2011年11月22日

2011全日本選手権レポート③ 国士舘大学

2011全日本選手権レポート③ 国士舘大学

「再生」

全日本選手権が終わったら、国士舘大学の団体のことを書こうと思っていた。タイトルも決めていた。たとえ優勝はできなかったとしても、きっと彼らは、このタイトルにふさわしい演技を見せてくれる、と私は確信していたから。

「再生」

これは、2011年全日本選手権での国士舘大学団体のために、私が用意していたタイトルだ。

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1年前の全日本選手権で、国士舘大学は4位だった。今まで負けたことのなかった花園大学に負け、さらには、国士舘OB中心に組まれた社会人チーム「烏森RG」にも負けた。男子新体操の古豪・国士舘大学にとっては屈辱的な4位。
2011年は、そこから国士舘大学がいかに這い上がるか、という年だった。
しかし、シーズン初戦となる東日本インカレに向けて始動したとたんに、キャプテンの西田直樹がアキレス腱を痛めてメンバーから離脱する。西田の代わりに入ったのは、入学したばかりの難波諒太だった。恵庭南高校時代にはインターハイにも出場している難波ではあるが、やはりまだ「国士舘の動き」についていくのは厳しい。必死に頑張ってはいるものの、うまくいかず上級生をいらだたせることも少なくなかった。そんな状態で、国士舘大学は東日本インカレを迎えた。

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そして、本番では交差で選手の上に選手が落ちるという大失策を犯し、青森大学Bチームにも負けてしまう。このとき、交差で失敗したのが、ともに2年生の池上朋宏と小川悟だった。競技終了後に、2人は本当に青い顔をして体育館の隅にしゃがみこんでいた。とても声がかけられる状態ではなかった。
もしかしたら、このまま新体操を辞めたいなんて思わないだろうか、そう心配になるくらい、彼らは落ち込んでいた。

しかし、なんとか立ち直ってくれたようで、8月のインカレには2人そろって出場していた。西田もインカレでは復活し、少々足が痛そうな様子も見られたが、西田という精神的支柱を得たチームは、東日本インカレのときとは見違えるくらいまとまった演技を見せ、インカレでは2位になった。青森大学にこそ及ばなかったが、今年は強いともっぱらの評判だった花園大学に勝った。これは、彼らの大きな自信になった。

全日本に向けての国士舘は、じつにいい準備ができていた。10月末の時点で仕上がりは上々。再起をかける意味でか、今年は久しぶりに本番着も新調した。

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そして、全日本直前の11月13日、大学の文化祭である「多摩祭」での演技会でも素晴らしいノーミス演技で、会場を熱狂させた。
11月17日から、幕張メッセで公式練習が始まり、19日の団体予選までの練習も決して悪くなかった。少々ミスは出ていたが、公式練習でよすぎてもあとが怖いと思えば、ほどよい出来栄えの公式練習だった。

19日の団体予選。
試技順1番だった国士舘大学は、ノーミスの演技を見せた。
強いていえば、前半すこしばかり動きが重い感じはあったが、後半はどんどん盛り上がっていき、観客も引き込まれていく演技だった。
とくに終盤で入っている組み技は、多摩祭で見たときよりも高さやスピード感が増していてすばらしかった。
得点19.125は、思ったほど出なかったという印象だったが、試技順1番ということを考えれば、決して悪くない。

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そして、20日の午後、公式練習での国士舘大学は、いい雰囲気で練習していた。フロアマットの周りには、種目別決勝も終えた個人選手たちもみんなが立ち、チームのサポートをしていた。正面で山田小太郎監督が選手たちの動きを見つめ、OBであり、2008年に国士舘大学がジャパンで優勝したときのキャプテンでもある大舌俊平も、フロア斜め前から、ずっと見ていた。
多くの人の支えを感じながら、選手たちは、フロアの中で精一杯動いていた。とくに4年生の西田と蜂須賀竜太は、そうやって仲間たちに支えられて自分が本番のマットに立つ試合はこれが最後、ということも感じていたのではないだろうか。順風満帆とは言えなかった4年間、とくに今年は、どん底も見たけれど、なんとかこのメンバーでやってこれてよかった、と感じていたのではないか。
緊迫した中にも、「最後の試合」特有の幸福感もある、そんな公式練習だった。

