鎚ができてからは、製作がどんどん捗った。
次に製作にかかったのが
鉄床で、火箸、
鏨、金ヤスリ、ハサミと次々と出来上がっていく。
比較的小さいものばかりだったので、時間も少なく済んだが、それでも二週間が経っていた。
三ヶ月待ってほしいとエイジが約束した日まで、残り二週間になっていた。
費やした時間は短くない。
だが、代わりにエイジは多くの蓄えを持つことが出来た。
その最も大きなものは、酸化鉄の還元を終えた、鉄の板金だろう。
大きさもそれぞれの鉄の板金が一〇〇以上ある。重さにして数百キロになる。
この時代の標準的な炉ならば、遥かに長い時間がかかる作業だ。
時間短縮の鍵は、下準備を怠らなかったことと、炉の構造にこだわったこと。
そのおかげで古い炉のように次々と壊す必要もなく、修理に時間を割くこともせずに済んでいる。
そして、炉の火を落とさずに次々と板金を作ることが出来たのが大きい。
鉄を溶かすほどの炉の温度は、上げるまで時間がかかるのだ。
いま炉は熱く、火が入った状態だ。
エイジの頭には沢山の作るべき道具が浮かび上がる。
木こりのフィリッポには沢山の薪で世話になった。
斧やノコギリを渡せば無口な彼は、言葉少なく心から喜ぶだろう。
大工のフェルナンドにはノコギリや
鉋の約束がある。
台車は今でも鉄鉱石を運ぶのに使っているし、この工房を建ててもらうのにも尽力してもらった。
他にも農具として鋤や鍬、鎌に犁にツルハシと、作るべきものは幾らでもある。
――だが、それらを置いて、どうしても作りたい物があった。
渡したい物があった。渡したい者がいた。
タニア。
心の中で彼女の姿を思い浮かべる。
エイジと暮らすようになって、生活はより苦しくなったはずだ。
千歯扱きでいくら仕事が捗っても、そもそも麦の生産自体に限りがある。
おそらくは他の村民に頭を下げて、食料を分けてもらっているだろう。
それなのに、タニアはエイジに対して一言も愚痴をこぼさない。
もっと食べたいだろう。もっと着飾りたいだろう。
彼女の胸のうちに湧き上がる望みは分からない。
だが、世話になったままではいられない。
エイジは自分ができることで、精一杯の恩返しがしたかった。
何よりもタニアの喜ぶ顔が見たかった。
「よし! やるぞ!」
気合十分。
小さな板金を選び、炉に入れていく。
箱鞴を動かす。
この鞴は押しても引いても空気が送り込める構造になっていて、一定の温度を保つのに非常に都合がいい作りになっている。
小さな板金だから、鉄はすぐに赤く染まっていく。
“鉄は赤めて打て”
鍛冶師ならば皆が知っている言葉だ。
板金をハサミで取り出し、鉄床に載せる。
鏨《たがね》を使って板金の中心に小さな穴を開ける。
鏨を差したまま、左右から板金を叩き形を整えていく。
カン、カン、カンと鉄を叩く音が一定のリズムで繰り返される。
頭からはバケツをかぶったように汗が噴き出るが、エイジの集中は途切れない。
いいモノを作る。そのためにココロを込める。
指先の細かな感触が命だ。
温度が下がると、形成に手間がかかる。
再び熱を加え、真っ赤な鉄を叩く。
鍛冶はこの繰り返しだ。
単純故にごまかしが効かない。
平たい板金が形を変え、円柱を作る。
小さく細く、薄い円柱だ。
それは指輪だった。
台座を作り、そこにオパールの石を入れるつもりだった。
油につけ、焼きを入れると一瞬で真っ黒に染まる。
焼戻しを終えると、冷めるのを待って、手に持つ。
村でも地位のある人間しか、装飾品をつけることが出来ない生活だ。
銀を使うことも考えた。
金を使っても良いかもしれない。
だが、自分は鍛冶師としてこれから生活する。
他でもない、タニアだからこそ、この鉄の指輪を渡したかった。
夕方になって家に帰った。
これまでの感謝を込めてリングを渡す。
それだけの事がとても気恥ずかしい。
できるだけ普段通りに接して、タイミングを見計ろうと決めたのが良いが、気が落ち着かない。
タニアが竈で料理をしている姿を眺めながら、ポケットの中でリングをもてあそぶ。
「どうかしましたか?」
「いえ、別になんでもないんです」
「そうですか、珍しくソワソワしていますよ?」
