愛川欽也さん、50年間第一線で活躍 トラック野郎、なるほど!ザ・ワールド、アド街

2015年4月17日4時5分  スポーツ報知
  • 妻・うつみ宮土理の初アルバム完成会見の応援に駆けつけた(09年撮影)
  • 妻・うつみ宮土理の初アルバム完成会見の応援に駆けつけた(09年撮影)

 軽妙なトークと幅広い知識、親しみのある演技で、視聴者や観客を魅了し続けた愛川欽也さん。最初に影響を受けたのは、俳優座養成所の1期上の小沢昭一さん(12年12月死去、享年83)だった。話術で人を引きつける先輩の姿に感銘を受けた。

 小沢さんの話は、全て庶民の側に視点があることに気がついた。大衆の考えていることがテーマになっていた。「大衆の側に立つという点では小沢さんと近いところがあったかもしれない」と振り返っている。

 次々と新しい言葉や“珍語”を生み出した。女性のバストは「パパイヤ」、男性のアソコは「ポールとタマタマ」と表現し、流行語になった。こうした言葉は、ふとした瞬間に浮かんだという。あけっぴろげなトークはラジオの中心的リスナーだった若者を魅了した。

 番組では女性ゲストにとにかく優しかった。フジ系「なるほど!ザ・ワールド」ではアグネス・チャン(59)に解答を教えるなど“優遇”。「彼女のいいところをどんどん引っ張り出してあげたい」という一心だったが、「かわいがり過ぎだ」という投書が届いたこともあった。

 チャレンジ精神も旺盛だった。39歳でモロッコを舞台にした映画「さよならモロッコ」を自主製作。脚本、監督、主演など全てをこなした。ギャラや撮影費用で無一文になったが、長年の夢をかなえ、後悔はなかった。00年10月には自分を慕う後輩たちを集めて「劇団キンキン塾」を発足。脚本や演出も自ら手掛け、毎年1作品のペースで上演した。09年には劇団のための小劇場「キンケロ・シアター」を都内にオープン。後進の育成のためには、ポケットマネーも惜しみなくはたいた。

 ジャンルの枠を軽々と飛び越え、マルチな才能で芸能界に大きな足跡を残した愛川さん。晩年は政治、経済や社会問題について討論する番組を立ち上げ、亡くなる直前まで日本の行く末を憂えた。庶民のために生き抜いた80年の人生だった。

訃報・おくやみ

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