地震に注意して下さい!!!

最後のお告げをもらいました。

本日、4月17日午前8〜9時の間に南海トラフを中心とした大きな地震が発生し、西日本の大部分が被害に遭います。地震そのものと津波に注意して下さい! そして同日4月17日午後20〜21時の間に中部地方を中心とした大きな地震が発生します。警戒の方をお願いします!

そして、4月20日は首都圏を含む複数箇所で地震が発生します。このことについては後日詳しいことが分かり次第また連絡します!

地震が連鎖してしまいます。 日本全国の皆様、準備の方をお願いします!!!

お告げをもらいました。

有名な予言者も今月に地震が起こることを予言をしていますが、今月17日の午前中(おそらく九時頃)と20日に大規模な地震が起こる可能性が高いです。南海トラフが動き、駿河トラフも動くことが予想されます。とにかく、この二日間に限らず、今月中は注意・準備をすることが重要です ! 中部・関西・四国・中国地方の方は特に注意して下さい!もし地震が起こったらどうするのか、ということを予め考え、落ちそうな物、倒れそうな物は予め落ちないように、倒れないようにしておくことが重要です。他にも色々な準備はできるかと思います。

そして、もし地震が起こった場合、福島第一原発の状況も我々はチェックし続ける必要があります。制御システムの不具合などにより、放射能が漏れる可能性もあります。東日本大震災の時に政府は放射能漏れのことを一切言いませんでした。ですので、報道をあまり信用しすぎないようにして下さい。

具体的な現象からも今月中は十分に地震に警戒する必要があります。この際に地震の準備に関するサイトをチェックして頂き、まさかの事態に備えて頂ければ、と思います!

http://www.ne.jp/asahi/web/oki/misc/jisintaisaku.html http://www.satonao.com/column/variety/jishin2.html http://matome.naver.jp/odai/2132746111945886201

ちなみに、4月10日午前、茨城県鉾田市上沢地区の海岸で、大量のイルカが打ち上げられたことがニュースになりました。この現象は東日本大震災前の状況と酷似していますし、三重県でも地鳴りが発生しています。 http://tabi-labo.com/113868/news-earthquake-dolphin/ http://tocana.jp/2015/04/post_6176_entry.html http://breaking-news.jp/2015/04/12/018660

・1995年1月15日 神戸でイルカ87頭座礁 同年1月17日 阪神淡路大震災

・2011年02月21日ニュージーランドでクジラの群れ座礁、107頭死亡  同年2月22日ニュージーランドでM6.3の地震

・2011年3月8日 三陸で計348頭のクジラ座礁 同年3月11日 東日本大震災

過去の事例を見て頂ければ分かるように、今回のイルカ座礁の現象だけでも地震の予兆であると十分に考えられます。「科学的な根拠は明らかになっていない」というようなことを専門家は言いますが、そのことの意味は「まだ人類はそこに対する理解が浅い」ということに過ぎないとも言えます。

超音波が地震を引き起こす(または地震の直前には超音波が発生する)からこそ、地震の直前には、超音波を使って物の位置や方角を認識しているイルカが方向感覚を失い座礁する、ということは過去の現象から容易に想定できます。

そして、今回イルカが座礁したのも何らかの超音波が出ているからです。ですので、地震発生の可能性がとても高いです。地震そのものだけに限らず、福島第一原発の状況も注意する必要があります。

電気水道などのライフラインが止まってしまった時のために、今の内から水と食料を確保して下さい!地震が起こってからの買い占めが始まると一気に食料確保が困難になります。

また、携帯を充電するための電池や充電器などもとても重要になってきます。持病をお持ちの方はかかりつけ医に薬をもらいに行った方がいいです。当然、家具倒壊防止(家具の固定)も重要です。高いところには物を置かないようにもして下さい!

とにかく、皆さん、準備の方をお願いします!

Photographer : Chieh Yang

今は台南でアクンの映像を撮影しています。太陽のように明るく光に満ちた人達に囲まれ、とてもいいエネルギーをもらい続けています。

3月14日に台南で原発反対デモがあり、友人達がそのデモを仕切っています。アクンもそのデモの精神的中心で、僕は彼らの撮影班として関わっています。ですので、3月14日までは主に台南にいる予定です。

1/11

今朝は高雄で大事な友人の告別式でした。今は台北に戻り、明日の朝から五日間だけ福岡に戻ります。叔父の一周忌のお墓参りと身内の顔を見ておくつもりです。このタイミングしかないと思っています。あと、ビザの更新・保険の追加など現実的なことを片付けます。

今日の告別式に加えて、この一週間は亡くなったその友人の映像を作ることと、彼女が生前弾いてほしいと言っていた曲を練習するだけの日々でした。彼女のことを考えない時間はありませんでした。五日間シャワーも浴びなかったり、全然寝ていなかったりでした。そういうわけで、心身共に疲れました。ただただ実家でゆっくりします。

彼女が弾いてほしいと言った曲は『霧の中の風景』の一曲です。 https://www.youtube.com/watch?v=fR1MX1Qio6U

亡くなった彼女は去った後も僕に多くを教えてくれています。本当に多くを教えてくれます。彼女は天使でした。

僕はこの写真に映っているアクンのドキュメンタリーを作ることにしました。それは彼女が最も生前やっておきたかったことだからです。そのために僕が彼女にあげたカメラは、アクンの手によって僕に戻ってきました。そして彼は「彼女の願いを叶えてほしい」と言います。

全ては必然、定めです。僕はこの定めに従うだけです。そして、その定めこそが全ての根源の愛だと感じています。

Photo : Feel Ing Hsiao、陳水南 

2015/1/6

大事な友人が数日前亡くなりました。もう会えないということは、本当に寂しいものです。表面上は通常を装うことができても、心臓が痛くなります。自分の魂が悲しんでいるからです。