「そ、そうでしょうか。これはお腹が空いているんです」
「あらっ。今日はお魚の日なんで楽しみにしていてくださいね」
魚は週に一度の楽しみだった。
漁師が川で魚を捕る量には限りがある。
村内で順番を取り決め、物々交換するのが常だった。
皿が並んでいく。
黒パンに川魚の香草焼き、秋野菜の塩スープ。
良い炭(鍛冶用の白炭だ)を使っているから、どれも温かい内に作ることが出来た。
川魚を口に運ぶ。
香草の爽やかな香りと、魚のふんわりとした食感、噛めばホクホクと熱く、味が染み出してくる。
「うまい……」
「よかった」
黒パンは火で焙られていて、表面はラスクのようにカリカリしている。
中はまだ柔らかさが残っている。
よく噛むと大麦の味が舌に広がる。
魚を食べ、パンを運び、野菜のスープを口にする。
空腹は満たされていき、幸せな温もりに包まれる。
美味しかった、と腹を撫でるエイジを、タニアが微笑を浮かべて見つめている。
「ごちそうさまでした。最高です」
「お粗末さまでした」
少し遅れてタニアも食事を終えた。
気持ちを伝えるなら今が一番だろう。
片付けを始めようとするのを止めて、エイジはタニアに向かい合う。
「エイジさん?」
「少し話したいことが、あります」
「聴きましょう」
エイジの緊張を感じ取ったのか、タニアは居住まいを正した。
どのような言葉にも向かい合えるよう、真っ直ぐな視線を返してくる。
ああ、良いな……と思う。
こちらの意図をほんの少しの変化で理解してくれる。
そして親身になって向い合ってくれる。
自分の心をさらけ出すのに不安が――なくなった。
「昨日で鍛冶道具を作り終えました」
「準備が整ったのですね」
「明日からは約束の期限に向けて、成果を出していくことになります」
「それに問題が?」
「恐らく……成果は誰の予想よりも大きなものになるでしょう。村に大きな変化を呼ぶと思います。そして、多分僕自身の立場も、変わるでしょう」
「それは……いい方向に?」
「分かりません」
エイジの率直な意見に、はじめてタニアは表情を曇らせた。
良くない変化を色々と想像しているのだろう。
「きっと、僕は今よりも忙しく、様々なことで振り回されると思うんです。でも、僕には身寄りがありません。親も兄弟もおらず、それどころか記憶もままならない状態です」
「私がいるじゃありませんか」
「その言葉、信じて良いのですね?」
「はい。信じてください」
目が合う。
二人とも真剣だった。嘘もごまかしもない。
本心がぶつかり合ったのが、エイジには分かった。
右手をポケットに入れ、指輪を探す。
左手でタニアの左手首をとる。
白く華奢な手だった。
指は長く、全体としてほっそりとしている。
「何を……」
「タニアさん。鉄は叩いて強くします。僕はあなたに言葉をぶつけ、愛を強く確かなものにしたい。真っ赤に燃える鉄のように、熱い恋をしましょう」
エイジは指輪をゆっくりと薬指にはめていく。
心臓がバクバクと音を発てている。
耳元で血が大量に流れる音がする。
顔が熱く、
火照っているのが分かる。
断られるとは思っていなかった。
自惚れかもしれない。
だが、二ヶ月以上の日を共に過ごしてきて、隣にいることが自然に感じられたのだ。
指輪の起源は呪術に遡る。
薬指は心臓に最も関係する指。指輪は女性の命を握るという象徴だ。
抵抗もなく、指輪は奥まではめられた。
「エイジさん……指輪、ちょっと大きいですよ」
「あはは。失礼しました」
「でも嬉しいです。私、大切にします」
タニアが手のひらをくるくると回しながら、指輪を確かめる。
目から、涙が筋となって流れた。
エイジは優しく抱き寄せた。
視線と視線が絡まり、二人の唇が初めて触れ合った。
「愛します。何が起ころうと、そして自分の何がわかろうと」
「あなたが誰でも、どうなろうと、私も……愛します」
その日、二人は初めて、床を一つにして眠りについた。
次の日、水を汲み、火を分けて貰いにいったタニアは、指輪の存在に気づかれた。
噂は驚くほどの早さで村中を駆け巡り、女衆に嫉妬された。
そして女衆は、彼女に一人の男が出来たことを、素直に祝福した。