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2015年04月16日 ぼくたちは、おんなのこ「花とアリス殺人事件」
■[アニメ][映画][感想]「花とアリス殺人事件」
監督・原作・脚本:岩井俊二
遅ればせながら見た。2回見た。
一言で言えば面白かった。
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2004年に製作された岩井俊二監督の「花とアリス」という映画の前日譚である。言わば出会いの物語。それをアニメーション映画として製作したのである。
両親の離婚をきっかけに引っ越しを余儀なくされた有栖川徹子(以下アリス、蒼井優)が石ノ森学園中学校に転校してきたところから物語は始まる。彼女が在籍することになった3年2組には殺人事件が起こったという噂がまことしやかに流れていた。その被害者は「ユダ」と呼ばれており、その加害者は「ユダの4人の妻」の誰か、という非常に奇妙な話であった。中学三年生になぜ4人の妻がいるのか。
そのユダの霊を呼び出せる同級生がクラスを仕切っている奇妙なクラス。アリスが転校してくる前は、長く2つの机が放置されたままであった。一方が「ユダ」の席、そしてもう一つが荒井花(以下花、鈴木杏)という女生徒だった。
荒井花。彼女はこの奇妙な事件の「生き証人」であり、そしてアリスの引っ越し先のおとなりに住むひきこもり少女だったのである。奇妙な事件によって出会うことになった「花とアリス」は、やがてふたりで「事件の真相」に迫ることになる。
前作の映画の特殊性は何か。というのをぼんやりと考えていたのだが、それは多分それは岩井俊二の中に眠る、「少女」の人格を現実世界に引っ張り出した物語なんではないかと思う。岩井俊二という人の作家性というものが、「自分の中に眠る自分ではないもの」をまったく自分ではない人間に仮託することで表現している。それを鈴木杏と蒼井優という2人の少女に仮託して、戯画化したものである。
「花とアリス」は一挙手一投足、岩井俊二が「実演」するかたちで蒼井優や鈴木杏に演出指導しながら作った映画で、つまりそれはまさに「花とアリス」は「もうふたり」の岩井俊二そのものなのである。
ふわふわっとした日常の中できゃっきゃと戯れあう花とアリスは岩井俊二のなかの「リアル」でもあるわけである。
それを実写演出をベースにしたロトスコープ手法を組み合わせてアニメーション化したものが本作なのであるが、びっくりすることに、「花とアリス」と「花とアリス殺人事件」の演出にほとんど違いが無いし、コンセプトもまったく同じである。実際にロケハンし、俳優を使って場面場面を演じてもらい、それをもとにコンテを造り、アニメーションに起こしていく。
アニメーション映画というジャンルを採ったのは蒼井優と鈴木杏がすでに「少女」ではない、という現実的な問題もさることながら、岩井俊二のなかにある「花とアリス」という少女2人の人格を、あますところなく「戯画化」できるジャンルであると岩井監督が思い定めたからに他ならない。気がする。
前作の登場人物たちを演じた俳優陣がそのまま声優として演じているのだが、花とアリスという存在が「実写」という「制約」を越えて、より自由に動き出しているように見えるのが不思議だ。実際問題として「花とアリス」は岩井俊二の中に眠る「人格」の具現化なのだから、もはや「蒼井優」と「鈴木杏」という「依り代」は必要では無い。より具体的なかたちで具現化するには「アニメキャラ」にしてしまうのが良いに決まっていたのだ。
この映画で重要なのは事件の真相そのものよりも、その事件の「犯人」の中に眠る「命」や「世界」そのものへの「漠然とした不安」である。何物でも無い自分から見た「世界」はより不安定で、「命」はより重い。ほんのきまぐれで起こした「いたずら」がその命を消したかもしれない、という事実は、彼女の中に「消え去らない恐怖」としてその中にある。
十代の時にだれもが感じていた、漠然とした「世界」への不安を見事に描出する岩井俊二の繊細な演出力は、アニメーションという表現を通して、より鋭さを増しているように思う。ふたりの少女の出会いによって、その不安が溶けて消え去っていくまでを、見事に描ききったこの映画は、ふたりの少女に愛しさを感じずにはいられない、愛すべき作品として十全にその魅力を放っていると思います。超・大好き。(★★★★☆)
- 作者: 志村貴子
- 出版社/メーカー: エンターブレイン
- 発売日: 2003/12/25
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