AKB48 チームA 岩田華怜様
こんばんわ。おーにっちゃんです。
1週間も開いてしまいました。
ドイツから帰国するときも毎日書いていた気がするのに,だいぶ開きましたよね。
一昨日チーム4公演を観ていて改めて,どうして私はAKBに足を突っ込んでしまったのかと改めて思い返していました。
私はもともとイチファン,ってかアイドルヲタでさえなかったです。
それどころか,私は自分はしがないフツーの人間だと思って生きてきたのです。
ただ違っていたのは,物心つく前から両親が毎日のように夫婦喧嘩していて,それを必死で止めるために毎日のように泣いていたこと,そして大学時代には既に,「ハムレット」の通説のおかしさを,定年後一生かかってでも,世界に向かって説明し切ると心の中に誓ったことでした。
いやそれだけじゃないか。これ以外にもエピソードがいくらでも出てきますよね。
とにかく自分は将来夫婦喧嘩なんてしないんだ,どんな相手に対しても自分の意見はしっかり主張するのだ,という意思はこのときからありました。
その代わりに,普通人間には先生とか師匠というものがいますが,私には明確に先生とか師匠といえる人物はいません。
見たことはないにもかかわらず,自分の目指す理想を追い求めていました。
この人は違う,こうはなりたくない,と思いながら。
見たことがないものなんて,追い求められるものなのか?と思うのかも知れませんが,子供の私から見て大人は,“見たことがないものを理解できる能力”を持っているように思えました。
だから素直に追い求められました。
だから大人が持っているらしき,“見たことがないものを理解できる能力”を得たいと思って必死になって努力したのです。
けれども,大人になってみて,“見たことがないものを理解できる能力”なんて,大人は持っているように見せかけながら実は持っていないことが分かりました。
それどころか子供も,“見たことがないものを理解できる能力”の存在自体を,ハナから信じていないことが分かりました。
ようは私は大人からまんまと騙されてきたのです。
いないはずのサンタクロースを信じるように。
だから大人から見れば,サンタクロースを信じた子供よろしく,私はとてもしつけのよい子供だったのだろうとも思います。
じゃあなぜ,ふつうの子供が“見たことがないものを理解できる能力”の存在自体を信じていないにもかかわらず,私は子供時代に信じてしまったのでしょうか?
・・・その答えは,つまるところ両親が頼りなかったからだと思います。
だってどの物語を見ても,いくら親が嫌いでも両親って絶対的な存在ですもの。
たとえば,「ソロモンの偽証」の大出くんでさえ,父親には絶対に逆らいませんでしたよね。
私が「ソロモンの偽証」の大出くんの立場であれば,父親を警察に突き出すか,それさえも拒否されたら,父親を本気でぶっ殺しています。
大出くんの父親が生きていく理由なんて到底見出せず,死刑に十分相当すると私は判断してしまいました。
にもかかわらず,なぜ大出くんは父親を本気でぶっ殺すほどの行動ができなかったのか。
私は大出くんの弱さに対して,ものすごく理不尽に感じます。
けれども大出くんのお母さんも,そんなに辛いならばとっとと離婚すればいいのに,なんで子育てのプラスにさえもならない結婚生活をダラダラと続けたのか,それも不可思議で腹立たしいです。
ちなみに私の父親は,そこまではひどくなかったです。
(もちろん,小さいころにはものすごい暴君に見えましたが,それなりに分かってくると,大西弘子のほうがよりおかしいのだと理解しました。)
神奈川の殺人事件があり,いまも“不良”がいることが浮き彫りになりました。
しかし,私は小さいころ,なぜ不良が不良になってしまうのかについてもサッパリ理解できなかったのです。
が,いま考えると,なんのことはない,不良は大出くんのように,親に対して理解して欲しいと甘えているからこそ不良の素振りを見せるのだと思います。
私は,高校生くらいになると,親に対して理解して欲しいと全く思ってこなかったので,“不良になる”という選択肢自体が全く想像できなくて,不良になれなかっただけです。
けっきょく人間,親が頼りなかったら不良になれないんですよ。
不良になっても暴走を受け止めてくれる人がいないから。
逆に親が頼れすぎて暴力団とかだったりすると,すんなり不良になれるのかも知れませんけど。
まあ,そのおかげで私はいまになって,日本の無法独裁政府組織から,不良のレッテルを貼られることになっているのですが。
・・・・なんか私の愚痴みたいになってしまいましたが,とにかくこういう人生だったと,「ソロモンの偽証」を観て改めて思いました。
藤野さんも三宅さんも浅井さんも,親の影響をすごく受けていますよね。
神原くんはそれほどでもないか。神原くんは親との葛藤がひとつのキーですからね。
けど結局神原くんも,最後は親を理解するのですよね。
そうすると,親さえをも理解していなかったらしき柏木くんはどうして死んだのかが,どうも突出しているように思えます。
映画では理不尽な主張をする子,という程度の描き方でしかありません。
が,そういう意味では,親が頼りなかったら不良にさえなれずに,やむなく自殺するしかなかったとするほうが,ストーリーとしては綺麗な気がします。
それにきっと,小説のストーリーもそうなっている気がします。
けれども,私が神原くんのような立場であれば,大出くんのところでも書いたように,親がおかしければ親を殺すまでだろうと思っています。
このため,親に屈服して自殺するとしても,柏木くんは私には理解できないですし,柏木くんに対して,「いやもっと違う生き方があるだろう」と,手を替え品を替えて主張できたと思います。
それはそうと。
一昨日のチーム4公演を観て,なんでこんなど素人の私が首を突っ込んでしまったのだろうと,改めて思ってしまいました。
何度か振り返ってきましたが,久々に改めて。
私はなんとなくAKBを観に来て,伊達娘の顔も知らないのに,この子は絶対にいいと思って応援し出したんですよね。
ルックスとかではなくて,声とかブロードウェイの夢とか,ルックス以外のものから入って推すアイドルヲタってまあいないですよね。
というか歌手や女優のヲタ,さらには芸能関係者でさえ,ルックスではないものから推し出すっていないと思います。
そういえばあーや推しと言っていたあん誰の関係者がいましたが,あーやに十分なチャンスを与えたのでしょうか?
あーやもまあそこそこあん誰に呼ばれたとは思いますが。
けれども,私があん誰を企画したらゼンゼン違うものになったという自信もあります。
私があん誰を企画したらもっと低予算でスタッフを削って,メンバーのすべき仕事を増やし,その代わりにメンバーの日当も増やしたと思います。
それに,自慢にもなりますが,私は伊達娘だけを推していても絶対にAKBから受け入れられないだろうと思って,それぞれのメンバーに対していちばん最適と思う解法を常に考え続けました。
それは当たっていることもあるでしょうし,外れていることもあるでしょう。
けれども,人間押し付けられるから重苦しいのであって,あくまで一案として押し付けにならなければ受け入れられると思って,私はコメントし続けました。
それで,ヲタ連中に囲まれたことが何回もありましたよね。
私は,自分の経験をいろいろ考えて,相手が「一般的にはこうするべき」と言ってきているものよりも,自分の感情のほうが正しいと思って,大勢のヲタの前でも考えを一切曲げませんでした。
とにかく私は,周りの人々が言っていても,それを鵜呑みにして信用することはまずありません。(時間がないので暫定的に鵜呑みにして信用することはありますが)
基本的には自分が,誰に教わったのではなくても,自分の納得するストーリーに沿ってようやく信用するのです。
ここまで考える人はいないですよね。
伊達娘もここまで考えられるようになって欲しいです。
それでは。
2015/04/18 4:56:17 おーにっちゃんより
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