第三四三海軍航空隊〔初代〕【隼部隊】 1
テーマ:海軍航空隊[戦闘機]【開隊】
昭和19年1月1日 鹿児島基地にて編成(原隊:松山基地)
【司令】
竹中正雄 中佐 (海兵 期)
【飛行隊長】
尾崎伸也 大尉 (海兵68期)
【飛行分隊長】
河村確郎 大尉 (海兵70期)
菅野 直 大尉 (海兵70期)
佐藤 大尉 ( 期)
【飛行分隊士】
小島弥太郎 少尉 (予備11期)
【整備分隊士】
小林秀江 中尉 (海機52期)
【搭乗員】
60名(技量水準=A:6名、B: 名、C: 名)
【定数】
紫電:36機、後に零戦72機
【保有機数】
零戦53機(うち可動42機) 昭和19年5月15日現在
昭和19年1月1日付
第一航空艦隊に編入。
昭和19年1月10日頃
鹿児島基地へ次第に人員が到着し始める。
昭和19年1月15日頃
一応、部隊としての活動が可能となる。
昭和19年1月中
局地戦闘機「紫電」の生産が遅れている為、零戦を集め整備し、離着陸訓練よりおこなう。しかし、鹿児島基地は二六一空と協同使用の為、思うように訓練は進まなかった。
昭和19年2月下旬
二六一空が鹿児島基地を転進し、三四三空は本格的に訓練を始める。
昭和19年2月末
「紫電」の製作状況が思わしくないので、零戦を使用機種に変更した。
昭和19年3月7日
飛行訓練中。
【殉職者】
金沢二郎 二飛曹 (甲飛10期) *鹿児島湾桜島南方海面。
昭和19年3月中旬頃
一応の基礎訓練は達成された。
その後
佐藤中尉により、「紫電」1機が鹿児島に空輸されて来たが、「誉」発動機不調の為に、佐藤中尉が二、三回乗っただけで、その後は使用されなかった。
三四三空はテニアン島進出が決定した。
昭和19年3月21日
テニアン島進出途上。
【戦死者】
馬場速男 一飛曹 (甲飛10期) *発動機故障の為、父島300度30浬の海上に不時着水、行方不明。
昭和19年3月23日
空母「竜鳳」が鹿児島に入港、飛行場周辺の海に投錨した。
昭和19年3月25日
物件の積込みに二日間を費やし、飛行機整備に最小限の人員を残留させた以外は、地上勤務者は全員が乗船して出発。
同日
第一陣は尾崎大尉指揮で、香取基地に移動。
昭和19年3月26日
香取基地より硫黄島に移動。
昭和19年3月27日
第一陣の零戦12機が、テニアン第一飛行場に進出。
昭和19年4月上旬
「竜鳳」がテニアン島着。
昭和19年4月8日
鹿児島基地にての訓練を打ち切る。以後は転進用の飛行機の受入れ、整備点検に専念した。
昭和19年4月中旬
第二陣が河村大尉指揮で、テニアン島に進出。途中1機がアナタハン島付近の海岸近くに不時着、搭乗員は生還、5月7日に本隊に合流。
昭和19年4月26日
飛行訓練中。
【殉職者】
島根義男 一飛曹 (甲飛10期) *豊橋
昭和19年5月1日
第三陣が佐藤大尉指揮で、テニアン島に進出、隊本部も同時に到着。
進出後は早朝と夕方に、艦隊司令部付近上空に上空警戒機一個区隊4機を発進させる、他に飛行場に一個区隊4機を待機させた。
また、同時に訓練不足の射撃訓練を行う。
昭和19年5月12日
[筆者注:調査未完、詳細不明]
【戦死者】
中村悦三 一飛曹 (甲飛10期) *テニアン島
昭和19年5月19日
「邀撃」
[筆者注:調査未完、詳細不明]
【戦死者】
滝田 栄 一飛曹 (甲飛10期) *テニアン島
以下、2に続く。
【参考文献】
テーマ一覧「主要参考文献・資料」を参照下さい。
[筆者注:調査未完のため、今後大幅に加筆・改訂を予定しております]
初稿 2007-04-08
1 ■この隊長は、
尾崎 伸也大尉、空戦中被弾、不時着後戦死、戦後、搭乗機を、お父様が、涙の対面をしたとの事。
管野 直大尉、そのが343航空隊の最後を飾る、垂直降下攻撃で、B-24に多大の被害を与えたとの記述が有りました。