(米朝)はい米朝でございます。
いつものように?の数字からまいります。
今日は52%という。
これは実はお酒の失敗なんです。
全国でね2600も蔵元がある。
(ナレーション)テレビやラジオでお茶の間の皆さんに愛された人間国宝・桂米朝さん。
上方落語の復興と発展に尽くし数多くの弟子を育ててきた桂米朝師匠の知られざるエピソードを今日は一門のお弟子さんに集まっていただき伺います。
そのスゴすぎる人物像をいちばん近くで見てきたお弟子さんだからこそ知っている桂米朝師匠の素顔に迫ります。
そ〜っと天満の天神さんへ一人で行って。
パンパン!ってやってた姿を…。
(ざこば)よう覚えてるな。
「いやいやちょっと嫁はんの事をな」ってこう。
泣いとったね。
もちろん過去の米朝落語の名演や貴重な秘蔵映像も放送。
改めて桂米朝師匠のそのすごさを今日はご堪能ください。
(関)それでは改めまして米朝一門の皆様です。
今日はよろしくお願いいたします。
(一同)よろしくお願いします。
(関)ざこばさんもうこの米朝一門勢揃いという感じなんですけどまだ他にもお弟子さんはいらっしゃる…。
ええいてはりますで。
全部で孫弟子さんやなんか入れたら70人いくかいかないかやな。
(関)そんなにたくさんいらっしゃるんですね。
今日は皆さんだからこそ知ってるエピソードをどんどん披露していただきたいと思います。
(豊田)そうですね。
一門の皆さんだからこそご存じの米朝師匠のすごすぎるエピソード。
まずは「カッコ良すぎてスゴい!」というお話。
(関)「カッコ良すぎてスゴい!」。
まあこれはざこばさんから見ていかがでしょう。
もう顔がかっこええがな。
鼻がスコーンと高いがなねえ。
(関)そうですね。
舶来みたいな顔してはるしね。
(関)舶来物みたいな。
おたくハーフ?みたいな感じがあるでしょ?ほいでものもよう知ってはったから。
僕らが楽屋千日劇場へいてはって。
当時師匠は38かな。
まあ呼び捨てにしてはる芸人さんいてなかったね。
「米朝」って言う人はいてなかった。
どんな先輩お年召してる人でも「米朝さん」かな。
あとはもうほとんど。
年上でも「米朝師匠」ってほとんど言うてはったね。
それ見ててやっぱりかっこええなぁって。
「米朝」って言わさへん空気…言わさへん空気やない。
言えない空気を出してはったんやろね。
(関)ざこばさんはどうでしたか?お若いころ。
ざこばさんは朝丸さんという時代があったから。
(笑い)
(関)ちょっと比較すると同じ年代でも…。
相も変わらずボーッとしとんな。
(笑い)そんなもん「朝丸朝丸」「朝やん」とかこんなんや。
えらいすんまへんでしたな。
(関)でもやっぱり米朝さんはみんな「米朝さん」。
体から…。
何か違うんでしょう。
ほんで何かわからん事があったら「米朝さんに聞きなはれ」とか「米朝師匠に聞きぃや」とかそういう事があるからもう呼べないんでしょう。
(関)ご長男の米團治さんから見たかっこいいところをじゃあ。
ざこばにいさんがおっしゃったように僕も鼻筋だと思います。
このノーブルな鼻筋はもう…。
「ノーブル」って飴かい。
飴にもありますけど。
(笑い)
(南光)突っ込み間違うとるやろ。
だから米朝の似顔絵描く時は大概横顔をね。
おでこからヒョイとこう描いたらそれだけで米朝の雰囲気になるような。
もうあの鼻筋は。
(関)千朝さんはいかがですか?昔僕ら内弟子入ったころは全国こう独演会でね米朝独演会で回ってた時期あったんで。
北海道から九州沖縄までね。
で地方の方で恐らく大阪の落語初めて聴くような方ばっかりお集まりなんですけど必ずウケさしてましたしね。
「愛宕山」っていう噺なんかちょっとこう筋があるんでとっつきにくいかなと思うような噺でも必ず山登るとこでお客さんから拍手が来てましたしね。
舞台袖から見ててほんまに何かこの人かっこええ人やなと思いましたですねその当時。
うちの師匠ほんまに博学博識ですね。
いろんなジャンルの人と…その専門の方ともいつも対等にお話してはりましたですね。
他に大学の先生なんかともお話しはるんですけど印象に残ってるのはある番組の収録で当時お味噌汁のCMで金田一春彦さんが出てまいりまして「お味噌汁御御御付け御が3つ付いてる大事な食べ物ですよ」という事をCMで言うてはりましたね。
ある番組で収録の時にその話題が出て「あれは違うねん。
これは宮中女官の言葉でお味噌を女官は女房言葉で御味と言う。
御味の御付けというのが語源や」というので異論を唱えまして番組でその説を採用する事になりましたんですわ。
説得力もあったわけですね。
(米二)語源は何やよう言うてはりましたですね。
宇治で鵜飼いの船に乗った時に「鵜飼いはうがいの語源や」っていきなり言いだしてね。
「あれは喉まで入れてもういっぺん吐き出すからうがいの語源なんや」と。
(米輔)愛読書が字引きですからね。
いっぱいいろんな本並んでましたし。
(米團治)クイズ番組出たらやりにくかったですよね。
ブーッ!て不正解になったら「いやいやこれほんまでっせ」。
(笑い)何でもご存じの博学な米朝師匠。
その知識はこんな分野でも。
(佐ん吉)米團治師匠のクラシックのイベントがありまして米朝師匠がゲストに出られてて。
「今からフニクリ・フニクラを1iAUします」言うて。
で米團治師匠がどうせ知らんやろというような聞き方で「ちゃーちゃん知ってはりますか?」言うて聞いたんですよ。
(米團治)ようそんな事言うな。
(佐ん吉)失礼しました。
(米團治)いやいやそらええねんけど。
(佐ん吉)で「知ってますか?」言うたら米團治師匠より詳しかったんですよ。
・聞いた本人より?
(佐ん吉)はい。
米團治師匠が「へえ〜そうやったんですか」言うてはって。
(関)「フニクリ・フニクラ」って登山電車の。
(佐ん吉)そうです。
イタリアのコマーシャルソングで始まって「フニクリフニクラというのはユラユラ揺れるっていう意味や」とこう言わはったんですよ。
(関)へえ〜。
そうでした。
(佐ん吉)よね吉にいさんが米朝師匠の知らん事を探そう言うて質問しはった事ありますよね。
ユーミンは知らんやろ言うて。
(よね吉)そうですそうです。
松任谷由実さんを知ってるかどうかっていうので絶対に僕は知ってると思うってうちの師匠の吉朝がですね松任谷由実さんユーミンを知ってる。
いや僕は知らないと思いますよ。
で行ったんですよ米朝師匠のお部屋へ。
ほんで「米朝師匠あの〜ユーミンってご存じですか?」って言うたら「知ってるよ」とこう言わはったんですよ。
「ほれ見てみぃちゃーちゃん知ってはるやないか。
ユーミンご存じですか?」「知ってるわしゃ歌まで知ってる」。
「ええっすごい。
どんな歌ですか?」って言うたら「・ねえユーミンっていう歌やろ?」。
・それはネタやん。
(笑い)
(米團治)「紅白歌合戦」NHKの。
1度だけ審査員で出てはって。
7時ぐらいから深夜までず〜っと審査員席座ってはって。
何にもわかれへん歌ばっかり聞かされてはったんやろな思て帰ってきはって「どうでした?」言うたら「うん安室がよかったな」言うて。
(関)安室奈美恵さん?「あの安室奈美恵の歌詞はどんどんこう入ってきた」って。
やっぱり全部聞いてはったんです。
(南光)全部聞いてはれへんて。
米朝師匠あの時2回寝てはんねん途中。
俺NHKの人に聞いたもん。
米朝師匠がカメラ映してたらこう寝てはったからフロアディレクターが行って後ろから「起きてください」。
米朝師匠が「島倉千代子の時に起きる」言わはった。
そう。
出てくる人知らん人ばっかりやねん。
でも感性がええから安室の歌はこらええなと思わはったんでしょう。
続いては米朝師匠の懐かしい秘蔵映像。
ちょっと珍しいこんなお話を。
「絵ばなし」というものが昔あったんですわ。
小噺じゃなくて。
そういう落語があったんです。
(南光)米朝師匠があんまり絵描いたりとかしはる事はないんですよ。
サインはようありますよ。
「一期一会」とかね。
それから「親友を悪友と呼ぶ仲のよさ」とかいうて。
そんな句あったな。
忘れてたわ。
そうですか。
私「素人名人会」出た時もらいましてね。
今でもうちの家宝にしてますわ。
・どこに貼ってはります?
