freemember01  さん 随時追記していきます

23:40 追記・・ちよさんブログで書いているecoさん、
言いたいことがあるなら、こちらのコメント欄で
理路整然と質問してくださいね、私はちよさんブログに書けませんし
書くつもりもありませんから、
それから、沖浦氏は、己心の妙法が「本」で、曼荼羅が「迹」と主張しているんですよ、これは、明確に間違いですよ。
ちなみに、曼荼羅御本尊の相貌を「本・迹」にたて分けることはできるのですよ。
そういうことも、知りたければ、こちらで、謙虚に質問してください。
ただし、学会活動を基本にしていないと、理屈だけでは、迷路に入るからね。

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freemember01さんへ

少しずつ返答していきます。随時追記していきます。

以下、この色は、freemember01さん発言そのブログ記事

久遠の法って何?

大河さん。まずはコメントありがとうございます。
貴殿の下記のコメントですが、さっぱり要領が得ないので
ブログでちょっと書かせてもらいます。

> 全会員に向けて、
> 「板曼荼羅でなく、久遠元初の法」であると
> 平成5年5月3日に指導されております

とだけ書いてありましたが、それは私も知っています。

そうですか、ご存知でしたか。
あの時のご発言

だけど聞いている方は、本当に池田センセがそう言っているのかは知らない
戒壇大御本尊を捨てててもかまない。
戒壇大御本尊だけは捨ててはならない。
永遠の指導者は本当はなんと言っているか?
末端会員には永遠に分からない。

先生は、捨てるとか捨てないとかは、発言はしていませんよ。
破門後すぐに、大謗法の地にある大御本尊を拝することは、謗法に供養することに
なるから、そもそも大石寺に参拝はダメだという指導はしています。
大御本尊に問題があるのではないですよ。

が、だから何なんでしょう?
まさか池田名誉会長がこうやって指導しているのだからコレが正しい。
なんて事を言いたいわけではないですよね?
池田先生の言うことは全て正しい。
などという論法が通用するのは創価の活動家の中だけです。
この論法では破折はおろか、折伏すらできないのでは?

破折というのは、いわゆる日顕宗の法華講員へですか?
脱講活動体験は創価新報に随時掲載されますが、もともとの知り合いが
多いですよね、つかず離れず友情を維持しながら、真心から脱講を決意させ
その後、再入会というケースが多く、御本尊関連の理屈でどうのこうのは
あまり無いですよね。
又、世間の方への折伏は、やはり会員の真心からのふるまいが
一番のポイントではないでしょうか、理屈で入会決意したというのは
あまり聞いたことはありません。
又、入会を決意する方は、すでに唱題の力を事実の上で確信できたという点は
大きいですね、大白蓮華2008年10月号では、海外の体験談ですが、
まったく、曼荼羅御本尊そのものを知らないで、SGIメンバーである姉から、「とにかく困った時は、南無妙法蓮華経と唱えなさい」と言われ、いざその危機の時、ひたすら唱題し、ともかく題目つまり南無妙法蓮華経の力を実感し、その後、御本尊のことを知り入会したと、こういうケースもあります。

そもそもこの【久遠の法】などと名誉会長が言い出したからこそ
ご本仏を捨てるという暴挙を創価はしでかしたわけです。

↑これは、明確に間違いですね、

(教 義)
第2条 この会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ
、根本の法である南無妙法蓮華経を具現された三大秘法を信じ、御本尊に自行化他にわたる題目を唱え、御書根本に、各人が人間革命を成就し、日蓮大聖人の御遺命である世界広宣流布を実現することを大願とする。


平成5年当時、名誉会長は既にボケていたのか?
それとも端からこの程度の教学力しかなかったのか?
はたまた魔にたぶらかされたのか?
どっちにしてもこの【久遠の法】などというセンセの我見が
諸悪の根源であると断言してもいいです。

貴方は、この【久遠の法】なるものはどこの存在しているのか?
明確にお答えできますか?

