今日ぼくに対する誹謗中傷の記事があって思い切ってアンサー記事をかきました。
信用を失うほど悲しいモノはない。
前のめりに行動していけば不特定多数の人々から叩かれることは防げません。
しかし、よくよく考えてみれば、このような叩きも全く知らない人たちからのモノなんですよ。
ぼくは以前に、身近な人たちをたくさん傷つけ、自分を何度も傷つけてきました。
その経験に比べれば、赤の他人の誹謗中傷は耐えられます。
勿論、嫌ですよ!笑 できれば批判記事はかかれたくないです。
しかし、身近な人から信用を失ったり、自分を傷つけることほど悲しいモノはないのです。それに比べればかすり傷ですよ。
傷ついた分だけ人を強くなれる
例えば、あなたが大好きな人に大失恋した時、とても傷つくでしょう。
ヘコんで眠れなくなるでしょう。自分の自信を失うでしょう。
しかし、その傷つき方が深ければ深いほど、あなたはまた一つ強くなれるんです。
その傷の痛みに比べれば、赤の他人が束になって批判された所で致命的なダメージは負いません。
むしろ、批判された分だけより逞しくなれる。それをバネにより自分を主張できるようになるかもしれないんです。
そうやって、もっと自分が強くなればフラれた相手も振り向く可能性だってあるワケですよ。
人の器は失敗の規模
人の器は、失敗の数もありますが、失敗の規模が最も重要だとおもいます。
それは金銭的もありますが、一番キツいのが巻き込んだ人の量です。
巻き込んだ人が多ければ多いほど、それが失敗した時のダメージは大きい。
ぼくは政治家を撤退した時にその経験を実際にしています。
ぼくに対する応援メッセージを600人以上集めて、それなのに撤退した。
ぼくの周囲はみんな優しいので「気にするな」と言ってくれたけれど、ぼくの心にはまだ深く突き刺さっているんです。
だからといって悲観的にばかりなれません。
常に前のめりで勝負してかないと、未来への扉は開かれないですからね。
毎日勝負し続けることが、自分が自分で在るために必要なことだとおもえるんです。
他人の言葉を思い出してがんばれる
ぼくは自分が一人で生きてる気がしません。
トモダチや尊敬する人の言葉をいつも思い出します。
「馬鹿なりに精一杯もがいてるそんな所が好きだよ」、「日本を変えてね」、「あなたの強みは根性よ」、「オマエは信用できる」、「あなたは、すぐにヘコむけど、しっかり一つのことをがんばれる人よ」。
そんな風に言ってくれた人の言葉を落ちた時に思い出すから、ぼくはがんばれるんです。
会ってなくてもぼくの中でたくさんの人たちが生き続けて、ぼくを肯定してくれてるんですよね。
「この人だ!」という人に肯定されること
人が強くなるのは、たくさんの人々の言葉を自分の体内に取り込んでるからです。
その蓄積が無い人間は強くなれません。
大切なのは、自分が「この人だ!」と思える人から肯定されることです。
ぼくは、トモダチも尊敬する先輩方もみんな「この人だ!」とおもえる人と付き合うようにしています。
そして、その人たちがぼくに伝えてくれた言葉は頭に記憶され、残り続けるんです。
その言葉をパワーに、これからまた誹謗中傷をくらい続けても、その中傷の倍のパワーで自分の道を走っていこう!
ぼくはそうおもっています。
ワッショイ!