(南光)便所の横に。
アホ!言わしなっちゅうねん!ネタやがなあんたほんまに。
・これ何描いてはるんですか?釣り鐘のつもりやねんけどね。
(南光)これは私はもう先ほどから釣り鐘じゃないかなと思てました。
(笑い)
(南光)釣り鐘以外考えられませんでした。
あっ釣り鐘の下に何か。
釣り鐘型の風鈴なんですよね。
はは〜なるほど。
・釣り鐘型の風鈴。
風鈴はこうやってまあ短冊下出してますわな。
「おっさんこの釣り鐘型の風鈴面白いやないかい。
これなんぼやねん」。
「ええ〜これ1200円にしときますわ」。
「ほなこれで」って1万円札を出す。
「残念ながら細かいのがおまへんのや。
もうちょっと下の安い…」。
「ほなら五千円札」。
「まだ全然商売してしまへんのでなもうちょっと下おまへんか?」。
「それより下ないねや」。
下がなかったら釣りがねぇ
(釣り鐘)という。
(一同)ああ〜。
(南光)はあ〜。
なるほど。
一門の弟子たちの名付け親でもある米朝師匠。
そんな場面でもかっこいいと感じられた事があるそうで。
私は「ざこば」になってからの弟子なんですけれども朝丸からざこばになってからの。
僕はうちの師匠から「お前は桂ざこねや」ってもう言われてたんですね。
でああ〜ええ名前やなと思てたんです。
(笑い)何か…。
思ってました。
かわいらしい名前やなと思て。
師匠に言うてもろたらね。
光栄やなと思てて。
で昭和64年の1月の1日米朝師匠のお宅で皆さんが集まるんですね。
そん時私隅っこの方でいてましたら「あの〜ざこば彼の名前はついたんか?」って言いはったんですね。
ほんなら僕は「ざこねってつけました」って言ってくださると思ったんですが「いやまだなんです」って言いはったんです。
「ほならわかばっていうL
A0どうや」って言いはったんです。
ほならうちの師匠が「それつけていただけますでしょうか」って言ってくださってそれでわかばでみんなでわあ〜って拍手してくださって。
それから決まったんで。
わあ〜うちの師匠よりすごい人いてはんねやと思って。
あん時びっくりいたしました。
かっこいい方やなと思いました。
(関)ざこばさんはもともと雑魚寝が多かったから「ざこね」ってつけられたわけではないですよね?いやいや冗談で言うてたんや。
(関)冗談で言った。
言うてたんや思いますわ。
わかばでよかったですね。
(関)ああ〜だいぶよかった。
いやいやそんな事ないです。
(南光)俺なんか見てみぃな今南光やけどべかこやってんで。
うちの師匠と一緒に米朝師匠のとこ行って何や落語系図とか見ながら「ええ名前があったな。
べかこや」って言われたんです。
もう帰ろかなと思た。
ほんでこれは過去にやね二人ほど「べかこ」って名乗ってた人があると。
(米團治)あのころは漢字で。
(南光)米と歌と子やったんや。
(関)「米歌子」。
それでず〜っと。
でわかりにくいから途中からひらがなになってんけど。
で20年ちょっとした時に米朝師匠が楽屋で「べかこお前もべかこずっと嫌やろ」って言わはんねん。
(笑い)あんたがつけたんちゃうんかい!思いながら「いやいやもう慣れましたけど」言うたら「いやいやもう名前変えた方がええで」言うて。
ほんで言うてもらって南光になったんですよ。
(米二)何年ぶりという名前が多いですね襲名の場合。
枝雀もそうやし。
そうやしざこばも。
私も86年か87年ぶりですよ。
だから「先代の人が売れてた名前です」言うけど世間だ〜れも知らん。
(関)でもそれぐらい昔のお名前を大事に残したいという思いがやっぱり強かった。
(米團治)大阪の名前やったのに東京へ取られてしまった名前がぎょうさんあるんですよ。
それをこっちへ戻したいっていう意識もずっとお持ちでしたから。
(関)そうですね。
それも上方のねいちばん大事なとこですよね。
お伊勢参りをしようというので大阪の喜六清八という二枚連れが泊まりを重ねて暗がり峠を越え奈良を越えて伊勢路へ向かいます。
と一つの村にさしかかりますな。
ひょっと見ますというと村の入り口からずっと向こうの方へ提灯が。
紅摺り提灯が掛け並べてある。
聞いてみますと所の氏神さん61年目屋根替えの正遷宮やという。
急がん旅やさかい見物していこうやないかというので二人が鳥居をくぐりますな。
鳥居の正面には「白髭大明神」という額が上がってます。
す〜っと参道の方へ向かいますと参道の両側には諸国の物売りぶっちゃけ商人が店を出してる。
やかましぃ言うてお客を呼んどります。
ああ〜ず〜っと向こうの方には拝殿お神楽が奉納されておりましてな。
その神楽の音が辺り一面に流れてまいります。
「清めのお神楽ぁ〜」。
「お土産お買いや〜す。
お子たちのお土産はどうじゃいな。
こんなんじゃいなこんなんじゃいな」。
のんびりした時代でね品物の名前言わんと「こんなんじゃいなこんなんじゃいな」てな事言うて売ってるやつら。
「伊勢細工貝細工はどうじゃいな。
本家は竹独楽屋でござい。
竹独楽竹独楽屋でござい」。
ウゥ〜〜ン!これ竹独楽の音でございましてね。
「奥州は孫太郎〜虫」。
いろんな物売りが並んでおります。
二人はざっとお参りを済ましまして横手へ回ってきますとここには見世物小屋が並んでます。
怪しげなものを見せて田舎の人の財布を狙おうちゅうわけですな。
むしろ掛けの小屋で。
表には四斗樽が1つデ〜ンと置いてあります。
鏡は抜いてある。
その上に板を1枚渡しましてそこへあぐらをかきまして上がった銭は皆樽ん中へ放り込もうという。
「さあ〜評判評判!さあ評判の一間の大イタチや。
一間の大イタチや!山からとれとれ。
そばへ寄ったら危ないでぇ!」。
「清やんちょっとこれ見ていこか」。
「やめときやめとき。
こんなもんどうせまともなもんあらへんねや。
見たら腹立てるだけやさかい」。
「せやけどな一間の大イタチやちゅうてるぞ。
こういうものは田舎やないと見られんがな。
うちの近所にかてイタチおるで。
皆ちっちゃいがな。
一間もある大イタチやて。
山からとれとれや言うてるやないか。
そばへ寄ったら危ないやなんて暴れとんねや」。
「見たけりゃ見ぃな。
銭はなんぼやな」。
「おい銭はなんぼや」。
「お一人さんが八文じゃ」。
「ああそうか。
ほんならな二人で十六文やな。
ほんならここへ置くさかいな」。
「へい!ありがとうさんで。
ずっと正面ずっと正面」。
「ほれ見てみ。
何もあらへんやないか。
ええっ?こんなもん…おい!その一間の大イタチいうのはどこにいてんねや」。
「ずっと正面!」。
「もう正面まで来てるがな。
どこに…」。
「ああおまはんらの前に板が1枚立てかけたぁるやろ」。
「えっ?ああ板が置いてあるな」。
「その板一間あんねや。
真ん中に赤いもんが付いてるやろ。
それは血や。
せやから一間の板血じゃ」。
(観客笑い)「イタチと違うのんかい。
おい!板血や言うてるがな。
お前今山からとれとれや言うてたやんか」。
「ああそういうものは海からはとれんでの」。
「そらまあそやな。
そばへ寄ったら危ない言うてたな」。
「ああこけてくるさかい危ない」。
「こけてくるさかい危ない…。
バカにしてけつかんな。
こんなもん見せて銭取りやがって。
おい銭はどうなんねん!」。
「取ったらもぎ取り。
替わろ替わろ〜」。
「さあ評判じゃ評判じゃい。
天竺のクジャク白いクジャク。
天竺のクジャク白いクジャクはここじゃ。
今広げたとこ広げたとこ〜」。
「清やんこれ見よか」。
「お前懲りん男やな。
今イタチでだまされたとこやないかい」。
「あれはこっちも悪いわいな。
一間もあるようなイタチがいてるわけないがな。
そやけどこれはなクジャクや。
これわしは天王寺さんでお彼岸にいっぺん見た事あんねやで。
ああきれいなもんや。
天竺のクジャク白いクジャク言うてるやろ。
天竺のクジャクは白いんかもわからん。
広げたとこ広げたとこちゅうて。
あれはな広げてないと尾を広げたとこやないときれいやないねや」。
「ほな銭はなんぼや聞いてみい」。
「おい銭はなんぼや」。
「お一人さんが八文じゃ」。
「また八文か。
ほな十六文ここへ置いとくで」。
「ありがとうさんで。
ずっと正面ずっと正面」。
「また何もあらへんがな。
第一誰も入ってへん。
こんなアホなもん見んのお前とわしと二人だけやで。