彼女の存在とは天使そのものでした。この世に天使というものはいるんです。もちろん、本人さえもそのことに気付いていませんが、そういう役目を持った人間は存在します。そして、彼女はそういった役目を果たしたように思えます。彼女は僕に大切なことを彼女の身を以て教えてくれました。また、彼女のことを知る多くの人々が彼女を「天使だった」と言います。

今自分がやるべきことはその天使のことを多くの人に正しく伝えることです。僕の存在の役割とはそういうところにあります。

僕はありとあらゆる手段を尽くして、なぜ彼女が天使であったのか、彼女が僕に何を伝え、彼女が我々に何を伝えようとしたのかを捉え、それを残さねばなりません。そして、僕が果たせなかった彼女の頼みも、彼女の果たせなかった彼女の願いも、これから実現していかなければいけません。

簡単に彼女のことを説明しておくと、我々は7月に出会い、旅も共有し多くの時間を共に過ごしました。僕は彼女と最近よく話にあげていたアクンと共に2ヶ月近く旅を共にしていたんです。本当に彼女とはよく話しました。

何故か、僕は大量の彼女の映像を今手にしています。こんなことになるなんて、最初は思いもしませんでした。僕は彼女の話を改めて聞き、学ぶことになるんだと思います。

そして、今、彼女についての一つの映像を作っています。彼女は写真家で、映像を撮影していました。彼女の残した映像を編集し形にするということを今やっています。彼女は生前「あの映像が編集されるのは楽しみなの。」と僕に嬉しそうに言っていました。だから、今それをやるだけです。

その映像を作っている中で、奇跡が起こり続けています。彼女が亡くなる一ヶ月前に撮影した自分とある歌い手の演奏映像と僕が夏に撮影した彼女の言葉(これは既にアップしています。https://www.facebook.com/video.php?v=804971542907503&set=p.804971542907503&type=2&theater&notif_t=like)を合わせたんですが、それはあまりにも合い過ぎているんです。鳥肌を立てながら、「こんなこと誰も予想していなかった、では一体誰が用意した、、、」と映像を編集しながら口走っています。

とにかく、忘れない内に最近のことだけを書きます。

彼女は最後に会った日の夜、自分に尋ねました。「何か私に言いたいことはありますか?」。まるでこれが最後に会う時のように彼女はこの質問を自分にしてきました。僕はこれが最後だとは思いたくなかった、だから「いや、特に何も無いよ。俺はエマから学ぶ立場だからあなたに言えることなど何もない。」と自然を装いながら、言いました。今思えば、馬鹿なことをしたと思っています。本当の気持ちを伝えるべきだった。彼女が亡くなった後、自分は彼女に向けて書きました。

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エマ、本当にありがとう。俺はあなたが天使だったと思っています。今は天使そのものに戻ったのでしょうか?

エマが教えてくれたことは俺は一生覚えているはずです。あなたの存在そのものが俺にとって、とても感動的でした。あなたが思っている以上に僕はあなたから多くを感じていました。あなたと接していると心から笑えて、あなたの存在の美しさに包まれるようで、全てのことが救われていたんです。幸せでした。

だから、あなたと会うのが楽しみだったし、もちろん尊敬していました。いくら言葉を尽くしてもあなたの存在というものは捉えきれないように思えます。とにかく、少なくとも俺にとって、あなたは天使でした。

あと、最後までダメダメでごめん。

またいつか会う時を楽しみにしてます。

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実際、最後に会った時、僕は彼女の死を予感していたんです。彼女の天使性がその数日間極まっていたからです。以下、12月27日の日記(http://junashikari.info/post/106320956882)より。

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「もう、死ぬな。。。」

先程、今病に苦しんでいる友人に体調を尋ねると、自分には聞こえない程の小さな声で彼女はぼそっと呟きました。僕はあまりに怖くなってしまった。彼女の口からそんな言葉が出てくることなど、今まで無かったからです。病状は悪く、痛み止めを飲んでいるか飲んでいないかだけの違いだと言います。

彼女と今度行なわれる具体的な手術のこと、入院のことについて話した後、自分は一つのことを彼女に尋ねました。「自分は今コントラバスを続けるべきなのか、よく分からない。あなたはどう思う?」すると彼女は話し始めます。

「私もかつて写真をやめた時期がある。自分がなぜ写真をやるのか分からなくなったの。けど、また始めたわ。私達は通路に過ぎません。写真を撮るということはただの通路です。神様が美しい風景をこちら側に見せてくれる。私はそれを写真というもので残すことによって、他の人に神様の作り出したものを伝えることができる。だから、アーティストの人達には分かってほしいの。アーティストなんて本当大した存在ではない。起きて、働いて、食べて、寝てという生活の基本の中で最後に出てくるのが芸術よ。そして、そのことは通路に過ぎないわ。だから、アーティストなんて本当に大した存在ではないの。」

僕はもちろんこの考えに共感し、こう言います。

「音楽というものが神の作った慰めであることはよく分かった。だから、音楽の素晴らしさというものは前以上によく分かる。そして、他人のために何かをしたいと今はすごく思う。ただ、自分がコントラバスというものを最優先する必要があるのかは今は分からない。それは一つの通路ではあるけれど、その通路である必然性があるのかどうか分からない。今はむしろ哲学や宗教の方をやりたいと思う。」

彼女は言います。

「コントラバスは一つの確かな方法です。哲学も宗教もそれぞれの方法は最終的に繋がります。今、何かに絞ってしまうならば、最終的に辿り着くものは限られてしまう。」

そういったことを話している内に僕は理解しました。僕はただ楽をしたかっただけです。それぞれの道は相当にハードな道であることは分かっています。だから何かに絞らないといけないと思っていた。けど、結局そう思っていたのは自分の怠惰です。何かに絞ることは到達するものを小さくしてしまいます。そのことを彼女に話した後、彼女は「言い訳はしてはダメよ。これをやっているからこれをやれないなんて言ってはダメ。」と言います。そして、「あなたが本当にコントラバスを弾きたいと思わない限り弾いてはダメ」とも付け加えました。僕は強く頷きました。

