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戦後70年の節目に当たり、第2次世界大戦における日本の行動に対する反省に関するこれまでの村山談話(戦後50年の1995年)、小泉談話(戦後60年の2005年)を安倍内閣がどう引き継ぐのかについて内外の関心が寄せられている。これと関連して、英国のエコノミスト誌は「犠牲者なのか侵略者なのか、過去と直面するのが困難と感じる国、日本」という副題をもつ「未消化な歴史」という題の記事を掲載したが(2015年3月7日号)、その中で、第2次世界大戦中の空襲被害を日本と欧州とで比較するデータを掲げているので図録化した。
日本の各都市の民間人を対象とした空襲被害(the targeted killing of Japanese civilians)が、原爆投下を含め、いかに前例のない大きな規模だったかがうかがわれるが、不思議なのは、これに対して日本人は余り関心がないように見える点だとエコノミスト誌は言っている。 「今日でさえ、空襲は奇妙なほど言及されない。ドレスデンの70周年は今年2月に全欧で記念式が挙行された。しかし東京では空襲による火災被害を記念する政府が出資した施設さえなく、ほんの一握りの人数のひとびとが早乙女氏とともに例年の記念式に出席することとなった。(中略)1945年の空襲被害について書いた小説家の Bret Fisk は、「戦後、東京は犠牲者を然るべく追悼するだけの感情的また財政的なリソースを欠いていた」と言う。また、新しくはじまった冷戦の同盟相手である米国と事を構える気にはならなかったというのだ。追悼施設の計画は1990年代に動きが取れなくなった。保守派はこの計画は、戦争犯罪の記述と同様、非愛国的であり、「マゾヒスティック」だとした。自国の民間人の受難が認められないとしたら、日本のナショナリストにとって、日本の皇軍がアジアで犯した残虐行為を受け入れることはなおさら難しいといえる。」 こうした流れで、安倍首相が戦後70年目の談話について以前の談話を引き継ぐだろうがこれはいやいやながらだろうと見なすコメントにつながるわけであるが、このつなぎ方は性質の異なることを一律に論じている観がぬぐえないと思う。 日本の各都市の空襲被害については図録5226d、第2次世界大戦の各国の戦没者数については図録5227、第2次世界大戦についての国民の意識については図録5224を参照されたい。 (2015年4月15日収録) |
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