Aは,B所有名義で登記されている建物(以下「本件建物」という。)をBから賃借して引渡しを受け,本件建物で店舗を営んでいる。Aは,賃借に当たってBに敷金を支払い,賃料もBに遅滞なく支払ってきた。ところが,本件建物は,真実はBの配偶者であるCの所有であり,CがBに対し,Bの物上保証人として本件建物に抵当権を設定する代理権を付与し登記に必要な書類を交付したところ,Bが,Cに無断でB名義に所有権移転登記を経由した上,Aに賃貸したものであった。
以上の事案について,次の問いに答えよ(なお,各問いは,独立した問いである。)。
1Aが本件建物を賃借してから1年後に,Aは,その事実を知ったCから本件建物の明渡しを請求された。Aは,Cに対し,どのような主張をすることが考えられるか。
2Aは,本件建物がBの所有でないことを知った後,Cに対してBとの賃貸借契約が当初から有効であることを認めてほしいと申し入れたものの,Cは,これを拒絶した。その後,Cが死亡し,BがCを単独相続したところ,Bは,Aが本件建物を賃借してから1年後に,Aに対し本件建物の明渡しを請求した。
(1) Aは,Bに対し,BがCを単独相続したことを理由に本件建物の明渡しを拒絶することができるか。
(2) 仮に(1)の理由で明渡しを拒絶することができないとすれば,Aは,Bに対し,どのような主張をすることができるか。特に敷金の返還を受けるまで本件建物の明渡しを拒絶すると主張することができるか。
(出題の趣旨)
小問1は,代理人が基本代理権を逸脱してなした行為が代理形式ではなく自己名義でなされた場合に,民法94条2項の類推適用など善意の相手方を保護するための法理を問うものである。小問2は,他人物賃貸借において権利者の拒絶の意思が示された後にその地位を他人物賃貸人が相続した場合の法律関係を考察し,さらに他人物賃貸借が履行不能により終了した場合における賃借人の法的主張について敷金返還請求を中心に検討することを求めるものであり,典型的でない事例への応用能力を試すものである。
第1 小問1
1 Aの主張の前提として
本件で,Cは所有権に基づく返還請求権としての建物明渡請求権を主張しているものと考えられます。当該請求権の要件は①所有②占有であるところ,本件で①についてCが争える事情はありません。しかし,②について,AはAB間の賃貸借契約(601条)による正当権限を主張することになるでしょう。もっとも,本件建物の所有者はCであり,当該賃貸借契約は他人物賃貸借です(601条,560条,559条)。そして,Cが賃貸借を認めなかった時点で「使用および収益」させる義務は履行不能となり,Aは何ら正当な権限を有しないことになります。
しかし,本件Aは登記等からBが所有者であることを信頼していたはずであり,かかる信頼は保護されるべきでないか考える必要があります。
- 無権代理の認定
- 本件で,Aは自己を契約主体として契約に臨んでいるのであり,代理人として契約に臨んでいるわけではないです。そのため,本件を無権代理と構成するのは適切でないでしょう。よくあるミスなので注意してください。
2 94条2項の類推適用[1]
(1) まず,「相手方」たるCと「通じて」(94条1項)なされたわけではないため,「前項の規定による」とはいえず,94条2項を直接適用出来ません。
(2) 類推適用の可否(基本的な考え方)
94条2項の趣旨は虚偽の外観作出につき本人に帰責性がある場合に第三者の信頼を保護することにあります(権利外観法理)。そのため,①虚偽の外観②本人の帰責性③第三者の信頼が認められれば類推適用されます。
②③に関連し,代理人が本人の与えた権原を逸脱し虚偽の外観を作出した場合には,その虚偽の外観作出について本人の帰責性は小さいから110条を類推し,無過失まで要求される。
なお,③に関して,登記は不要です。なぜなら,①前主後主の関係にあり対抗関係になく,また,②本人の帰責性が認められる以上権利保護要件としても不要だからです。
(3) 本件では,本来の所有権者はC名義であるにもかかわらず,B名義の所有権登記という虚偽の外観が存在しました(①)。そして,本件でかかる虚偽の外観は,CがBに抵当権を設定する代理権を付与し,書類も交付するということに乗じて生じてしまったのであり,Cには虚偽の外観作出につき,帰責性があったといえます(②)。最後に,本件は代理人Bが本人Cの与えた権原を逸脱し虚偽の外観を作出した場合であり,虚偽であったことについての善意・無過失が要求されるところ,本件では後に真実はC所有であったと分かったのであり,Aは善意であったといえる。そして,登記がB名義であり,特段不審事由がない中での契約である以上,十分に注意義務は尽くしていたといえ,無過失といえるでしょう(③)。
