江戸時代ある天才絵師によって描かれた2つの国宝が半世紀ぶりに再会しました。
琳派を代表する絵師尾形光琳の…日本のデザイン感覚の原型とも言われています。
抽象画のような水流と生命力あふれる梅。
相反するものが不思議な調和を奏でる…その世界に今なお多くのアーティストが刺激を受けています。
足元の日常に…このとおり生々しい花なんだけどもこの花の形を借りてあらわれたある非常に崇高な世界観というものに対しての憧れというか。
絵画のようで絵画じゃないように思わせてでもやっぱり絵画としか言いようがないなっていう。
エクスタシーの状況にいけちゃうっていう。
興奮しすぎちゃってちょっと恥ずかしいなって感じ。
今回第一線で活躍するアーティストが光琳と向き合い創作する姿に密着。
やっぱり箔の跡をねちょっと出したいので。
没後300年を経た今も圧倒的な影響力を与え続けるその秘密を探ります。
尾形光琳現代に息づく美の魔力とは。
「日曜美術館」です。
この「日曜美術館」は4月40年目を迎えました。
スタートしたのが1976年ですからね。
本当に40年目の節目の年にこのように参加できてほんとに光栄に感じています。
まだまだ40年かもしれません。
ほんとに心新たに改めてどうぞよろしくお願いいたします。
さあそんな節目の年の第1回は1時間の拡大版です。
今年が琳派400年という事もあってその琳派の名前の由来ともなった尾形光琳を取り上げます。
光琳現代の言葉で言うとずば抜けたセンスを持つデザイナーだなというふうにも感じています。
今回はですね現代を生きるアーティストが光琳と向き合って作品をつくり上げていく姿に密着し光琳の世界に迫っていきます。
今年2月熱海にあるMOA美術館で尾形光琳の展覧会が開かれました。
会場を訪れたのは…光琳の2つの国宝が同時に展示されるのは56年ぶり。
それを見るためニューヨークからやって来ました。
僕今ねここ帰ってきてほんとねもう身の毛がよだちましたね。
全身鳥肌です。
触ります?全身鳥肌ですね。
なんですかねこの…今でもゾクゾクきてるんですけど。
今特に惹かれているのは「燕子花図屏風」だと言います。
女性性を感じました。
女の人のイメージなのかなと思ったんですね。
この世に現れた天女のようなものを描いてるのかなと思ったんですね。
女性賛美のような気がします。
なんか直感的に思ってます。
そういうふうに僕は感じるとは思わなかったですけどね。
光琳40代半ばの作品。
金一色の背景に燕子花がみずみずしく咲き誇っています。
美術作品…特にこういう絵画作品っていうのはまず色から入るんですよ。
色の印象から。
ボンと目に飛び込んでくる色は何なのかっていう時の青と緑と金。
結果的にたまたま装飾的にも見えるかもしれないけれども光琳がやりたかった事は装飾ではないですね。
強烈な対比つまり群青も緑青もとても強い色ですからその2つが並んで対等に戦える色は何かっていったら金しかないですよね。
最も崇高なものを表す事のできる色の組み合わせっていうのは金と青だと思います。
多分光琳は崇高さであるとか神秘であるとかなんかそういうものを描きたかったんじゃないですか。
それともう一つやっぱり一番いいなと思うのは今ここに咲く花に意味がある価値があるんだという徹底した「生きてる今」というところに美を見いだそうとする。
今ここに咲いている燕子花。
これは楽園ではない…死後の楽園でもないし死んでから行く所とか桃源郷でもないと。
そうじゃなくて今自分の足元のここ。
自分の足元のここにこそ神が宿っていると。
おはようございます。
千住はニューヨークにアトリエを構えています。
おはようございます。
千住の作品…世界各地の崖を見つめる中から生まれました。
グシャグシャにした和紙にたらした絵の具。
自然の力に委ねる事で荒々しい崖を浮かび上がらせます。
近年千住が使っているのが蛍光塗料です。
暗闇で光を放つ特性を生かそうと白い絵の具に混ぜています。
間違いなく言える事は光琳が今生きてたら蛍光塗料を使ってますよ。
僕がこれを使おうと思うと光琳がこの辺にいるような気がしますからね。
「もっとこう使え」とかね言ってる気がしますけど。
描くのは滝。
色は黒と白だけです。
この白が暗闇の中で光る滝となって立ち現れます。
尾形光琳は1658年京都に生まれました。
家は京都有数の呉服商。
幼い頃から鮮やかなデザインの着物に囲まれ絵や書茶の湯の稽古に励みました。
特に熱中したのが能です。
余計なものをそぎ落としたその世界は光琳の美意識に大きな影響を与えたといいます。
