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Author:たわし

わたしは革の服を着ることが大好きです。でもわたしは、革をファッションとして好きなだけではありません。革の服を見たり、着たりすることで性的に興奮してしまうのです。


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革の服を着ると性的に興奮するわたしの日記
人目が快感の心理
 革の服を着た自分の体が見えているときと見えていないときでは興奮の度合いが違います。もちろん見えているときのほうがより強く興奮するのですが、これは視覚情報が自分の意識へ働きかける作用の強度が違うためなのか、それとも革の服を着た体を他人へ露出する快感が加わるためなのか、どちらなのかよくわかりません。両方かもしれません。露出して他人の目を意識することで自分でも革の服を着ていることを強く意識するようになり、興奮が高まるという可能性もありますね。これは露出狂の仕組みと似ています。

 それなら、この"露出"は恥ずかしければ恥ずかしいほど効果的なのです。革の服を着ることにも慣れてしまうとあまり意識しなくなりますから、興奮するためには意識を盛り上げる必要があります。そして人目を気にすることは自分の服装を強く意識する方法の一つです。その服装が奇抜であればあるほど目立ちますので意識も強くなります。通勤・通学などの性興奮とは無縁の場にそれを持ち込むことも背徳感から羞恥心を刺激します。ということは恥ずかしさの度合いと興奮の度合いは関連しているんです。

 これは"吊り橋理論"の応用で説明がつくかもしれません。"吊り橋理論"では人間は恐怖のドキドキ感と恋愛のドキドキ感を区別しておらず、恐怖は恋愛感情に転換されやすいと説明しています。遊園地をはじめ人が好んでドキドキする施設やレジャーに群がる傾向にあるのもドキドキ感を求めているからです。恋愛でドキドキすることは相手がいないと無理でもジェットコースターなら誰でも簡単にドキドキできます。つまり恋愛でドキドキすることの代償行為が遊園地に行くこと、そして恥ずかしさもドキドキ感や高揚感を伴いますし、恋愛には恥じらいがつきものです。そう考えると恥ずかしさにともなう快感とは、恋愛の高揚感と同じものかも知れません。一般的な認識では恋愛感情が先で恥ずかしがるのは後ですが、実は逆かもしれません。恥ずかしいから恋愛感情に発展しているのでは。

 恋愛を飛ばして別の手段で恥ずかしがることは、恋愛の高揚感をたやすく味わうことができる代替手段、インスタント恋愛とも言えます。それどころか、実はドキドキする高揚感を感じることこそ真の目的。代替手段もなにもなく、恋愛は高揚感を楽しむためにある数多くの手段の一つにすぎないのかもしれません。真の目的はイクことであってセックスはその手段の一つにすぎないようにです。革フェチの場合はその手段が革の服になり、普通の恋愛や性行為に見られるいろいろな要素が革に置き換えられていると考えられます。このような仕組みでノーマルでも革フェチでも、対象が異なるだけで精神的、肉体的にはまったく同じ恋愛行動につながっているのです。交際相手ができるとデートをしたいとかいつも一緒にいたいとか人に見せびらかしたいとかいう"露出願望"が出てきますよね。革フェチではこれが革の服を着た姿で表に出たいという露出願望に相当します。言い換えると、恋愛というのは異性フェチのことです。革フェチにとってのレザーウェアの一着が、ノーマルでは異性の一人に相当します。

 こういう心理的背景があって、だから革の服を着ている姿が丸出しになっているときの興奮はとても強いですが、着ていることが外から見てわからないときにはそれほどではありません。その場合でも服の下に隠れている自分の真の姿を意識するとジワジワと快感が湧き出してくるのでノーパン・ノーブラの快感とも似通っています。恋愛で言えば交際を秘密にしているときの快感ですね。

 この露出願望は、ただの自己顕示欲なのでしょうか。革の服は格好いい服が多いですから。最近スペースエイジファッションの脈絡でバブルファッションにも手を出しているのですが、パッドで大きく張った肩と胸、細く絞ってピッタリした胴回りの典型的80年代後半頃の革のショートジャケットは、着ると逆三角形のシルエットに幾何学的なディテールがSFっぽくて手前味噌ですが格好いいし目立ちます。古さをあまり感じません。最近のデザインは大人しいのでバブル世代でこういう服を着まくってた人がうらやましいですが、わたしは30年遅れで着ています。この当時の革の服は自己顕示には最強のアイテムでしょう。

 そんな"特別な服装を他人に見せたがる趣味"といえばコスプレですが、なぜコスプレ姿を人前で披露したいのか考えると、露出狂とまではいきませんが普通の人にも露出趣味があるんです。クラブでもライブでもそうです。自分のいいと思う特殊な服を着た自分を人に見せたい願望を多くの人が持っていて、革フェチの場合はいいと思う服が革の服なのです。その露出衝動は何が後押ししているかというと、ただの承認欲求に基づく自己顕示欲とは思えません。それだけならドキドキする高揚感は伴いませんから。だからそれは、"恥ずかしさの快感"だと思います。恥ずかしいのはその姿がとても目立って注目を集める要素をもっていたり、性衝動を感じるほどとても魅力的だからですが、なぜ恥ずかしく感じること自体が快感なのでしょう。

 "ドキドキするから"ではないでしょうか。
[2015/04/18 07:17] | 革日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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