そのため,94条2項が類推適用され,Cの請求は認められないこととなります。以上から,Aとしては上記主張をすべきことになります。
- 94条2項の類推適用と110条[2]の「法意」・「類推適用」
- 判例には,94条2項に付加して110条を適用する際に,「法意」とするものと「類推適用」とするものがあります。この差異について,そもそもそれはないとするものもあります。上記解説は下記の見解に依拠し,110条を類推する見解を採用していますが,答案においては,法意とするか類推とするかで大きくその評価に差はないでしょう。当該事案に着目し,利益衡量をしっかり図ることに意味があります。そのため,以下の補論は余裕のある方のみ目を通して頂ければと思います。
- 判例の94条2項に関する分類[3]
- まず,①意思外観対応型―自己作出型(権利者が虚偽の外観を作りだした場合)です。例えば,息子名義の登記にしていたところ,息子が勝手に売却した事例です。最後に,③意思外観非対応型(名義人の背信行為により権利者が承認した範囲を超える虚偽の外観が作出されてしまった場合〔最判昭和45年11月19日民集24巻12号1916頁,最判昭和43年10月17日民集22巻10号2188頁,最判昭和45年6月2日民集24巻6号465頁,最判昭和47年11月28日民集26巻9号1715頁など〕)です。例えば息子名義で仮登記をしていたところ,本登記に代え,取引をしてしまった場合です。判例はこの際に民法110条の法意に照らして判断しています。判例が94条2項に加えて,110条を持ちだすのは,意思に対応しない外観が存在する中でその帰責性を基礎づけるためであるとされます(無過失を付加するためとの見解もありますが,権利外観法理の原則は善意・無過失であるので,必ずしも110条を持ちだす必要はないはずと考えられています)。110条は権原逸脱時の表見代理であるところ,意思に対応していない外観という状況が類似し,帰責性を基礎づけることができるわけです。そして,その際に判例が③について法意としているのは,④の類型は取引や事務が広範に委ねられ,代理に近い事案であるのに対し,③の事例はあくまで仮登記等の第1の外観が委ねられているにすぎないため,類推とまではいえず,法意としているとされます[4]。そのため,本問は,代理権を授与し,必要な書類を交付していた本件④の類型に近く,上記解説は「類推」としているわけです。
- しかし,近時最判平成18年2月23日民集60巻2号546頁(百選Ⅰ6版22事件,Ⅰ7版22事件)は,110条を法意に照らすのではなく,類推する判断をおこないました。これについて,第四の類型であるとの評価がなされています。すなわち,本事例は代理権を授与していたところ,それを逸脱し,取引がなされたという事案です。当事例は原告の意思と外観が対応していないため,①②には当たりません。また,原告が(仮登記などの)第1の外観の作出を積極的に作出または承認したわけでもないので,③にも当たりません(外観作出またはその原因があったに過ぎないです)。そのため,第4の類型(④〔外形与因型〕)とされています。
- 次に②意思外観対応型―他人作出型(他人によって虚偽の外観が作出されたが,権利者がこれを事後的に明示又は黙示に承認した場合〔最判昭和45年9月21日民集24巻10号1424頁(百選Ⅰ6版21事件),最判昭和48年6月28日民集27巻6号724頁など〕)です。例えば,ある日,息子名義の登記になっているのに気付いたにもかかわらず,それを明示的に承認したか,知っていて放置したような事例です。
- 従来,判例の94条2項の類推には以下の三類型があるとされてきました。
- 平成18年判決の射程と本問の解答の方向性[5]これに関連して,④の類型に関しては実は平成18年判決より前に,最判平成15年6月13日判決判時1831号99頁が出されていました。同判決についての事実の概要は以下の通りです。所有不動産をAに売却した権利者Xは,Aから,地目変更等のために使用するといわれたため,各種書類をAに交付してしまいました。すると,Aは,代金を支払わないまま,A名義の登記をし,それから約10日後に,第三者にこれを売却してその登記をしてしまったという事案です。そして,同判決は94条2項と110条の類推(当時は未だ法意としていましたが,現在の判例であれば類推と評価されています)を否定しました。これに対し,平成15年判決は,①それまで不動産取引の経験がなかった本人が,それまで不動産経営を生業としてきた相手方の言葉巧みな申し入れを受けたがために書類を交付してしまったのであり,交付に合理的な理由があった。②書類の交付から登記の移転までに10日という短期間しか経っていなかった。③書類交付後に不安になり,何度も問い合わせていたが,言葉巧みな説明で交わされていたという事案であった。そして,それ故に「重い帰責性」がないとして,類推を否定したのです。