ええっ?誰もおらんちゅうの心細いやないかい。
前は板なと置いてあったんや。
今度何にもあらへん。
おい!その天竺のクジャクちゅうのはどこにいてんねや」。
「ずっと正面!」。
「もう正面まで来てるがな」。
「ああおまはんの頭の上に吊ったぁるやろ」。
「吊ったぁる?何じゃ?あんなとこへ綱張って洗濯物が干したぁるがな。
これ何やいな?」。
「それが天竺の白いクジャクや」。
「どこがクジャクやなこれ」。
「よう見てみなはれ。
それはふんどしが干してあんねやがな。
天竺木綿で出来たぁんねやな。
こっちが六尺のふんどしでそっちが三尺の越中やな。
合わして天竺の白い九尺やがな」。
「九尺かおい!クジャクと違うねや。
天竺の白い…。
お前今広げたとこ広げたとこ言うてたな」。
「広げとかんと乾きが悪いでな」。
「バカにしてけつかんな。
ふんどし見せて銭取っとんねや」。
「女子の腰巻きやったら高い」。
「アホか。
銭はどうなんねや!」。
「取ったらもぎ取り。
替わろ替わろ〜」。
「さあ評判じゃ。
評判の取ったり見たりはここじゃ。
評判の取ったり見たり。
飛び入り勝手しだいじゃ〜い」。
「ついでや。
これも見よかおい」。
「ついでに見ぃでもええでこんなアホなもん」。
「いやもうやけくそや。
これちょっと見ていこ」。
「何やわからへんやん。
取ったり見たり」。
「さあさあわしの思うのはこれは相撲や」。
「相撲か」。
「ああ見るだけやなしにな自分も取ったり見たりすんねやがな。
そやさかいな取ったり見たり。
飛び入り勝手しだいちゅうてるやないかい。
これは相撲や。
相撲ならわしはちょっと腕に覚えがあんねや。
銭はなんぼや」。
「お一人前が八文じゃ」。
「あれに決めてけつかるな。
十六文ここへ置いとくで」。
「ありがとうさんで。
ずっと正面ずっと正面」。
「わしあのずっと@5LLちゅうのをJ9くと|!気にするねやがなどうも。
見てみ。
また何もあらへんやないかい。
相撲なんかどこでやってんねん。
おい!その取ったり見たりちゅうのはどこでやってんねや」。
「ずっと正面」。
「ずっと正面って何もあらへんやないか。
土俵も何もないがな」。
「土俵なんぞはいらんがな。
お前の前に1人おじいやんがいてるやろ」。
「ああ汚いおじいやんがここにしゃがみ込んでるな。
ごそごそごそごそ何してんねや」。
「それが取ったり見たりじゃ」。
「何でやな?」。
「よう見てみぃな。
そのおじいやん着物脱いでしらみを取ったり見たりしてるやろが」。
「しらみの取ったり見たりか!?おい。
お前今飛び入り勝手しだいやちゅうてたやないか」。
「気があったら一緒に取ったっておくれ」。
「アホかお前。
誰が銭出してひとのしらみ取るねん!ようあんな事言うてるでほんまに。
銭は返してくれへんねやろな」。
「取ったらもぎ取り。
替わろ替わろ〜」。
あっちでだまされこっちで銭取られぼやきながら裏手の方へ回ってまいりますとこれはまた高物興行は軽業小屋でございまして今までのもぎ取りとは違いましてなかなか立派な小屋が立っております。
表には12枚の絵看板が並んでおりますな。
式三番叟にはあやめ渡り四ツ綱渡り乱杭渡り火渡り石橋は獅子の飛び付き。
真ん中に大きゅうに葛の葉の障子抜けの絵が描いてございます。
札場には札が山のように積み上げてありましてその前に盛り塩でちょっと験が祝たぁる。
襟に「太夫元より」と染め抜いた法被を着ました若い衆がなちょっとお神酒を入れて顔はほんのり桜色っちゅうやつで。
鬱金木綿の鉢巻きもん。
2枚の札をパチパチ鳴らしながら箱根知らずの江戸っ子ちゅうやつです。
「さあいらっしゃいいらっしゃ〜い!さあ評判の軽業小屋はここやぞ。
さあさあ札買うて入ろう。
札買うて入ろ〜う」。
「これ見ていこか清やん」。
「うん。
これはどうやらインチキもんではないらしいな。
銭はなんぼや」。
「おい!一人前なんぼや?」。
「お一人さんが三十二文じゃ」。
「うわ〜やっぱりええものは銭ぎょうさん取りよるなぁ。
うん。
ほんならちょっとここへ二人前を払うさかいな」。
「ありがとうさんで」。
「ああ〜今のお客さんちょっと銭が一枚多い」。
「おい気ぃ付けんかいな。
親切に言うてくれとるんやもろてこい」。
「えらいすまんな。
一枚多いんやてな」。
「実は一枚足らんねや」。
「お前今多い言うたやないかい」。
「そら一枚足らんちゅうたら人混みの中へ入ってしまうやろ。
多いちゅうたら戻ってくるやろ。
そこでもらう」。
「考えてけつかんなぁこいつ。
お前今四文銭できれいに並べといたはずやがな。
どの筋が足らんねん」。
「この筋が一枚足らんねや」。
「あるやないかい」。
「お客さん節穴を一緒に勘定してもうたら困る」。
「あっこれ節穴か。
節穴は通らんかえ?」。
「そんなもんが通るかいな」。
「指は通る」。
「アホな事言わんともう一枚出しなはれ」。
「どうもしゃ〜ないな。
よいしょ」。
「ありがとうさんで。
おいっ二枚通りや」。
「バカにしてるやないかい清やん」。
「何がいな?」。
「何がいな?ってお前銭払たら客やで。
二枚通りやてひとを落ち葉かかんなくずみたいに言いやがんねん」。
「いやこういう所は人間の頭数は読まんな。
札の数を読むさかい二枚とか三枚とか言いよんねや。
中へ入り中へ入り」。
ざらっと六分からの入りでございまして。
大勢わぁわぁわぁわぁ幕が開くのを待っておりますが。
正面にダラ〜ンとこの緞帳が一枚ぶら下がっておりまんな。
「お〜い!早よ幕開けてや〜!」。
「幕みたいなもんどこにも下がってへんがな」。
「あああれや」。
「あれは幕やない。
緞帳や」。
「はぁ〜緞帳でもだんない!」。
「またしょうもないシャレを言うてんねやないがな」。
わぁわぁ言うておりますうちに時刻がまいりますというと口上言いが出てまいります。
その風体はと申しますと檳榔子の五所紋紋付きを着まして下には段袋のカルサンをはきまして手に大きな拍子木を持ちまして舞台の七三まで出てまいりますとベタベタッと座っておじぎをいたします。
「とざい〜。
長々と打ち囃ましてさぞお待ち久しゅうなござりましたろう。
一座高うはござりますれど不弁舌なる口上なもって申し上〜げたてまつります」。
「さてこの度当白髭大明神屋根替え正遷宮の儀につき我々一座お招きにあずかりましたなれどもご当地は花の御地と承り未熟不鍛練なる我々再三ご辞退いたしましたがた〜ってとのお勧めに従いおこがましくも推参つかまつり初日を明けまするやいなやかくは永当永当のお運び太夫元勧請元は申すに及ばず楽屋一同もの数ならぬ私めに至りますまでがありがたき幸せに存じ上げたてまつります」。
「とざい〜。
まだまだ申し述べたき口上はござりまするが長口上は芸当番数の妨げ楽屋内にて太夫身支度な整いますればお目どおり正座ま〜では控えさせま〜す」。
(お囃子)「シュ〜ッ!」。
「とざい〜。
あれに控えましたる太夫姓名の儀は早竹虎吉が門人和屋竹の野良一めにござります。
お目どおりお引き合わせ済んだるうえからは舞台半ばにおきまして芸当二度の身支度にやっとりかからせま〜す」。
「とざい〜。
身支度な整いますればあれなる蓮台へと足を移す。
蓮台はしだいしだいにせり上がりましょうなれば出世は鯉の滝登り〜」。
「とざい〜。
首尾よく頂上まで登り詰めたるうえからはこなたよりあなたへ張り置きましたる綱の上にと足を移す。
まずしばらくは足調べ深草の少将は小町が元へ通いの足どり〜。
はい!しっかり!危ない!」。
足元をご覧にいれます。
(観客笑い)「野中に立った一本杉。
は〜っ!お目とまりますれば体は元へと取り直す。
達磨大師は座禅の形。
はっ!逆戻〜り。
邯鄲は夢の手枕。
はっ!」。
(観客笑い)「逆戻〜り。
名古屋名城は金のしゃちほこ立ち!はっ!」。
(拍手)「逆戻り。
義経は八艘飛び。
はっ!」。
どないでもなりまっさかいな。
「とざい〜。
これまでは首尾よう務め終わりましたなれどもいよいよこれからは太夫身にとり千番に一番の兼ね合い。
綱の半ばにおきまして両手片足の縁を離す。
まずしばらくは沖の大舟舟揺り〜」。
・ああさ〜てああさ〜て・さてにすずめは仙台さんのご紋・ご紋所は菊と桐・義理
(桐)とふんどしゃかかねばならぬ・奈良
