を受領し,これにより,AB間の代金支払債務,BC間の代金支払債務は消滅した。その後,AB間の売買契約は錯誤(95条本文)で無効となった。しかし,これはAB間の契約が無効になったにすぎず,BC間の契約が無効になったわけではない。両者は別個の契約であるし,また,上記三者間の関係は三者間の契約で形成されたわけでもない以上,有因関係も認められない。そのため,AB間の売買が無効になっても,BC間の売買契約,ひいてはそれに伴い締結された履行引受契約や,それによる弁済が無効になるわけではない。そのため,Cは依然,Aに対する弁済でBに対する債務を免れているのであり,損失がない。
よって,Aに対する請求は認められない。
2 Bに対する請求
Bに対する請求も,Cに損失がない以上,認められない。なお,本小問における利害調整は,BC間で,BのCに対する不当利得返還請求で行うべきである。
第2 小問2
1 Aに対する請求
かかる場合も主張するのは,不当利得返還請求権である。かかる場合,Cはそもそも,BC間の売買が詐欺(96条1項)により,取消され,遡及的に無効であった(121条本文)だったのであり,それに伴い,有因関係を有する履行引受契約も遡及的に無効であった。そのため,そもそもCにはAに80万円を支払う必要が無かったのであり,この点につき「損失」がある。そして,かかる80万円を受け取っているAには「利得」があり,因果関係もあるとして,請求は認められるようようにも思える。
しかし,上記で示したように,BC間の契約とAB間の契約は別個であり,また有因関係もないことから,BC間の契約が取消されたからといって,AB間の契約も遡及的に無効になるわけではない。そうすると,AはCから80万円の弁済を,有効な売買契約の代金債務の弁済として受け取ったのであり,「法律上の原因」を有している。
よって,請求は認められない。
2 Bに対する請求
そこで,Cは詐欺を行ったBに対し,不当利得返還請求を主張する(703条,704条)。まず,かかる場合,Bは直接80万円を受け取っていないため,利得がないようにも思える。しかし,Cが80万円をAに弁済したことで,BはAに対する代金債務100万円を免れたがれたのであり,少なくとも80万円以上の利得がある。そして,Cが弁済したから故に,かかる利得が生じたのであるから,Cの上記損失とBの利得は社会通念中の因果関係を有する。そして,BC間の売買及び履行引受契約は無効であったのだから,Bにはかかる利得を保有すべき「法律上の原因」を有していない。
よって,請求は認められる。
以 上