- そうすると,本問では平成18年,15年と比較して以下のように整理できる。
- 平成18年判決と平成15年判決の結論はなぜ分かれたのでしょうか。それを考える上で,平成18年判決を再考する必要があります。④事例においては,94条2項を類推する上で,最低でも③の事例と同様の帰責性を要すると考えることができます。もっとも,④の事例は第1の外観の作出を積極的に依頼または承認したわけでもない。です。そこで,平成18年判決はそれと「同視し得るほどの重い帰責性」があり,真の権利者が権利を失ってもやむを得ないといえる場合に類推できるとしたのです。そして,その際に指摘した事実は,①特段合理的な理由もないのに,言われるがままに関係書類を交付し,②それを数カ月放置し,③所有権登記を移転させる際にも,その場にいながら,それを漫然と放置していたなどです。これらの事実によって,「重い帰責性」を肯定しました。
- 以上のように本問では④の類型であるとして解説をしています。しかし,ここで問題になるのが,③類型は仮登記のように明らかに帰責性が認められる外観を本人が作出しているのに対し,④類型は,単に権限を与えただけで,それと同視できるような帰責性があったといえるのかということです。
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平成18年 |
平成15年 |
本問(平成18年度第2問) |
書類交付の経緯
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特段合理的な理由もないのに,言われるがままに関係書類を交付した(合理的な理由なし)。 |
それまで不動産取引の経験がなかったXが,言葉巧みな申し入れを受けたがために書類を交付してしまった(合理的な理由あり)。 |
CがBに対し,Bの物上保証人として本件建物に抵当権を設定する代理権を付与し登記に必要な書類を交付した。夫婦間で代理権を授与していただけで合理的な理由があった? |
交付からの期間
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数か月経過していた。 |
10日しか経過していなかった。 |
事案からは明らかでないが,短期間であった? |
登記移転の経緯
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その場にいながら,それを漫然と放置していた。 |
書類交付後に不安になり,何度も問い合わせていたが,言葉巧みな説明で交わされていた結果,移転されてしまった。 |
移転の場には少なくともいなかった。ただし,Bに問いただしていたわけではない。もっとも,夫婦間で任せていたのであり,問いただすべきといえるかは怪しい。 |
結論 |
類推適用肯定 |
類推適用否定 |
類推適用否定? |
上記のように整理してみると,本問はそもそも類推を否定する事案であったとも評価できるかもしれません(もっとも,Cが1年間気づかなかったことは気になるところです)。しかし,そもそも事案が本文中に少なすぎるため,そう断言して良いのかも怪しいところです。本問は旧司法試験平成18年度の出題であり,未だ平成18年判決に関する議論は成熟していませんでした。もしかすると,作問時には未だ平成18年判決は存在していなかったかもしれません(平成18年判決は2月に出されたものであるところ,旧司法試験論文試験は毎年7月頃でした)。それ故に,出題者としてもそこまでの想定はしていなかったのかもしれません。現に,出題の趣旨も「民法94条2項の類推適用など善意の相手方を保護するための法理を問うものである」とするのみです。
そのため,上記メインの解説は類推を肯定する解説となっています。もっとも,余裕のある方は94条2項の類推をめぐるかかる議論については,ぜひ押さえておいて欲しいです。
第2 小問2(1)について
1 Aの主張の前提として
本件で,Aが主張するのは小問1と同様に,所有権に基づく返還請求権としての建物明渡請求権です。そして,小問1同様にAは他人物賃貸借契約を反論していくこととなります。
2 本人たる地位をBが相続した(896条本文,890条前段)ことを理由に請求を拒めるか
(1) 地位について[6]
相続により他人物賃貸が有効となるでしょうか。これについては,いわゆる無権代理人と相続に関する議論が他人物賃貸者たる本問で妥当するか[7]が問題となります。そこで,以下無権代理人と相続に関する見解を整理しましょう。
