1,300年で、成功者たった2人の「千日回峰行」。1,000日間歩き続けた住職が語る「人間として大切な3つの考え」
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「大峯千日回峰行」という修行をご存じでしょうか?
山道を1日48km、1,000日間歩き続けるもので、1,300年間で成功者はわずか2人。その過酷な修行の2人目の達成者となったのが慈眼寺住職である塩沼亮潤氏です。
彼がTEDxTohoku 2014に登壇し、命がけで行った修行の先で見つけた「人間として本当に大切な3つの考え方」について語ってくれました。日記の内容からは、修行の壮絶さがひしひしと伝わってきます。
彼が伝えたことを3つにまとめると、
1.「千日回峰行」への挑戦
1,000日間、1日16時間歩き続ける修行を、見事に成し遂げた。1300年で成功者はわずか1人、命賭けの修行をしたからこそ見えたものがあった。
2.極限の世界で気が付いた、本当に大切なもの
途中で辞めれば切腹、生きるか死ぬかの極限の世界で気付いたのは、人間として本当に大切なもの。
それは、「感謝の心」、「反省の心」、そして相手を思いやる「敬意の心」だった。
3.「和」の精神を発信し、世界中の絆を深めたい
東北は助け合い絆を深め、ここまで復興してきた。そんな日本人の「和」の精神を世界にも発信したい。
心と心が通い合う、素晴らしい世界にしていこう。
ここからは、優しく語りかけてくれる塩沼亮潤氏のスピーチを動画でご覧頂きたい。
1,300年で成功者は1人
「千日回峰行」への挑戦
人と人、心と心が通い合っている時、私たちはこの上もない幸せを感じるものです。私は「感謝の心」、常に自己を省みる「反省の心」、そして相手を思いやる「敬意の心」、この3つがとても大切だと思っています。この考えは、「大峯千日回峰行」という修行を通じて得た世界観です。
さて、「千日回峰行」とは、1日48kmの山道を1,000日間歩き続け、それが終わると、今度は9日間に及び「飲まない」「食べない」「寝ない」「横にならない」ことを続ける修行です。
私たちは大自然に生かされている
助け合う「和」の心を持とう
日本人が持つ宗教観について少しだけお話したいと思います。日本には昔から「神道」という民族の宗教があり、538年に「仏教」が伝わり、互いに排他性と独善性が少ないことから、日本において結びつきました。
大自然の中での共存や感謝の気持ちを大切にする「神道」と人間がよりよく生きていくための生き方を提示してくれる「仏教」。この二つが日本で深く融合し、やがて「和」という精神になりました。そして、大自然に「生かされている」という、世界でも珍しい考え方をするようになったのです。
2011年3月11日、この東北という地域を大きな地震と津波が襲いました。私たちは苦しみ、多くの困難を抱えました。そんな中でも人々は互いに助け合い、食料を分け合い、「和」の精神を大切に精いっぱい生きました。
「大峯千日回峰行」は、そういう信仰観を持つ日本ならではの大自然に向き合う修行なのです。
毎日16時間歩き続ける
死ぬ覚悟でのぞんだ「究極の修行」
奈良の吉野山・金峯山寺に向かい修行が始まると、1日48kmの山道を16時間かけて毎日歩き続け、何があろうと途中で止めることはできません。
もし万が一、自分で止める判断をしたならば、その場で腹を短刀で切って終えるという厳しい掟があります。それは、「死ぬくらいの覚悟がなければ、やってはいけない」という強い戒めであり、命を軽んじている考え方ではありません。
毎日23時30分に起床し滝に入ります。おにぎり2つと500mlの水を持って、午前0時30分に24km先にある1719mの大峯山山頂を目指します。
朝の8時30分に山頂に到着し、そこでおにぎりと水を補給。またきた道をたどって帰ってくると夕方の15時30分になります。そこから掃除、洗濯、次の日の用意をして、4時間半ほどの睡眠をし、23時30分に起床します。
この生活を、4ヶ月間続けます。
おにぎりと水だけの生活だと、1ヶ月ほど経つと栄養失調で爪がボロボロ割れてきます。3ヶ月目になると、血尿がでてきます。さらに山では熊、猪、マムシがいつ襲ってくるか分かりません。そんな、過酷な状況の中で修行をするのです。
修行をやりながら私は心に思ったことを日記に書き綴っていました。それを拝読してみたいと思います。
「17日目。行者なんて次の一歩が分からないんだ。行くか、行かないかじゃない。行くだけ。
