えー、こうやって文章を書くのも久しぶりで。
多分そのうち恥ずかしくなって消してしまいそう。
前置きは置いといて。
今、満喫でダイの大冒険を読んでいる。
とても面白い。
率直に言って感動するレベルだ。
ただその感動にもレベルってやつはあるみたいで。
なんというか上っ面の感動なんだよ。
これは作品が悪いとかじゃなくて。
俺の心に問題があって。
その批評ってのが純粋に自分の中から生まれているならまだマシで。
いつかネットで読みかじったようなありきたりな批評が浮かんでくるんだ。
「ここの展開引っ張りすぎ」とか「この展開ありがちだわ」とか「これ見たらフェミの連中はキレるだろうな」とか。
いつからか俺の頭は自分でものを考えるということをしなくなったようだ(元からしていたのかは置いといて)。
心のどこかでずっと他人が見ているんだ、俺のことを。
「こういう風に感じているのを誰かに馬鹿にされたらどうしよう」とかそんな感じで。
それはれっきとした他人じゃなくて俺の自意識が生んだ架空の存在なのは百も承知なんだけど。
こういう考えが浮かんでくるようになった原因は分かってるんだ。
小6~中3ぐらいかな、主観的レベルでの話だが、家庭環境が最悪だった。
掘り下げたいけど俺の力量じゃあ今は無理だ。
とにかく今のところ人生で最高に家の居心地が悪くて一番家族が嫌いだったことだけは確かだ。
要は家の中に居場所がなかったわけ。
勝手な思い込みかもしれないけど家庭って多くの人にとっては自分の居場所だと思うんだ。
で、俺にはそれが無かったわけ。
じゃあどうすんのかって言ったら簡単な話で家の外に居場所を作ればいい。
まあそれはそれでありだと思うんだよ。
俺もそのパターンだった。
なんとしても居場所を作らなきゃいけない。
最も恐れるのは居場所がないことだ。
そのためにはどうすればいいのか。
簡単だ、嫌われないようにすればいい。
それまでに嫌われたがために居場所を失ってきた連中は山ほど見てきた。
だから素の自分をさらけ出しても自分の傍にいてくれる人を探すんじゃなくて、誰にも嫌われないような最大公約数的人間を演じることに終始した。
本当の居場所を見つけるには前者のほうが正しいってのは今になってわかる。
でもその時は分からなかった。
おかげで今のところ誰かに嫌われているという自覚を持ったことはない。
もしかしたら俺が鈍感すぎて気づいていないだけかもしれないけど。
でも最近になってもう耐えきれなくなってきた。
そこで知りたいのが
①「自分を監視する誰かが常に自分の中にいる」これは誰にでもある感覚なのか。
②この問題はどうすれば乗り越えられるのか。