※なお,無権代理に関する議論が他人物契約に妥当するかについては,両者の差異が代理人として契約に臨んでいるか,本人として契約に臨んでいるかの違いにすぎない以上,妥当すると考えていいでしょう。
・資格融合説
無権代理人が本人を相続すると,その資格が融合し,当初から本人に効果帰属していた[8]ものと扱われることになるとする見解です[9]。
しかし,かかる見解には,悪意の相手方すら保護されかねないこと,善意の相手方が契約取消権を失うことが批判されています[10]。
・資格併存説
上記の批判に応え,無権代理人が本人を相続した場合,両者の地位は併存するという見解である。
本問では,上記資格融合説への批判が,他人物賃貸借でも妥当するかが問題となります。これについて考えるに,悪意の相手方すら保護されかねないのは他人物賃貸借であっても同じです。また,善意の相手方は,契約取消権と同じ位置づけにある解除権(601条,559条,561条前段)を奪われかねません。そのため,本件でも資格融合説への批判は妥当し,資格併存説に依拠すべきといえるでしょう。
そのため,他人物賃貸借契約は当然には有効となりません。Bは本人の地位に基づき追認拒絶できるようにも思えます。
(2) 追認拒絶の可否
もっとも,かかる場合に追認拒絶ができるかについては,なお検討の余地があるでしょう。
無権代理人と相続に関して,上記資格併存説の中にはさらに信義則によって追認拒絶を否定する見解がある。すなわち,代理人として行動したものが,相続を奇貨として追認拒絶をするのは矛盾する態度であり,信義(1条2項)に反し許されないとの考えです。
もっとも,相続前に本人が追認拒絶していた場合に,最判平成10年7月17日民集52巻5号1296頁(判例百選Ⅰ6版36事件)は追認拒絶を援用することを許しました。すなわち,同判決は,「本人が追認を拒絶すれば無権代理行為の効力が本人に及ばないことが確定し,追認拒絶の後は本人であっても追認によって無権代理行為を有効とすることはできず,右追認拒絶の後に無権代理人が本人を相続したとしても,右追認拒絶の効力に何ら影響を及ぼすものではないからである」としました。
かかる判例の考えを前提として,他人物賃貸借の場合を考えると,他人物賃貸人は他人物賃貸行為をした以上,その契約を履行する義務があります。それにもかかわらず追認拒絶するというのは前後矛盾する行為であり,信義則上(1条2項)追認拒絶権を援用できないとも思えます。
しかし,本人が追認を拒絶すれば他人物賃貸行為の効果が本人に及ばないことが確定し,追認拒絶の後は本人であっても追認によって他人物賃貸行為を有効とすることはできません。そのため,本人が追認を拒絶していた場合には,他人物賃貸人は追認拒絶権を援用できると考えることになるでしょう。
本件でも,本人たるCが追認拒絶をした後に死亡しています。そのため,本人たる地位をBが相続したことを理由に請求を拒めないでしょう。
- 平成10年判決の射程
- 調査官解説[11]は「私見ではあるが」と留保をつけたうえで,「本判決は…信義則の適用を排除する趣旨ではない」としています。判決においても,「前記事実関係の下においては,その他に上告人らが右追認拒絶の効果を主張することが信義則に反すると解すべき事情があることはうかがわれない」としています。いかなる事情があれば信義則違反になるか[12]について,判例の射程は明らかではありません。これについて,学説[13]から主張されている事例としては,無権代理と知りつつ,無権代理をした悪意の無権代理人の事例や,本人による原状回復が未了である事例などです。そう考えると,本件では悪意の他人物賃貸人である以上,その追認拒絶は信義則に反し許されないということになるのではないでしょうか[14]。
- もっとも,平成10年判決の採用する理論については,いずれにせよ自己が過去になした行為に関する法的効果を帰属する点では差異はないのではないかとも思えます。また,いかなる事例においても追認拒絶が認められるのでしょうか。
第3.小問2(2)について
1.問題文の指示の意味
本件で,「敷金の返還を受けるまで本件建物の明渡しを拒絶すると」の主張とは,留置権(295条1項本文)ないし同時履行の抗弁権(533条)の主張であると考えられる。いずれにせよ,前者については「物に関して生じた債権」,後者については「相手方」の「債務」を基礎づけるために,敷金返還請求権が発生していることを主張しなければならない。
※もう少し当事者の意図を考えると,追認拒絶され自己の居住利益が守られないAがせめて敷金だけでも確実に返還されたいと考え,上記主張をしているのである。
