辻健治 鬼頭恒成
2015年4月14日18時26分
「赤トンボ」と呼ばれた旧日本陸軍の複葉機「九五式一型中間練習機」を再び大空へ――。かつて航空産業で栄えた東京都立川市の歴史に光を当てようと、地元の企業と技術者が手を組んだ。3年後の離陸を目指す。
立川飛行場が立川村(現立川市)にできたのは1922(大正11)年。周辺には軍用機の製造に関わる工場が数多くできた。「立川飛行機」もその一つ。赤トンボや戦闘機「隼(はやぶさ)」などを製造した。
赤トンボの復活に取り組むのは、立川飛行機の流れをくむ立飛(たちひ)ホールディングス(HD)。立飛HDによると、赤トンボは34(昭和9)年から約2400機が製造された。全長7・5~7・9メートル、全幅10・32メートル、最大速度時速240キロ。当時、練習機は陸海軍問わず機体がだいだい色に塗装されていたことから、赤トンボと呼ばれた。
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