30歳の頃父が亡くなりばく大な遺産を相続。
しかし遊び好きが高じて全て使い果たしてしまいます。
借金に追われる中40歳近くになって絵師として生きる決心をします。
まず才能を発揮したのが工芸品です。
「伊勢物語」の一場面を描いた…燕子花が美しく咲く水辺に鉛で橋を表現しています。
旅人がふるさとを懐かしむ場面を光琳は人物を描かず燕子花と橋だけでデザインしました。
「燕子花図屏風」も「伊勢物語」の同じ場面を描いていますが橋さえ省略しています。
色は金と青と緑のたった3色。
現代にも通じる日本人のデザイン感覚を確立したと言われます。
滝を描く事でどこまで光琳に迫れるのか。
千住は滝が現れる瞬間を捉えるのだと言います。
今アート市場が拡大している…千住の個展が開かれました。
展示室には滝を描いた新作が並びます。
その中の一室に入ると…。
妖しく光る滝。
蛍光塗料で描いた24mもの巨大な屏風…見れば見るほど「燕子花図屏風」に似てると思うんですよ。
っていうのはねこういう紡すい形の形がどんどん繰り返してきてるじゃないですか。
そういうのとこの蛍光の輝いてる色と黒との強烈な対比があるじゃないですか。
そういうのって光琳が青と金でやっているこういう形がどんどん繰り返しているものとすごい近いものを…本当に僭越でおこがましいですけどもそれは燕子花とすごく似たものを僕は感じるんですけどね。
だからこれは滝だけれども生き物なんですよ。
僕にとって生きてるんですよこれ。
「お前も描けよ」って光琳が言ってきてるような気もしたしでも描けば描くほどその距離はどんどん開いてくというか「そんな事で俺に近づけると思ってるのか」という光琳の高笑いが聞こえるような気持ちもあるし。
さあ今日のゲストは長年光琳を研究されている京都美術工芸大学学長の河野元昭さんです。
(一同)よろしくお願いいたします。
河野さんVTRでも千住さんがおっしゃってた蛍光塗料の神秘性というお話とても興味深く僕は感じたんですけれども。
千住さんは蛍光塗料の神秘性その内面的なものというものを使って表現しようと。
この燕子花の屏風をねよく見て下さい。
つまり群青と緑青と金地という私は「素材美」と言ってるんですけれども素材顔料の持っている美しさをそっくりそのまま使ってその美しさを最大限に発揮させようとしているこういった絵画なんですね。
千住さんがおやりになった蛍光塗料を使って滝をウォーターフォールを表現する。
これもね素材美こういった点で千住さんは直感で感じ取ってそれを今度のウォーターフォールの中に滝の中に生かしきってるとこういうふうに私は思いました。
この光琳の燕子花僕は切れ味があってリズミカルでとてもデザイン性に富んでいると感じるんですけれどもこれほどまでにシンプルな燕子花が見る者の多くの心をつかむというのは一体どこに秘密が?やっぱりあるものの本質燕子花の本質あるいは自然の本質植物の本質っていうものを表現したいそれを視覚化したいという意識が強かったんじゃないかなと私は思うんですね。
つまり余計なものは全部そぎ落として本当に重要なその本質的なエッセンスとなるものだけを描いてそしてその全体を表すというこういった構図に構成にこの作品はなっていると。
それを現代人が見ると「これはデザインとしてすばらしい」とこういうふうに感動するわけですけれどもそれは光琳がですね最初からデザインとしていいものを作ろうとしたのではなくてアーティストとしての芸術家としての意欲というものがあってそれが結果としてデザイン的なすばらしさになってるとこういうふうに私は思っているんですけれども。
またただの美しい燕子花だけではないんだなっていうふうにも…。
それもねおっしゃるとおりなんだね。
ただしそれを認めたうえでなおですねやっぱり絵画の自立性という事を私は是非言いたいと思うんですね。
もちろん「伊勢物語」とかあるいはお能っていうのをね知ってみればすばらしいけれども全く知らない人でもそんな事全然知識がなくても絵画としてすばらしいでしょう。
それがねこの絵画の自立性というものであってだからその事を岡本太郎は「これは非情の美である」と。
つまり情というものがないんだと。
人間の一種ジメジメした感情のようなものあるいはそれにまつわる概念的なものが一切なくて情を一切除いたところで成立した非情の美の芸術であると岡本太郎は言ったんですけれどもその事と非常に私は関係していると思うんです。
