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2014年05月26日(月) 閲覧:573回
保護主失格
5月某日、里子に出した猫が亡くなった。
翌日にはお見舞いに行くことにしていて、里親様からあれ食べた、これ食べたとご報告は頂いていたが、もう食べられなくなっているのではないかと推測していた。里親様は私に心配させまいと、明るい事柄を取り上げて、お便りくださっているのは解かっていた。
翌日訪問の時間をお知らせし、AD缶と退院サポートと、ちゅーるのホタテと、他に何かあったらイイナがあれば教えてくださいねとメールしたところへ、なくなったとのお知らせを頂いた。時刻は私がちゅーるをちょうど買っていた頃である。
お見舞いのはずが、お葬式になってしまった。
時間がなくて、動転もしていて、あまり良い花をお持ちできなかった。
猫さんは清浄な木箱に眠っていた。花が添えてあって、見ると私がお届け時にお渡ししたバスタオルが敷いてある。私が「自分も猫になってもらわれたい」と思った里親様は泣いていた。
こんなはずではなかった。いっぱい愛していっぱい愛される猫になるはずだった。
1週間前にお見舞いして、まだ若い猫だし、寿命が短い猫の1日は人の4倍の価値があるし、延命ではあるが、少しでも長く生きられるよう、積極的治療をしましょう、そのために信頼できる病院へ転院しましょうと、里親様と相談したところだった。私は余計なことをして猫を苦しめてしまったのかもしれない。
この猫を里子として迎え入れる前に、老齢猫の看取りをされたご経験がある里親様は、悲しみの中でも、同居猫へ感染しないようにケアして、きちんと最後を迎える準備をされていた。おろおろしてしまったのは私のほうである。
ある保護活動者の方の言葉に、
“最近は一般の人も野良猫を保護して里親探しをしている人が増えてきて、それはとても嬉しいことだけど、里親探しひとつするにしても、命のやり取りをしているということを自覚して欲しいし、猫の生態や病気に関しても最低限の勉強をしてほしい。”
というものがある。
わたしはそういう意味では、全く「保護活動者」としての資格はない。
「保護活動者」などという名を用いる必要はない。ただの猫好きでいいのだ。ただの猫好きとしてちゃんと猫に一匹一匹向き合っていれば、異変や調子の良し悪しはわかるはずだったのだ。体重も食餌量も関係ない、ちゃんと向き合って、猫を見ていれば気がつくはずだったのだ。
子猫だから当然可愛い。情が移ってはいけないと、必要以上にかまいすぎないようにしていたが、もっとよく見ていればわかるはずだった。その猫さんは可愛い猫で、素直な優しい猫で、手放すのが辛いから必要以上に抱っこもナデナデもしなかった。
私は一体何をしていたのだろう。間違いばかりである。生かさなければ意味がないのに。
骨揚げのとき、生前のきれいな尻尾がそのままきれいに並んでいた。
尻尾の無い猫なんて、と尻尾のお骨は全部骨壷に納めた。
お骨は里親様宅で安置し、私はキバを1本、分骨していただいた。キバなら喧嘩で折れることもあるし、いただいてもいいよね、と里親様とお話した。
家に帰って猫部屋へ行った。
猫さんがよく乗って寝ていたケージの上に、子供の頃からの毛布を敷いて、遺影とお骨を置いた。里親募集する時に写真撮影した場所である。あの世への旅立ちの途中で、うちにも寄っていって欲しいなと思ったからだ。
私は虹の橋のお話を、今までよく知らなかった。良い話だと思うが、私は虹の橋のたもとで待っていて欲しいとは思わない。
もっと自由に、所有されないで、物扱いされないで、いのちとして、どんどん自由に天国の野原を駆け回って欲しい。人間の都合や欲望で、死んだり生きたり、おもちゃにされたり、そんなことのない自由ないのちとして、自由な野原を駆け回って欲しい。死んでしまったものに「いのち」とは、おかしな言い条である。でも生きている間は不妊させられ、耳を切られ、首輪をされてつながれて、生きてきたのだ。せめて死んだ後は人間の「癒し」なんてうっちゃって、自由な魂になって欲しい。