最後に、彼女は僕に「分かった?」と問います。僕は「分かった」と言いました。そして、彼女は「私は分からない」と言います。思わず笑ってしまいました。彼女がしゃべっているのに、彼女は分かっていなくて、自分は分かったんです。(彼女は日本語が話せるのですが、実際は上に述べたようなはっきりとした日本語ではありません。ですので、上の言葉は僕の理解になります。)

その時、コムイはこっちに来て何やらしばらくはしゃいでいました。その様子は何かいいものを見つけた少女のようでした。そして、我々に話しかけます、「今、あなた達二人の上にはとっても大きい白いものが見えるの!!とっても大きい!!」。

彼女の霊感はすごいです。先日の霊の件があって、彼女とは色んなことが話せるようになりました。一つ前の文章で「天才だと思っていた人」というのはコムイのことです。そんな彼女が何かすごいものを我々の周りに見出していました。彼女は日本語など理解できませんし、僕とその病を抱えている友人はしょっちゅう二人で話しています。けど、コムイがこんなことを言ってきたことは今までに無かった。

そんな時、今ここにいる別の女性が僕に話しかけます。「純、頼みがある。」続けて彼女は言います。

「私は15年近く前に日本人の恋人を持っていた。そして、今思い出したんだけど、彼はエイズをあるお坊さんの下で治したと言っていた。それは本当のことだった。何故か分からないけど、今そのことを思い出してあの子(さらに別の女性)にそのことを話したの。そしたら彼女の友達はエイズに苦しんでいると言うの。だから、今日本にいる前に付き合っていた人に電話がしたいの。手伝ってくれるかな?」

「なぜそれを急に思い出したか」と僕が尋ねても「雨が美しかったから」とだけ彼女は言います。我々は電話をかけてみましたが、向こうは出ませんでした。またかけてみるつもりです。もし、エイズを治す方法があるのならば、それは人類にとってとてつもないことです。本当であることを願っています。

話は戻りますが、今病気を抱えている彼女は自分でも気付いていませんが、神の意思として話しているように思います。前からずっとそうでした。彼女が天使のように思えたのは、本当に天使としての役割をこの世で果たしているからです。もちろん、彼女はそのことに気付いていませんが。彼女は一昨日謎めいたことを言いました。

「我々は神様です。神様っていうものを何かとてつもない存在と思わないで下さい。我々は元々神様です。」

二時間前、彼女は携帯のYouTubeでバッハのチェロ組曲二番のサラバンドを聞いていました。http://youtu.be/3WxnXerG4cM?list=PLb_y59USpTZLJeDhCKyqS1kOPiqWZy1Ks 「なんで、これを聞いているの?」と僕が尋ねると、彼女は「だって、雨だから」と彼女も言います。僕はその曲を聞いた時、僕は再びコントラバスが弾きたくなったんです。久しぶりの感情でした。

我々は太ったかわいいねずみを見つけて二人で見ていました。隠れているつもりなのに隠れ切れていないねずみを見て彼女は「何を演じてるのよ」と言います。どうして彼女は「演じてる」と言ったのか。

そして、さっきも彼女はボソッと自分に言います。「色々と考えてるね。」僕が「それはどういうこと?」と訊いても彼女は黙っています。 彼女は昔と今とでは随分違うとずっと前に言っていました。前はもっとわがままで酷かったと言います。今からは想像も付きません。何か、僕にはこうも思えてしまうんです。彼女は今、神に近いところにいるから天使の役割を地上で果たしている。そして、今日や昨日の彼女のそういった天使的側面はとてつもなく強い。

彼女は昼食にカレーを作っては僕に「これ普通のカレーじゃないから食べて」と言って、自分はベッドの上に戻ります。彼女は最後の最後まで他人に愛を与え続けます。

彼女の天使性は今極まっています。それは神に近いということを意味しています。そして、神に近いということは死が近いことを意味しているように思えて怖いんです。僕はもう少しでここを去って前にいた山に戻らないといけません。彼女は30日に手術を行ない、その後は一週間程入院すると言います。彼女は「病院には来ないで」と言います。

彼女はとても大事な友人です。だから、とても怖いんです。

僕の中で、バッハのチェロ組曲二番のサラバンドは死のテーマです。この曲を弾いていると亡くなった親友を思い出します。なぜ彼女がこれを聴いていたのか分からないけど、今僕はこの曲を弾きたいと思う。だから、久しぶりにコントラバスを弾こうと思う。

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彼女が僕に残した最後のメッセージはこの時の日記にあると思っています。自分がどう生きていけばいいのかということは彼女の言葉に全てあると思っています。

この日記の数日前、彼女と一緒に歩いていて、自分の靴ひもがほどけました。彼女はそれを見て、「いい結び方を教えてあげる」と言って、結んでくれました。その結び方は全くほどけず、あの日以来ずっと使っています。分かっています、一生僕は靴ひもを結ぶ度に彼女のことを思い出すんです。思い出すために彼女は教えてくれたんです。

彼女はいつも自分の演奏を誰よりも気持ち良さそうに聴いていました。目を閉じ、体を動かし、まるで音と一体になるように聴いてくれていました。昨日、演奏をしている時、彼女を感じました。そして、彼女の気分というものがよく分かったんです。ひょっとしたら、少し彼女の魂に触れたのかもしれません。

今は言葉を尽くそうとしても、うまく出てきません。映像をやれということなのだと思います。とにかく、今は彼女が見たかったその映像を作ります。完成したら是非観てほしく思っています。

明けましておめでとうございます。

旅に出てから15ヶ月になりますが、今でも僕の音楽や文章や映像や写真を見て下さっている方にはとても感謝しています。ここにきて、やっと、自分が公に表現していく意味というのが見えてきました。だからこそ、日本の方にこそ、見てほしいと最近は強く思います。