理屈なんか通りゃしない。もし行かなけりゃ、短刀で腹を切るしかない。そう、次の一歩が分からないんだ」
生死をさまよう体験で
人生観が変わった
毎日、極限状態に追い込まれていましたが、心の中は潤っていました。
それは、この修行を通じ、精いっぱい努力をすることで、「世界の人たちのお役に立つような人間になりたい」という夢を持っていたからです。
それでも、1,300年の中でまだ私を含め1人しか達成していないというこの修行は困難を極めました。やっている中で3回ほど、生きるか死ぬかの試練がありました。
大きながけ崩れに巻き込まれそうになった時。熊に襲われかけた時。そして488日目から体調不良のため10日で11kgもやせてしまった時でした。その翌日の日記では、
「489日目。腹痛い。たまらん。体中の節々が痛くてたまらん。道端に倒れ、木に寄りかかり、涙と汗と鼻水を垂れ流す。でも人前では毅然と。俺は人に希望を与えさせていただく仕事。人の同情を買うようでは行者失格だと言い聞かせ、やっと蔵王堂に帰ってきた。
さっき、近所のおばちゃんが『軽い足取りやねえ、元気そうやねえ』と声をかけた。『ありがとうございます』と答えたが、本当は違う。でも知ってくれなくていい。野に咲く一輪の花のごとく、御仏に対し、ただ清く正しくありたい。」
495日目にとうとう山の中で力尽き倒れ、このまま死を迎えると感じました。すると、幼い頃からの記憶が蘇り、さまざまな人にお世話になったことを思い出し、「こんなところで倒れてはいけない」と強く思ったのです。
だから自分は今ここにいます。
人間は生死をさまようような体験をすると人生観が変わるといいますが、その後に書き綴った日記は、
「563日目。人間は皆平等であると思います。この地球に生まれ、空気も水も光も平等に与えられていることを感謝しなければならないと思います。
自分の胸に手をやれば心臓が動いています。しかし永遠に動いていることはないと思えば、人生という与えられし限られた時間を大切に生きられるはずです。
自分を大切にするように、人をも尊重するということも忘れてはいけないと思います。思いやりの心が私たちに幸せをもたらす道なのです。」
極限で気が付いた
人間として大切なこと
今から2,500年前、釈尊は「同じことを同じように繰り返し、情熱を持って毎日を過ごしていれば悟る可能性がある」とおっしゃられました。
ここにこの修行の意味があります。日々、汗をかき、涙し、そして歯を食いしばり歩き続けていると、「人間として大切なモノは何か」ということに気が付き始めます。
その極限の世界で感じたことが「感謝の心」であり、「反省の心」であり、相手を思いやる「敬意の心」なのです。
これらは、小さい頃に家庭で教わるようなとても当たり前なことです。自分自身が本当に生きるか死ぬかの瀬戸際になった時、初めて「これが大事だったんだ」と心の奥底で実感できるようになりました。
私たち1人ひとりはかけがえのない存在です。誰でも自分が可愛くて、自分が大切です。
だからこそ、自分を大切にするように、人も尊重するということを第一に考えなければなりません。(感謝の心)
心から相手を思いやる心、言葉や行動が人と人とをつなぎ合わせ、その功徳が回り回って心を潤し、そして我々を光ある人生へと導いていくことでしょう。(敬意の心)
争いや対立からは心の喜びは生まれません。今、与えられたこの環境を真摯に受け入れ、向き合ってみることも大切です。(反省の心)
向き合うことによって、初めて何かが生まれ、絆が深まり、新しい方向性が見えてくることもあるのです。
みんなが尊敬し合えば、
素晴らしい世界になる
私たち東北人は、大きな困難と向き合い、そして絆を深めてきたからこそ今ここまで復興できました。
日本人は人と人とをつなげ、良き方向に考えられる民族です。この「和」の精神を、日本の東北から発信していかなければならないと私は思います。
世界中の人と人、国と国、そして宗教や文化が敬意の心を持ってお互いを尊重することで素晴らしい世界が実現することを心から深く願います。そして、人間には決してつくり出せない、この素晴らしい大自然に包み込まれていることにも感謝すべきだと思います。
人と人、心と心が通い合った時、私たちはこの上もない幸せを感じることでしょう。
私たちはそのために、この地球に生まれてきたのです。皆さんの人生に幸あれと心から願います。ありがとうございました。
Reference:TED Talks
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