これが現代のアーティストにまた全世界の人にですねこの燕子花という屏風が高く評価される最大の理由だというふうに私は思っています。
「現代の鬼才」と称される…若い頃下宿の壁に「燕子花図屏風」の白黒コピーを貼って眺めていたと言います。
だけどだからといってそれがこの作品の欠点っていうわけじゃなくて構図しか褒めるところがない事がすごいというかあとこれ…今でいう「コピー&ペースト」みたいな事を使ってるんですよね。
燕子花をよく見ると全く同じ形がある事が分かります。
光琳は型を使って着物の模様を描くかのように同じ形を繰り返しました。
僕もねちょっとそういう事をやる事ありますけれどちょっとばれないように絵画だからここはばれちゃいけないなと思って何か工夫して同じ繰り返ししてませんよっていうような取り繕いをするもんですけどこれ取り繕ってないですもんね。
その態度がやっぱり何ですかねむかつくほどクールですよね。
その燕子花からインスピレーションを得て生まれた作品があります。
(会田)駅のホームに横一列この長細い画面に少女たちがドドドドッといたらいいんじゃないか。
それって燕子花だなと一瞬で思って。
確かに燕子花みたいな花は女の子に近いところありますよね。
これはおじさんの視点ですけど別にその花を摘むとかむしるってわけではなく反対側のホームからおじさんがぼ〜っと見てるというような視点ですよ。
彼らの声もちゃんと聞こえないし個性もよく分からないけどただ花壇に咲いてる花をぼ〜っと見るような。
シャープなデザイン性となんかこう古いけれど古く作られたものだけれど今に通じる都会的なセンス。
そこら辺なんだと思いますけどね。
光琳の名が由来となった琳派。
その誕生は光琳の時代から80年もの時を遡ります。
桃山時代から江戸初期に同じ京都で活躍した「風神雷神図」の俵屋宗達。
金や銀を多用したきらびやかな色使いや大胆かつ巧みな構成。
平安時代の古典を斬新な感覚で捉えました。
宗達が残した作品を見て感銘を受けたのが光琳でした。
光琳は宗達の世界に独特のデザインセンスを加え名作を世に送り出します。
そして光琳から100年後光琳に魅了されたのが江戸で活躍した酒井抱一。
宗達光琳抱一。
何のつながりもない絵師たちが時代も空間も超えて受け継いだ美の潮流。
それが琳派なのです。
その後も琳派の継承は続きます。
明治から昭和にかけて活躍した神坂雪佳。
カタツムリを見つめるイヌ。
デザイン性にユーモアを加えた画風は海外で高く評価されました。
昭和の日本画をリードした加山又造。
プラチナ箔の下地に宗達や光琳が好んで描いた鶴を新しい感性で捉えました。
そして今その潮流はデジタルの世界にも及んでいます。
アートとテクノロジーを融合させ日本美術の新たな可能性を切り開こうとしています。
代表の猪子寿之。
大学時代の友人たちとこの会社を立ち上げました。
日本の伝統的な書を三次元空間に再構築した作品。
墨で書かれた「生きる」という文字を梅の木に見立て限りなく成長していく様子を表現しています。
光琳の「燕子花図屏風」を見て発想したという作品があります。
床一面に広がる花。
「燕子花図」に学んだのは無限の拡張です。
これはその…もしねすっごい広い空間でもっともっと横につなげていきたかった時に…
(猪子)すごい自由に広げていける。
つまり…うんほんと発明をしたんじゃないかなと思ったんですね。
僕はすごいそれに感動して。
最初は床だけだった花がこの作品では壁にまで広がりました。
その花は見る人に反応して成長し散っていきます。
言われてたら光栄ですけどね。
それは最高に光栄ですよね。
いやあ…。
道具や表現方法が明らかに進化したこの現代で時代を超えてでも現代のアーティストが模索し挑戦している姿こそまさに琳派なんだなというふうに感じたんですけれども。
猪子さんの「画角がない」というのはその意味で大変面白いと思いましたね。
画角がないという事については私たちは専門家は昔から「トリミング方式」という言葉を言っていたんですね。
つまりこういった大きなこの場合だったらこういう燕子花の咲き乱れるですね沼地があってそこのこういう一部を屏風というフレームで切り取ったものであると。
これはこの作品に限らず琳派の多くの作品に共通するものなんですよ。
改めて琳派という明らかに他の流派とは違う最大の特徴大きな特徴は何だと思われますか?「独学自習」という事ですね。
つまり先生がいなくて自分が勝手に尊敬する先輩の先達の絵を自分勝手に学んでそしてその中の最も重要な部分だけを受け継いで新しい創造に向かう。
