9ETV特集「中国でよみがえる雪舟」 2015.04.11


心を静める。
山水を感じ取る。
心が感じ取った山水を筆が描き出していく。
中国の人々がきわめてきた水墨画の世界。
その伝統は1,400年に及ぶ。
今成長を続ける中国で改めて水墨画が注目されている。
美術品の市場では水墨画ブームが熱狂している。
こうした中中国の美術界で一人の画家が脚光を浴び始めた。
私が研究している芸術家の中でも雪舟は重要な人物です。
雪舟は今で言えば超人です。
天地と話ができる人です。
15世紀に活躍した日本の水墨画家である。
水墨画の本家中国でなぜ今雪舟なのか。
その謎を解いていくと雪舟の魅力だけでなく知られざる歴史が浮かび上がる。
雪舟が憧れたある時代の中国その驚くべき文化的成熟。
そして雪舟が中国の現代史を大きく動かしていた事実も今回明らかになった。
雪舟も中国の墨絵を救ったという大恩人でもある。
更に雪舟の謎の先には現代の中国社会が抱える複雑な課題も見え隠れする。
雪舟を通して見えてくる時代も国境も超えた美と芸の物語。
中国大陸を南北に貫く1,800キロの京杭大運河。
その南端に杭州という古都がある。
世界文化遺産に登録された湖西湖の周囲に広がるこの街は「芸術の都」として知られている。
千年前から文人墨客が競って集った杭州。
今も美術教育の中心中国美術大学があり多彩な文化施設が集中している。
杭州の大学でシンポジウムが開催された。
集まったパネラーは新進気鋭の芸術家や研究者。
最近注目されだした一人の画家を巡り議論が始まる。
日本の水墨画家雪舟である。
(拍手)シンポジウムの発案者で雪舟の研究者でもある書道家汪永江さんが口火を切った。
雪舟の作品を最初に見た時私は大変驚きました。
1990年代に初めて作品に接した時とても水準が高く日本人の画家だとは思えませんでした。
それ以来ずっと研究してきました。
中国の美術と縁が深い事も分かってきました。
雪舟の作品は今の中国の一流の専門家研究者画家に対して大きな衝撃です。
彼の作品を見ると毎回感動があります。
例えばこの「破墨山水図」見て下さい。
描き方がとても洗練されています。
簡単のように見えますが山水の境地が非常に深く表れています。
(林)雪舟の研究から多くの課題が浮かび上がってきています。
中国絵画は文人画です。
文人画を描くには文人が自らの教養を鍛え上げなければなりません。
単に目で見た景色を描いたものではなく心で悟ったものを描くのです。
これは水墨画が世界の文化の発展に寄与するものだと思います。
そう考えて雪舟の絵を見ると彼の思想がよく分かるはずです。
雪舟は時間と空間を超えて民族と国家をも超えてこれから一つになろうとする東アジアに是非とも必要な人物です。
日本の水墨画を確立した人物として知られる雪舟。
その雪舟を東アジアの美術史に位置づけようという議論がシンポジウム冒頭から熱を帯びた。
雪舟は室町時代の画家であり僧侶でもあった。
備中国に生まれ禅の修行を積み各地を遍歴しては多くの優れた水墨画を残した。
日本で「画聖」といわれている。
中国の美術界に改めて衝撃を与えたという雪舟。
山口県の毛利博物館に代表作が残されている。
この日汪永江さんは雪舟の作品を見るために中国からやって来た。
1486年67歳の時に描き上げた雪舟の大作が博物館に展示されている。
汪さんが長年一目見たいと思い続けてきた作品である。
16mにわたって描かれた壮大な山水絵巻。
国宝である。
巻物をほどいていくにつれ春夏秋冬四季が移り変わっていく。
実在しない空想の風景だが中国を思わせる。
この作品から雪舟が中国伝統の山水画をよく理解している事が分かります。
かつて画家は山水に分け入り山水に暮らしたものです。
雪舟は同じように山水の中で生きています。
山水は彼の暮らしそのものになっています。
客観的に自然を描いたものではありません。
近づいてよく見たものが表現されています。
見ている私たちも雪舟と同じように山水の中を歩いていきます。
山水に親近感を抱きすぐそこに水が流れているような気がしてきます。
この老人は私たちを案内しているようです。
見る人がその中に入り込み親密な気持ちになるような山水画の描き方。
これはまさしく中国の典型的な美です。
奥行きのある構図は雪舟の真骨頂である。
西欧の遠近法と違って早春の霞が奥行きをつくる。
そこには形を写実する事へのこだわりが既にない。
