ハフィントンポスト韓国版に掲載の雑誌記事を邦訳したものだという。
http://www.huffingtonpost.jp/2015/04/13/vietnam-war-victim-korea_n_7053626.html
ヴェトナム戦争中、村を襲撃した韓国軍によって家族を惨殺された二人のヴェトナム人が、終戦から40年の歳月を経て韓国を訪ね、自らの体験した思いを韓国の若い世代に語り聞かせるという内容だが。
まずネット右翼が大喜びで引用・拡散しそうな記事である。
連中はただでさえ、韓国の汚点をあげつらうのが嬉しくてたまらない。まして、韓国軍の非道を突きつければ第二次大戦での日本軍の咎はすべて赦免できると思い込んでるのだから。
(どういう理屈によるかはわからない。日本軍国主義への固定的認識は韓国だけでない世界的なものなのに)
むろん記事の眼目である、「和解」と「赦し」などは眼中にない。
せいぜい、「韓国人もいつまでも過去のことを根にもたず、ヴェトナム人をみならえ」とか、図々しく見当はずれな憎まれ口を叩くのがオチだろう。
さて。
ヴェトナム戦争の期間、のべ30万もの兵力を派遣した韓国軍は、現地で9000人にのぼる民間人を虐殺したとされるのだが。
韓国軍が我が軍と異なるのは、アジアを共産主義から守ると豪語する米軍と協働、自由主義陣営の側で戦ったことだろうか(ただし当時の韓国は軍事独裁下にあり、自由な国とは言いがたい。全土を共産軍に蹂躙された恐怖を知る韓国民はヴェトコン等への敵意も強かった)。
韓国軍はヴェトナムから資源を奪ったり植民地化しようと出兵したわけではなく、大筋ではアメリカや他の国と同様に、共産軍の脅威にさらされる南ヴェトナムを援けるのが目的だった。
にもかかわらず非道行為について非難されなければならないのは、ヴェトナム戦の主役だった米軍も含め、いかなる軍隊のいかなる落ち度も容赦されてよいものではないからだ。
韓国軍の残虐行為をいくら突き詰めても我が軍の過去犯罪の擁護にはならないが、どんな軍隊の非道をも糾弾し続けることでふたたび我が軍が犯すかもしれないモラルの逸脱を阻止する一助にはなると考えたい。
(思案中。中略。)
もし第九条による抑止がなく、同じ時期、同じ戦場で自衛隊が戦うことになっていたら、間違いなく韓国軍と変わらぬ行為をしたと思う。
ヴェトナム戦より一世代前、中国や東南アジアで日本軍がやったことを思うとき、それはないだろという根拠はどこにも見出せない。アジア太平洋での旧軍のおこないを、ヴェトナムでもそのまま繰り返すのは造作ないことだ。
そして今日、自分達がなした行為について反省のかけらもない韓国の退役軍人らとまったく同じ言い訳をしていたに違いない。
いまなお日本の特定勢力は、我が軍の中国での殺戮や南方侵略、性奴隷や玉砕の強要を、「便衣兵」「自存自衛」「売春婦」「自己犠牲」といった屁理屈を持ちだし戦争犯罪とは認めないのだから、まるっきり仮想のこととも思えない。
さらに。
将来、安倍総理の我が軍が紛争地に派兵され掃討作戦も辞さないようになれば、またもや既視感のある光景が展開するという確率は高い。昨今の特定層が国粋主義を推し進めてはばからない風潮を見るかぎり、今の日本人が昭和期の日本人より高潔で外地の住民に親切になったと言い切るのは困難だろう。
ヴェトナムからの戦争犯罪被害者に抗議で対した韓国の「枯れ葉剤戦友会」は、明日の「我が軍」の姿かもしれないのだ。
すくなくとも、来日した元慰安婦を右翼団体が悪罵で迎え、南京事件の映画上映を阻止するのは、すでに見られる通りなのだから。
ベトナム戦争の韓国軍の虐殺被害者が訪韓 そこで見た「落差」とは
(The Huffington Post)
http://www.huffingtonpost.jp/2015/04/13/vietnam-war-victim-korea_n_7053626.html
韓国軍によるベトナム人戦時虐殺問題――戦争の記憶と和解
(The Huffington Post)
http://www.huffingtonpost.jp/masako-ito/historical-awareness_b_7075564.html?ncid=tweetlnkjphpmg00000001
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