1993年12月に警察庁が作成した秘密文書「北朝鮮への不正送金対策推進計画」。その内容は、朝鮮総連に対する「捜査マニュアル」とも言うべきものだ。
そこに示されている手法は、捜査のターゲットにしたい対象者の選定からまず行い、各種法令に触れるような事実を見つけ出して意地でも「事件化」するというもので、対象者の人権侵害にもつながりかねない危険なものだ。
ただ、本稿の趣旨から外れるため、こうした手法の道義上の良し悪しについてはここでは敢えて踏み込まず、「捜査マニュアル」が作成された背景から見ていくことにしたい。
(ジャーナリスト 李策)
「開戦前夜」まで行った北朝鮮とアメリカ
朝鮮総連に対する「捜査マニュアル」は、いかにして作られたのか。それを知るには、北朝鮮による核兵器開発問題がどのように推移してきたかを把握しておく必要がある。
朝鮮半島情勢の内幕を克明にレポートした『二つのコリア』(ドン・オーバードーファー著、共同通信社)によれば、北朝鮮の首都・平壌の北方100キロほどの地点にある寧辺(ニョンビョン)に、原子炉施設らしきものが建設されているのをアメリカの偵察衛星が初めて撮影したのは1982年4月頃だった。数年を経ずして原子炉、冷却塔などがその外観を整え、写真解析によって初歩的な原子炉施設であると結論付けたが、それが民生用か軍事用かの判断は据え置かれた。
しかし1986年3月には、施設周辺に円筒状のクレーターが見つかる。
核爆弾は、通常の火薬のように簡単には誘爆しない。球状に固められたプルトニウムを中央に納めた、やはり球状のパッケージの内周りを高性能爆薬で敷き詰め、これを寸分の狂いもなく同時に起爆することで、内側に圧力を集中させる。そうしないことには核分裂の連鎖が起きず、原子核爆発には至らない。
第2次世界大戦中に行われた広島型原爆の開発でも、これが難しかったと言われる。寧辺に見つかったクレーターの形状は、この高精度爆発実験の際に生じるものと酷似していた。核兵器開発の疑いが、次第に高まっていった。