2.敷金返還請求権
敷金とは賃貸借契約に伴う賃借人のすべての債務を担保するものです。具体的な目的としては,賃貸借契約終了後の原状回復の費用,退去後新たな賃借人を得るまでに生ずる損失の填補,権利金(利用の対価や付加価値の対価)などとされます。
そして,敷金返還請求権の発生時期について,以下の見解があります。
・明渡時説(判例)
賃貸借終了後,賃借物が明け渡された時に,それまでに発生した賃借人の債務に充当してもなお残額がある場合に,その残額について生じるとする見解です。
同見解は,終了時説に立つと,終了後,明渡までの損害金を担保できないということや,敷金と賃借物との対価的不均衡を挙げます。
判例も最判昭和49年9月2日民集27巻1号80頁(百選Ⅱ6版59事件,Ⅱ7版61事件)において同見解を採用しました。
・終了時説
賃貸借契約終了時に,それと同時に生じるとする見解である。同見解は敷金返還手段の確保をその理由に挙げる。
本件で仮に判例の見解に依拠するのであれば,明渡の拒絶は許されないことになります。
昭和49年判決の射程―他人物賃貸借の履行不能という特殊性
- そこで,昭和49年判決の理由を再考してみましょう。同判決は①賃借人の家屋明渡債務と賃貸人の敷金返還債務は1個の双務契約によって生じた対価的債務の関係にあるものとすることはできない。②両債務には著しい価値の差が存在する。③一般に賃借人の保護が要請されるのは本来その利用関係についてであり,賃貸借終了後の関係について賃借人保護の要請を強調する必要はない。④終了時説にたつと,家屋の明け渡しまでに賃貸人が負う一切の債務を担保する目的に適わない,ということを理由として挙げています。本論点は留置権においても同様に議論できるため,同時履行の趣旨に鑑みた①の議論は結論を左右したものではないでしょう。結局,同時履行や留置権の趣旨である公平の観点から②~④の要素を考慮し結論を下したといえないでしょうか。そのように,考えると本件では留置権や同時履行を認めることがむしろ公平であり,昭和49年判決の射程外であるとの結論も取りうるのではないでしょうか。
- そうすると,本件事案は以下のように対比できます。確かに,②は同様に著しい格差が肯定できます。しかし,③について,他人物賃貸借をしたものが相続を奇貨として,請求し,全く他人物賃借人に救済のない結論になりかねない状況であることに鑑みれば,せめて敷金の返還関係については保護すべきではないでしょうか。また,④についても確かに,家屋の明け渡しまでに賃貸人が負う一切の債務を担保する必要はあります。もっとも他人物賃貸借を悪意で行った者が相続を奇貨として請求している事例において,保護する必要性は乏しいのではないでしょうか。
- もっとも,本件では,他人物賃貸借の履行不能という特殊事情があります。また,他人物賃貸借をしたものが相続を奇貨として,請求し,全く他人物賃借人に救済のない結論をとることは当事者の公平の観点から問題がないでしょうか[16](本問出題の趣旨も「他人物賃貸借が履行不能により終了した場合における賃借人の法的主張について敷金返還請求を中心に検討することを求めるものであり,典型的でない事例への応用能力を試すもの」としており,かかる特殊性は出題者も意図していたといえます)。
参考答案(無難な答案)
第1 小問1
1 Cの請求は所有権に基づく返還請求としての土地明け渡し請求であり,C所有とA占有に基づいている。
2 これに対しAはBとの間で結んだ賃貸借契約(601条)を主張する。もっとも,本件では賃貸目的物たる建物の所有はCにあり,本件契約は他人物賃貸借(559条,560条)である。そのため,本人たるCが返還を請求した時点で当該契約は履行不能になる。
3 しかし,本件で,AはB名義の登記を信頼して契約を結んだと思われる。そこで,かかるAは保護されないか。本件で,BC間に「通じてした」(94条1項)とされる関係はないため,94条2項を直接適用はできないものの,類推適用できないか。
(1) 94条2項の趣旨は,虚偽の外観作出につき本人に帰責性がある場合に,それを信頼した第三差を保護することにある(権利外観法理)。
かかる趣旨からして①虚偽の外観②その作出につき本人の帰責性③第三者の信頼の要件を満たせば,類推適用される。
なお,②・③について,本人の帰責性に鑑みれば原則無過失は要しない。しかし,虚偽の外観の作出が本人のみの原因とはいえない場合には,原則同様の本人の帰責性は肯定できず,110条を類推し,善意に加え,無過失を要する。ただし,以上で帰責性の均衡は取れるため権利保護要件の登記は要しない。また,94条2項の効果として本人と第三者は当時者関係にたつため,177条の対抗要件としての登記も要しない。
