『知』の力 – 佐々木俊尚さんと松浦茂樹さんの対談を聴いて考えたこと -
夏野葉月 @natunohazuki です。
4月18日は佐々木俊尚さんと松浦茂樹さんのトークイベントに参加してきました。テーマは「これからのメディア業界に求められる人材力とは」。ただ対談の内容は人材力よりこれまでとこれからのメディアそのものについての考察のような話が多かったと思います。
この記事では佐々木さんと松浦さんのお話を聴いて、私が考えたことを書いていこうと思います。
対談が始まる前に、佐々木さんがご自身が参加される新しいコミュニケーションコミュニティ「LIFE MAKERS」を紹介されつつ、佐々木さんのメディア観をお話されました。
佐々木さんは九州のヒッピーコミュニティ「サイハテ」や徳島県神山町を紹介しつつ、これからは「ソーシャルヒッピーの時代が来る」と発言。
そして「メディアとは『プロセス』や『共同体』であって媒介ではなくなる」とお話されました。
またFacebookに代表されるようにSNSが人間関係のインフラとして機能し、その結果、個人の『生活』そのものが『メディア化』していくことを示唆されました。
『公 vs 私』あるいは『中心と辺境』の壁がなくなりつつある。その中で『個』と『場』に代表されるようにメディアとコミュニティとコミュニケーションは同じ物になる。メディアとコミュニティとライフスタイルが連動しつつ変化する中で、どのように生きていくか。そのことそのものに佐々木さんはご興味がおありのようでした。
次に松浦さんが登壇。ご自身の経歴とスマートニュースでのお仕事を紹介されつつ、メディア業界で働かれた私感と意見を述べられました。佐々木さんと松浦さんのお話の中で興味深かったのは次のような言葉でした。
「読者にコンテンツが最後に手元に届くときに如何に気持ちよく見てもらうか」
「コンピュータはツールに過ぎない。道筋をつける思想を育てることが人間の仕事」
「メディア業界が駄目になってきている」
「『本質とはなにか』を捉えることが大事」
「少数派の意見を取り入れつつ議論を行い、多数決で決めていくというプロセスを経ることが民主主義だと思う」
最後の『議論=プロセス=民主主義』というのは佐々木さんの発言なのですが、強く同感してしまいました。
お二人の話の中で松浦さんが「スマートニュースの創始者は崩壊しつつある民主主義の再構築のために作った」とおっしゃっていて、それも興味深かったです。
私は昨年から「資本主義の終焉と民主主義の緩やかな崩壊」を肌で感じていて、「では資本主義と民主主義が終わった後に構築される社会システムとはどのようなものか」に対し興味を持っています。
私自身は資本主義はベストな経済体制だと思いません。資本を集中させるという資本主義の本質が悪い意味で暴走していると感じています。
ではどうしたらいいのか、どうなるのかということも勉強したいと思っています。
一方民主主義はどうでしょうか。少なくとも近年の日本において民主主義は衰退していると感じざるを得ません。なぜなら議論というプロセスで決定された民意が政治決定に反映されているとは言い難いからです。沖縄の問題しかり、原発の再稼働しかり、民意を悉く覆す決定を政府首脳はし、そしてその決定を恥じません。同時にテレビをはじめとしたメディアに圧力をかけ、議論の前提となる事実を知ることを阻害する。いまの日本に起きていることは限りなく独裁政治に近いものだと私は思っています。
では議論というプロセスそのものが民主主義だと仮定して、メディアが民主主義の中で果たす役割とはなんでしょうか。それは『知る権利を守ること』に他なりません。私は昨年中国に行った際に、FacebookもTwitterも使えない経験を実体験しました。SNSは個人がメディアとして発信するための貴重なツールです。個人の情報発信を政府がすべてコントロールする。これは情報発信を規制されない国から渡航した人間としては、限りなく恐ろしい体験でした。
ではなぜ『知る権利』が大切なのでしょうか。
それはそれは事実を知り、知識を得ることが議論の土台となり、延いては民主主義の土台そのものとなるからです。
知らなければ語ることはできません。事実や知識があってこそ、議論はできます。語り合うことができなかったら、世界はとても窮屈で退屈な場所と化すでしょう。
そして、議論を行うための『知』を得るためのツールとしてメディアはあります。一時の情報を得ることは一種の快楽でもあります。そのために消費される知もあるでしょう。ですが長い眼で見て、知ることそのものが人間社会の進歩に繋がってきました。ガリレオの地動説のように、当時タブーとなる知識をその当事者が恐れず発言したからこそ、いまの社会があります。
知識、知恵、知性に基づいて発言し、そこから議論することが人間と社会を発展させてきました。
私は日本の新聞やテレビをほとんど見ません。そこに議論の材料となる公正な情報を発見することは難しいと考えているからです。ですがFacebookやTwitterは多用します。特に私にとってTwitterはこれまでの新聞が果たした以上の役割をもたらしています。
こうしたSNSに代表される私たちのひとつひとつの発言、一つ一つのライフスタイルがメディアになっていくのならば、私はこうしたいと考えています。
私自身がメディアであるようにふるまい、一つの行動が一つの情報となり、情報が知識と知恵となるように行動したいと。
具体的には日本における民主主義の崩壊を止めたいなぁと考えています。もっと簡単に、そして過激に言えば、いまの日本社会を『革命』する必要があると感じています。そこまで根本的に覚悟しなければならないほど、いまの日本は問題が山積していると思うからです。だからこそ一人の日本人として、政治や社会の問題から逃れようとすることはやめることにしました。
私自身には少しの知識と知恵しかありません。ですが『知』の力を持つ一人の人間として知る権利を守り、社会の問題を解決していくために情報を発信し、行動していく人間になりたいと考えています。
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