2015年04月18日
粟田神社
京の七口(入り口)と言えば、北東の鞍馬口、大原に通じる大原口、山中越を通って近江に通じる今道下口(荒神口とも)、東海道への表玄関とも云える粟田口、伏見に通じる五条大橋口、竹田街道に通じる竹田口、南端の鳥羽口、周山街道への長坂口、山陽道へ通じる東寺口、丹波山陰へ向かう西七条口(清蔵口)があります。
他にもいくつかの口がありますが、このあたりが一般的ではないでしょうか。
その一つである粟田口にあるのが、ここ粟田神社です。明治の神仏分離前は、感神院新宮または粟田天王社と呼ばれていたらしい。主祭神は八坂神社と同じ牛頭天王である。 ・・・粟田山あわだつ雲は桜なりけり
粟田山とは山頂を将軍塚と呼ぶ華頂山の別名。神社の横から将軍塚へ登る道が続いている。山峡になっているので、霧雲が湧き立つことがある。このあたりは山桜も多い。春の景観は秋成の歌のごとくである。
写真は祭の前日、飾り付けが行われ、剣鉾が出されたところを撮ったもの。普段はひっそりとしている。
粟田の祭は10月10日に行われる。京都でも少なくなった剣鉾差しが見られる祭でもある。
数基の鉾のなかに瓜鉾がある。八坂と同じく、ここでも瓜が大切なものとされている。
かっては京焼と言えば、ここ粟田口にあった粟田焼が有名だったという。今は勿論清水焼だが。
他にもいくつかの口がありますが、このあたりが一般的ではないでしょうか。
その一つである粟田口にあるのが、ここ粟田神社です。明治の神仏分離前は、感神院新宮または粟田天王社と呼ばれていたらしい。主祭神は八坂神社と同じ牛頭天王である。 ・・・粟田山あわだつ雲は桜なりけり
粟田山とは山頂を将軍塚と呼ぶ華頂山の別名。神社の横から将軍塚へ登る道が続いている。山峡になっているので、霧雲が湧き立つことがある。このあたりは山桜も多い。春の景観は秋成の歌のごとくである。
写真は祭の前日、飾り付けが行われ、剣鉾が出されたところを撮ったもの。普段はひっそりとしている。
粟田の祭は10月10日に行われる。京都でも少なくなった剣鉾差しが見られる祭でもある。
数基の鉾のなかに瓜鉾がある。八坂と同じく、ここでも瓜が大切なものとされている。
かっては京焼と言えば、ここ粟田口にあった粟田焼が有名だったという。今は勿論清水焼だが。
Posted by koyuki at 13:11│Comments(0)
│京都の庭園
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