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「情報の5S」

 一週間ほど留守にして家に帰ると、新聞が袋一杯にたまっています。永年の習性で取っておくのですがこれに目を通すのが大変。毎日来る新聞が先になり、結局袋ごとリサイクル行きになることが多い。本屋には面白そうな本、タメになりそうな本が一杯並んでいてつい買ってしまっても読めない。見たい番組をビデオに撮っても結局見ない。インターネットを立ち上げるとびっしり詰まったカラフルな広告が新宿歌舞伎町のネオンのようチラチラしています。月に1000通もメールが来て、その1/3には返事を出さなければならないとある人がぼやいていました。

 これらはみんな「情報」ですがその量が爆発的に増加しています。テレビはチャンネル数が10年以内に1000にもなるとのこと。こんなにも大量の情報を誰が受信し、利用するのでしょうか。情報を受け取る人間の能力は多分太古以来ほとんど増えていません。昔は全部で10ある情報のうち3ほどをせまい見聞で身に付け、自分なりに消化すれば世の中を渡れたのが、いまや世界にあふれる100の情報のうち30くらいは仕入れて一応わかっていないと「常識がない」とされる。しかし残念ながら人間の生理的な受信能力は昔と同じ3のまま。その結果、情報が100あっても消化できるのはたった3。97%は全く知らないか、生半可な知識ということになります。その3%も人それぞれですから、お互い重なり合う部分が少なく分かり合うのがむつかしくなる。そこで、あれも必要、これも読まなければならないとプレッシャーがかかります。まともに受け止めるとストレスが嵩じて頭がパンクします。「『世界の最新ニュースがリアルタイムであなたのパソコンのデスクトップに』という広苫を見たが世界中の情報がリアルタイムで流れ込んできたら、私の神経はあっという間に限界を超えて発狂状態に入るのでは...」との声も。筆者にも、もう読みたくない、見るのもいやと「むかつく」思いをすることがあります。そんなときは家を出てやみくもに歩きまわります。断固として新聞は読まない、テレビは見ない、インターネットも拒否するという人がいますが、それで生きていける人はしあわせな人。普通の人はそうはいきません。

 「宇宙開発事業団が1996年に打ち上げた地球観測衛星「みどり」が観測したデータ量は10ヶ月で13兆バイト(毎日40ページの新聞6万年分)。衛星の故障でデータが入らなくなって研究者は一息ついている。しかし10か月分のデータの解析が2年経っても終わらない。2003年打ち上げる衛星「エイロス」は13日間で13兆バイトのデータが発生するがその解析はどうなるか」[1] 。遺跡から発掘された大量の土器のかけらも整理が進まないので、袋のまま保管されているそうです。

 情報の公開が叫ばれています。「機密」の有効期間など短いもの。公開されて困るものはあまりないでしょう。内部告発で不祥事が明るみに出るのも悪いことではない。しかし情報がふんだんにある今日、重要なのは「ない情報を集める」ことより「ある情報を整理することではないでしょうか。日々大量に発生するがほとんど1日で消える情報、その山に埋もれる長持ちする情報だけを選んで整理してほしい。それは砂金の選鉱であり、鉱石からの精錬です。採掘は肉体労働や大型機械でできても精錬には技術が必要です。一見ゴミの山から保存に値する有益な情報を選び出し、将来利用できるように整理するには素人の腕力だけでは役立ちません。株の売買にはアナリストの情報が欠かせませんが、アナリストがそれほどアングラ情報を持っているとは思えません。だれでもアクセスできる公開情報を主に分析しているのでしょう。素人でも入手可能な材料を用いて、結果で勝負するアナリストの緊張は大きそうです。企業に不利な情報を提供しないとアナリストに対する不満を聞きますが、損をアナリストのせいにするのは筋違いと思います。

 元外務省の情報分析のプロ、岡崎冬彦さんは言っています [2] 。「どこかでクーデターがあった、地震があったという情報を外務大臣がテレビで知ったとすると、すぐ、それは醜態ではないかという話になりがちですが、これは全くのジャーナリスティックな話。伝達の遅速や経路は情勢判断にほとんど関係ない。少しぐらい遅れても、テレビで知ろうと、人から教えてもらおうと、あまり関係ない。

 情報を得た上でいかなる判断を下すか、これがいちばん大事なことです。いかにして大局的な日本の進路を誤らないかを考える指針とする。それが情報判断であり情報の窮極の目的でございます。