(2) 本件では,所有者はCであるにもかかわらず,B名義の登記という実態に合致しない虚偽の外観がある(①)。そして,それはCがBに登記書類を渡したがために生じたもので,作出につき本人Cの帰責性がある(②)。もっとも,本件ではCが行ったのは書類の交付までであり,虚偽の登記はBによって生じたものである。そのため,本人のみの原因とはいえず,無過失が要求される。本件では契約したものの,後に真実はC所有であったと分かったのであり,Aは善意であったといえる。そして,登記がB名義であり,特段不審事由がない中での契約である以上,十分に注意義務は尽くしていたといえ,無過失である。第三者の信頼も認められる(③)。
そのため,94条2項が類推適用され,Cの請求は認められない。Aとしては上記主張をすべきである。
第2 小問2(1)
1 本件でBが請求するのも所有権に基づく返還請求である。これに対して,AはBがCを単独相続(896条本文,890条前段)したことで,他人物売買が当然に有効になると反論するがそれは認めら得るか。
(1) 相続という偶然の事情で当然に有効とすると,相手方の解除権(601条,559条,561条前段)を不当に奪いかねない。そのため,本人と他人物賃借人の地位は併存すると考える。当然に有効にならない。
(2) 本件でも当然に有効にならない。そして,本件ではCはBの地位に基づいて追認拒絶している(113条2項本文)。これにより本件他人物賃貸借は無効であるようにも思える。
2 しかし,本件でBは他人物賃貸借を行ったものである。
(1) 追認を得るべき他人物賃貸をしたものが,相続を奇貨としてその追認を拒絶することは,前後矛盾行為であり信義(1条2項)に反し許されない。しかし,本人がすでに追認を拒絶している場合は,本人であってもそれを有効にできない以上,その追認拒絶を援用することは矛盾でなく許される。
(2) 本件でも他人物賃貸人Bは原則拒絶できないが,Cがすでに追認拒絶していたがためにそれを援用できる。そのため,Aは単独相続したことを理由として明け渡しを拒絶できない。
第2 小問2(2)
1 本件においてBの主張として想定されるのは敷金返還請求権について同時履行の抗弁権(533条)ないし留置権(295条1項本文)を主張することである。
もっとも,「相手方」の「債務」ないし「その物に関して生じた債権」の要件に関して,敷金返還請求権は生じているか。発生時期について明文なく問題となる。
(1) 敷金制度の趣旨は賃借人の賃貸借関係から生じる債務につき賃貸人の担保とすることにある。かかる趣旨と,通常敷金が唯一の担保であることからすれば,賃貸借終了時以後,明け渡しまでをも担保すると考えるべきである。そのため,明け渡し時に生じる。
(2) 本件では,敷金返還請求権は生じおらず,「相手方」の「債務」ないし「その物に関して生じた債権」の要件を満たさないため,留置権ないし同時履行の抗弁権は認められない。Aはかかる主張を行うものの,請求は認められることになる。
以上
参考答案(判例の射程を意識した答案)
第1 設問1
1 Cの請求は所有権に基づく返還請求としての土地明け渡し請求であり,C所有とA占有に基づいている。
2 これに対しAはBとの間で結んだ賃貸借契約(601条)を主張する。もっとも,本件では賃貸目的物たる建物の所有はCにあり,本件契約は他人物賃貸借(559条,560条)である。そのため,本人たるCが返還を請求した時点で当該契約は履行不能になる。
3 しかし,本件で,AはB名義の登記を信頼して契約を結んだと思われる。そこで,かかるAは保護されないか。本件で,BC間に「通じてした」(94条1項)とされる関係はないため,94条2項を直接適用はできないものの,類推適用できないか。
(1) 94条2項の趣旨は,虚偽の外観作出につき本人に帰責性がある場合に,それを信頼した第三差を保護することにある(権利外観法理)。かかる趣旨からして①虚偽の外観②その作出につき本人の帰責性③第三者の信頼の要件を満たせば,類推適用される。
なお,②③について,本人の帰責性が虚偽の外観の原因を提供したにすぎない場合,②について,虚偽の外観の下になった外観を意図して作出した場合と同視し得るほどの重い帰責性がなければならない。そして,それが認められる場合は,自ら作出した外観より過大な外観が作出されている以上,110条も類推し,③について,無過失を要する。
