辺野古移設:「翁長知事頑張れ」反対派が激励メッセージ
毎日新聞 2015年04月17日 19時01分(最終更新 04月17日 20時30分)
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への県内移設を巡る安倍晋三首相と翁長雄志(おなが・たけし)知事の初会談で、翁長知事は沖縄の苦難の戦後史の中に辺野古移設を位置付け、改めて移設計画に反対した。辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前には17日も移設に抗議する人たちが県内外から詰めかけ「翁長知事頑張れ」「知事を支えるぞ」と激励のメッセージを送った。
北谷(ちゃたん)町から駆け付けた伊波興信(こうしん)さん(71)は「翁長知事は沖縄県民の移設反対の民意をしっかりと伝えてくれている。安倍首相にも思いをズバッとぶつけてほしい」と期待した。
米国統治下だった1955年、小学6年生だった伊波さんは目の前で米軍に田畑を強制接収された。今もその土地はフェンスの中だ。翁長知事が会談で「沖縄は自ら基地を提供したことは一度もない。『銃剣とブルドーザー』で強制接収され、基地が建設された」と強調したことを「全くその通りで、私たちの思いを全て言ってくれている」と評価した。
翁長知事の言葉への共感が沖縄で広がっている。読谷(よみたん)村から初めて辺野古での抗議活動に参加したという上浦芳子さん(71)も「政府は『普天間飛行場の危険性の除去のため』と言うだけだが、翁長知事は私たちが思っていることを言ってくれている」と口をそろえる。
読谷村の隣の嘉手納(かでな)町で生まれ育った上浦さんは、70年前の沖縄戦当時は1歳前後。祖母に背負われて本島北部に逃げ、命をつないだ。それだけに「戦争につながる新たな軍事基地は絶対に造ってはいけない。政府はもっと沖縄の歴史を勉強してほしい」と語った。
嘉手納町から抗議活動に参加した麓(ふもと)隆治さん(61)も「選挙で示された民意を無視し続ける政府の強権的な姿勢は、自治が抑圧された米国統治下よりひどいのではないか」と話した。
一方、普天間飛行場がある宜野湾市の女性会社員(54)は「できれば県外に移設してほしい」。政府と県の話し合いが平行線をたどっていることを心配し「このまま折り合いがつかずに結局、普天間飛行場がそのまま残ってしまうことだけは避けてほしい」と訴えた。