タイトルは大げさです。
えーと、こんな後ろ向きでカビの生えていそうなブログを好き好んで読んでいる人には縁のない話だと思いますが、「ブログは自由!ブログには好きなことを書いていい!他人の批判をするな!そしてお金儲けも出来る!」という何やらよくわからん風潮があるのですよ。その一方で最近は「(禁句)を題材にしている!職質をかけて怪しければ火をつけろ!」というネット警察も見受けられる。どっちなんだよって話です。
この相反する風潮を信仰する層は観測範囲がお互い違い過ぎるせいでぶつかることはあまり見受けられないのですね。「批判はどんな意見に対しても絶対ダメ」という意見と「悪いところは正義の意見で改善しなくちゃ」という意見が同時に存在しているわけですよ。前者は主に同期ブロガーと呼ばれる集団、後者は主に深夜アニメを見て「弓道の型が成ってない!」とか言う集団や社会運動をしている集団などによく見られる主張ですかね。
つまり何かって言うと、人間全ていい面で出来ているわけでも悪い面で出来ているわけでもないってわけなので「こっちはいいと思うけどあっちは悪い」なんていうことはよくある話なんですよ。殺人事件がかわいそうだから共感してあげるけど、痴漢の怖さはわからないとか数学の知識は詳しいけれど経済の仕組みに関しては頓珍漢だとか、ムラがあるのは当たり前。いい人もいれば嫌な奴もいる。確認しなくてもいいくらいの話なんだけど、ここまで書かないといけない時代になってしまったらしい。
だからなんとなく「〇〇がつまらなかった」と書くと「お前の見る目がないだけ」とか「批判を書く前に自分自身を磨いたらどうですか?^^」みたいなコメントが沸き、「〇〇は面白いですね」と書くと「お前の見る目がない」とか「信者乙。布教必死だな」とか「〇〇を肯定するなんて差別ですね」で溢れかえるわけ。めんどくさい。果てしなく面倒くさい。もう何も書かないほうがいい。webはバカと暇人と原理主義者たちのものになったらしい。
朝起きたら夜寝ますくらい当たり前の話なんだけど、ある意見に対しては賛同もあるし批判もある。そしてそれは同一人物の中でも賛同できる面とできない面があるわけでしてね。すぐに明確な「答え」がないといけなかったり、必ず白黒はっきりしないといけないと思い込んでいたりするとそれらの「絶対」は強度を増して、知恵袋で「友達にムカついています」という問いに対して「アナタがムカつくという感情を持っているほうが悪い。この質問を読んで不快に思った私に謝りなさい」とか「そんな友達は殺してしまえ」とか両極端な回答しか寄せられなかったりする社会がやってくるわけでして。
当たり前だけどいい面もあればイヤな面もある。いくらブログで「誰も傷つけないのがいいのです悪口いう奴許せない!」とか言っていても他のブログのコメント欄で「こんなこと書いてお前バカじゃね?」とか書いているのを見ると「うわー」とか思うわけで。「何ダブスタってんだよ」と思ってもそれがその人の一面であって全てではない。しっとりと見守ってぬるっとスルーすることしかできない。そう、しっとりと。
まぁそんな言った言わないが常態化した相互監視社会なんてまっぴらゴメンだし何とか警察も「ノー批判」とやらも全てが身内でとがると何事もよくないというのがこの文章の書き手のずっと前からの一貫した主張なんだけどね。このままのスピードで世界が回ったら、ビックブラザーもびっくりの世界がやってくるかもしれないね。南無阿弥陀仏。