我々は知らず知らずに多くのことを信じ込まされています。自分はそうでないと最近まで相当自分を過信して生きてきました。けど、それは大きな誤解でした。そして、この傾向というのは日本人の多くに当てはまるように思います。(日本人に関わらず、人間に当てはまると言っていいかもしれません。)

とにかく、だからこそ、自分の気付きというものは日本人の方にこそ強く共感して頂けるように思えますし、日本の方に最も意味があるように思えます。

この旅が始まってから日本のことをどう思えばいいか、ずっと考えてきました。僕は日本のある部分についてはひどく憎んでいますし、とは言っても友人や尊敬する人々のことはとても大事に思っています。そのことに限らず、あまりにも複雑な感情があって一言には言えませんでした。けど、今一つのことは確信を持って言えます。

日本人であることを誇りに思います。我々は我々にしかない観点というものを持っている。この旅の中で、自分の観点が極めて日本人的であるということに気付いたからこそそう思います。

最近、自分にとってとても大きな出来事が起こったため、この先どうすべきか考えていました。けど、この旅は続けることにしました。どうして自分はコントラバスを持ってアイスランドまで行くということを決めたのか、なぜこのアイデアが降ってきたのか、よく分からないんです。そして、このアイデアに従っていると何故か多くの気付きを得てきました。

まだこの一つの目標は実現できていません。だから、このアイデアをやり切るまで旅は続けようと思います。そうしている内に、今までと同様に様々な気付きを得るんだと思います。

真実を知るために、死ぬこと以外は何だってやるつもりです(死はこの生の最後の旅です)。何故か分からないですけど、自分の人生のモチベーションの中でいつもそのことがトップにあるんです。だから、それが自分の定めだと思います。

どうか、見守って頂けると嬉しいです。大げさかもしれないし、傲慢かもしれないですけど、人類のために旅をしたいと、今はそう思います。

今後の予定ですが、四月まで今やっている儀式に参加を続け、五月頃に台湾を去り、中国→香港→モンゴル→中国→ベトナム→ラオス→カンボジア→タイ→マレーシアと行く予定です。その頃には2015年は終わる気がします。それぞれの国で、学ぶべきことを見つけ、気付くべきことに気付いていきたいと思います。

そんな相変わらずな感じですが、今年もどうぞよろしくお願いします。

「もう、死ぬな。。。」

先程、今病に苦しんでいる友人に体調を尋ねると、自分には聞こえない程の小さな声で彼女はぼそっと呟きました。僕はあまりに怖くなってしまった。彼女の口からそんな言葉が出てくることなど、今まで無かったからです。病状は悪く、痛み止めを飲んでいるか飲んでいないかだけの違いだと言います。

彼女と今度行なわれる具体的な手術のこと、入院のことについて話した後、自分は一つのことを彼女に尋ねました。「自分は今コントラバスを続けるべきなのか、よく分からない。あなたはどう思う?」すると彼女は話し始めます。

「私もかつて写真をやめた時期がある。自分がなぜ写真をやるのか分からなくなったの。けど、また始めたわ。私達は通路に過ぎません。写真を撮るということはただの通路です。神様が美しい風景をこちら側に見せてくれる。私はそれを写真というもので残すことによって、他の人に神様の作り出したものを伝えることができる。だから、アーティストの人達には分かってほしいの。アーティストなんて本当大した存在ではない。起きて、働いて、食べて、寝てという生活の基本の中で最後に出てくるのが芸術よ。そして、そのことは通路に過ぎないわ。だから、アーティストなんて本当に大した存在ではないの。」

僕はもちろんこの考えに共感し、こう言います。

「音楽というものが神の作った慰めであることはよく分かった。だから、音楽の素晴らしさというものは前以上によく分かる。そして、他人のために何かをしたいと今はすごく思う。ただ、自分がコントラバスというものを最優先する必要があるのかは今は分からない。それは一つの通路ではあるけれど、その通路である必然性があるのかどうか分からない。今はむしろ哲学や宗教の方をやりたいと思う。」

彼女は言います。

「コントラバスは一つの確かな方法です。哲学も宗教もそれぞれの方法は最終的に繋がります。今、何かに絞ってしまうならば、最終的に辿り着くものは限られてしまう。」

そういったことを話している内に僕は理解しました。僕はただ楽をしたかっただけです。それぞれの道は相当にハードな道であることは分かっています。だから何かに絞らないといけないと思っていた。けど、結局そう思っていたのは自分の怠惰です。何かに絞ることは到達するものを小さくしてしまいます。そのことを彼女に話した後、彼女は「言い訳はしてはダメよ。これをやっているからこれをやれないなんて言ってはダメ。」と言います。そして、「あなたが本当にコントラバスを弾きたいと思わない限り弾いてはダメ」とも付け加えました。僕は強く頷きました。

最後に、彼女は僕に「分かった?」と問います。僕は「分かった」と言いました。そして、彼女は「私は分からない」と言います。思わず笑ってしまいました。彼女がしゃべっているのに、彼女は分かっていなくて、自分は分かったんです。(彼女は日本語が話せるのですが、実際は上に述べたようなはっきりとした日本語ではありません。ですので、上の言葉は僕の理解になります。)

その時、コムイはこっちに来て何やらしばらくはしゃいでいました。その様子は何かいいものを見つけた少女のようでした。そして、我々に話しかけます、「今、あなた達二人の上にはとっても大きい白いものが見えるの!!とっても大きい!!」。

彼女の霊感はすごいです。先日の霊の件があって、彼女とは色んなことが話せるようになりました。一つ前の文章で「天才だと思っていた人」というのはコムイのことです。そんな彼女が何かすごいものを我々の周りに見出していました。彼女は日本語など理解できませんし、僕とその病を抱えている友人はしょっちゅう二人で話しています。けど、コムイがこんなことを言ってきたことは今までに無かった。

