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日本を愛する外国人が過疎の村を救った… 地方活性化のヒントは「『何もない』がある」という考え方

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日本を愛する外国人が過疎の村を救った… 地方活性化のヒントは「『何もない』がある」という考え方

東洋文化研究者のAlex Kerr(アレックス・カー)氏が理想郷を探し当てたのは、四国の小さな過疎地域でした。人口減少に歯止めをかけるのは、高速道路や博物館の建築などではないと訴えます。廃村寸前だった地域を、稼働率90パーセントの観光地にまで再生したカギ「『何もない』がある」とは?(2013より)

【スピーカー】
東洋文化研究者 Alex Kerr(アレックス・カー) 氏

【動画もぜひご覧ください!】
New life for old towns through sustainable tourism: Alex Kerr

人口減少で地方にあふれるシャッター街

Alex Kerr(アレックス・カー)氏:このホールでもそうですが、この美しい京都でたくさんの人がiPhoneを持ち歩いています。大阪に行けば、ルイヴィトンを手にしている人を見ます。別に悪くはありません。日本は世界のなかでも経済力がある国です。でも、1つ問題があります。それは人口減少です。

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少し郊外へ行くと「シャッター街」と呼ばれる場所が存在します。郊外へ行けば行くほど、状態は酷くなります。均等ではありません。大きな街は栄えますが、小さな街は大きな問題をかかえることになります。

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事実、このようなものをよく見ます。家は崩れ、道には人がいません。小さな街ほど状況は酷いのです。

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内湾のある漁村の模型を作りました。人が住んでるものは赤に塗りました。そうするとこの漁村が、やがてなくなってしまうことは明らかです。

コンクリートづくしの街は、果たして現代的と言えるのか?

日本政府はこういった問題に気づいています。しかし残念なことに、彼らの過去50年にわたる政策は、同時にそれ自体が問題でした。物を建てるということです。「街をコンクリートづくしにしよう、川を舗装しよう、高速道路を作ろう、ダムを作ろう」そういったものでした。

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小さな小川でさえも工事しよう。毎年毎年、何かを舗装しよう……。ここに、去年起こったことと今年行われているものがあります。

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特に意味もなく作られた高速道路。

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何百億ドルとかかったこの工事ですが、交通はありません。

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土木建設だけではありません。こういったものには、モニュメント的な要素もあります。とりあえずコンクリートづくしにして現代っぽく見せよう程度の考えなのです。

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小さな町を破産まで追い込んだミュージアムだってあります。

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使い道すらわからない金の塔。

(会場笑)

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このモスクのような建物、個人的には好きなのですが……。ちなみにこれイラクじゃないですよ。人口たったの1500人の対馬です。こんなもの作るために2000万ドルも費やしたのです。

しかし残念ながら成果を上げられず、住人は町を去りました。農業も崩壊。林業も崩壊。そして政府はさらにコンクリートを投入。他に方法はないのでしょうか?

日本のグランドキャニオン? 徳島県の祖谷渓

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そこで1歩引いて、少し個人的なことを話そうと思います。1964年、少年の私は家族と共に日本へやって来ました。50年も前の話です。

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大学生の頃に日本中をヒッチハイクしました。他の若者達同様に、私も理想郷を探し求めていました。そして幸運なことに、私はそれを見つける事ができました。

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この魔法がかかったような場所は、祖谷といいます。四国山中の人里離れた場所にあります。

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四国とは、現在日本で最も訪れる人の数が少ない4県のことを指します。

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そんな四国の中でも、祖谷は深い谷に位置します。平家の軍が逃れた場所でもあります。20世紀の現代では非常に人里離れており、日本のグランドキャニオンといったところでしょうか。

私は本当にこの場所が好きですが、70年代にはすでに人口減少に陥っていました。廃墟と化した家がそこら中にありました。そして当時学生だった私はこう思いました。

「うわー、これなら貧乏学生の自分でも家が買えるんじゃないか?」

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そうして私は家を探し始め、この家を1973年に購入しました。この家を「篪庵(ちいおり)」と名付けました。村の住人に話して回って1500ドルで購入したのです。土地をね。家そのものはジャンクで使い物にならなかったので、タダでした(笑)。