(なら)ぬ旅篭や三輪の茶屋・茶屋の姉貴が飛んで出て・いやだまされしゃんすなお若い衆・いや私も若いときゃ二度三度だまぁ〜されたしょんがいな・おっと違うたうちの太夫さんの軽業は・綱の半ばにおきまして・あちらへゆらりこちらへゆらり・ゆらりゆらり・落ちると見せて足にて止める・この儀なぞらえ古いやっちゃが・野田の古跡はさあ下がり藤のかぁ〜る業軽業〜っ!うまい事この真ん中でピュッとぶら下がるはずやったんですが呼吸が狂たんか下へさしてザ〜〜ッ!・ああさ〜てああさ〜てさてさて…「おい口上言いいつまで口上言うてんねんおい。
太夫さん落ちて大けがしてるやないかい」。
「あっ長口上は大けがのもとや」。
(拍手)偉大なその功績からさまざまな賞を受けた米朝師匠。
その記者会見の席で上方落語のそして弟子たちの将来をいつも気にしていました。
ほんまに夢のようでございまして。
実際40年ぐらい前はもう上方落語は滅びたと新聞に載った事がございます。
「滅びた」と書かれたんです。
何人かの若い…わしらどないなるんやって皆心配したんですけどね。
選んでくださった方はどこまで落語の事をご存じかどうかようわからんのですけどね。
もうほんとに昭和26年ぐらいの時には滅びると言われたし。
東京は全盛でしたがこっちはほんとに火が消えかけてたというのが事実です。
いちばん心配なんは今ぎょうさんぎょうさん若手がおりますが何人これが食うていけるようになるかいなと思う事がまあ気がかりは気がかりですな。
ぎょうさんぎょうさんもいらんと思うんです。
しっかりしたやつが五人もおれば芸は残りますわ。
上方落語の復興に大変な努力をしてきた師匠だからこそ弟子たちの将来を案じあえて厳しくされる事もあったのではないでしょうか。
(関)これはじゃあ米二さん何かございますか?今京都と尼崎で一門の勉強会あるんで私が今引き継いで出番決めたりしてるんですけど。
師匠の若いころはあとの反省会が怖くてね。
みんないろんな事注意してそれも細かくメモをつけてね。
大概一人ぐらいね出来の悪いのがいてるともう集中的に叱られるわけですね。
もうシュ〜ンとなっている。
で師匠の方もこう興奮して結構言うてですねみんなも引き締まってしまうわけですね。
で反省会が済んだ時に「よっしゃお前飲みに行こう」言うてそのいちばん怒られた人を連れて祇園の街へす〜っと消えていく。
その後ろ姿がかっこええなと。
厳しいけどかっこええなと。
お稽古の時はやっぱりほんまに厳しいんですよ。
例のキセルをこう吸うて灰を吹くのはカン!カン!いうのでこっちはドキ!ドキ!として覚えられへんようになるんですね。
ほんで怒り疲れてもうあきれはったんです。
僕もう覚えられなかったんで。
ほなもう…優しい顔して「う〜ん別に頼んで来てもうたわけやないし」。
・じんわりきてる。
(団朝)「若いんやさかいまだまだ潰しもきくから荷物まとめて出ていってくれるか」って言われました。
言われました。
で僕「すいません」もうペコペコ。
ペコペコペコペコ謝りたおしました。
ただ言いはったようにお稽古が終わったら「ちょっとお茶持ってこい」とか何とか言うてわぁわぁわぁわぁしゃべって和ましてくれはるというかね。
(米二)切り替えが早すぎるんですよ。
皆言われたらシュンのままなんですけども師匠だけあと機嫌ようなって「行こか」みたいになって。
(米團治)稽古長いからね。
米平大変やったもんな。
(米平)ああしびれがね。
(米團治)他の人の稽古の間もずっと正座してなあかんのです。
ほんなら彼が正座…。
(米平)いちばん下でして。
(米團治)いちばん下で。
正座してる間に電話が鳴ったんですよね。
米朝師匠の真後ろに受話器があって。
取らなあかんいうて立ち上がった途端に足がよろけてですね何ぞつかまらないかんと思ってつかまったんが米朝の肩やった。
(笑い)
(南光)厳しいのはね私ら孫弟子でもお稽古してもらう時は厳しかったけどその〜前にね米團治さんが米朝師匠のすごいのは一門ねっ直弟子さん誰もやめた人がいないって言うんやけどこれはねやめる人がいなかったというより米朝師匠が「帰ってくれ」とか言うてはるけどすぐにまた優しくされて。
だから米朝師匠が破門にしたがらへんのですよ。
そこがすごいですよ。
でその〜もうお前の顔も見たないっていう人切り替えてまた一緒に飲もかって私なんか絶対嫌ですわ!
(米團治)懐が広いですね。
(南光)広いです。
(米輔)枝雀にいさんがね直弟子を見て「わしなら半分とってへん」と言わはった事あるぐらいですからね。
それをうちの師匠は皆…。
こんな人おんのかな思て。
ある時にお酒飲んでる時に「たくさんお弟子さんいてはりますけど中にはこいつは弟子にとらなんだらよかったんちゃうかとかむかつくそんな弟子いませんか」って言うたら米朝師匠は「う〜んそういう人はおらんけどなはっきり言うてうちの弟子にアホが三人おる」って言わはった。
(笑い)腹抱えて笑いましたね。
誰とは言わないしこの「アホが三人おる」というのは気に入らん人なんでしょうね。
(米團治)この中に。
(文之助)ダメですダメです。
(南光)こん中に二人おりますね。
いや知らんよ。
誰とは聞いてないけど何となくわかりましたけどね。
米朝師匠もやっぱりそういう我々と同じように人間的に思はる時もあんねんなと。
僕も聞いた事ありますよ。
「師匠嫌いな弟子いてますか?」。
「まあこれだけいてたらなあそら一人や二人出てくるわ」。
「その中に私入ってますか?」って僕聞いた。
「いやお前は入ってない」。
あはははは。
(笑い)
(関)よかったですね。
(南光)これ言うたら気悪しはるけどそら言いにくいでしょ。
内弟子として身の回りのお世話をする時にも弟子たちはその厳しさをいろんな場面で感じていたそうで。
僕内弟子の時運転手してたんですけどであの〜とりあえず師匠車の免許ないのに後ろから口出しがうるさいんですね。
「右の方が流れる」「いやいやこっちは左や」とか。
何べん猿ぐつわかまそかなと。
(笑い)それとあの〜スピードね。
こっちは決められた時間で例えば京都に移動せなあかんとかこっちは早うに用意してるんですけど用意すればするほどうちの師匠は何か一人で部屋に籠もってトランプやってはるんですよ。
ほんでもう「早よ出てぇな」って言えないですからね。
けどほんならもう出よかってなった時に出してる靴も絶対履きはらへんしね。
時間食うんですけどそん中を一生懸命高速とか走るんですけど昔の車キンコンキンコンチャイム鳴ってたんですね。
とりあえずそれを鳴らさんようにせんと鳴ったらうるさいんですよね。
何とか京都の仕事に間に合うんですけどとりあえず着くなり「今日は8回鳴った」とかね。
(笑い)
(団朝)何を数えてんのやこの人みたいな。
(米團治)タクシーの運転手にもよう言うてた。
こっち…この信号の手前を左曲がったら信号助かるとかね。
とりあえず近道抜け道とか全部頭に入ったぁるもんやからそのとおりに動かへんかったらうちの師匠はもう嫌なんですね。
(米團治)イライライライラして。
はい。
内弟子修行中に思わぬところで感じた師匠の厳しさというのが…。
日常の言葉遣いも厳しかったですね。
ええ。
私が入門してすぐに時刻を聞かれた事があったんですよ。
「米平今何時や?」ほんで「2時18分です」ってこう言うたら「はっぷんやないはちふんと8@いなさい」。
とりあえずその「はっぷん」という言葉の遣い方が気に入らなんだんでしょうね。
「そうですかわかりました」。
それから以降米朝が事あるごとに時間を聞いてくるんです。
「米平今何時や?」「米平今何時や?」と。
それが必ず末尾が「8」の時なんですよ。
2時18分であったり5時58分であったり。
その時にうかっと「今5時58ぷ…いやいやあの〜58分です」いうて言い直ししてものの5日で直りましたね。
(関)ず〜っと気にされてそれが…。
師匠としてはこの言い方を直してやろうちゅうんでわざわざその時刻を選んで時間を聞いてきはったんです。
(米左)時計ずっと見てはった。
今や!っていうてね。
何事にも妥協を許さない米朝師匠がなんと舞台袖で…。
(文之助)よく米朝師匠袖で我々の話も聞いてくださるんですよね。