そんな時、今ここにいる別の女性が僕に話しかけます。「純、頼みがある。」続けて彼女は言います。

「私は15年近く前に日本人の恋人を持っていた。そして、今思い出したんだけど、彼はエイズをあるお坊さんの下で治したと言っていた。それは本当のことだった。何故か分からないけど、今そのことを思い出してあの子(さらに別の女性)にそのことを話したの。そしたら彼女の友達はエイズに苦しんでいると言うの。だから、今日本にいる前に付き合っていた人に電話がしたいの。手伝ってくれるかな?」

「なぜそれを急に思い出したか」と僕が尋ねても「雨が美しかったから」とだけ彼女は言います。我々は電話をかけてみましたが、向こうは出ませんでした。またかけてみるつもりです。もし、エイズを治す方法があるのならば、それは人類にとってとてつもないことです。本当であることを願っています。

話は戻りますが、今病気を抱えている彼女は自分でも気付いていませんが、神の意思として話しているように思います。前からずっとそうでした。彼女が天使のように思えたのは、本当に天使としての役割をこの世で果たしているからです。もちろん、彼女はそのことに気付いていませんが。彼女は一昨日謎めいたことを言いました。

「我々は神様です。神様っていうものを何かとてつもない存在と思わないで下さい。我々は元々神様です。」

二時間前、彼女は携帯のYouTubeでバッハのチェロ組曲二番のサラバンドを聞いていました。http://youtu.be/3WxnXerG4cM?list=PLb_y59USpTZLJeDhCKyqS1kOPiqWZy1Ks

「なんで、これを聞いているの?」と僕が尋ねると、彼女は「だって、雨だから」と彼女も言います。僕はその曲を聞いた時、僕は再びコントラバスが弾きたくなったんです。久しぶりの感情でした。

我々は太ったかわいいねずみを見つけて二人で見ていました。隠れているつもりなのに隠れ切れていないねずみを見て彼女は「何を演じてるのよ」と言います。どうして彼女は「演じてる」と言ったのか。

そして、さっきも彼女はボソッと自分に言います。「色々と考えてるね。」僕が「それはどういうこと?」と訊いても彼女は黙っています。

彼女は昔と今とでは随分違うとずっと前に言っていました。前はもっとわがままで酷かったと言います。今からは想像も付きません。何か、僕にはこうも思えてしまうんです。彼女は今、神に近いところにいるから天使の役割を地上で果たしている。そして、今日や昨日の彼女のそういった天使的側面はとてつもなく強い。

彼女は昼食にカレーを作っては僕に「これ普通のカレーじゃないから食べて」と言って、自分はベッドの上に戻ります。彼女は最後の最後まで他人に愛を与え続けます。

彼女の天使性は今極まっています。それは神に近いということを意味しています。そして、神に近いということは死が近いことを意味しているように思えて怖いんです。僕はもう少しでここを去って前にいた山に戻らないといけません。彼女は30日に手術を行ない、その後は一週間程入院すると言います。彼女は「病院には来ないで」と言います。

彼女はとても大事な友人です。だから、とても怖いんです。

僕の中で、バッハのチェロ組曲二番のサラバンドは死のテーマです。この曲を弾いていると亡くなった親友を思い出します。なぜ彼女がこれを聴いていたのか分からないけど、今僕はこの曲を弾きたいと思う。だから、久しぶりにコントラバスを弾こうと思う。

レンアイについて。最近も色々ありました。

この前、台南で結婚式に参加した後そのまま新竹に向かいました。あるアートスペースに呼ばれ、ライブをすることに。このライブのことは日記には書いていませんが、思うことはあったので後で書くかもしれません。

自分はソロも演奏したのですが、その時、コントラバスのほとんど目の前で聴いている女の子がいました。そのライブ全てが終わった後に、彼女がカウンターでコーヒーを飲んでいたので「楽しめましたか?」と声をかける。彼女は笑顔で「はい」と。

なんとなくその後もその場にいた皆さんで話をし、流れでそのまま飲みに行くことに。深夜にも関わらず開いている、かなり隠れ家風のいい店にアートスペースのオーナーが連れて行ってくれました。この日出会った皆さんも本当いい人達で清々しくて、面白くて、「今日このライブに呼ばれてよかったな」なんて思っていました。

コントラバスの目の前で聴いていた子のことが気になっていました。実際、彼女は中国で出会った美芸によく似ていたんです。後から聴いた話だと彼女は北京に四年いたとのこと。中国(とは言っても広いですが)の発音がちょっと残っているせいか、彼女の口調とすごく似ていました。そして、美芸と持っている空気が似ていました。その日はそういう印象が強かったように思えます。彼女はファッションデザイナーで、彼女もまたアーティストです。

食事が終わった後、我々は解散。ライブをしたアートスペースは泊まれる場所もあって、自分はそこに戻りました。そして寝る前、彼女に「また近々会いましょう」とメッセージを送る。向こうも「そうしましょう」という感じで結局、その翌日に我々はまた会うことに。夕方まで練習をした後、このアートスペースのスタッフの男の子と一緒に食事をし、新竹を案内してもらった後、結局夜中まで酒を飲んでいました。いい日でした。自分はこの日彼女に会うためだけに新竹に一日長く泊まっていました。

翌朝目覚めると彼女から「もし今日練習をしているなら見に行きたい」メッセージがきていました。というわけで、我々はその日も会うことに。自分はこの日に台北に戻りましたが、結局出会ってから6日間で我々は5日間も会っていたんです。その翌々日、彼女が台北までわざわざ来ました。その後に向こうが台北に来ることもあって、我々はもう既に恋人のような関係にあります。恋人ではありませんが。

彼女はすごく台湾人らしい人だと思っています。この前日記に書いたような純粋性を保っていて、まるで子供のようです。自分がコントラバスを弾いている時、彼女が自分の演奏を見ている顔は、路上でよく見かけるコントラバスを聴いている子供達の顔と似ています。そして、自分が練習していると聴きたがり、「コントラバスを弾いてもいいかな?」と向こうが言うと平気で一時間近く楽しそうに弾きます。色んな人にコントラバスを弾かせることはありますが、彼女程コントラバスを長く手放さなかった人は見たことありません。その弾いている様子もまた、子供のようです。