ご参考までに、今回、創価学会は、「一大秘法」という言葉は使わないと
なりましたが、
ついこの間までの、創価学会の「一大秘法=本門の本尊」の定義は
「日蓮大聖人が胸中に所持する久遠元初の妙法である南無妙法蓮華経であり
又、それを図顕した曼荼羅本尊」と・・
使わないけれど、この内容に変更があるわけではないはずですよ。
と同時に、宇宙の根源の法であるわけですよね。

この質問は多くの学会員にしましたが、誰ひとりマトモに答えられる会員はいませんでした。
私の考えは久遠の法は久遠の仏の色心に備わっていると思っています。

それは正しいですよね。

例えば、書籍「御書の世界」では、この色

三大秘法は、もともとは大聖人の戦うお姿にあるといえます。「本門の本尊」は、大聖人におかれては、妙法と一体の大聖人の御生命に躍動する尊極の仏界の生命であり、大聖人己心の妙法蓮華経です。ゆえに私たちは、御本尊を「観心の本尊」と拝します。

「本門の本尊」を根本と尊敬して、いかなる悪の生命をも打ち破っていくという確固たる誓願を持ち続けて戦われる大聖人の御姿にこそ防非止悪の戒が持たれています。その大聖人がますますところが「本門の戒壇」です。
私たちにとっては、単に御本尊を御安置するだけではなく、誓願を継承して広宣流布に戦ってこそ、そこが「本門の戒壇」であるといえるのではないでしょうか。

「本門の題目」は、本尊への信とその証である唱題を自行化他にわたって実践し、弘めていく大聖人の実践です。 
大聖人は「報恩抄」で、本門の題目を「声もをしまず唱うるなり」(328㌻)と仰せです。これは不惜身命の信心が、「本門の題目」の根本であることを示されている、と拝せます。
このように3つの次元で、大聖人が実践された法体を私たちに示してくださったのが三大秘法です。大聖人の御生命と実践の全体が継承されるように示されているのです。その核心は、広宣流布の誓願の継承です。
三大秘法は、いわば妙法を個人の生命に、国土に、そして全世界に具現化させていけるように示された法体なのです。
その三大秘法の受持のために大切なのが、大聖人と同じように、魔と戦い切る強情な信心です。


文証としてわかりやすいのは
●釈迦如来五百塵点劫の当初、凡夫にて御座せし時、我が身は地水火風空なりと知しめして即座に悟りを開きたまひき
●至理は名無し、聖人理を観じて万物に名を付くる時、因果倶時ぐじ・不思議の一法之これ有り。之を名づけて妙法蓮華と為す云云
などあります。

また、仏法とは三宝帰依が根本ですが、この三宝の主体は仏宝なのです。
なぜなら仏宝には必ず法宝と僧宝が含まれるからです。
法宝・僧宝には必ず仏宝が含まれているとは限らない。
ですから仏宝に帰依するのです。
仏宝でなく法宝に帰依するのは仏法からかけ離れたが外道の教えです。
三宝一体の体は仏です。
なので仏の体を離れて【久遠の法】などというの仏法は存在しません。

南無妙法蓮華経は宇宙の根源の法であるけれど、日蓮大聖人のご生命を
離れては存在しない・・先生も明確に指導されていますよ。


仮に仏の体を離れた所に【久遠の法】なるものが存在していたとしても、
それは単なる理の上のことであり、大聖人の仏法ではありません。

また、貴方は【久遠の法】とは南無妙法蓮華経である。と言ってます。
ではその南無妙法蓮華経の体とは何ですか?
なんでも南無妙法蓮華経と言えば済むと思っているのでないですか?
南無妙法蓮華経の体が何かを理解することが大切なのですよ
それに対し日寛上人は明確に
南無妙法蓮華経の体は御本尊であり
ご本尊の体は大聖人である。と言われています。
つまりセンセの言っている
◆「板曼荼羅でなく、久遠元初の法」である
などというのは本末転倒以外の何もでもありません。