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この家は築300年だったのですが、そこで生活様式そのものは何千年にも渡るものでした。それは私達の知る日本が始まってすらいない時代まで遡ります。

畳よりも米よりも前です。木造床もあります。床の囲炉裏です。家の中でキャンプファイアーしているような感じですけどね(笑)。

(会場笑)

でも煙がすごくて全部真っ黒になっちゃいます。屋根も真っ黒です。

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何年もかけて家の葺き替えを行いました。でも当時は草ぶきを買うお金すら無かったので、解体した家の草ぶきから再利用しました。

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その作業の後は、炭鉱から帰ってきたみたいでした。

(会場笑)

「何もない」ということの大きな魅力

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話をすすめますが、この家が特別なのは来客が非常に多いというところです。その統計を見て徳島県も疑問に思ったほどです。「なぜ徳島? なぜ祖谷? ちいおりってそもそも何?」という具合に。

(会場笑)

ついに彼らは私達にコンタクトをとり、聞いてきました。

「金の塔も巨大歓迎ホールも高速道路もないのに、彼らは何をしに来ているの?」

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私はこう答えました。

「何もないから魅力があるんですよ」

それって実はかなり大切なことで、今日では祖谷のスローガンにもなっている言葉ですが「『何もない』がある」という考えです。

例えばパリに旅行したとしましょう。もちろんルーブル美術館やノートルダムといったものを見に行くと思います。でも1度それをやると、今度は路地を歩く楽しみとか、その空気を味わうだとか、そういう本場独特の良さを楽しみだすと思います。そしてそれこそが、人が祖谷を訪れる理由なのです。

廃屋を生かした現代人が住める家

もう魔法みたいなもので、私は日本にある何千何百とある廃墟の家について考えていました。どれも、祖谷の家より状態がマシなものです。

「そんな廃墟の家で何かできないか?」

私はこう考えていました。そして私達の最初のプロジェクトが始まりました。

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最初のプロジェクトは、小値賀という小さな島で始まりました。小値賀は海にある祖谷のような場所で、祖谷よりも行きにくい場所にあります。

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九州湾よりはるか離れたところにあります。

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キリスト教が禁止された時代に、隠れキリシタンの逃げ場となったほどに行きづらい場所でした。

この場所は現在、財政難に苦しんでおり、人口も減少しています。ミュージアムも高速道路も建てました。それでも全部うまくいきませんでした。そこで私達がプロジェクトを始めたのです。7つの家と1軒のレストランを再生するプロジェクトでした。

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もちろん最初は、家はボロボロで床は抜けているし、雨漏りもしているような状態でした。

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この修理された座敷を見れば分かるように、こういった家は直すことができます。でも、だからこそあえて言っておきたいことがあるのです。私はキュレーターや学芸員ではありません。教授でもありませんし、江戸時代や明治時代はこうだったとか言うつもりもありません。見世物にしようとか資料館を作りたいわけではないのです。

私がやりたいことというのは、こういった家を現代に溶け込ませるということなのです。それこそが、これらの家を生かす唯一の方法なのです。

畳の下にはワイヤーが張り巡らされ、日光浴もでき、冷暖房もあります。全ては、現代人が実際にここに住めるようにするためです。これだけではありません。現代の日本人は畳には座りませんからね。こんな家が現代のライフスタイルに適応していればどんなにいいでしょうね。

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そうしてできたのが洋風堀こたつです。1度人がここに座ると、あの美しい座敷へ誰も行かなくなってしまうことから、これは成功しすぎたともいえます。

(会場笑)

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こういった家の改装では、戸惑うことだってもちろんあります。あるときこう言われました。「アレックス、柱があるからここにテーブルは無理だね」でも、作りました。

(会場笑)

歴史や文化にならってイノベーションする

もう1つ私が取り組んでいることは、モダンイノベーションです。というのは、伝統的な空間を取り入れつつも現代のものとして全く新しいもの作り、そこにいる人に昔ではなく今を感じてもらうということです。

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レストランになったこの長い部屋には、7メートルのテーブルを設置しました。

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そのまま「長テーブル」と呼んでいます。掘りこたつになっているので、足を伸ばして座ることができます。そうしてこの場所は、古い場所でありながらも新しさにあふれる部屋になりました。

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小値賀のレストランの夜の様子がこちらです。

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祖谷にも全く同じ問題がありました。町と一緒にプロジェクトを進め、8軒の家の改装に取り組んでいました。