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団体決勝に進出した8チーム中、国士舘大学は7番目に登場した。その時点でのトップは青森大学。29.075という青森大学の点数を抜くためには、国士舘は19.513以上が必要だった。かなり厳しい数字だが、仮にそこには届かなかったとしても、決勝では青森大、花園大ともにミスが出て、今ひとつスッキリしない演技だったため、国士舘が完璧な演技を決めれば、見る人の印象としては「国士舘がいちばんよかった」となる可能性も十分にあった。

演技の冒頭、フロアの真ん中には西田と蜂須賀が立っている。そして、そこに3年生の水本賢が入ってくる。2人が3人になり、その次の瞬間には6人が同じ動きをする。私はこの一連の流れがとても好きだった。
ちょうど、4年の2人が、「思い」を水本に引き継ぎ、それがほかの3人にも伝わったように見えるのだ。同じ「思い」で結ばれた彼らの動きは重なり合い、ひとつになる。
そして、6人がひとつになったことで得た力が、力強い第1タンブリングとなって炸裂する。フロア後方から正面に向かってのタンブリングを担当する池上は、着地したあとに、正面を指さしながら見据える。その強い目線は、「これからの俺たちを見てくれ!」と言っているようだ。
第1タンブリングの締めは、蜂須賀のダブル宙返り。この日もほんの少しはずんだだけで見事に決まった。

すぐに隊形を移動して、国士舘伝統の3バックの体勢に入る。が、このとき異変が起こった。小川が顔をゆがめている。
なにが起きたのか? と思った次の瞬間、小川はバック転をせずに小走りで3バックの着地位置へと移動した。

なぜ?

そのときは、まだ何が起こったのかわからなかった。
なにかタイミングが合わなかったのだろうか? そんな風にも見えた。
中途半端な形で3バックを終えたあと、小川はいくつかの動きをしていたが、明らかに様子がおかしかった。まともに腕が動いていない。本来ならしゃんと腕がはるべきところで伸ばせないのだ。

腕に何か起きた。
観客も気がつき、会場が騒然となってきたときに、小川は自らフロアマットから降り、退場していった。
演技続行不可能と判断したのだ。彼は肘を脱臼していた。

音楽は流れ続ける。
突然のできごとに残された5人は、おそらく頭が真っ白になっていたのではないかと思うが、そのまま演技を続けた。
本当ならば、6人だったはずの演技を、5人で、心をこめて踊り続けた。本来なら小川が跳ぶはずだった組み技だけは、さすがにどうしようもなく、土台の形をつくり、跳ばすような動きはしていたが、誰も跳んではいなかった。本当なら、ここで小川がくるくると宙を舞い、着地した直後にはバックルジャンプを跳ぶはずだったのだ。

国士舘大学は、最後まで演技を続けた。
会場からの声援はどんどん大きくなっていく。
誰もが、彼らの演技から、やりきれない悔しさを感じとっていた。
とくに、「大学生活最後の演技がこんな風に終わっていくのか」という4年生の2人の無念が、伝わってきた。

4人に囲まれる形で、蜂須賀が真ん中に立つ、というポーズで演技は終了した。最後まで5人で演じ切った国士舘大学には、大きな拍手がおくられた。しかし、どれほどの喝采を受けようとも、彼らにとっては悪夢のような3分間だったことは間違いない。

多摩祭でこの演技を見たときに、私は、「これは再生のストーリーだな」と思った。4年の2人の思いを、後輩たちが引き継ぎ、ひとつになり、最後には、小川を高く中に跳ばすのだ。先輩たちの意思を引き継ぎ、国士舘はこれからもっともっと飛躍するのだ、それも、東日本インカレでは失敗した池上や小川らを核にして…。
そんな物語が、浮かんできていたのだ。
どんな得点、どんな結果になったとしても、この「再生のストーリー」は書ける、と彼らの演技を見て思っていた。

しかし、思いもよらない形で物語は幕を閉じてしまった。
彼らの「再生のストーリー」は完結できなかった。

でもきっと。
いつの日か、それもきっとそう遠くないうちに。
彼らはまた立ち上がり、再生する。
絶対に、だ。
私はそれを見届けたいと思う。

最後に、多摩祭での国士舘大学の演技がYou Tubeに上がっていたので紹介したい。ぜひ多くの人に見てほしい。あの日、国士舘大学はこの演技を全日本で披露するはずだった。
彼らはこれだけの演技を準備できていた。そのことだけでも、知ってほしいから。

【2011国士舘大学団体】

http://www.youtube.com/watch?v=5zwXJEQdneA


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