ほいで米朝師匠出囃子が鳴ってるのにもう舞台出ないかんのに我々にまあダメ出しというか「今の噺はこういうとこ注意せなあかんで」って「いやあとで聞きますから師匠出てください」っていうような時もあったんですけど。
ある時学園祭に。
大学の学園祭に行きまして落研の人が太鼓をたたいてはる。
三味線弾いたり太鼓を。
そのたたき方が気に入らんかったんでしょうね。
「君なそれは違…あっ違う!」。
「もう師匠出た方がよろしい」。
アマチュアやからそこまで注意せんでもええと思うんですけどやっぱしこう何か間違ってたら学生さんにでも教えたいっていうかね。
更に!妥協を許さないその姿は落語以外の分野でも。
全部自分の頭ん中に既にあるわけですよ。
だからテレビ番組でもカメラマンとかフロアディレクターだとかに必ず「あのねちょっともっとアップにせんとロングに引いてロングに引いて」とかっていうもうカメラワークの指示までしてまして。
誰に対しても気が付いたらすぐ言うてました。
「私の履歴書」。
あれに書いてはるね自分で。
わしは案外わがままで生きてきたかもわからんいうて。
ああそうですか。
うん書いてはった思う。
わがままいうよりマイペースいうんかね。
今度は一転。
弟子だから知るかわいい米朝師匠。
そして貴重な映像も。
一門の弟子だからこそ知る米朝師匠のすごすぎるエピソード。
続いてはかわいらしすぎてすごい!あの〜こんぴらへ行った時だと思うんですけどね。
歩きはらへんかったんですよねあんまり。
それで「ちょっと歩かんとあきません」って言ってで私と三味線のオオカワさんっていう人と一緒に「散歩に行きましょう」って連れ出したんです。
でまあこううろうろ歩いてさすがに「あの階段はもう堪忍してくれ」言わはったんでその前で引き返したんですけど。
「ソフトクリーム食べんかえ?」って言わはるんですねで「はいありがとうございます」って言って。
しつこく言わはるんですよ。
「ソフトクリームはいらんかえ?」って。
3回目に「あっじゃあいただきます」って言うて買ってくれはって。
自分が食べたかったんですね。
ペロペロペロペロうれしそうに食べはって。
それのその顔がかわいらしくてね。
想像できます?米朝師匠が道でソフトクリームなめてはるの。
(関)あの鼻筋でね。
(すずめ)はい。
ほんとに何かもうほほ笑ましかったですよ。
かわいかったです。
(よね吉)ソフトクリームお好きでした。
どこ行ってもアイスクリームソフトクリーム好きでしたですね。
(米左)千歳空港のねソフトクリームはものすごいお好きでした。
「ここのはうまいねん。
おいしいねん」言うて一緒に並んで買うてもらいました。
(関)ああ〜そうですか。
米朝師匠のかわいい一面。
ご自宅で偶然目撃したのが…。
あの〜一門で師匠の11月のお誕生日の日に集まるという日はもう朝からソワソワソワソワしてはるんです。
「今日は何出すねん」とか「酒は何本あんねん足りてるか?」とかずっとこう上がったり下がったり上がったり下がったり家をしてはって。
ほんで手持ち無沙汰なんでファンレターにお返事を書いてはったんですよ。
珍しいな思てどんな事書いてはんねやろなと思て見たらあかんと思いながらこう見たら落語の質問の返事で「あれはこうこうこういう事です」いうていろんな文章書いてはって最後に「今日は私の誕生日」って書いてはったんです。
(笑い)
(関)かわいいですね〜。
・今出囃子に乗りまして桂米朝さんそして…。
人間国宝に認定された時のパーティで仲むつまじい様子を見せていた米朝ご夫妻。
・おめでとうございます。
続いてはちょっと趣向を変えて米朝ご夫妻の知られざるエピソードを。
米朝師匠は何だかんだ言いながら大ママとすごく仲がよくってですね。
あの〜大ママの事をすごく気にかけてはりましたです。
僕が内弟子の時はですね。
であの十三で金鍼っていう鍼灸のね鍼の治療受けて帰りはるんですけども必ずあの〜駅前で十三のやわらかい焼き餅という500円ぐらいの大きさのやつを10個買って帰りはるんですよ。
僕に「買うてこい」って言わはりまして。
それを買っておうちに帰ると大ママは全然お酒飲みはらへんのです。
米朝師匠はお酒大好きですよね。
ほんでその晩酌をしてはる横で大ママはその焼き餅をおいしそうに食べはるんですよ。
ほんで米朝師匠はずっとテレビ見てはるんですけど横でちょっかいをず〜っとかけはるんですよね。
「ちゃーちゃんこの焼き餅おいしいわ」。
「そうか」ってまたテレビの方ず〜っと見てはるんですけどまた何かあったら「ちゃーちゃんこれおいしいわ」。
「そうか」って。
もう最後の最後に「ちゃーちゃんこれやったら私100個でも食べられる」ってこう言わはるんですよ。
ピクッてですねお酒が止まってですねゆっくり大ママの方を見て「食べられへん」ってこう言わはるんです。
(笑い)あまりにも何か引っ掛かったんでしょうね。
「食べられへん」ってこう言わはったんです。
ほんなら奥さんもそのまま黙ってたらええのにまた米朝師匠の方向いて「食べられる」ってこう言わはるんです。
だんだんだんだん震えてきて「食べられへん」とこう言う。
「食べられる」。
もうしまいに「食え!100個食って死ね!なあよね吉」ってこっちに振ってきはる。
(南光)何か米朝師匠の値打ち下げてるやん。
(米輔)アバウトな事許せないんですね。
きっちり…きちょうめんな人ですから大体というおおよそな事は嫌いな人なんで多分その餅100個も…。
スルーできなかった。
(関)スルーできないんですね。
100個も食べられへんっていう事を言いたかったんですね。
(米團治)うちの母が寝込んでしまいました時にはそ〜っと天満の天神さんへ一人で行って。
パンパン!ってやってた姿をさこばにいさんの奥様。
ねっマユミねえさんが…。
よう覚えてるな。
うちの嫁はんが娘連れて天満の天神さんへ行ったら師匠が手合わしてはってね「ああ師匠〜」言うてうちの嫁はんが。
「何か?」言うたら「いやいやちょっと嫁はんの事をな」ってこう。
奥さんがちょっとこう病気の時に。
嫁はん泣いとったね。
(米團治)うちの母が天満の天神さんの氏子ですから。
菅原町で生まれたもんでね。
ず〜っとそこを気にしてたみたいですね。
絶対口には出さないそういう事は。
まだまだ続く爆笑エピソード!そして米朝落語の名演。
一門の弟子だからこそ知っているエピソード。
実はちょっとおっちょこちょいな一面が。
(米團治)おにいさんが離婚した時。
池田アゼリアホールで。
米朝はね実はねここだけの話ねしゃべりなんですよ。
それで「これだけは言わんといてください」っておにいさんが離婚した事を誰にもないしょで「師匠にだけちょっとお伝えしたいんですがうち別れてしまいまして」。
「あっそうかいなそんな事誰にも言えるかいな」言うて池田のアゼリアホールで打ち上げの時に「かんぱ〜い」言うたら「こいつが離婚しよりましてな」。
だからもうこれだけは言うなっていうのは米朝師匠には言うたらあかんという。
これは暗黙の了解で。
(南光)人間国宝に認定されはった時ね事務所は知っててもちろん米團治君は知ってる。
ざこばにいさんと私は一応米朝事務所の常務やから聞いてて。
でも一門の方にもまだ。
ねっ言われてるから。
「絶対言わないでください」って。
黙ってた。
嫁はんにも黙ってたんや。
ところがみんなが「米朝師匠人間国宝になりはるらしいですね」。
「お前ら誰に聞いたんや?」言うたら「米朝師匠に聞きました」。
米朝師匠が皆つかまえては「ないしょやけどなわし人間国宝になるらしい」。
自分で皆しゃべってはった。
(米團治)しゃべりでしたね。
(南光)あっこがおちゃめやったね。
かわいかったわうん。
(出囃子)童歌というものがだんだん廃ってまいりまして。
ちょいちょいラジオやとか何かの音楽会なんかで歌われてますがあんまり童は歌いまへんな。
大人のコーラス団やなんかが歌うたりしてまして。
子供の歌うもんではないようになってきました。
大人も子供も寄って歌える歌というのは減りまして探してみたらコマーシャルソングだけやったってな事になる。
今はもう古い歌が何か保存されてるというようなそれだけになってしもて寂しい事ですが。
皆あれは遊びを伴いましたですな。
・中の中の弘法さんてな事言うて遊んだもんです。
「まめだ」という言葉がございます。
