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青雲を駆ける 作者:肥前文俊

第一章 鍛冶編

小話1

今回は、エイジの視点以外からの村の話になります。
 尊敬に足る人物というのは、意外と身近にいるものだ。
 タニアにとっては、村長を務める祖母であり、女衆をまとめるジェーンであり、そして様々なものを生み出す夫だったりする。
 その夫は、最近また一心不乱に何かを製作していた。
 ふぅ、とタニアはため息をつく。
 足元にはうり坊が鼻をこすりつけていた。
 自宅の家畜部屋で飼っている一頭だ。
 他には雌のイノシシが一頭いて、まだ小さなうり坊に乳を与えていた。

 家畜部屋からはタニアの作業場が見える。
 大量に束ねられた麦と、千歯扱きと、篩ふるいがある。
 薄暗い部屋の中で、エイジが大きな木造機械を弄っていた。
 今日で三日目だ。
 タニアは出来上がるものに対して心配はしていない。
 以前作られた千歯扱きは、仕事を大幅に改善してくれたからだ。
 しかし、自分のために本職を疎かにすることを許す訳にはいかない。

「エイジさん」
「はい。何ですか?」
「最近ずっと家にいてますけど、お仕事の方は大丈夫なんですか?」
「フィリッポさんに薪を作っていただいているので、それ待ちですね。それに水車が完成したんで、前よりもはるかに早く作れるようになりました。砥ぎのために、下働きの子も入れてもらえましたし」

 鍛冶をしなくても良いのかと聞いたら、大丈夫だと笑われた。
 薪の消費量が非常に多いので、一度休みが必要になったのだ、と。
 エイジの言う水車を初めて見た時、タニアは水車の立てる音の大きさに驚いた。
 巨大な歯車の動きに合わせて、ゴウンゴウンと大きな音を立てるのだ。
 水車はエイジが言うには数多くの仕掛けがあるらしい。
 鍛冶場には紐が何本も空中に伝わり、その紐を引っ張ると、水車が動いたり止まったりする。
 鞴、ハンマー、三台の研磨機が、二つの水車で動くようになっていて、これも紐で動かすのか、止めるのかを選べるようになっている。
 タニアにはその仕組みは見ただけでは理解できなかった。
 実践され、詳しく説明を受けても、やはりわからないだろう。
 自分の夫は天才だと思う。

「それでエイジさん、何を作っているんですか?」
唐箕とうみです」
「とうみ?」
「千歯扱きで脱穀したら、石や藁屑わらくずがどうしてもついてくるじゃないですか。それってどうしてます?」
ふるいにかけて、麦だけを取っていきます」
「結構大変ですよね?」
「手間ですよ。何度も繰り返す必要がありますから」

 篩の目の細かさが違うもので何度も腕を振り、ゴミを落としていく。
 同時に少しでも収穫漏れがないように二度、三度と篩にかける必要がある。
 とはいえ、タニアは夫を持った身だから、農作業の手伝いをするならばこれらの仕事は免除される。

 タニアがこの過酷な仕事を続けているのは、一つしか無い千歯扱きを持っていることと、その労力の軽減具合を知らない村民に上手く働きかけ、麦の分配を増やしてもらったためだ。
 以前タニアは千歯扱きについて口を滑らせたことがあったが、他の人間はまさか作業効率が七,八倍にも跳ね上がるとは思ってもいないだろう。
 快く了承してくれ、エイジとタニアは少しだけ豪勢な食事を摂ることができる。

「篩にかけるのと、その大きな機械は何の関係があるんですか?」
「この把手をクルクルと回しながら、麦を落としていくと、風の力でゴミを吹き飛ばして、重さの違う実を分けてくれる機械なんです。回転部分には鉄をちゃんと使ってるんですよ。鉄を使うことで力のロスを抑えて、しかも薄く済むので軽くすることも――」

 タニアにはエイジの言うことも、鉄を使っていることのこだわりの意味もよく分からない。
 だが、自分の仕事を楽にしようとしてくれているのは分かる。
 タニアは、自分が理解できていないのに、少しでも分かりやすく説明しようと、困った表情をして説明を続けているエイジを好ましく思う。

 ブタの世話を終えて、エイジの隣に立つ。
 エイジは実演したほうが分かりやすいと、唐箕の上部に麦を入れていく。
 左手で板を操作し、流れる麦の量を調節し、右手に把手を回す。
 把手の先にはうちわのような形の薄い鉄板がついていて、それが回ることで風を送り込む。
 パラパラと落ちる麦の粒が、少しだけ動かされて機械に近い麻袋に入る。
 軽い実は少しだけ飛ばされ、機械に遠い麻袋へと吸い込まれていく。
 そして籾殻もみがらや麦藁むぎわらといったゴミは、風で飛ばされていく。
 ああ、やっぱりスゴイ……。
 ようやく理解できた。
 そして、どれだけ仕事が楽になるかも、予想できた。

 タニアは自然と開いてしまう口を手でおおった。
 これから、この機械にどれだけ助けられるんだろうか。
 どれだけ、他のことに時間を使えるようになるんだろうか。

「うーん、やっぱり流す麦の量と、送る風の調節幅がシビアですね。タニアさん、しばらく慣れるまで大変かもしれません。でも慣れればきっと楽になるので、これ使ってもらえます?」

 やっぱり困った表情で、こちらに頭を下げる、優しく丁寧な夫に、タニアは幸福を覚える。

 ――いつまで続くのだろうか。

 どれだけ生きることが出来て、どれだけこの人の側にいられるのだろうか。
 叶うならば少しでも長く、自分がもらった以上の幸福を感じてほしい。
 嬉しい気持ち、楽しい気持ち、そして、人を好きになるという気持ちをより多く感じてほしい。

