4月第二日曜日、京都の今宮神社、玄武神社でやすらい祭が行われます。
写真は玄武神社のやすらい祭です。
昔の人は桜の花びらに乗って疫神が散っていく、と考えたそうです。
そこで疫神を慰霊するため、奈良の大神大社で『鎮花祭』を行うようになりました。
京都のやすらい祭はこの『鎮花祭』をルーツとし、念仏踊りを加えたものです。
玄武神社の境内には三輪明神を祀る社がありました。
写真を撮ったつもりだったんですが、うっかり消してしまったのか見当たりません・・・。
三輪明神とは大神神社の神、大物主のことです。
さきほど「大神神社で鎮花祭が行われるようになった」と書きました。
玄武神社で三輪明神を祀っているのは、ここで鎮花祭をルーツとする「やすらい祭」が行われていることと関係があるのかもしれませんね。
三輪明神・・・大物主は蛇神とされていますが、宇賀神(うがじん)と呼ばれる神は人頭蛇体のおすがたをしておられます。
↑ 上の写真は三室戸寺の境内に置かれている宇賀神の石像です。
世界各地で太陽神を蛇神とする信仰があります。
脱皮を繰り返す蛇は再生をイメージさせ、同様に再生を繰り返す太陽のイメージと重ねられたと言われています。
でも、太陽が丸いのに対し、蛇は細長く全く形が異なります。
なぜ蛇が太陽神とされたのか納得できませんでした。
でも宇賀神のおすがたを見て、なぜ蛇が太陽神とされたのかがわかったような気がしました。
http://oomiwa.or.jp/about/miwayama/#linktop↑ 大神神社のHPに大神神社のご神体である三輪山の日の出の写真が掲載されています。
この写真と上の宇賀神の写真を見比べてみてください。
三輪山は蛇がとぐろを巻くおすがただといわれています。
すると宇賀神の頭部と、三輪山の頂近くに昇った太陽が重なって見えてしまいます。
宇賀神の頭部は山の頂に昇った太陽を擬人化したものではないでしょうか。
また、昔の人は蛇とは胴体がなく、頭部に長い首のついた動物だと考えていたのではないでしょうか。
つまり、大神神社の御祭神・大物主とはやはり胴体がなく、頭(髑髏)に長い首がついたおすがたをした神だと考えられていたのではないかと思うのです。
玄武神社の御祭神は平安時代の人物で、文徳天皇の第一皇子であった惟喬(これたか)親王です。
惟喬親王は巻物が転がるのを見て轆轤(ろくろ)を発明したという伝説があり、木地師の祖とされています。
↑ 上の写真は木地師の里(滋賀県東近江市蛭谷)に展示されていた轆轤の写真です。
ろくろの先端に器などに加工する木材をセットし、刃物を木材にあてます。
巻きつけた紐をひっぱって轆轤を回転させると、木材を丸い形に加工できるというわけです。
ろくろ首という妖怪がいますが、ろくろ首とは木地師が用いる轆轤の妖怪なのでしょう。
ひもを巻きつけた細長い棒状の部分を首、轆轤の先端にあてた器を頭部に見立てたのだと思います。
親王という高い身分の方が本当に轆轤を発明したとは考えにくいです。
惟喬親王も大物主同様、胴体がなく髑髏に長い首がついたおすがたをした神であると考えられた結果、轆轤を発明したという伝説が生じたのではないでしょうか。
玄武神社・・・京都府京都市北区紫野雲林院町88 いつも応援ありがとうございます!
写真(風景・自然) ブログランキングへ
にほんブログ村
にほんブログ村