マジック:ザ・ギャザリング 日本公式ウェブサイト

読み物

「削るってさぁ」


「削るってさぁ」

Mark Rosewater

2010年1月11日

 「削り」特集へようこそ。今回は、削ることとマジックのデザインの関連について何でも説明させてもらおう。削る、と言ってもすぐには理解できないかもしれないが、「何でも」と言ったからにはそこから解説させてもらうことになる。(「削る」という表現は一般的に使われているだろう)準備はいいかね? それでは、《石臼/Millstone》[10E]を回すとしよう。


まず石臼ありき

 マジックのスラングで言う「削る」とは、プレイヤーのライブラリーの上にあるカードを直接そのプレイヤーの墓地に置くことである。まず、基本セット2010に含まれる削りカードを3枚例示させてもらおう。


 なぜこれらが「削る」と言われるのか? それを探るために、スラングの生まれた時代の背景を調べてみることにしよう。ほとんどのスラングは、そのスラングによって示される何かを初めて為したカードに由来してつけられている。その能力について話すときに、その効果すべてを説明する代わりにカード名で代用したわけだ。キーワードや能力語、あるいはその能力を持つ複数のカード名に共通して使われている単語がある場合、ウィザーズはその能力をそう呼ばせたいと思っている。しかし、たいていの場合最初は一枚のカードから始まるものだ。

「削る」ことを最初にしたカードは、アンティキティのアーティファクトだった。


 そのカードの名前は《Millstone》[ATQ]。最初は、ほかのプレイヤーを「Millstoneする」と言っていたが、時が経つにつれ、millそのものが単語であり、動詞であるということもあって、単に「millする(削る)」と言うようになっていったのだ。では、《石臼/Millstone》[10E]、つまりは何かを削ったり砕いたりするために使われる2つ1組の石の輪が何をすることによってライブラリーから墓地にカードを送るのだろうか?

 その答えは、私の考えるところによれば、こうだ。ライブラリーはプレインズウォーカーの精神的な容量を、手札はその中で集中している部分を示している。呪文がライブラリーにある場合、それは、知識の中にあり、いつかは思い出すことのできる(=引くことのできる)何かを示している。削るとは、プレインズウォーカーの脳内にある知識を攻撃することなのだ。一方で手札を捨てさせることは、プレイヤーの現在の思考を攻撃することを意味する(「ありゃ、頭を殴ったら忘れっちまったってか?」)。

 石臼という単語は、精神的あるいは感情的な重しをも意味する。アンティキティのデザイナー(スカッフ・エリアス、ジム・リン、デイブ・ペティ、クリス・ペイジ――当時はネーミングのほとんどもデザイン・チームの仕事だったのだ)は言葉遊びに長けていた。このカード名は、物理的なものと感情の乱高下の両方を示していたのだ。

 スラングというものは、そのおこりを知らなければ意味がわからなくなるものだ。不幸にして、基本セット2010には《石臼/Millstone》[10E]が入っておらず、このスラングの元となったカードはスタンダード環境に存在しない。意味がわからない? スラングの世界へようこそ。さて、すでに「削る」ということを定義した――では、次は、それの本当のおこりはいつなのか、掘り下げていこう。


削り削られ

 削ることの元祖は、実は《石臼/Millstone》[10E]の前に存在した。マジックのベータ・テスト中に、相手のライブラリーを空にして勝つというデッキは存在したのだ。(現在は開発部で新規開発のディレクターをつとめる)チャーリー・カティノがプレイした、《Timetwister》[2ED]を使って墓地をライブラリーに戻すというデッキでは、《剣を鍬に/Swords to Plowshares》[ICE]でクリーチャーを除去し、最終的にはライブラリー切れを目指すという戦略がとられていた(そう、初期のプレイテスターは文字通りゲームをテストしていたのだ)。