「雨のしょぼしょぼ降る晩にまめだがとっくり持って酒買いに」ってな歌があってね。
あれは遊びは伴わんようですが。
まめだというのは豆だぬきの事やと。
大阪はようまめだが悪さしたらしい。
あっちやこっちにおりましてね。
まめだはかわいらしいいたずらをいたします。
たぬきというのはどっちかというと愛きょうがありまして。
きつねの方は何となしに陰険でございますがな。
たぬきの方は何かかわいらしいとこがありますな。
あの〜伝わってる話なんかでも面白いのがあってようたぬきが坊さんに化けてね碁を打ちに来るてな話が。
京都の方で古い人から聞きまして。
そこの隠居はんとこへ毎日たぬきが和尚さんに化けて碁打ちに来る。
碁がだんだん負けてくるちゅうと尻尾やなんか出てきまんねん。
「おじゅっさん尾が見えてますよ」。
「ああさよか」言うて隠してまた碁やってたちゅう。
(観客笑い)たぬきやさかい笑えますけどな。
他のものやったらなかなかそうはいきまへんけどたぬきというのはどことなしにかわいらしいようなところがあるんでございますが。
これはまあミナミの方のお芝居のお話で。
幕末から明治の初年へかけて大阪に市川右團次という名優がおりました。
元は東京の嶋屋東京の役者ですが後に斎入という名前になってケレンで売った人ですな。
「鯉つかみ」なんかいうて舞台に水しつらえといてド〜ンと飛び込んでね早変わりをしたり宙吊りをやったり石川五右衛門やとかそういう役で売った人なんですが。
この右團次さんの弟子で大部屋の市川右三郎という役者がおりまして。
大部屋の殊に下回りの役者てなものは大変でございます。
その明治の初年でっさかい電気なんかなかったので舞台の照明は皆上からおてんとさんの明かりを入れて天窓から明かりを入れて芝居をしてたんですな。
そやから芝居は夜明けに始まって日がくれに終わります。
夜芝居というのはろうそく代なんか高うつくのであんまりなかった。
早朝から東が白んだころにカラカラカラカラとやぐらの太鼓を打ちまして。
一番太鼓二番太鼓それからちょっと三番叟をやるころにぼつぼつお客さんがお見えになる。
幕あいも長うございましてな。
夕方になって日が西に沈むころには芝居は終わったという。
まあ踊りなんかの場合にちょっとろうそくを立てて上から吊るしたり下へずらっと出したり華やかにいたしますが昼のもんやったんですな。
だから早朝でございます。
大部屋の役者てのは情けないもんで役があろうとなかろうと早うに楽屋入りをしてしまいまでおらんならん。
ろくな役つきまへん。
この右三郎なんかの役てなものは幕が開くと旦那の供をして出てくる。
客席はまだざわざわざわざわしてますわ。
桜が咲いてる。
旦那がそれ見て「ああもう桜が咲いたな。
うちもいっぺん花見に行かないかんな」。
「だんさん花はじきに散りまっさかいに早い事花見の日取りを」。
「そうじゃなぁ」。
てな事を言うてす〜っと入ったらもうそれでしまいでございましてな。
中には幕が開くと「けんかやけんかやけんかや!」。
わ〜っザ〜ッと人が逃げてくる。
そん中の一員ですな。
上手から下手へザ〜ッと逃げ込んだらあとは永久に出てくる事はないというような。
それでしまいというような。
たまにちょっと名前のある役がついた。
おおこらええ役やなぁと思たら幕が開いたら死んでるちゅうねん。
舞台の真ん中で死骸になって。
それを取り囲んで人がわぁわぁわぁわぁ言うてて。
セリフもなければ動きもないというような。
まあまあそんな役ばっかりです。
ちょっとええ役がつくのはカラミですな。
「忠臣蔵」のお軽勘平の道行やとか忠信の道行てな時に花四天てな役がつきますと桜の枝を持ちまして「よっ!」てな事を言うてな絡みます。
ほんでパッとやられるとパッとひっくり返る。
それをポ〜ンとトンボが切れますと宙返りができますとちょっとええ役がつくんですな。
ちょっと手当もようなりますので皆このカラミの連中は一生懸命トンボの稽古をいたしました。
この右三郎のうちは三津寺筋に…。
三津寺さんという今でもございますがあのお寺の向かいの辺で「家伝びっくり膏」ちゅう看板が上がってまんねん。
膏薬。
ず〜っと先祖代々その膏薬を売ってる。
これが収入になりますのでね。
芝居の給金だけではとても食っていけまへんのでお母さんが家伝のびっくり膏という小さな貝殻に詰めて膏薬を売ってるわけです。
まあ家がそういう膏薬売ってまっさかいなトンボの稽古をしてガッと痛むとまたその膏薬を塗ってはまたダ〜ンとひっくり返る稽古をして腰が痛い。
膏薬塗りながらトンボの稽古をしてこのごろ舞台できれいに返るようになった。
前へ返ろうが後ろへ返ろうが自由にできるようになったんでちょいちょい役らしい役がつくようになりました。
今日も芝居がはねます。
親方のところへ行きまして「お疲れさんでございました」と挨拶をする。
兄弟子やなんかに挨拶をする。
すっと帰れまへんな。
もう下回りの役者てなものは道具方から鳴り物方からみんなに「お疲れさま。
お先に失礼します。
にいさんお疲れさんでございました」。
お茶子のおばはんにまで挨拶をしたり下足番でも「おっちゃんお先」ちゅうような事を言うて外へ出ます。
道頓堀から三津寺さんの向かいやさかい近いんですが外へ出たらパラパラパラパラパラパラ雨が降ってきた。
秋の時雨というやつですな。
「ああ〜冷たい雨になりそうやな」。
なじみの芝居茶屋で傘を借り受けましてそれを差しましてげた履きで太左衛門橋を渡ります。
今と違いまして昔は真っ暗ですなあの辺。
お茶屋がちょいちょいとございますが三津寺筋なんかも陰気やったそうで宗右衛門町を横切りまして三津寺筋を西へ曲がってカタカタカタカタとげたを鳴らしながら歩いてくると傘の上がずしっと重となった。
「おかしいな」。
すぼめてみると何にもない。
「気のせいやったんかいな」。
また差して歩きだすとずしっとくる。
何にもない。
「はは〜ん。
まめだが悪さしやがる。
今度来やがってみぃ」。
今度は呼吸を計って歩いてます。
ずしっときた。
来たな!っちゅうところで束に立ちますというと傘を差したままポ〜ンと一つトンボを切った。
逆トンボクルッパッ!と。
ギャッ!と声がしてたたきつけられた犬みたいなけだものがバ〜ッと向こうへ走った。
「ざまぁ見さらせまめだめ!悪さするさかいそんな目に遭うんじゃ。
てっ!キジも鳴かずば撃たれめぇに。
益ねぇ殺生」。
白井権八みたいなセリフを言うて。
うちに帰ってまいります。
「今戻ったで」。
格子を開けて入りますとあんどんそばに置いてお母はんが銭箱を片づけたり貝の勘定をしたりして。
「ああおかえり」。
「ああ腹減った。
早よ飯にしてぇな」。
「ああじきに御膳の支度をするでな」。
「ああ昼から何も食うてへん。
芝居の雑用てなものはろくなもんあらへん。
腹減ってたまらんがな」。
汁を温めてもらいまして親子で晩ご飯を済ましますと朝が早いもんでっさかいにじきに眠となる。
ゴロッと休みます。
明くる日また東が白んだ時分に起きて顔を洗いまして朝ご飯を食べる外へ出る楽屋入りをいたします。
一日の芝居を終えて昨日借りた傘を返しました。
すたすたすたすた太左衛門橋を渡って家へ帰ってきました。
「ただいま」。
「おかえり」。
「おかん何してんねん」。
「いやなちょっとな」。
「何やいな?銭箱開けて」。
「いや…ちょっとこうわからんねん」。
「何がわからんの?」。
「貝の数とぜぜとが合わんの」。
「合わんてうちほどわかりやすい商売ないで。
ひと貝が一銭やないか貝一つが。
貝の数と…」。
「あそうそうこんな勘定のしやすい商いないのやがな。
出た貝の数よりぜぜが一銭足らいでなイチョウの葉が一枚入ってんねん」。
「イチョウの葉ぐらい入るわいな。
今落ち葉の季節やないか。
表イチョウの葉だらけやで」。
「銭箱の中入るはずないんじゃ。
それに今日はなついぞ見慣れん子供が買いに来よったんや」。
「子供?」。
「うん。
かすりの着物着て何じゃ陰気な子が来てな。
気色の悪い子じゃなと思てたんやがイチョウの葉…」。
「イチョウの葉。
一銭ぐらいええやないか。
葉かて紛れ込むわいな。
勘定間違いちゅう事かてあるわいな。
それより早よ飯にしてぇな。
腹減ってかなんねやがな」。
ご飯を食べて寝てしまいます。
明くる日また芝居を済まして帰ってくる。