(2) 本件では,所有者はCであるにもかかわらず,B名義の登記という実態に合致しない虚偽の外観がある(①)。もっとも,本件CはBに対し,Bの物上保証人として本件建物に抵当権を設定する代理権を付与し登記に必要な書類を交付しているものの,これは夫婦間での役割分担として代理権を授与していたのであり,何ら虚偽の概観を作出する意図はなかった。また,事案からは明らかでないが,本件ではBが代理権授与を受けた後にある程度速やかに上記虚偽の登記をし,賃貸借契約をしていると思われ,Cがそれを防止することは困難であった。また,本件は夫婦間で任せきりだった部分もあったが,夫婦間である程度信頼するのは当然である。本件では確かに気付くのに1年を要し,その間にAが居住利益を形成しているが,かかる信頼を前提にすれば気づかなかったのもやむを得なかったといえる。そのため,基になった外観を意図して作出した場合と同視し得るほどの重い帰責性はなく(②),94条2項を類推できない。
以上が,Cのすべき主張であるが,結局認められないため,請求は認められる。
第2 小問2(1)
1 本件でBが請求するのも所有権に基づく返還請求である。これに対して,AはBがCを単独相続(896条本文,890条前段)したことで,他人物売買が当然に有効になると反論するがそれは認めら得るか。
(1) 相続という偶然の事情で当然に有効とすると,相手方の解除権(601条,559条,561条前段)を不当に奪いかねない。そのため,本人と他人物賃借人の地位は併存すると考える。当然に有効にならない。
(2) 本件でも当然に有効にならない。そして,本件ではCはBの地位に基づいて追認拒絶している(113条2項本文)。これにより本件他人物賃貸借は無効であるようにも思える。
2 しかし,本件でBは他人物賃貸借を行ったものである。
(1) 追認を得るべき他人物賃貸をしたものが,相続を奇貨としてその追認を拒絶することは,前後矛盾行為であり信義(1条2項)に反し許されない。しかし,本人がすでに追認を拒絶している場合は,本人であってもそれを有効にできない以上,その追認拒絶を援用することは矛盾でない面もある。そのため,なお信義則に反する特段の事情ある場合を除いて,追認拒絶は許される。
(2) 本件でも他人物賃貸人Bは原則拒絶できないが,Cがすでに追認拒絶していた。しかし,本件Bは悪意のもと他人物賃貸借をしていたのであり,それでもなお,追認拒絶をするのは矛盾と言わざるを得ない。そのため,信義則に反する特段の事情が有り,追認拒絶は許されない。
以上より,Aは単独相続したことを理由として明け渡しを拒絶できる。
第3 設問2(2)
1 仮に(1)の理由として明け渡しを拒絶できないとすれば,本件においてBの主張として想定されるのは敷金返還請求権について同時履行の抗弁権(533条)ないし留置権(295条1項本文)を主張することである。
もっとも,「相手方」の「債務」ないし「その物に関して生じた債権」の要件に関して,敷金返還請求権は生じているか。発生時期について明文なく問題となる。
(1) 判例は同時履行の抗弁権や留置権の公平の趣旨からして,①両債務には著しい価値の差が存在すること②一般に賃借人の保護が要請されるのは本来その利用関係についてであり,賃貸借終了後の関係について賃借人保護の要請を強調する必要はないこと③終了時に発生すると考えると,家屋の明け渡しまでに賃貸人が負う一切の債務を担保するという敷金の目的に適わないとして,明渡時に生じるとする。
もっとも,上記判例は公平の観点から上記①~③の要素を考慮し判断したと考えれば,なお銅要素を考慮し,終了時に生ずるのが公平であるといえる場合は,終了時に生じていると考えるべきである。
(2) 確かに,本件も同様に著しい格差が肯定できる(①)。しかし,②について,他人物賃貸借をしたものが相続を奇貨として,請求し,全く他人物賃借人に救済のない結論になりかねない状況であることに鑑みれば,せめて敷金の返還関係については保護すべきである。また,③についても確かに,家屋の明け渡しまでに賃貸人が負う一切の債務を担保する必要はある。もっとも,他人物賃貸借を悪意で行ったBが相続を奇貨として請求している本問において,かかるBを保護する必要性は乏しい。そのため,本件では終了時に生ずると考え,同時履行ないし留置権を認める方が公平である。
よって,本件でも敷金の返還を受けるまで本件建物の明渡を拒絶すると主張することができ,Aはかかる主張をすべきである。
以上
[1]本件では代理権の授与があるため,表見代理(110条の類推)を考えた方もいるかもしれません。確かに,判例には110条を類推適用(最判昭和44年12月19日民集23巻12号2539頁)したものもあります。しかし,これは代理人が本人の名を偽って契約を結んだ事案であり,事案を異にします。また,110条を類推適用してしまうと,本人と相手方に売買契約が成立してしまいますが,当事者としてはあくまで他人物賃貸者との間での契約を考えているのではないでしょうか。そのため,昭和44年判決の射程は,法律効果が所有権者本人に帰属しても不都合がない事案に限るといえるでしょう(増森珠美「判解」民事篇平成18年度309頁より)。