//Timetwister //Swords to Plowshares

 これを考えると、削ることに関する原初の質問が頭をもたげてくる。すなわち、なぜリチャード・ガーフィールドはライブラリーが空になったときに負けになる(いわゆる「ライブラリー切れ」)ようにしたのかだ。なぜだと思う? よいデザインにおいては、その理由は常にシンプルなものだ。「カードがなくなったらどうするの」という質問に対する一番単純で分かり易い答えがこれだったのだ。チャーリーのデッキがなければ、当時のほとんどのゲームにおいてはライブラリー切れになるのはゲームが長引いたときだった。ライブラリー切れのルールのおかげで、長いゲームがそれ以上に長くなることは防がれたのだ。

 ほかの勝利手段ができたことで、プレイヤーは――まあ、いわばゲーマーの性として――その勝利手段に食らいついた。最初の頃、ライブラリー切れは何も起こさないようにするデッキの勝利手段だった。勝ちに直接つながるカードを何も入れずに勝つ方法だったのだ。

 この状況に変化が起こったのは、アンティキティで《石臼/Millstone》[10E]が登場したときだった。ライブラリー切れは受動的な勝利手段から能動的な勝利手段へと変化したのだ。突然、対戦相手をガリガリ削るデッキが発生したわけだ。アンティキティのデザイナーが優れていたのは、それと同時にライブラリー切れを防ぐ手段を投入していたことだ。そのアーティファクトの名前は《フェルドンの杖/Feldon's Cane》[TSB]と言う。

//Feldon's Cane

 そして、《石臼/Millstone》[10E]に衝撃を受けた一人のプレイヤーがいた。アンティキティが発売されるやいなや、アルファ版からマジックをしていたそのプレイヤーにとってのお気に入りのセットとなり、《石臼/Millstone》[10E]は中でもお気に入りのカードになった。ここで私がそのプレイヤーを取り上げるのは、そのプレイヤーの「削る」ことへの情熱が後に多くの削りカードを、そして削ることをテーマの一つにしたセットをも生み出したからである。そのプレイヤーの名前はマークと言った。そう、このマーク・ローズウォーターその人だ。


削って削ってそして今


 私の削ることへの愛はどこから来ているのか? それは、私がほかの勝ち方を愛していることに起因していることは疑う余地もない。普通じゃない勝ち方で勝つということが、私のジョニー魂を揺さぶるのだ。先にも言ったことがあるが、かつて私はほかの勝ち方をもたらすカードのほとんどを作っていたことがあった(その後、ほかの勝ち方をよしとするデザイナーを私のほかにも雇うことになった)。そうそう、私が求めるほかの勝ち方には毒というのもある。諸君が知っているかどうかはともかく、私は今まで何年にもわたって毒をセットに入れようと手練手管を尽くしてきた。もしその日が来たら、毒をマジックの世界に取り戻すための試行錯誤をすべてまとめた大叙事詩を上梓しよう。ともかく、ここでの主題は、私がほかの勝ち方を愛しているということであり、《石臼/Millstone》[10E]に一目惚れしたと言うことなのだ。

 さて、今日ありふれたものになっているある能力が、まだ一般的でなかった時代のことを振り返ってみることにしよう。まずは、私がウィザーズに入る前――アルファ版からホームランドまでの、削りカードを見てみよう。ここでは純粋に削るカードだけを見ていて、ほかの処理の間にライブラリーのカードを墓地に送るというものは含まない。


 マジック史上最初の2年間には、削ると言えるカードはこの4枚しかなかった。《Ray of Erasure》[ICE]はライブラリーの一番上のカードがわかっているときにそれを取り除くことのほうが主眼ではあったが、削る以外の何物でもないのでここに含めた。《難問の秘儀具/Vexing Arcanix》[8ED]の主眼も削ることではないが、アイスエイジのシールド戦をしたことがあるプレイヤーならこのカードを削るために使うのが当たり前だったろう(その前にダメージで死ぬかもしれないが)。ほかの2枚は《石臼/Millstone》[10E]と《浅瀬の海賊/Reef Pirates》[5ED]、これらは疑う余地もなく削るカードである。