絵の中の人物は雪舟自身であり絵を見る我々だという。
世俗を離れなにものにもとらわれない「文人」の境地である。
絶えず行き過ぎる流水の音に包まれ何を思うのか。
洞窟に座り込む二人。
どんな言葉を交わしているのか。
彼らを取り囲むのは悠久の時が流れる峨々たる岩山。
山水画を描く時に必要な専門知識の全てがこの絵の中に表現されています。
雪舟は中国の水墨画の未来に重要なメッセージを投げかけていると思います。
雪舟は若い頃実は日本の画壇では無名の人物だった。
それが変わるきっかけは中国訪問だった。
雪舟が中国に渡ったのは48歳の時。
遣明船の随行員として命懸けで海を渡った。
時は1467年明の時代。
雪舟は日本の画家で初めて中国に上陸した人物だと言う人もいる。
上陸地・寧波から船で大運河を北京へ。
道々さまざまな風景を目の当たりにしおびただしい数の絵を描いた。
北京に到着した雪舟は当時の皇帝に拝謁した。
そしてこの北京で大きな仕事を任される事になる。
雪舟が中国で描いた「四季山水図」。
安定感のあるダイナミックな構図である。
明の時代に好まれた迫力ある画風を取り入れている。
この絵を見た宮廷の人々はその腕前に驚き文化をつかさどる役所に飾る大作を雪舟に依頼した。
「等楊」という自らの名を「日本」の文字と共に入れている。
日本では無名だった雪舟。
中国大陸の旅で大きな自信を得たといわれる。
雪舟が旅の行き帰りに滞在した寧波の天童寺。
中国の五山に数えられる由緒ある禅寺である。
雪舟訪中の200年前ここで道元が修行している。
以後の時代日本と中国双方に禅が広がる。
天童寺はその水源だった。
雪舟はこの天童寺で「天童第一座」という称号を授けられた。
今も肖像が掲げられている。
およそ2年に及んだ中国への旅。
その記録は乏しいが雪舟が中国で大いに認められた痕跡ばかりが残っている。
僧侶として禅の源流に触れた事。
そして中国独特の幽玄の自然美を目に焼き付けた事。
これは確かのようである。
雪舟は日本に帰ると次々に傑作を生み出した。
それらが今21世紀の中国で再評価されているのである。
雪舟は中国の伝統を踏まえながら更に独自性を作風に加えていった。
この絵の遠景に描かれた岸壁。
もはや一本の線である。
遠景も近景も変わらぬ太い線。
それなのに奥行きがある。
人が余念なく歩いている。
ひたすら座る禅僧の心境に近づくのだろうか。
例えば道元は山水こそが経であるとして「山水経」という文をつづった。
山をきわめ水に学ぶうちに山水は不思議な姿を見せ始めると記している。
雪舟が描いた冬の山水。
その迷いのない筆遣い。
山水が見せた真の姿なのだろうか。
(パネラーの発言)中国はもっと雪舟に注目すべきだというシンポジウムの議論。
やがてある時代の名が話題に上り始めた。
禅と共に多くの南宋の絵が日本に入りました。
全てがそうではありませんが特に牧谿梁楷といった画家の作品が南宋の風格をよく伝えています。
雪舟は最初にこうした作品に学び影響を受けました。
南宋時代中国はその時の世界の頂点でした。
南宋の文化イデオロギー経済から生活まで全盛期でした。
南宋とは1127年北宋が女真族の金によって滅ぼされ南に移って興した王朝。
南宋時代はモンゴル族の元に制圧されるまで続いた。
しかし雪舟が中国に渡ったのはそのあとの明の時代のはずだ。
一体なぜ南宋なのか。
(陳)雪舟は師匠を求めて中国に来たわけですが明の時代に来て「師はいない」と言ったそうです。
当時の人が「それはおかしい。
傲慢ではないか」と言うと雪舟は「私の師は南宋の山水だ」と答えたそうです。
自分が南宋にゆかりのある土地に来ていなければその後の自分はないという事です。
雪舟は中国に渡りさまざまな時代の絵画を見た。
その中でも特に南宋の絵画に惹きつけられたのではないか。
中国の研究者はそう捉えている。
例えば「山水長巻」のこの樹木。
南宋を代表する画家夏珪の影響が見られるという。
淡々とさりげなく描く「逸品」と呼ばれる画風である。
そしてこの人物。
同じく南宋の画家梁楷が描いた「李白」を思わせる。
少ない線で表現する「減筆体」といわれるスタイルを意識したと見られている。
雪舟がその絵画に影響を受けたという南宋時代。
実は今南宋時代の文化に対する関心が中国で急速に高まっている。
それが雪舟に視線が集まる背景にもなっているのである。

(尺八)去年12月西湖のほとりにある月見の名所「平湖秋月」であるイベントが開かれた。
