30年ほど前に古典研究を決意して、おおまかに解読計画を立てたのですが、ガウスの『アリトメチカ研究』は読まなければならない古典の筆頭で、古典中の古典、大古典でした。それで「ガウスを読む」という方針はすぐに決まり、それからもうひとつ、アーベルの論文「楕円関数研究」も必読の文献でした。この二つについては迷いはなかったのですが、どこまで手を広げたらよいのかと考えると、なんだか茫漠とした思いに心が覆われたものでした。
古典研究ということになれば原典をそのまま読むのが基本中の基本の作業になりますが、数学の原典というのはいったいどれくらいあるのでしょうか。オイラーの全集は80巻を越えてなお未完結。ラグランジュの全集は全14巻。ガウスの全集は全12巻、14冊。ガウス以降の数学者たちの名を回想すると、アーベルを筆頭にして、ヤコビ、アイゼンシュタイン、ディリクレ、ヴァイエルシュトラス、リーマン、クンマー、クロネッカー、デデキント、エルミート、ポアンカレ、ヒルベルト等々と、偉大な数学者たちの名が次々と念頭に浮かびます。オイラー以前にも数学者はいて、ライプニッツ、ベルヌーイ兄弟(兄とヤコブと弟のヨハン)、フェルマ、デカルトなどという人たちは、微積分の形成史を考えるうえでどのひとりも欠かせません。これに加えてニュートンなども気に掛かるところです。この広大無辺の文献の山を、どうしたら読破することができるのでしょうか。
デカルトの前はどうかというと、古代ギリシアの数学が重い意味をもっています。遠い昔のギリシアの地で長い時間にわたって数学的思索が重ねられ、西欧の近代になって、それらに関心を寄せる人びとが相次いで現れました。デカルトはヒッピアスの『数学集録』を読み、代数学を根底に据えた新しい方法を提案して、未解決問題を解いたり、いっそう簡明な解法を提示したりしたのですが、この試みが継承されて西欧近代の数学の土壌に古代ギリシアの「曲線の理論」が復興し、ライプニッツにいたって微積分の創造という重大な出来事に結実しました。そのうえデカルトやライプニッツには、数学を支える形而上的思索の山も伴っています。
フェルマはバシェが作成したディオファントスの『アリトメチカ』のギリシア語とラテン語の対訳書を読んで、広い余白に48個のメモを記入したのですが、それらは西欧近代の数論の泉になりました。
こんなふうに考えていくと、古代ギリシアの数学を全体として学ぶのが第一歩。デカルト、フェルマとたどってライプニッツ、ベルヌーイ兄弟あたりまでをたどるのが第二歩。それからオイラー、ラグランジュと進むと、これで18世紀の数学が概観できそうです。これで第三歩。
ラグランジュの影響のもとで、フーリエ、ルジャンドル、ポアソン、コーシー、ラプラス等々、フランスに一群の数理科学者が育ちました。その姿を概観することができれば、これで第四歩になります。同時期にドイツにはガウスがいて、それからほぼ19世紀の全体を通じてガウスの継承者が連綿と続いたのは既述の通りです。その様子を概観するのが第五歩になります。
これだけで西欧近代の数学史が尽くされるわけではありませんが、ひとまずこんな計画が立てられそうです。ただし、あまりにも広大すぎて、とても実行できそうにありません。