 タニアは笑った。
 心から笑顔を見せること。
 嬉しい時には隠さず、精一杯喜ぶこと。
 エイジのような技術もなく、知識や知恵もないなら、せめて気持ちよく過ごしてもらえるように努力しよう。
 少しでも美味しく料理を作り、疲れて帰ってきた夫に、心安らいでもらえるように努力しよう。
 そして、この幸せを継ぐ、子供がほしい……。
 タニアは、そう思い、決めた。
 笑顔は決して、作っているわけではない。
 ただ、自分の心に従えば勝手に溢れ出てくるのだ。
 優しい、尊敬できる夫に巡り会えたことを、タニアは神に感謝した。





 ゴウン、ゴウン、という低い音が連続的に響きわたっている。
 水車が歯車を回す音だった。
 普段は炉の炎で温かい鍛冶場も、その火が消えた今は涼しい。
 普段鞴とハンマーに使われる水車が回るのは、研磨機のためだ。
 大きな円形の砥石がクルクルと回っている。
 砥石で慎重に鍬くわ先を当て刃を研いでいるのは、12、3歳の男の子だった。
 まだ成長途中とはいえ、線の細い体格だ。
 名をピエトロといった。
 ピエトロは無心になって砥ぐ作業を続ける。
 砥石が動いてくれるので、角度を決めてブレないように当て続けるだけでいい。
 今当てている砥石は中砥石で、鍬先の形は定まっている。
 砥石から鍬を外し、刃を見る。
 刃先は薄く鋭くなって、キラキラと輝いている。
 厚さが均一になったのを確かめると、鍬を横に置く。
 ピエトロはこの一ヶ月世話になっている人物を探した。
 この鍛冶場の主、エイジだ。

「親方、出来ました」
「ご苦労様。角度は分かるようになってきた?」
「はい、大丈夫です」
「じゃあ、次は荒砥石から任せるから」
「ええ! 刃先の削りだしから俺がやっていいんですか?」
「出来ない?」
「……いえ」
「難しく考えすぎなくていいよ」

 ピエトロにとって、エイジは頼れる大人だった。
 いつも上機嫌で、ピエトロを信頼し、次々と色々な技を教えてくれる。
 鉄鉱石を採ってきたり、薪を貰いに行ったりと走り回ることは多いが、これは下働きだから当然のことだ。
 砥石の使い方、磨き方、削り出し方は大切な技術だ。
 すぐに教えてもらえるとは思っていなかった。
 教えるだけでなく次々と仕事を与えてくれる。
 言葉の裏に感じられるのは信頼だった。
 この人の下で頑張ろう、と思える。

「ピエトロにはどんどん覚えてもらって、僕がいなくてもこの鍛冶場が回るように一日も早くなってほしい」
「気が早くないですか……」
「そうかな。惜しみなく技術を教えていけば、五年もあればそれなりの作り手にはなれると思うけど」
「親方の腕前にまでは?」
「……一〇年、いや一五年かな。単純な作業だけに、経験がものを言うしね」

 五年後、ピエトロはまだ一七,八歳だ。
 大きな怪我や病気をしなければ、多量の物が作れるだろう。

「そして僕は別のものを作る仕事に回りたいんだ。……この村は、あんまり便利な道具がないからね」
「そうですか?」

 ピエトロにはエイジの気持ちがわからなかった。
 それはそれ以上の快適な環境を知らないためかもしれない。
 どれほど大変でも、それが当たり前ならば、文句をいうよりも受け入れるしか無いからだ。
 エイジは言う。

「移動するには歩くか馬に乗るかしかない、と思うだろう。でも、自転車という道具がある。それがあれば馬よりも遅いけど、人が走るような速度で動くことが出来るんだ」
「そんな物が有るんですか」
「ああ。イメージだと……そうだな、手押し車はピエトロも見ただろう。あんな車輪が前後についていて、台には自分が乗る。で足の力でペダル、という把手を回すと、歯車が咬み合って、水車の力で砥石が動くように、車輪が動くんだ」
「はぁ……」

 なんとかイメージは出来た。
 しかし、それがなぜ早いのかは分からない。
 エイジもそれ以上説明する気はないのだろう、木版に木炭で図を書いている。
 次の製作物について考えているのだろう、その顔はとても真剣だった。

「次は何を作るんですか?」
「うん。これは我が家にとって、とても大切な物だ」
「はい」
「名をブラジャーという」
「ぶらじゃあ……」
「うん。ピエトロは出来上がった物の砥ぎをどんどん頼むよ。鎌に鍬に鉈に包丁と、砥ぐものはいくらでもあるからね。仕事は区切りの良い所で終わってくれて構わないから。水車を止めるのだけ忘れないでね」
「は、はい。エイジさんは?」
「僕はこれからこのブラジャーを完成させる。まずは計測からだ」

 エイジは真剣な表情のまま、鍛冶場を出て行く。
 きっとまた、スゴイものを作るのだろう。
 エイジが何かを作ると、いつも村人全員が驚き、喜ぶ。
 フェルナンドはかんなに感激し、ジェーンは鉄鍋の良さを村中に自慢していた。
 マイクはトラバサミという獲物をとる罠を仕掛けている。
 それらは全て鉄を使った道具ばかりだ。
 きっと、ぶらじゃあも鉄を使った、便利な道具に違いない。
 尊敬する発明家に向けて、ピエトロは黙って頭を下げた。
そういう訳で村人からは信頼と尊敬を集めている発明家にして愛妻家、エイジでした。勘違いされる方がいたので、追記。ブラジャーはコットン製です(笑)
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