 共産圏分析というのは、共産党の長い演説の行間を読む。ビクター・ゾルザ(注)は秘密情報を一切読まないで、一日十時閑ぐらい演説記録を読んでいましたが、彼の読みはずいぶん当たりました。「一度日本に教えに来い」と頼んだんですが、「一週間も旅行したら、その分をもう一度読むのは大変だ。外へは出られない」と断られました。「本を書くのはインチキ野郎だ。本当の情勢判断者に本を書く時間があるはずはない」と。いまに文化革命が来るぞと当てたのは彼ですし、チエコヘのソ連侵入を当てたのは世界中の専門家で彼ただ一人です。

 ところがアメリカ情報になるとまるっきり違う。読むものは限り無くあって、読みきれない。その莫大な情報のなかから、何が玉か石かを選別しなければいけないのですから、むしろこっちのはうが大変です。それでアメリカが読めるかというと、読めるとは限らないのです。アメリカなるものはない。アメリカには国務省がある、国防省がある、大統領府がある、議会がある。議会には上院も下院もあって、新聞世論がある、国民世論がある。そのそれぞれ全部が四分五裂で意見が全部違うんです。それらの多種多様の意思が、チェック・アンド・バランスを通じて、お互いに議論をし合っているうちに、一つの筋が出てくるんですね。その筋を見分けるのがアメリカ分析ということです。

 議論の末に政府の政策に反映していくアメリカの総意たるものは、最後に出てくる公式文書がある意味で唯一の手掛かりです。もう一つアメリカ分析をやるのに押さえておきたいのは、アメリカの議会公聴録。あれだけは全部読まなければならない。それも、継続的に五年十年と。大統領や国務長官といった要人の演説も大事、これも全部読まなければいけない...」

 情報が爆発する原因は、情報のビット数、通信速度の急増と、コピー・配布コストの急激な低下です。テレビがハイビジョンになると扱う情報量はざっと4倍になります(視聴者は背景などあまり見ていないので受け取る情報は1.2倍もあるかどうか)。コピー情報の氾濫にもうんざり。NHKで「資料映像です」「これまでの経緯をまとめます」と聞くと筆者はすぐ音声を消します。

 データベース(データバンク)は目的に応じたデータを集め、保守、管理し、利用者の必要とする部分を抽出するシステムやサービスです。そのデータベースの整備が日本は欧米に比べて貧弱といわれます。古いデータを共有財産として後世に残し伝えようとする意識や発想が官民とも少ないのは、データを保存し公開しても「現在の利益」には結び付かないためという。日本の5S(モノの整理、整頓...)は世界に有名ですが、情報の5Sは弱いのです。土偶データベースを作った八重樫さんの言「情報社会の仕組みを水道にたとえると、水道は、@水道管、蛇口などの施設、A生活や社会の中で管理・運用する仕組み、B流れる水、で構成される。情報社会における水はデータ。このうち日本は特にBのデータが弱い。データを貯水、浄化するという仕組みを伴わないまま情報化を進めると雑多なデータをそのままたれ流すだけになってしまう。ネット上の情報は積み重なるばかり。いかに強力な検索エンジンを開発しても、このままでは効果的に情報を入手するのが難しくなるのではと懸念している[3]」。別の人は「データ爆発への備えを怠っていると本当に、未来の考古学者や歴史家が日本の過去の姿を探ろうとしても、ろくな資料がないということにもなりかねない[1]」とも。

 新しい電子機器が半年ごとに生まれても、プリント板の技術は5年、10年単位で変わるものです。日々新しいプロセス、装置・材料やアイディアの発表があり、それぞれメリットは強調されますが、技術課題や他の技術との関連、すみわけ、将来性についての俯瞰的な議論が少ないように思います。これらを整理して体系付け、解説してくれるアナリストが出てきてくれることを期待しています。

 注.ビクターゾルザ: 旧共産圏問題評論家。練達した語学を駆使して共産圏のおびただしい新聞、雑誌を分析して新しい動きをつかみ出した。

[1]「データ爆発の危機」(日経99/11/14)
[2]岡崎冬彦「国際情勢と日本外交」(学士会会報2002−U)
[3]八重樫純樹「土偶データベース化の教訓」(朝日01/2/14)



挿絵 次の世代が安心して飲める「情報の水源」を。(八海山麓「電電様の湧水」)

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