 私がウィザーズに入って最初にやったことは、削ることについてのロビイ活動だった。まず、《幻視の魔除け/Vision Charm》[VIS]の削る効果を勝ち取り、そして私がデザインした最初のセット(テンペスト)ではイカした削りアーティファクトの投入に成功したのだ。それ以降も、苦心惨憺して毎ブロック1枚以上は削りカードを入れるようにしている。

//Vision Charm //Altar of Dementia

 そして時代はオデッセイ・ブロックに入る。このブロックのテーマは墓地であり、墓地にあるカードを扱うメカニズムが導入され、デザインの初期のうちに、それと削りの相互作用がうまくいきそうだと言うことに気がついた。実際のところ、最初は自分自身を削るという選択にも意味があったのだ。デザインの完成品は削りをサブテーマとして含んでおり、実際の製品よりもずっと多くの削り要素が含まれていた。私自身、やりすぎたと思っており、またデベロップが減らしたいと思ったある種の緊張をもたらしていたと思われる。いずれにせよ、このブロックには数枚の名高い削りカードが含まれていた。


 次に私が関与した大型セットは、ミラディンだ。カラー・パイにおいて削りはアーティファクトの領分とされていたので、ミラディンには削りアーティファクトが大量に含まれることになった。


 それから、ラヴニカだ。ここではギルドまる1つ、ディミーアのテーマが削りそのものだった。興味深いことに、私が作ったのは発掘メカニズムであり、自分で削るというシステムを投入したのはデベロップのリーダーであるブライアン・シュナイダーだった。


 ゼンディカーにも、削るというテーマは含まれていて、デベロップ中に多少減らされた(《面晶体のカニ/Hedron Crab》[ZEN]は冗談じゃ済まないが、ね)。


 初期には、削るという行為の人気について疑いもあった。しかし、エキサイティングな削りカードを投入するたび、プレイヤーたちは喜んでそれを受け入れてくれていた。それは私(やほかの開発陣)のプッシュを後押ししてくれることになった。


さらにさらに深く削れ

 さて、ここまで削ることの歴史を見てきたわけだが、ここからは実践編だ。まず最初に削ることがカラー・パイのどこに位置するかを吟味しよう。どの色にふさわしいか? 答えは3つ、アーティファクト、青、黒だ。


アーティファクト ― マジックのデザインは、その多くを伝統に頼っている。ある空間で何かが人気を博した場合、そのままそこに根付かせようとするのだ。削りの発祥はアーティファクトであり、従って削りの多くはアーティファクト・カードの能力となる。時を経てますます強固になっていったその常識に基づいて、カラー・パイのアーティファクトの欄には削りが優先的に記されていた。アーティファクトの削りカードは、アーティファクトをタップすることで何度も対戦相手を削れるものがほとんどである。
― 青は搦め手の色である。対戦相手の精神を弄るのが大好きなので、精神攻撃のフレイバーを持つ削りが青に入るのは当然だろう。また、同じく精神攻撃を得意とする黒に入るのもイメージ通りだ。こういう、あるイメージが複数の色にまたがるような場合、我々はその差別化を行うのが通例である。削りに関しては、青の削りは無差別である、ということになった。つまり青ではただ無作為なカードをライブラリーの一番上から削るだけである。これは(次に述べる)黒に比べて弱いので、影響を及ぼす枚数は黒よりも多いということになった。青の削りには、メカニズム的には2つに分けられる。すなわち、大量のカードを一度だけ削る呪文と、少しずつのカードを何度も削るパーマネント(多くはクリーチャー)である。
― 混乱を誘うのが青なら、脳改造を行なうのが黒である。フレイバー上、黒はライブラリーを狙い、操作することができる色であり、1つや2つのことを忘れさせることができる。従って、黒の削りはピンポイントで戦略的な物になる。黒ではライブラリー切れを狙うことは困難であるが、相手を激しく弱体化させ、対応手段を奪ってからとどめを刺しに行くことはできる。青と組み合わせた場合、黒で相手を無力化させてから青で大量に削るというスタイルが可能になる。