「ただいま。
また思案してる。
どないしたんや?」。
「どうも不思議じゃ」。
「何が不思議やねん?」。
「いや今日もな銭が一銭足らいでイチョウの葉が一枚入ってんねん」。
「不思議な事あらへんがな。
向かいの三津寺はんのイチョウバ〜ッと降るように落ち葉やないかいな。
紛れ込む事かてあるやろ」。
「そんな事ないちゅうんやがな。
それに今日もなあのかすりの着物着た陰気な子供が買いに来て」。
「もうそんな事どうでもええがな。
腹減ってペコペコやがななあ。
このところもう何にもないねや。
雑用しか食うてへんねやさかい」。
「そんなやいやい言いないな。
まあ御膳の支度するさかい」。
次の日帰ってまいりました。
「今戻ったで。
またや〜。
また思案してんねや」。
「不思議な」。
「何が不思議なんや」。
「今日こそ不思議なで。
今日こそわしゃ気ぃ付けてたんじゃがな。
銭箱を開ける時にな貝一つ売ってぜぜ入れたらちゃんと蓋をして上に物まで置いてイチョウの葉なんぞ紛れ込む事ないようにしてないっぺんいっぺん銭箱の中見てイチョウの葉入ってないなと見てしてたんや。
ほならまたあのかすり着た陰気な子が来て。
その時もぜぜ入れてどないもないねん。
で次のお客さんが来た時銭箱開けたらイチョウの葉が一枚」。
「イチョウの葉イチョウの葉て口銭あんねやないかいな。
一銭ぐらいかまへん」。
「いや銭の事よりも何じゃ気色が…」。
「飯にしてぇなもう」。
こんな事が毎日続いてしまいには「ただいま」ちゅう代わりに「イチョウの葉か」ちゅうて帰ってくるような事に。
それが何日か続きましたが今日もまた芝居を果たして帰ってまいります。
「今戻った…。
またやもうええかげんに諦めたらどやねん」。
「不思議な…」。
「何も不思議な事あらへんがな。
銭が一銭足らいでイチョウの葉一枚入ってんねやろがな」。
「いやそれが今日は銭がちゃんと合うてイチョウの葉が入ってないねや」。
「不思議なな〜そら」。
(観客笑い)「何も不思議な事あらへんがな。
当たり前やそれで」。
「いやそれに今日に限ってあのかすり着た陰気な子供が来やせんのじゃ」。
「来んようになったらええやないか厄逃れみたいなもんやないか」。
「そらまああんなお客別に来てもらいたい事はないがな。
あの子が来なんだらちゃんと銭が合うてイチョウの葉…」。
「もう厄逃れや。
それでええがな。
腹ペコペコや。
早い事ご飯の支度してぇな」。
飯を食べて二人寝てしまいます。
明くる日。
「あ〜あまたかいなぁ。
今日も芝居へ行かんなん。
もうちょっとゆっくり寝られんかいな」。
ぼやきながら右三郎顔を洗うて朝飯を食べてますと表の方でわらわらわらわら。
人の足音ざわざわざわざわ。
何かいなと思たら「お〜い来てみ来てみ。
三津寺はんの境内でまめだが死んでるで」。
「三津寺はんの境内でまめだが…。
おかんちょっと見てくるわ。
どないしたん?」「三津寺はんの境内見てみぃな。
こんなちっちゃいたぬきが死んでんねや。
体じゅうに貝殻いっぱい付けて死んでんねんで。
けったいなたぬきやで」。
「貝殻!うちの貝!」。
「おうあんたびっくり膏の息子はんやな。
これあんたとこの貝?」。
「おおうちの貝。
おかんおかん!ちょっと来てみ来てみ。
うちの貝殻を付けたまめだが死んでる。
思い当たります。
このまめだわたいが殺したようなもんだんねん。
いえもうだいぶ前の事になるがなわたい傘差して雨の降る晩歩いてたらずしっと重となる。
まめだが来やがったなと思て傘差したままポ〜ンとトンボを切ったらギャッ!とたたきつけられよった。
ざまぁ見せらせと思てたらあのまめだイチョウの葉を銭に変えておかんうちへ毎日貝殻…薬買いに来てたんや。
アホお前これなぁこれはお前紙かきれに伸ばして貼らないかんのやないかい。
貝殻ごとそんなふさふさとした毛の上からひっつけて効くわけない。
ちょっと聞いたら教えたったのに。
これわしが殺したようなもんや。
かわいそうに。
毎日毎日一生懸命にイチョウの葉銭に変えてうち買いに来とった。
おじゅっさんわてなんぼか包ませてもらうさかい安もんのお経で結構だっさかいなこのたぬきにお経上げとくなはれ。
境内の隅どっか邪魔にならんとこ掘ってうずめたっとくなはれ。
皆さん方も関わり合いや。
このあわれなまめだに折れた線香の一本でも手向けたっとくなはれ。
頼んまっさ」。
みんなもあわれな話やというので手を合わせてたぬきのなきがらに回向をささげますとばらばらばらばら帰っていく。
あとにお寺の住職と親子のもんが残ってかわいそうになぁこのたぬきじ〜っと見ておりますと秋風がサ〜ッと吹いてくると庭一面に落ちてますイチョウの葉がばらばらばらばらばらばらばらばら〜たぬきの死骸のところへ集まってくる。
「おかん見てみ。
たぬきの仲間からぎょうさん香典が寄ったがな」。
(拍手)稽古では厳しい米朝師匠ですが弟子にはよくプレゼントをされたそうです。
二人きりで夜とかねお酒飲んでる時に二人とも酔うてるもんやからどんどんいろんな話になってきて。
「実は師匠こないだ財布替えたんですけど新しい財布に替えたらお金がどんどん出ていくんですわ」って言うたら「そういう事あるんや。
実はわしは昔使てた財布がもう古なって使てへんけどその財布使てた時はよう金が入ったんや」と。
「師匠それもう使てはりませんの?」。
「使てへんけどな。
おまはん使うかい?」言うてね。
「ほなください」言うたら「ほな出したるわ」言うてそのボロボロの財布出してきはって。
で「師匠すいませんけどこれ師匠からもうたってわかるようにここにサイン書いてもうていいですか?」言うたら「おお書いたるわ」言うてそこに…財布の中に「桂米朝」って書いてくれはってね。
でやっぱり僕のためにくれはったっていうのわかるように「すいませんけどこの肩に団朝へって書いてもうていいですか?」言うたら「何でも書かすなぁお前は」。
「団朝へ」って書いてくれはった。
こら何でも書いてくれはるわと思て「その団朝の肩へアホのってIUけてもうていいですか!)」って言うたら「ああ〜まあ書いたろ」。
「アホの団朝へ」いうて書いてくれて。
今日その財布持ってきたんですけど。
確かにボロボロの財布やったんですけど。
これよっぽど…師匠が使てはったやつやからブランド品なんやろなと思て明くる日酔いもさめてパッと見たらここに「関西テレビ放送」って。
ノベルティーやがな!みたいなね。
けどうちの師匠やっぱりず〜っと使てはったんやろね。
(関)あらうれしいです。
(団朝)ほんとに刻印打ってある。
「関西テレビ放送」。
これですから「ハイ!土曜日です」とかの時に…。
(関)はい土曜日の朝の生放送ですね。
何か作りはったやつなのかわかりませんけどそれをずっと大事に使てはったみたいですね。
ちゃんとここに「アホの団朝へ」と。
何でも僕の言う事割と聞いてくれはったいうか他にもサインねだった時にも書いてくれはったりとかね。
それは競馬でボロボロに負けてなけなしの金でとりあえず帽子を買うてね「師匠ここにサインしてください」って言うたら「何やお前競馬で負けたんか」。
その帽子の頭のところに「負けるな団朝」って書いてくれはったんですよ。
(笑い)・すごいな。
・ええなぁ。
(団朝)「負けるな団朝桂米朝」いうて。
このあともマル秘エピソードが続々。
続いてはまだ入門して間もない若い弟子たちが目撃した米朝師匠のエピソード。
(関)二葉さんとかはいかがですか?会った事…米朝さんとお話。
う〜んまあ…。
あのお話ちゅうかまあこんなん言うてええのかどうか。
私今こんな頭してますけどね2か月ぐらい前までこんな大きなアフロの頭してまして。
それあの〜米朝師匠の前にいた時に言われた事ありましたね。
絶対怒られるなと思とったんです厳しそうなんで。
怒られる思てたんですけど「はやってんのんか?」って言われました。
(笑い)
(二葉)「はやってはないですけど好きでやらせてもらってます」って言うたら「まあええがな」言うてくれはりました。
(関)あっ「ええがな」って。
(二葉)そういう思い出が。
(米團治)女の子の弟子を米朝の直弟子は…。
まあ後にすずめねえさん入りはりましたけどすずめさんまではなかったのでだから女性には優しいんじゃなかったですか?