台湾の路上では愛し合っているカップルを多く見かけます。今までは他人事でしたが、今回彼女と出会ってから彼らの気持ちがよく分かったような気がします。恋愛においても、台湾人の純粋性は貫かれています。そのせいか、時折路上で見かけるカップルは、なんだか中高生のようにも見えたりします。

今回、この期間でこういう関係になってしまったことに躊躇しているんです。というのは、この前まで好きだった花蓮で出会った子のことをまだ気にかけていることが大きな一つの理由です。

花蓮で出会った子との日々は嵐のようでした。我々は一緒の場所で生活していたこともあって、花蓮と都蘭で多くの時間を過ごし、その後自分は彼女を日本にも連れていきました。このあたりの日記は公開していませんが、いいことも悪いことも多くのことを感じ、とても忘れられない記憶です。

彼女と出会って3-4ヶ月の間に大きな衝突も小さな衝突も幾度もあり、結局自分はもう疲れ果ててしまいました。というか、我々の目指す方向は違うということがこの期間によく分かったんです。同じ方向を向く努力をできるだけの忍耐が自分には無かったと言った方がいいかもしれません。自分は冷たい人間であることは自分がよく知っています。

彼女は先に台湾に戻り、自分は後で戻りましたが、日本以降会っていませんし、彼女からきた連絡にもちゃんと返事ができていない状態にあります。彼女が望むかは分かりませんが、一度いつか会うべきだろうな、とずっと思っていました。そういうわけで、毎日彼女のことは気にかけています。

また、彼女のことをそういう風に思う中で、今までの恋愛のことも思い出し、色々と考えていました。その内容が今躊躇しているもう一つの大きな理由です。

どこかに書いたかもしれませんが、自分は半年以上人と付き合えたことがありません。そして、過去の恋愛のことを思い出す度に思うんです。「一体あの時あういう風にしていたことで、今の自分に何が残った?」そう考える度に傷跡と罪悪感以外に何も残っていないことを感じるんです。数少ないですが、幸福を感じた時間も、もちろん覚えていないわけではありません。ただ、幸福感というのは持続しません。傷跡は持続するのに、幸福は持続しないというのは人間の大きな欠点であるように思えます。

昔とても好きな女性がいました。ただ彼女と付き合うことは結局できませんでした。今でも彼女のことは時折思い出しますし、稀ですが夢にも出てきます。この前彼女と会う夢を見ました。そしてその夢の中で彼女が一言「会いたかったよ」と言ったんです。その瞬間に視界全ては真っ白になり、光に満ちていて、全てが救われたような気さえしました。あんなに光に満ちた夢はこの時が初めてです。

たった一人のたったの一言で、ここまでのことが起こる。そのことは驚くべきことですし、このことを通して自分の奥底を自覚し、またとても馬鹿馬鹿しくも思えてきました。実際現実世界で彼女が自分に言ったことは「(あなたが私を好きでいようがいまいが)どっちでもいい」でした。あの一言を聞いた時程、苦しかったことはありません。その後は生まれて初めて不眠症にも悩まされ、大量の切れ毛まで発生しました。

もちろん今でも彼女に対して特別な感情はありますが、恋をしているわけではありません。恋をしていないのに、こんな夢を見てしまうのは、あの時の傷跡が自分に今でも深く刻まれていているからです。幸福は残らず、傷跡だけはいつまでも残ります。自分が夢の中で聞いた「会いたかったよ」はその傷跡を消したいという自分の願望の表れなのだと思います。

すごく若い頃、何度か付き合っていた彼女からフラれました。当時は苦しかったです。自分が本当に何を求めているのかよく分からず、そういったことが苦い経験を引き起こします。当時はコントラバスにも出会っていなかったので、恋愛の方に対するエネルギーは今よりも圧倒的に強かったように思えます。

歳を重ねるごとに人間はお互いの色の違いが如実になってきますが、逆に若い頃はそういった色が皆弱く、皆似て見えます。それに、当時は自分にそういった色の違いを見極めるだけの目も無かったため、自分とは進む道が違う女性のことを好きになることが大半でした。そして、そういう女性と付き合うと大半は「重い」と言われフラれていました。その度に、深い傷跡を重ねていたものでした。今その付き合っていた子達をFacebookなどで見ると、フラれるのが当然なのはよく分かります。我々はあまりにも見ている方向が違います。今ではお互いの色が濃くなり、もはや全く別世界の人々です。

自分の恋愛経験の初期はそういったことばかりでした。そういった経験からか、その後、自分は相手に別れを告げるとホッとしているところがあります。この点は自分の大きな問題だと思っています。ただ、自分の持つ傷跡がこういった問題を根深く植え付けていて、もはや自分の人格とイコールで、解決できるものでもないとも諦めてもいますが。

罪悪感はより深まります。傷跡の苦痛を知っていながら、傷跡を相手に引き受けさせることで、自分が傷跡を引き受けることは回避させているという意識があるからです。もちろん、傷を持つことを回避するために別れを言うわけではありませんが、結果的にはこういうことになっています。この一連の心情が自分に強い罪悪感を抱かせます。

過去の恋愛を思い出した時、そういった傷跡と罪悪感の集積が自分が過去の恋愛を思い出した時に起こってくる感情です。だから、「一体何が残った?」と思うんです。

花蓮にいた頃、前まで好きだった女性と衝突が起こり、その時にこんな日記を書きました。

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日記(7/29)

自然にも音楽にも自分は大きな喜びを見出せます。それは自分が消えていく感覚です。ただ、恋愛はどうだろうか。うまくいっている時、相手と一体になっている喜びを感じます。ただ、その時自分は消えているのだろうか。むしろ相手を欲する自分が強まっているのではないだろうか。そして、こういう悪い状況になると見えてくるのはひたすら自分です。自分の感情が自分という存在をどんどん膨らませてくる。通常状態の何倍も膨らんでくる。これは自分が最も望まない方向性です。昨日もたぶん書きましたが、自分の感情に自分がとてもじゃないけどもはや付いていけません。