石臼は口に苦し

 ではプレイヤーは削りを好きなのだろうか? と聞かれると、そうだとは言い切れない。プレイヤーは自分が削ることを好むだけである。コストとして自分で削ることを含むカードを使ってみたが、いくらそのカードが強くても評価は最低になってしまうのだ。そのいい例がこの《弧炎撒き/Arc-Slogger》[MRD]である。


//Arc Slogger

 このカードが実際に出るまでは、開発部はこのカードを強すぎると思って警戒していた。しかし実際に出てみると、決して強いという反応ではなかった。プレイヤーは、このカードを使いたがらなかったのだ。(このカードを評価していたスパイクも存在していた。もちろん。)このことから、我々は貴重な教訓を得た。

 プレイヤーがゲームをプレイして、せっかくのドラゴンを引かなかったとしても、そう頭にくるプレイヤーはいない。デッキの中のすべてのカードをすべてのゲームで引くとは思っていないのだ。デッキの一番下に眠っていることもしばしばだ。では、同じプレイヤーが削られたとしたらどうだろう。墓地に行ったカードの中にそのドラゴンがあったとしたら、ほとんどのプレイヤーは頭にくる物だ。最強のカードが墓地に行ってしまうのは、かなりやる気を失わせることなのである。

 しかし、なぜだろう? カードが墓地に送られようがライブラリーの奥底に眠っていようが、数学的にはほとんど同じことだ。しかし、心理学的にはそうではない。デッキの中にあるカードは、もしかしたら次のターンに引くかもしれないカードである。もちろん、引かないかもしれないが、それはまだわからないことだ。先がわからないことで、プレイヤーは希望を持つことができる。同じような話は、いわゆるくじ引きでも見られる。5000万ドルの宝くじを買った人物は、そのくじが外れだとわかるまでの間興奮していることができるものだ。実際にカードを引くまで、そのくじは5000万ドルかもしれないのだ。数学上、そうして大金を手にする確率はほとんど0と言えるほどに小さくても、である。

 今回の教訓は2つある。1つ、私たちは、プレイヤーが自分自身を削るようなことはさせるべきではないと思っている。2つ、削ることは理論上考えられるよりも強烈な心理的衝撃を与える。プレイヤーは実際よりも削る効果を強く評価している。また、この反応のせいで、セットに含まれる削りの数の上限を決めている。ときどきライブラリー切れが起こる程度なら問題ないが、そこかしこで何度も起こっているのなら問題である。


削り切れ

 最後に、削りカードをさらっと紹介し、そのデザインの内側にある物をお見せしよう。


 このカードを作ったのは、削りデッキの当たり前を覆すためだ。その頃、削りデッキと言えば青単か白単で、コントロールに成功したら後は削りきって勝つというコントロール・デッキが全盛だった。そういったデッキのほとんどはクリーチャーが入っていないデッキだった。《狂気の祭壇/Altar of Dementia》[TMP]は、そんな風潮を押し戻すための物だ。クリーチャーが必要な削りデッキとはどういうものなのか? という挑戦状だったのだ。


 「なんで13なの?」という大量に受けている質問に。今ここでお答えしよう。なぜ13なのか。その答えは、質問者の皆さんが「なぜ13なのか」と聞かなければならないようにするため、だったのだ。


 ほかの勝ち方のすばらしさを見せつけるべくライブラリー切れで勝つのは大好きだが、デザイナーとしてはそれだけではない。しばしば、我々は何らかの因子に基づくスケールにあうカードを作らなければならなくなる。この場合、クリーチャーで、何度も何度も使われる誘発型能力を持っているものだった。そして、10回以上使っても大丈夫な程度に弱く、10回使ったら意味がある程度に強い青の能力が必要となった。青にはこの条件を満たすメカニズムはほとんど存在せず、もっとも良いものが削りなのだ。削りが使われる理由の一つには、このようなカードに使いやすいということもある。


