「最近のラノベは」などと書いてラノベを批判すると怖いオタクのひとたちからめっちゃ叩かれるらしいというのがネットを観察していてよくわかった。たしかに自分の好きなものを稚拙な論理で批判されたら面白くないと思う。「よく知りもしないくせに叩いてる。こいつバカ」ってね。まあそりゃそうだ。でもそこまで怒ることなんだろうかと思う。
ぼくは自分でいうのもなんだけど、かなり趣味の守備範囲が広いと思う。基本は自称にわか文学青年なんだけど、子供のころからアニメ、ゲーム、漫画で育ったためオタクでもある(最近は美少女フィギュアにはまってるしね)。神話、騎士道小説、古典文学、19世紀小説、20世紀以降の文学、現代の文学を読むこともあるし、最近の児童書や少女小説やラノベや売れてるエンタメ小説を読むこともある(といっても最近本読んでないけど)。漫画は基本かわいい美少女が登場してとくにストーリーのないものが好きだけど、まあ面白いものなんかないかなっていろいろ試し読みして探してはいる。アニメは最近なかなか見れてないけど、話題になったものは一応知識としては仕入れてる(今期はアイカツ、遊戯王、アルスラーン、ラブライブの再放送くらいしか見てない……)。
ぼくはひとつのものだけに傾倒するってことがあまりないかもしれない。大江健三郎も読むし、『生徒会の一存』も読む。大江健三郎が批判されれば、ああそうかと思うし、『生徒会の一存』が批判されれば、ああそうかと思う。純文学が批判されたら、まあそうかなと思うし、ラノベが批判されたら、まあそうかなと思う。
なんというか、ぼくは文芸ってものはそんなくだらない批判ごときで折れてしまうような脆弱なものではないと思う。いくら批判者が攻撃したところでそこに作品はしっかりと立っている、というかそういう攻撃も飲み込んで取り込んで作品は成長していく。それでいいんじゃないか。だからぼくはどんどん批判するし、みんな批判しまくるべきだと思う。賞賛と批判の螺旋で作品は天へと高みへと向かっていく。作品をとりまく複雑性が自己運動をはじめて複雑性を極めていき、それはもっともっと混沌としていて、やがて言語の彼方へと向かう。
ぼくは「小説家になろう」でアホみたいな小説を書いている(いまお休み中……)けど、「なろう小説は例外なくクソ!」とかいわれてもべつになんとも思わないなあ。あ、こちらがぼくの小説です、よろしくお願いします。現代文学の最高傑作です。超面白いです。批判してもいいよ。↓ncode.syosetu.com
ラノベファンはどうしてそこまでラノベ批判に対して敏感なんだろう。なんでそんなに熱くなれるんだろう。ラノベがラノベファンのすべてなんだろうか。なんかそれって危ういというか、もっと視野を広げてラノベの価値というものを相対的に見れるようになったほうがいいのでは。そうすれば「最近のラノベ」批判を見たってなんとも思わなくなる。自分自身が精神的に成長して人間として大きくなってもっと強くしっかりと立っていられるようになる。そうすれば自分の好きなものを批判されたところでびくともしないはず。
ぼくがラノベファンを見ていて思うのはかれらが繊細すぎる、ピュアすぎるってことだ。人気作品や人気ジャンルに対してはかならず賛否両論になるものだし、そういう批判をいちいち真に受けてるのはちょっと人生つかれるんじゃないですかね。なんというか、いつも皮肉っぽく笑ってるしょうもないみじめな大人になったほうが人生ラクだと思う。ラノベファンは天使のようなピュアな存在なのだと思う。でも人間界はあまりにけがれているから、それだと順応できないのではないかと心配になったりもする。ラノベファンが被害妄想で疲弊しないことを願うだけです。
世界はカジュアルな悪意や攻撃性で満ちているよ。コミュニケーションというのは衝突なのかもしれず、そのなかでぶつかって徹底的に破壊し破壊されてしまうのではなく、やわらかく受け入れてしっとりと取り込んでどんどんどんどん大樹のようにふくらんでいけたらいいのではないかな。
絶対というのはフィクションだし、ただだからこそぼくらは絶対というものを目指したがるのかもしれないが、ここで現実の理性が歯止めをかけてくる。ラノベは絶対ではないというささやきが聞こえてこないかな。そしてだからこそラノベは批判を受け入れる度量もあるということだ。それは攻撃によって曲がるかもしれないが、けっして折れたりはしない。ラノベが軽いのであれば、それは旧式の小説よりも柔軟性を増した、自由で爆発的で革命的なものでもあるはずだ。ラノベは軽いがゆえにやわじゃない。もっとしなやかで図太いものだ。なのにラノベファンはラノベの価値を盲信することによって、その可塑性、柔軟性を破壊してむしろラノベという偶像をもろい鉄屑で作り上げてしまう。ラノベという神はラノベファンが盲信しているような対象なのではなく、もっと永遠に巨大なものだ。だから神が攻撃されたとして、ラノベファンはいちいち批判者にたいして攻撃する必要がない(攻撃は当たっていないのだから)。それにもかかわらずラノベファンは神の神性について自信がないのか反応してしまう。
天使だからなのかもしれない。むしろ人間であれば神の死など問題にならないのだから。逆説的ないいかたになるが、神が死んだことによって神は神になる。だからラノベファンは天使であることをやめてくだらないしょうもない人間になったほうがいいのだと思う。ラノベファンはあまりにも高潔で品位が高く無垢だが、それはとても疲れるのじゃないかなと思う。いや、疲れてないならいいけど。