石綿被害:苦難、歌に刻む…大阪・泉南に石碑建立
毎日新聞 2015年04月17日 14時51分
大阪・泉南地域のアスベスト被害を訴えた集団訴訟の元原告や支援者が、かつて石綿紡織工場が集中した大阪府泉南市信達牧野(しんだちまきの)に石碑2基を建立し、19日に除幕の記念行事を開く。最高裁判決で国の責任が認められ、厚生労働相が謝罪したことを受けて、闘いに区切りが付いたことを記念した。「一生懸命力を合わせて国に責任を認めさせた。その証しみたいなもの」。元原告は、今後の石綿被害根絶の願いも込める。【山田毅】
「新緑を 吸い込み いや増す悲しみぞ 息ほしき人の あるを知るゆえ」
石碑の一つ(高さ、幅いずれも約50センチ)には、元原告らが意見を出し合って詠んだ短歌を刻んだ。患う胸の病をおもんばかった歌だ。もう一つの石碑(高さ約1メートル、横40〜50センチ)には「泉南石綿の碑」と刻んだ。周囲には裁判の経過などを記したパネルも展示され、石綿被害との闘いの歴史を紹介している。
土地は原告たちを支援してきた市民団体「泉南地域の石綿被害と市民の会」の代表、柚岡一禎(ゆおか・かずよし)さん(72)が自宅の敷地の一部を提供。建立費用は元原告が、国から支払われた賠償金の一部を持ち寄った。
「工場の中は一日中ほこりが舞っていて、常に肌が痛がゆかった。私たちはアスベストが健康に悪いなんて全く知らなかった。危険だとわかっていたのに教えてくれなかったことが何よりも悔しい。健康な体は戻ってこない」
元原告の一人、石川チウ子さん(77)=泉南市新家=は語る。泉南市の石綿紡織工場で20歳の時から約10年間働き、呼吸障害が出るびまん性胸膜肥厚(きょうまくひこう)を患う。たんが喉に絡みやすく、一度絡むと横になれないほど息苦しいという。
これまでの闘いについて、「もっと早く国は責任を認めてほしかった。これまでに亡くなった人がたくさんいる」と振り返る。石碑建立を通じて、「工場周辺の人などは、救済の対象になっていない。石綿の問題はまだ終わっていない。石碑を見てそれを思い起こしてほしい」と望んでいる。