板曼荼羅(御本尊)なくして久遠の法など存在しないのです。
その板曼荼羅を軽賤することは仏を軽賤することであり
五逆罪であることを理解されるべきです。

↑ここが、freemember01さんの一番言いたいことですよね。
板御本尊にしろ紙幅の御本尊にしても、すべて形あるものは
成住空壊の理を免れません。それが、いつになるか、材質の面でも
関係するのでしょうが、
その時、板曼荼羅という物質面に執着している方々は、どうなさるのでしょうか?
先生は、昭和50年頃、すでに、板曼荼羅つまり戒壇の大御本尊といえど
成住空壊の理を免れないと、指導されているんですよ、その当時は
教義関連はすべて宗門のチェックが入っていたそうですよね。

それとも、あなたにそれを覆すナニかがあるのですか?
あなたは今回のコメントを、「お知らせしただけ」と
ご自分のブログで言っていますが
折角、お知らせしてくれたのだから
もう少し詳しく解説もしてもえないですか?

今回の会則教義条項改正で明言されたように、創価学会が広宣流布のために
認定した御本尊が久遠の法を具現化しているのですよ。
もちろん、創価学会が広宣流布の御本尊として「認定」しない
御本尊(謗法の地にある大聖人真筆その他書写御本尊)も、当然、「本門の本尊」ですが、
御本尊を拝する側の信心によるのは言うまでもありません。
「観心の本尊」であって、教相の本尊という概念ではないはずです。
私たちの信力・行力で、御本尊の「仏力・法力」を、私たちの「内」から
開き出す、つまり、衆生の仏界の生命を開く・・観心の本尊ですから。

御本尊が「そこにあるだけで」久遠の法が、私たちの内に躍動するわけではありません。すべてのポイントは、広宣流布です、地涌の菩薩の誓願ですよ。
あえて、いえば、宗門の外護団体であった時は、大石寺へ行き、
戒壇の大御本尊の御開扉(私も数回経験しています)
戒壇の大御本尊といえど「創価学会の信心なかんずく創価三代の会長の信心)
が、大御本尊の仏力・法力を出せたと、私は思います。
先生の有名な指導、戒壇本尊といえど、「信心がなければ、○○」

まぁ、ここは対論の場ではないので無理強いはしませんが
【池田先生が言っているから正しい」というロジックを使うときは
活動家の中だけにしておいたほうがいいと思いますよ。

池田先生が仰っているし、さらに自分の確信としても正しいですね。
池田先生が言っているからといって、信じられない統監のある創価学会員は
そこそこ、いるのではないでしょうか。
先生が言っているからだけで、盲信するというのではないのですよ。
広宣流布という目的観の次元の話だと思いますよ。

活動家であるとか、活動家でないとかいう明確な線引きは
微妙だと思いますよ、昨日まで、まったく活動に関心がなかった会員でも
何か体験をつかむことによって、たちまち活動に励むようになりますし
その逆もあるわけですし、変動はあるわけです。
freemember01さんは、現在、創価学会員であると自称されていますし
冒頭で書いたように、先生は何と言っているのかと、気にされていたからこそ
コメントを入れたわけです。

老婆心ながら忠告をさせていただきます。

いえいえ、私に対して、ご心配は無用ですよ。





by f2bmag8w | 2015-04-16 21:58 | Comments(4) 

Commented by りんご at 2015-04-16 22:54 x
大河さん素晴らしい・・・・・涙

本当に勉強になります。
何度も読まさせていただきます。

と、ともに池田先生の書物も何度も
読んでいきたいと思います。
Commented by 大河 at 2015-04-16 23:32 x
りんごさん

>池田先生の書物も何度も
読んでいきたいと思います。

そうですね、
先生の著書で、本当にわかりやすく、研鑽できますね、
スッキリとしますね。
Commented by abehi-ken at 2015-04-16 23:47
あら、大河さん「真実を語る」ブログで
IP規制かけられているのですか。
Commented by (感想) at 2015-04-17 06:27 x
学会を斜視するeco氏や太ちゃん氏に何も諫言もしない一方で、学会指導のホシをズバズバと語る大河さんやあべひさんを敬遠する「ちよ村」って一体…

究極に求めるのは、板曼荼羅でな... >>