これは南宋時代の文化を楽しもうという趣味人の集いである。
これまで既に20回以上開かれている。
南宋はここ杭州に都をおいた。
水運が富を運び穀倉地帯が胃袋を満たして経済が成長。
当時南宋はGDPが世界一だったという試算もある。
皇帝は文芸を奨励し紙や印刷術など技術も発展した。
名月の夜香をたき音曲を奏でながら美術品を愛でる。
そんな南宋の暮らしを偲ぶ集いが今人気を呼んでいるのである。
このイベントを主催する…7年前に香の専門店を開き店舗の数を増やし続けている。
それはここ数年人々が言い始めた新しい中国語だという。
現代中国の人々が南宋に惹きつけられるのは「内斂」と呼ばれる美意識が関係しているという。
一体内斂とは何か。
大事そうに抱えられてきたのは「古琴」と呼ばれる楽器。
古琴の名手として中国に広くその名が知られている。
徐さんが弾いているこの古琴はおよそ800年前のもの。
南宋時代の名品だ。
古琴は南宋時代どの家にもありちまたに路地にその音が響いていたという。
古琴の音色は内斂の趣があるという。
内斂とは外面にかまわず欲に走らず大げさに誇張をしない。
心静かに内省し熟慮と満喫の深さを求める美意識。
拝金主義や出世主義への反省とともに今中国の人々は内斂に目を向け南宋を回顧しているのである。
内斂の美意識が創り出す美はどこにたどりつくのか。
全ての作品を南宋の画風で描くという…シンポジウムでは南宋時代は世界の頂点だったと力説した。
林さんは内斂の行き着く先にある特別な精神的境地があると信じている。
そして自分もその境地を目指している。
南宋の絵画の特徴は洗練された人の心のゆとりが表現されている事です。
これはとても難しい表現でなかなか簡単にできる事ではありません。
しかし南宋の画家は内斂を大切にしただけでなくゆとりを持ち精神を解放した上で作品に向かいました。
そうする事で「空霊」の境地に至るのです。
林さんが南宋や雪舟に再発見しているもの。
それは「空霊」の境地だという。
空霊とは内斂をきわめ雑念を払いあらゆる緊張から解放された時に訪れる空っぽの状態。
その境地で画家は自らを包み込む山水をまず感じ取る。
そして筆を下ろした時画家の胸中にある山水が一気に現れ出てくる。
「胸中山水」という。
この時山水は形や輪郭分け隔ての常識にとらわれた世界を抜け出す。
南宋にあり雪舟にあるのはこの境地であろうか。
雪舟も追い求めた南宋。
南宋への関心の高まりにはその滅亡の物語も一役買っている。
南宋の滅亡は悲惨だった。
フビライ率いる元の軍勢は都の杭州を落とし南宋軍をこの海に追い詰めた。
1279年長い消耗戦に疲弊した南宋軍は敗走。
敗北を悟った宰相が8歳の皇帝を抱いて海に身を投げたあと南宋の人が次々に殺戮されたといわれる。
この歴史は悲しみと恨みを伴って漢民族の間で語り継がれていく事になる。
その後内憂外患で明け暮れた明を除き漢民族が他の民族に支配される時代が続いた。
その間南宋が頂点だったという漢民族の文化は時に弾圧され時に忘れられていった。
そして現代。
GDP世界第2位となった中国。
今インターネットには南宋文化についての「つぶやき」や論争が盛んにアップされている。
登録人数が6億人に達するという中国のソーシャルネットワーキングサービス「微信」にはこんな言葉が並んでいる。
中国の歴史は断たれ漢民族の文化は残酷に破壊されたと書き込まれている。
(拍手)現代中国に巻き起こった「南宋ルネサンス」ともいうべき状況。
それは更に中国の複雑な民族事情をも反映した社会現象になりつつある。
中国に残っていた伝統的な文化を根こそぎにしたのは戦争だった。
20世紀日本との戦争では影響がほぼ大陸全土に及んだ。
1966年には共産党政権のもと文化大革命が沸き起こった。
毛沢東はみやびな文化など反革命だとして否定。
毛沢東を信奉する紅衛兵は伝統文化や宗教を破壊し文化人をつるし上げて時に殺害した。
激動の歴史を経て国内から姿を消した中国の美術。
それらを今中国は急速に取り戻しつつある。
去年12月杭州で美術品のオークションが開かれた。
出品点数はおよそ7,000点。
今や世界で最も巨額のマネーが動くオークションともいわれている。
この日のオークションでは水墨画が特に高値を付けた。
このオークションは杭州にある学術団体の関連企業が運営している。
社長の陸鏡清さんは自ら各地に足を運び出品作品を探し回る日々を送っている。