(関)どうですか?すずめさん。
まあ優しかったかもしれませんね。
別物っていう感覚やったと思います。
だから弟子であって弟子でないような。
だからまあつまり色物っていうんでしょうか。
そういうような事をおっしゃってましたですね。
(米團治)ずっと女の弟子はとれへんって言うてはったのにねえようとりはりましたもんね。
(すずめ)ねえ。
女やと思てなかったんかな。
(関)そんな事はないと思います。
鞠輔さんもねいらっしゃいます。
(鞠輔)鞠輔です。
あの…私米朝師匠があまり動いてるところ見た事がないんですけど。
どない言うたらいいですか。
(笑い)
(南光)それはアンドロイドちゃうの。
いちばん最後の方まで付いてたんは米輝ですわ。
私あの〜米團治の弟子なんですが米朝師匠のお宅でお稽古つけていただくんです米團治一門。
で米朝師匠が寝てはる所横でですねちょっと横で稽古させてもらいます言うて師匠に稽古つけていただいてたんですけども。
あの時おにいさんでしたかね。
團治郎にいさんがちょっとセリフ言い間違いはったんですよ。
「煮売屋」という落語で「銭置いとくで釣りはいらんさかいな」というとこを「銭置いとくで銭はいらんさかいな」。
ちょっと言い間違いはったんですよ。
ほんならそれ間髪をいれずに寝てると思てた米朝師匠が「銭はいらんって何や!」。
いちばんビクッとしたんはうちの師匠です。
師匠が亡くなる3週間ぐらい前の話なんですけど病院へ入院してはりまして僕が行かしていただいた時にあんまりもう…それぐらいの時になると無駄なリアクションをされなくて。
「ご飯食べますか?」言うたら「うん」とか返事するぐらいやった時にテレビを見てたらサスペンスの再放送が流れてまして。
昔って胸が…。
女性の胸でも普通に出てた時期が。
昔は出てたんですけどそれを見てるとですねちょうどぬれ場の時に女性の胸がボンと出たんです。
で米朝師匠に「昔ってこんなんよう出てたんですね」って米朝師匠に振ったら米朝師匠が首を上げて「おおっ!」って言うて。
(笑い)やっぱりあの年になっても男は男やねんなと思って。
(関)今天国で怒ってはるかもしれません。
「余計な事言うな」とおっしゃってるかもしれないです。
だからこそねでもあの〜色っぽい落語もできられるんでしょうね。
(南光)あんたのフォローおかしいわ。
わからんわ。
続いては…。
予想外のハプニング。
僕襲名する時に師匠から南天っていう名前…。
ええ〜米朝師匠がお若い時分にネタ習たりとか。
また先代の南天師匠いうのは晩年ほんまに不運な人でお金も持ってはらへんので米朝師匠がお小遣いを逆に南天師匠に渡したりしてはったらしいんですけど。
そんな名前なんで「どうでしょうか?」言うたら「うんまあ継いだらええ」という事になりまして。
ほんで記者会見なんかも機嫌ようこうやってくれてはったんですけども。
ほんでまああの〜インタビューでね「先代の南天さんはどういう人でしたか?」。
まあこういう時大概「売れに売れて芸はこうで私がこんなふうに習て非常にお世話になった人です」。
米朝師匠が言うてくれはるかいな思たら「ふびんな人でした。
誠に晩年はふびんな人でした」。
えらい事言わはったな思て。
記者会見それがあって次口上には並んでくれはるいうてありがたいな思てね。
ざこば師匠も鶴瓶師匠も皆並んでいただいてまあ…。
私は頭下げてそれぞれ前…。
それぞれええ事言うてくれはるんですけどさあいざ米朝師匠の時にこの間の「ふびん」があるからな思てねどないなるかいな思て。
司会の吉弥君か誰かが「どうですか?南天という名前どうですか?」言うたら米朝師匠が「腐ったような名前ですわ」。
(笑い)
(南天)ブリーゼがぶわ〜っ!ウケて。
もうね多分米朝師匠がいちばん最後にウケたんはあの日やと思いますわ。
最後の爆笑あの日やと思うんです。
私もう頭下げながらブルブル震えて何ちゅう事言うてくれんねや…。
(南光)ただね私がもうその時突っ込まなしゃあないから「もうよろしいわ!」いうて米朝師匠に対して舞台でも言うたんですよ。
でまたうわ〜っ!となって。
終わってから楽屋で「米朝師匠どうも先ほどは結構な口上ありがとうございました」ってちょっと嫌み言うたったんですわ。
ほな米朝師匠が「南光」って呼びはって「何ですか?」言うたら「ようウケたなぁ」って言うてね。
だからわかって言うてはったんですよちゃんと。
しっかりしてはったんですよ。
ありがたい事でございましたね。
そこでごちゃごちゃごちゃごちゃねほんとの事言わんでもその方がずっと面白かったからそれはそれでありがたかったですほんとに。
まあ…全部一門はうちの師匠の息のかかった孫弟子さんであれ…。
もうたくさんね米朝さんのエピソードまだまだ尽きないんですけれどもでは最後にざこばさんから改めて師匠への感謝の言葉そしてテレビをご覧の皆様へメッセージをお願いします。
ああありがとうございます。
まあ…全部一門はうちの師匠の息のかかった孫弟子さんであれ何であれそういう噺家なんで向こてる方は皆一緒やろと思いますんで一生懸命一門頑張りますんで末永く米朝一門をよろしくお願いいたします。
ほんまに今日はありがとうございました。
おおきにおおきに。
(米團治)ありがとうございました。
こんなもんでよろしいか?
(関)ありがとうございます。
どういたしまして。
(関)これからもね米朝一門がもっともっと繁栄して皆さんもお酒もどんどん強くなって…。
(笑い)わからん意味が。
意味がわからん。
何でこれ強ならなあかんの?わからん。
(米輔)あの〜元気で飲んでくださいという事だと。
強なって…強なって言うたで。
(南光)「落語をもっと」とか言わなあかんのちゃうの?
(関)そうですね。
落語ももっときわめていただいて長く長く末永く繁栄していただきたいと思います。
はいどうもありがとうございました。
結構なお言葉ありがとうございます。
2015/04/12(日) 16:00〜17:25
関西テレビ1
一門勢揃い スゴすぎまっせ!米朝師匠!感謝申し上げます。[字]【人間国宝の秘話満載】
上方落語に多大なる功績を残された、桂米朝さん。その偉業を一門の皆さんに語っていただきます。あまりにスゴすぎて、驚きを超えて大爆笑の米朝さんの秘話をお楽しみに!
詳細情報
出演者
桂ざこば
桂南光
桂米團治
ほか米朝一門のみなさん
番組内容
総勢70名近くになるという、米朝一門。その中から、米朝さんのスゴすぎる伝説を知る方々にお集まりいただきました。出るわ、出るわスゴイ話。スゴすぎて、スタジオは驚きから大爆笑に変っていきました。厳しすぎてスゴイ話、カッコよすぎるスゴイ話、カワイすぎるスゴイ話、とにかく、米朝さんのお人柄が手に取るようにわかるお話ばかりです。そして、関西テレビの秘蔵映像で、懐かしの米朝さんの落語もお楽しみください。
ジャンル :
劇場/公演 – 落語・演芸
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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