最近は何かあると海に入るようにしています。海が聖域のように思え、海の中にいると少し心が落ち着くからかもしれません。今日は、もう正直海の中で何を考えていたか覚えていません。海の中で波に向かっていきながら時々声をあげながら、水面を殴るようにしながら、一時間くらいいたような気がします。最後、僕は海に向かって語りかけました。

「あなたに全てのことを話したい。私が海から生まれたとしても、神が海を作りその海が私を作ったとしても、いずれにしてもいつか私はあなたのもとに帰ります。ただ、あなたに帰る前に今は話を聞いてほしいんです。そして、もしよかったら何らかの教えがほしいんです。僕はただただこの世界と自分の関係性を知りたい。それは昔生きる意味を考えた末、全ては認識に基づくという結論を出して以来ずっとそうです。ただ、今改めて考えると、今自分は生きる意味などあまり考えていません。認識を重要視するようになってからは、この青臭い問いはもはやナンセンスに感じているのかもしれません。認識というものの中にこの問いは含まれているからかもしれません。では、自分は今何を求めているのでしょうか。」

「喜びでしょうか、幸福でしょうか、快楽でしょうか。喜びはよく分かります。幸福はよく分かりません。快楽は何も残しません。自分が喜びを感じる瞬間はよく分かります。それはあなたと一体になる瞬間です。その時自分はいなくなる。僕は今まで度々そういう経験をしてきました。そして、その瞬間のために生きている気さえします。世界を知るということと世界と一体になるということと私がいなくなる、ということ、それらは僕にとって全て同じことを意味しています。それを本当に知るためには一体にならなければならず、一体になった時私という存在はいなくなります。では、この喜びの先にあるのは何なんでしょうか。。。」

「きっと、救済という言葉が最もしっくりきます。世界と一体になる時、私という存在は薄れ、その時救済は成立します。救済ということの意味はきっと、この自我からの解放です。よく分かりません。生まれてきて、別に不幸だとも思っていない、むしろ恵まれているとさえ感じる中で、どうして救済を求めるのか、よく分かりません。ただ、明らかに自分は救済を求めています。世界を知るということは、世界と一体になることであって、その時自分は消えます。だからこそ、救済は成立するんです。僕が感じる喜びの意味はきっとこういうことなのだと思います。」

喜びと救済を繋げて考えたのはこの時が初めてでした。海が教えてくれたのだと思っています。

海の中で長時間過ごしていた自分は体力を失い、しばらく太陽を浴びながら横になり、廃墟に練習をしに向かいました。海を眺めながら、その響きのいい空間で演奏をしていると心はどんどん穏やかになっていきました。この世界との連続性を確認できたからです。演奏は感情を昇華し、自分という存在の時間軸上の現在の一点と世界の空間時間の広がりを繋げます。さっきまであれほどまでに荒れていた心はすっかり穏やかになっていました。

もう分かっています。楽器は間違いなく自分を救済へ導いてくれます。他人に聴いてもらうためでも、いい音楽を作るためでもなく、ほとんどそのために楽器を弾いています。僕はそのことをもっと自覚した方がいいかもしれません。そして、今この状況においてとても特異なのは、その廃墟が自然との繋がりを容易に達成できる空間であることです。僕に必要なのはこの部屋です。他のどんなことよりも、コントラバスとこの部屋だけは信用できる。この場所が理想郷に思えるのはこの部屋の存在です。

恋愛はどうなのだろうか。認めたくはないですが、自分が求めるものではないのかもしれません。恋愛を通して見えてくるのはひたすらに自分です。ひょっとしたら喜びを感じている瞬間さえそうなのかもしれません。だから、その先に救済はあり得ないように思えます。もちろん、自分が無くなるような恋愛を実現することができれば救済は成立するかもしれませんが、そういった感情を抱いたことは未だかつてありません。

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この時の日記に書いていることは信じられます。恋愛を通して感じるのはひたすらに自分です。そして、こういった形で自己を感じることは自分が向かっていきたい方向とは全く逆のことです。イサのことが終わり、そういった考えに対する確信は増しました。少なくとも、より確実なものであると思ってきました。

そんな最中に今回出会った子は現れ、もう引き返せないところまできてしまいました。だから、頭の中は混乱しています。また、彼女は時折、昔傷つけた恋人と似た表情をします。その顔を見る度、自分はまた相手を傷つけてしまうかもしれない、という恐怖さえ感じます。彼女はとてもとてもいい子であるからこそ、なおさらに怖く思います。

彼女は最近8年付き合っていた恋人と別れたとのこと。自分と出会うまで、その悲しみの中にあったと言います。今何を肯定していいのか分かりませんが、彼女が自分を通してまた新しい気分になれたことだけはよかった、と思っています。八年など自分には想像もつきません。彼女は別れた後「空っぽを感じていた」と言います。

色々と書いてしまったので、誤解されないように書いておきますが、もちろん彼女に自分も好意を抱いています。ただ、それ以上に様々な感情が起こっているということです。こういった気分が続く限り、彼女とは恋人にはならないと思います。というか、今の気持ちとしては、旅をしている限り恋人は作りたくはない、と最近はずっと思っています。

新竹ではピンティーも一緒にいました。彼女は先に台北に戻り、遅れて台北の陽明山に戻ると彼女は言います(我々は同じところで生活しています)。「純はあの子のことが好きでしょう?」。思わず笑ってしまいました。自分は「たぶん、そうだよ」と。この子は本当いつも何でも分かっています。

この日記にもたくさん書いてきましたが、台湾に来た初期の頃から多くのことを共有し、同じ時間を過ごしてきたのは彼女でした。自分は11月7日生まれ、彼女は5月7日生まれで、我々はちょうど半年だけ違って生まれてきたことになります(歳は自分が一つ上です)。そのせいかもしれませんが、彼女は歳の同じ兄弟のように思えます。姉でも妹でもありません。