我々のオークションは国際化を目指しています。
作品探しは海外に広がっています。
今回は日本アメリカオーストラリアシンガポールまで中国と関係のある芸術作品を探しに行きましたよ。
失われた中国の伝統文化はさまざまな事情から海外で見つかる。
それを中国に取り戻す役割を担っているのは近年急速に力をつけた富裕層である。
もとはタクシードライバーだったが金融投資できっかけをつかみ今や資産1,000億円。
大富豪30傑の1人に上り詰めた。
蘇東坡の別名でも知られる蘇軾は中国史上最も人気の高い文人である。
その書は劉さん自慢のコレクションだ。
中国一のコレクターである劉さんは私設美術館を2つ建てた。
コレクションの数は年々増えどの壁も天井近くまで絵で覆われてしまった。
この日のオークションの出品物の中で今回の目玉だと噂されているものがあった。
内容は鳩摩羅什が翻訳した法華経。
それを南宋時代の初め頃に活版印刷術で刷ったという珍しいものである。
日本に伝わっていたもので今回見つかった掘り出し物である。
競売は最低入札価格9,500万円から始まった。
この場に来られない参加者はオペレーターに電話で指示を出していく。
1億2,000万円。
1億3,000万円。
1億5,000万円。
結局1億5,600万円で北京に住むコレクターが落札した。
貴重な文化がまた一つ中国の人の手に移った。
時に日本時に中国と世界を飛び交う美術作品。
しかしそうした作品にとって国の違いとは何であろうか。
大規模な杭州のオークションを始めた会社・西印社は美術品の売買を促す自らの活動を文化の交流と捉えているという。
西印社は創業110年。
発足後まもなくの頃は日本人の美術家も複数加わっていた。
現在オークションを管理する陸鏡清さんも創業当初の理念を忘れてはいない。
文化と経済を強くして他の国と交流していきたいと思っています。
未来は国と国とが共に進む道を行くはずですから。
私たちはこのオークションを通して日本の文化ともっと交流していきたいと思っています。
10年後も更に先の未来もです。
今回のオークションの出品作品の中に雪舟とゆかりの深い画家の作品があった。
詩人・杜甫を描いたこの絵の作者は20世紀中国水墨画の巨星といわれた傅抱石。
傅抱石は1960年代に西印社の副社長も務めた人物である。
傅抱石は後に南京を中心に「傅派」といわれる一派を築き中国画壇に絶大な影響力を持った。
そして傅抱石は日本との関係が深かった。
1932年29歳の時傅は日本に留学した。
前年には満州事変が起こり中国で抗日運動が激化するさなかである。
横山大観などとも交流しながら水墨画の研鑽を積んだ。
傅抱石の娘傅益瑶さん。
父と同様に日本に留学して水墨画を学び今も日本で暮らしている。
彼女によれば父・抱石は雪舟をよく研究していたという。
その傅抱石が中国文化のために立ち上がった事があった。
毛沢東率いる共産党が中華人民共和国を建国した時代。
その頃から水墨画を巡る状況が大きく変わったのだ。
筆を執る事許されなくなっちゃって。
危機に立った中国水墨画。
傅抱石は文化人に向けて北京で演説し檄を飛ばした。
「中国を縦断して水墨画を学んだ雪舟を今こそ見習わなければならない」。
その演説は雪舟の肖像画と共に人民日報の記事になり中国全土の水墨画家を励ました。
傅は実際に数十人の画家を引き連れ旅に出る。
そして大陸の風景を描いた。
およそ100日間1万2,000キロの旅となった。
傅の努力は毛沢東に認められた。
毛沢東は傅に人民大会堂の壁を飾る水墨画を依頼する事でそれを示した。
傅抱石は雪舟に倣う事で水墨画の命脈を保った。
傅は当時の人民日報にこう記している。
「雪舟は日本と中国が共に持っている共通の感覚や希望を体現する人物である」。
無名だった雪舟はかつて中国から水墨画を学び大成した。
その雪舟が500年後傅を通じて中国の伝統を救った。
傅は自らが描いた雪舟の肖像画をいつも手元に置き終生大切にした。
(パネラーの発言)シンポジウムが始まって4時間。
議論は終わりに近づいた。
今日中関係は緊張しています。
我々芸術家や研究者にとってとても残念な事です。
私の研究から見れば日本と中国は一つの文化圏だと思っています。
文化の面から見れば日本と中国は一つの国です。
(汪)南宋の作品がしっかり保存されているのは日本です。
中国の書画の歴史を研究するためには日本に保存されている水墨画の歴史をも同時に研究して補う必要があると思います。