[2]判例が110条を持ちだすのは,110条は権原逸脱時の表見代理であるところ,意思に対応していない外観という状況が類似しているからとされる。
[3]前掲平成18年度調査官解説304頁以下
[4]これに対して山本総則56頁では以下のように説明されています。すなわち,94条2項は表見法理の中でも故意責任をその法理としているため,④類型のような重大な不注意を原因とする事例では,別途表見法理を基礎づける必要がある。それ故に,110条が類推され,同条は故意責任以外でも第三者の信頼が正当な場合には善意・無過失の下保護されることを予定しているため,無過失が要求されるとしています。
[5]前掲平成18年調査官解説305頁以下
[6]佐久間総則296頁以下,山本総則388頁以下
[7]他人物売買については,他人物売買を行った者が本人から権利を取得した時点で相手方に所有権が移転するという考えを前提にすると,他人物売買者が本人を相続した場合にも両者の地位は併存せず,当然に追完するとされます(事例から考える247頁以下)。
しかし,これは他人物賃貸借の時には当てはまらないでしょう。なぜなら,上記他人物売買の法理は176条の存在を前提に,制限されていた所有権移転について,その制限が外れるという考えが背景にあります。しかし,他人物賃貸借は物権の移転が問題になるのではなく,あくまで債権関係の規律であるのだから,同列には語れないと思われます。
[8]より厳密に説明すると,相続により本人自らが行為をしたと同様の法律上の地位が生ずると考えるのであり,欠缺状態であった代理権が追完されると考えているわけではないです。そのように考えてしまうと,本人がたまたま無権代理人に目的物を贈与した場合にも無権代理行為が有効となり,本人に効果帰属してしまうこととなります。
川添利起「判解」民事篇昭和37年147頁
[9]大判昭2年3月22日,最判昭和40年6月18日民集19巻4号986頁などがこの立場であるとされています。しかし,資格融合説で処理された事例は全て無権代理人の本人相続の事案であり,かつ,相手方が契約の有効を主張していた事案です。また,その全てについて下級審が117条の責任も肯定した事例でした。そうすると,本人が無権代理人を相続した事案では背景を異にし,判例が全ての事案で資格融合説に立っているわけではないと思われます(最判昭和37年4月20日民集16巻4号955頁参照)。
[10]また,共同相続の事例で,無権代理人の相続分の範囲で相手方と他の相続人が共有することになるが,これは契約の相手方も望まない結果である可能性があるとの批判もあります。
また,本人が無権代理人を相続した事例では,無権代理の被害者である本人が当然に権利を失い,または義務を負うことになり妥当でないとの批判があります。
[11]「判解」民事篇平成10年度(下)700頁
[12]平成10年判決は,本人が死亡した際に,無権代理人と共同相続した者が,さらに無権代理人を相続し,その際に,限定承認をしていたという事案でした。すなわち,法の規定に基づき限定承認をしていた者が,それに基づいて追認拒絶することに対して矛盾と非難できないとの利益衡量があったと考えられます。
[13]山本総則394頁,安永正昭「無権代理人の本人相続」百選第6版Ⅰ75頁
[14]問題文中の「仮に(1)の理由で明渡しを拒絶することができないとすれば」との小問2(2)の留保はかかる議論を前提にしての誘導でしょうか。
[15]従来の通説は他人物関係に関する損害賠償請求は信頼利益の範囲にとどまるとしていました。もっとも,近時では他人物について権利取得等をし,相手方に与える義務の不履行であるとして,415条による賠償請求が認められるのだから,信頼利益にとどめる実益は乏しいとして履行利益に拡張する見解が有力である。かかる見解に依拠すれば,本問でも561条後段を根拠に主張し得ることとなります。
[16]昭和49年判決の調査官解説(川口冨男「判解」民事篇昭和49年度212頁以下)は,終了時説と明渡説のいずれによるかで結論に差異があるのだろうかとしています。すなわち,明渡す瞬間に返還請求権が発生しているとすれば,履行期が到来していると見れないこともないと説明しています。その上で,結局は「利益衡量」の問題であるとする。そのため,いかなる事案でも明渡時説に依拠するのではなく,利益衡量の下,終了時説に依拠することも十分に考えられるのではないでしょうか。