それが「保護主失格」の私の願いなのだ。
翌日にはお見舞いに行くことにしていて、里親様からあれ食べた、これ食べたとご報告は頂いていたが、もう食べられなくなっているのではないかと推測していた。里親様は私に心配させまいと、明るい事柄を取り上げて、お便りくださっているのは解かっていた。
翌日訪問の時間をお知らせし、AD缶と退院サポートと、ちゅーるのホタテと、他に何かあったらイイナがあれば教えてくださいねとメールしたところへ、なくなったとのお知らせを頂いた。時刻は私がちゅーるをちょうど買っていた頃である。
お見舞いのはずが、お葬式になってしまった。
時間がなくて、動転もしていて、あまり良い花をお持ちできなかった。
猫さんは清浄な木箱に眠っていた。花が添えてあって、見ると私がお届け時にお渡ししたバスタオルが敷いてある。私が「自分も猫になってもらわれたい」と思った里親様は泣いていた。
こんなはずではなかった。いっぱい愛していっぱい愛される猫になるはずだった。
1週間前にお見舞いして、まだ若い猫だし、寿命が短い猫の1日は人の4倍の価値があるし、延命ではあるが、少しでも長く生きられるよう、積極的治療をしましょう、そのために信頼できる病院へ転院しましょうと、里親様と相談したところだった。私は余計なことをして猫を苦しめてしまったのかもしれない。
この猫を里子として迎え入れる前に、老齢猫の看取りをされたご経験がある里親様は、悲しみの中でも、同居猫へ感染しないようにケアして、きちんと最後を迎える準備をされていた。おろおろしてしまったのは私のほうである。
ある保護活動者の方の言葉に、
“最近は一般の人も野良猫を保護して里親探しをしている人が増えてきて、それはとても嬉しいことだけど、里親探しひとつするにしても、命のやり取りをしているということを自覚して欲しいし、猫の生態や病気に関しても最低限の勉強をしてほしい。”
というものがある。
わたしはそういう意味では、全く「保護活動者」としての資格はない。
「保護活動者」などという名を用いる必要はない。ただの猫好きでいいのだ。ただの猫好きとしてちゃんと猫に一匹一匹向き合っていれば、異変や調子の良し悪しはわかるはずだったのだ。体重も食餌量も関係ない、ちゃんと向き合って、猫を見ていれば気がつくはずだったのだ。
子猫だから当然可愛い。情が移ってはいけないと、必要以上にかまいすぎないようにしていたが、もっとよく見ていればわかるはずだった。その猫さんは可愛い猫で、素直な優しい猫で、手放すのが辛いから必要以上に抱っこもナデナデもしなかった。
私は一体何をしていたのだろう。間違いばかりである。生かさなければ意味がないのに。
骨揚げのとき、生前のきれいな尻尾がそのままきれいに並んでいた。
尻尾の無い猫なんて、と尻尾のお骨は全部骨壷に納めた。
お骨は里親様宅で安置し、私はキバを1本、分骨していただいた。キバなら喧嘩で折れることもあるし、いただいてもいいよね、と里親様とお話した。
家に帰って猫部屋へ行った。
猫さんがよく乗って寝ていたケージの上に、子供の頃からの毛布を敷いて、遺影とお骨を置いた。里親募集する時に写真撮影した場所である。あの世への旅立ちの途中で、うちにも寄っていって欲しいなと思ったからだ。
私は虹の橋のお話を、今までよく知らなかった。良い話だと思うが、私は虹の橋のたもとで待っていて欲しいとは思わない。
もっと自由に、所有されないで、物扱いされないで、いのちとして、どんどん自由に天国の野原を駆け回って欲しい。人間の都合や欲望で、死んだり生きたり、おもちゃにされたり、そんなことのない自由ないのちとして、自由な野原を駆け回って欲しい。死んでしまったものに「いのち」とは、おかしな言い条である。でも生きている間は不妊させられ、耳を切られ、首輪をされてつながれて、生きてきたのだ。せめて死んだ後は人間の「癒し」なんてうっちゃって、自由な魂になって欲しい。
それが「保護主失格」の私の願いなのだ。
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