 このカードは非常にシンプルなところから発生している。多色カードらしくあることの1つに、その2色の重なっている部分を探し、その2色両方が効果を発揮したらどうなるかという観点から効果をどちらの色1色よりも強力な物にする、というものがある。青と黒には削る能力があるので、それを両方放り込んでみると――2マナ史上最強の削り呪文のできあがりだ。異論はないだろう。このカードはラヴニカのゴッドブック研究によると2番目に人気のあるカードだった。2番目である。削ることに人気があると強く主張し続けてきた私にとっても、この結果は想定外だった。


 このカニは最初は《溺れさせる者の信徒/Drowner Initiate》[SHM]のところで言ったようなロジックから削り能力を手にしただけなのだけれど、いざドラフトしてみるとこれの秘められた能力に気がついた。ワールドウェイクのとあるカードとのコンボが環境を席巻したのだが、あまりにあまりだったのでワールドウェイクのそのカードは違うメカニズムに変更されることになったのだ(ワールドウェイクが公開されたら、その辺の話もしようと思う)


 プレインズウォーカーについて細心の注意が必要なのは、その魔術師としての種類にふさわしい能力を選ぶところである。ジェイスは他人の記憶を操る能力を持っており、その攻撃は精神を対象とするものだ。従って、彼の最終能力は削りということになる。


 このカードはもともと、はるかに複雑な能力を持っていた。デベロップの最終段階、最後の週になって(私はアラーラの断片のデベロップ・チームに所属していた)、レアとこのカードの組み合わせについてのクリンナップ作業を進めていた。このカードが実際に何をするのかと考えると、対戦相手が呪文を唱えたときにそのプレイヤーを削るのだ、と。それなら、そのために3つもの前段階を置かず、素直に直接削るようにしたらいいんじゃないかという結論に達し、現在のこのカードに至ったのだ。


 このカードは、「相手がパーマネントをアンタップすることで誘発する」というアイデアから生まれた。それにふさわしい効果は? 大量に起こることだから、そう強い物であってはまずい。そして、繰り返せば強くなるものでなければまずい。――ああ、「削り」だね。


 このカードの持つ彩色能力は、最初は戦場にあるパーマネントのマナ・シンボルの数を数えるものだった。しかしその種類の彩色能力が多くなりすぎたので、ほかにマナ・シンボルを見つけられる場所がないかを探すことになった。そこで私が提案したのが、ライブラリーの一番上にあるカードを見ることだった。対戦相手のライブラリーを減らすために自分のライブラリーを使うのがバランスが取れていると思ったからだ。


 このカードはほかの削りについて考えていたときの産物だ。私は、可能な限り最大の削り効果は何ができるか、とチームに聞いてみた。以前、目的地までの半分だけ移動できる魔法の車、という議題について話し合っていたことがあった。決して目的地にはたどり着かないが、目的地のすぐ近くにまでは移動できる。この議論が下敷きにあって、「半分削る」というカードが連想され、そしてこのカードが生まれたのだ。


 未来予知のデザインの初期に、変異を持ったことがないパーマネント・タイプ3つをまたぐサイクルが必要だと考えついた(アーティファクト、エンチャント、土地だ。プレインズウォーカーはこのセットではまだヒントしか出てきていない)。土地とエンチャントをデザインするのには多少の手間がかかったが、アーティファクトはもう最初から決まっているような物だった。もちろん《石臼/Millstone》[10E]だ。クリーチャーが《石臼/Millstone》[10E]になるのは魅力的だと思えたのだ。


それでは、また石臼

 これで「削り」特集の記事は終わりになる。つらつらと書いてきたことが、「削り」のデザインについての理解の一助になれば幸いだ。

 来週からはワールドウェイクのプレビューが始まることになる。

 その日まで、「墓地の残り枚数は何枚?」という質問があなたとともにありますように。

前の記事: 無作為はともだち | 翻訳記事一覧に戻る | 次の記事: ワールドウェイク:反逆の次元

イベントカバレージ