(林)世界中で中国文化を愛する人は誰かといえば日本人をおいて他にありません。
日本人は非常に心を砕いて中国文化を勉強してきました。
だから中国のすばらしい文化は実は日本で果実となっているのです。
中国に南宋文化が花開いた時代日本は鎌倉時代を迎えていた。
南宋の文物は今鎌倉に多く残されている。
書道家の汪永江さんと水墨画家の林海鐘さんはこの日鎌倉を訪ねた。
中国が失ってきた南宋の薫りを体験したいと考え二人はやって来た。
まず訪ねたのは…中国の五山に倣った鎌倉五山その第一位の寺である。
私は画家として南宋の画家たちの作品を見てずっと考えてきました。
なぜこう描くんだろうってね。
この建物を見てなるほどこういうものを描こうとしていたのかと分かりました。
私のふるさとはこんなすばらしい文化を生み出す土壌があるんですね。
日本には感謝しなければいけません。
日本人が守ってくれたおかげで我々中国人がこれらを見る事ができるのです。
建長寺は1253年南宋から蘭渓道隆という名の禅僧を迎えて開かれた。
この時禅の戒律や知識のみならず中国から絵師仏具師建築士などが連れてこられた。
寺の中は当時中国語が飛び交っていたという。
この日は毎年11月の「風入」の日。
150点もの宝物を虫干しを兼ねて一般公開していた。
まず中国式の祈りを捧げる林さん。
二人の視線が吸い寄せられたのは杭州の禅僧牧谿の作。
700年の時を超えこの日本で大切に受け継がれてきた。
これはまさに杭州の西湖の景色ですね。
(林)この描き方には即興の風情があります。
(林)逸品の風格があります。
筆をすっと下ろしたらあとは筆まかせに一気に描いたものでしょう。
この猿の動き。
呼べばすぐに飛んでくるような感じですよね。
続いて訪ねたのは鎌倉五山第二位円覚寺。
鎌倉唯一の国宝建築がある。
保護に努め年に二度しか一般公開しないがこの日は公開日だった。
(読経)この建物は私たちの祖先ですよ。
祖先と一緒に写真を撮らせて下さい。
建物の水平を意識して。
バランスを取って建物に合わせて。
この舎利殿を見た二人の表情は興奮の色を帯びた。
禅と共に南宋から伝わった様式で建てられ後の日本の建築に大きな影響を与えた。
禅は日本でその後茶の湯などわびさびの文化にもつながっていく。
感激です。
心が震えました。
この建物には魂があります。
禅を感じます。
この建物は今まで修行してきたんだと思います。
我々も見習って修行しなければなりませんね。
今の中国は誇張した宣伝がはびこる膨張する社会です。
でも今必要なのは内斂です。
南宋の人には内斂の精神が確かにあったんですから。
国を超え歴史の地層でつながっているものを確かめて二人は旅を終えた。
杭州にある…林さんは南宋の画風を教える授業を続けている。
南宋で花開き雪舟にも宿った成熟したアジアの文化。
それが途絶えてしまう事を林さんは心配している。
東京藝術大学でも創作する時かつてのような描き方をしている人はほとんどいません。
内斂とかそういう美学はなくなりつつあります。
そうした文化の核心はつかみ取った人のものになるだけです。
日本人も中国人もありません。
どこの国の誰であろうと手に入れる事はできるのです。
2015/04/11(土) 23:00〜00:00
NHKEテレ1大阪
ETV特集「中国でよみがえる雪舟」[字]

いま中国で、日本の水墨画家・雪舟の評価が高まっている。一体なぜいま雪舟なのか。そのことを解き明かしていくと、中国文化史の光と影、そして文化交流史の底流が見える。

詳細情報
番組内容
いま中国の美術界で、日本の水墨画家・雪舟の評価が高まっている。しかしそうした動きや評価は、日本ではあまり知られていない。一体なぜいま雪舟なのか。そのことを解き明かしていくと、現在の中国で燃え上がる「南宋ブーム」、「水墨画ブーム」が浮かび上がってきた。また雪舟が中国の現代美術の歴史を大きく動かした事実も今回明らかになった。中国文化史の光と影、そして日中文化交流史の底流が見えてくる。

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ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸

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