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落合と呼ばれる集落からプロジェクトが始まりまりました。私の所から20分の場所です。

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立ってるだけで目眩がするほど高い場所でした。

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最初の家は、一度見ただけで投げ出したくなる様な状態でした。しかし築200年のその家には、すばらしい構造がまだ残っています。そこで私達は、建物の歪みを真っ直ぐにしたり、本来の構造だけになるまで解体して屋根を作りなおしたりしました。

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ただの大工仕事をやってるように見えるかもしれませんが、私の場合そういうわけではありません。あくまでも歴史や文化にならって草ぶきを使っているのです。

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屋根には防水加工の素材を使っています。室内の写真はこんな感じです。

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祖谷のような伝統的な囲炉裏も設置します。

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谷を見下ろす絶景もあります。

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でもすぐ隣には、テーブルとイスがあるキッチンがあります。リラックスしてコーヒータイムを楽しめます。

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最初はこんなだったのが、

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最後はこうなりました。でも同じ家だということはわかりますよね。

同時進行で、何軒もの住めない家を住める家にしてきました。おもしろいことに、私自身の家が最後のプロジェクトだったのですが、それも去年終わりました。

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これがかつての篪庵です。屋根をとり、

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草ぶきをとりつけ、草ぶき職人も呼びました。

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そしてこうなりました。

私はこの草ぶきの屋根が大好きです。座ってくつろぎながら雪を眺められるためのこの2枚ガラス窓も好きです。最初はただ古かったリビングルームも、今では床暖房があり、キッチン設備もととのっています。トイレだってばっちりです。もしかしたらこの写真が今日1番のポイントかも知れませんね(笑)。

(会場笑)

でもなぜこんなことを私はするのか。別に「オシャレな家を作ろう」とか言っているわけではありません。困難にある町で「私達に何が出来るのか」というのがテーマとなっています。

京都よりも稼動率の高い、かつての過疎地域の姿

そうして祖谷や小値賀でプロジェクトをしてきました。でもなぜなのか? 「人なんてこない」という意見もあると思います。しかしそういう人達に言っておきたいことがあります。去年の夏、祖谷や小値賀では定員の90パーセントがうまっていました。要するにほぼ満員というわけで、これは京都より良い数字です。

私達もびっくりしました。なぜなら初めは、外国人をターゲットにしていたからです。最初はこう言われました。「アレックス、日本人はこんな所へ来ないよ」と。今では外国人にこだわることはありません、なぜなら祖谷では70パーセント、小値賀では100パーセントが日本人だからです。

日本人がいかにこういった自然な環境や、昔ながらの町を好んでいるかがわかります。苦労しなければ、みんなこういうのが好きなんです(笑)。

(会場笑)

こういうものがあると、人は寄ってきます。そうして1つの産業となるのです。

町をコンクリート漬けにする必要はない

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彼は祖谷プロジェクトのマネージャーのトオルです。100キロも離れた静岡からやってきました。彼はわざわざ引っ越してきたのです。当初からすると考えられないことでした。彼以外にもそういう人はいます。

ナカイシさんです。彼女は祖谷豆腐を持っています。この豆腐はロープでくくれることから、岩豆腐とか枠豆腐などと呼ばれています。しかしこういった文化は、観光客がいなければ廃れていったでしょう。観光客によって需要が生まれ、地元の特産品などが息を吹き返すのです。

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小値賀の話に戻りましょう、あの長いテーブルの話です。住人が宴会をそこでするようになってから、観光客も交わるようになりました。こうしたことでお金が発生し、住人が金銭的に行き詰まることがなくなるのです。

政府に助けを求め、コンクリートや川、空っぽのミュージアムを作る必要もこれでなくなるのです。新たな産業の誕生です。

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日本は非常に豊かな国です。こういった古い町には、自然環境やすばらしい伝統、美しい豊かさ、そして独特の精神や生活様式にあふれています。そういったものは、すぐそこにありますし、守っていくことはおおいに可能なのです。ありがとうございました。

※ログミーでは、TED Talksおよび各TEDxの定めるCCライセンスを遵守し、自社で作成したオリジナルの書き起こし・翻訳テキストを非営利目的のページにて掲載しています。

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