最近、自分は本当に彼女を必要としているんだな、と改めて感じています。路上演奏が終わって山に戻って来て、彼女とビールを飲みながら話す時間はとても大事な時間です。毎晩彼女とは話したくなります。我々は話がいつもつきません。彼女の観点はいつも面白く、会話は進みます。

また、自分が彼女を必要としているだけでなくて、彼女のためなら何でもしたいと思います。つまり、彼女には愛を感じます。ただ、恋という感覚は全く抱きません。これだけ一緒のところで生活しているのに、男女としてのことは一切無い。お互いそういったことに関しては手が早い分、我々の間に何も無いことはお互いにとってとても特異なことです。

恋と愛はいつも自分にとって別物です。だから、恋愛という単語には違和感を感じます。きっと、愛を抱くには時間が必要なのだと思います。ただ、自分の恋はいつも長く続きません。だから、恋と愛は今まで交わったことがないのだと思います。そんなことを、今している恋についてピンティーと話す度に考えています。

新竹で出会った子とこの前話していました。自分は彼女に対し、「恋人がいないと恋人が欲しいと思うか」という質問を投げかけました。自分はそうは思えず、そういう気持ちがよく分からないからです。彼女は言います。「そうかもしれない。ただ、問題は恋人がいるかどうか、ということではないの。私はただ愛がほしい。」

彼女はシュガーグライダーというムササビのようなペットといつも一緒にいます。ピンティーはこの前言いました。「もしあなたがあの子を相手にするのなら、彼女があのペットに常日頃注いでいるような愛情をあなたは彼女に注がなければいけない。」ピンティーはいつも痛い程正しいです。

最近は台南に行き、レズビアンの友人の結婚式に参加してきました。

僕はひたすらに映像撮影とコントラバス演奏に専念。彼女達のいい思い出を映像という形で残すことと、コントラバスの音をもって場を盛り上げることに徹していました。自分が二人いたらなんて楽なんだろう、と思うことが最近よくあります。

彼女らとは花蓮で七月に行なわれたフェスティバルで出会い一週間以上時間を共にしました。彼女らの美しい心が好きで、とにかく今回できることは何でもしたいと思っていたんです。

結果的に、貢献できたみたいでよかったです。結婚式の様子はネット上にアップされていて、相当な数の方が見たようです。自分の撮影した映像が半分程度使われています。(余談ですが、編集は他の方がやっています。もっと自分のマイクの音を使ってほしかったな。。。伝達が甘かったです。) https://www.facebook.com/video.php?v=1724384114454108&fref=nf

台湾では、よく女の子同士が手を繋いで歩いているのを見かけます。彼女らはレズビアンです。また、男性同士も極めてオープンです。台湾は同性愛者が相当な数いて、またそのことに対する周りの理解もあるため、そういった景色をよく見かけることができます。台湾の人々の優しさはこういう点にもよく表れています。本当の優しさは他人と生きている実感であって、そのことが多様性を認めるということと繋がっています。僕みたいな人間が路上で収入を得られることも同じ理由だと思います。

とはいえ、台湾では同性婚は認められていません。なので、今回の結婚式はかなり台湾で特殊なものでした。彼女らはこの結婚式を同性婚の支持運動としても位置づけていたように思えます。前もってその話は彼女らから聞いていました。とことん、伝統的な結婚式の形にこだわったのもそのことが理由です。「政府はとりあえずこの問題を先送りすることで、世の中が忘れていくのを待っている」とも言っていました。

レズビアンの結婚式だったのですが、正直なところレズビアンの結婚式であることはすっかり忘れていました。それは、会場の空気が全くそれを当たり前のものとしてみなしていたからのように思えます。誰一人として、そこに対する違和感など無く、ただただ祝福をしている空気がありました。

原付の二人乗りで結婚する二人が登場、皆に拍手で迎え入れられた後、父親母親役のアクンとエマを含め四人が一言ずつ挨拶、皆で酒を飲み豪華な食事を頂き、スライドショーがあり、その内音楽演奏が始まる。結婚した二人の内の一人はバンドマンなので彼女がギターで弾き語りをしていました。後から聞いた話だと、この曲を通して二人は出会ったとのこと。幸せな空気が漂っていました。

ここまではなんとなく予想は付くんですけど、そこから先がすごかったんです。ディジュリドゥやジャンベの演奏が始まり、音楽はドンドン高揚、僕もカメラを置きコントラバスで参加し、その内皆が踊り始め、ほとんど乱舞という状況でした。

歌って踊って酒を飲んで演奏して踊って踊って踊って、、、集まっている人にアーティストが多かったので、もちろんこの結婚式が台湾のスタンダードではありませんが、とにかくすごかったです。一度始まった音楽と踊りはその後結局8時間くらい止まらなかったように思えます。

花蓮でのフェスティバルを通して、台湾のこの人達の持つエネルギーの大きさはよく分かったつもりでしたが、全然分かっていませんでした。この人達のエネルギーは半端ではありません。生命力が違います。

歌って演奏をして踊って酒を飲んで話して祝福。日本人の自分からすると馴染みのない祝福の方法だったのですが、本来はこれでいいのかもしれません。そのことに言葉で理由付けする必要などなくて、その場の作っていた幸福感のある空気がそういう風に自分に思わせていました。

台湾に来た初めの方から感じていますが、彼らにとって音楽や踊りは生活の一部です。食事をし、酒を飲めば自然と音楽が始まり気が付いたら皆が踊っている。本来音楽や踊りはそういうものだと思いますし、そうでなければ本質から外れてしまうように思えます。

どうしても東京などにいると難しいことですが、ここだとそういうことが軽々と実現できます。もっと、生活と音楽をイコールにしていくこと、それは台湾に来て長い間実現したく思っていることで、少しずつ実現できてきている気がします。

とても清々しい結婚式でした。美しい二人の結婚式だったからだと思います。郁宜、肉包、おめでとう。