したがって琳派というこれは流派では実際はなくて一つのジャンルであると言ってもいいものですねつまり。
浮世絵とかあるいは文人画南画と同じように一つの絵画ジャンルであると言ってもいいぐらいですけれども。
先ほどのVTRで会田誠さん「群娘図」はこの燕子花を下敷きにしたとはいえその発想は自由だなあっていうふうにとても強く感じたんですけども。
会田さんはそれをもう積極的に継承してると言ってよいでしょう。
先ほど言ったように独学自習ですからある一本の基本的な線というのはあるわけだけどもそれ以外は全く自由であってその意味では会田さんはやっぱり琳派であり光琳ですよ。
それを受け継いでやってますね。
かつて加山又造が「日本美術を突き詰めると琳派に行き着く」と言っていましたが。
加山又造さんの言ったところを私なりに解釈するとつまりこれは日本の美の象徴であるとエッセンスであるという事を言ってると思うんですね。
そして日本の美の特徴が何かという事はこれはもう私は「シンプリシティ」という事をよく言うんです。
つまりシンプルである。
という事は一つは簡素である。
だけども同時にピュアであると。
後ろにすばらしい桜が今満開ですね。
これはシンプルそのものの花なんです。
バラに比べると。
しかしそれが一番日本人が好きだ好きなんだと。
非常に簡にして潔でそこには本当に本質的なものだけが表現されている。
琳派というのはそういうものですからやっぱり多くのアーティストが日本人として美を追求するとそこに行き着いてしまうという事になるんじゃないかなと思うんです。
この日光琳の作品を見るため美術館を訪れました。
まず足を運んだのは光琳が晩年に暮らした家を図面どおりに再現した…光琳は自ら図面を引き隅々まで指示をして造らせました。
鴻池が興味を惹かれたのは5畳ほどの茶室です。
普通は部屋の端に設けられるはずのにじり口が真ん中に開けられていました。
これを見た瞬間に私はふっと思ったのは自分とは違う異世界のものを取り込めるっていう大らかさを持ってる人だなあと思って一気に好きになりました。
伝統さえ自分流に変えてしまう大胆さに共感しました。
鴻池のふすま絵。
オオカミの足はまるで人間。
鴻池は人間と自然の関わりをテーマに現代の神話を描こうとしています。
鴻池が初めて対面したのは光琳のもう一つの国宝。
すごいわね…。
感動じゃないんですよ。
興奮。
感動なんていう落ち着いてちょっと引いた目線で見て「感動しました」なんていうんじゃなくて。
興奮してるのはなぜかっていうと…そうするとすごくやっぱり怖い事ですよ。
59歳で亡くなった光琳の晩年の作。
右隻には若々しく天に向かって伸びる紅梅。
光琳ならではの花弁を線描きしない梅の花。
左隻の白梅は老木でしょうか。
幹は絵の外にはみ出す大胆なトリミングです。
墨のにじみを利用して描くたらしこみの技。
そして真ん中に大きく描かれた水流。
流れる水の模様は大胆にデザイン化されています。
こうやって実際見てみると非常に優しく素直に枝や梅を描いてるんですね。
現実と違うまたこう…異相が始まってるようなそういう屏風の一番面白いところ使った感じがしますよね。
絵の中心になるような部分をスコンと開けちゃって絵を描かないっていうのはさっきのお茶室で見た真ん中ににじり口を持ってきてその世界観を打ち破るような穴を開けたわけですよね。
台なしな事をするわけじゃないですか。
せっかくの「紅白梅図」を…何て言うんでしょうねそこに破綻を起こすような大きな流れがドーッとやってきてると。
それだけでも飽き足らなくて更に切れ目を作ってある意味現実から神話の裂け目を通して違う世界に行くようなそういう効果をねらってるんだなあと思って面白い。
面白いですよ。
(流水音)1週間後。
アトリエで作品作りが始まりました。
牛の皮を赤く塗っていきます。
(鴻池)光琳から頂いたインスピレーションだなと思ったのでその…開けてくれた穴にこちらから入っていくようなそういう作品を作りたいなと思ったんですね。
「俺はここに穴開けといたからお前入ってこいよ」と。
そういう事を言ってたんだって。
もう一つ作品を作るうえで鴻池が興味を抱いたのは光琳の意外な人物像でした。
放蕩の限りを尽くした光琳は生涯女遊びを繰り返しました。
妻以外の6人の女性に子供を産ませたといいます。
これはそのうちの1人から奉行所に訴えられた時の示談書。
多額の手切れ金を支払いましたがそれでも懲りず女遊びをやめる事はありませんでした。
光琳が描いた女性像です。
妾なのか遊女なのか。
実に艶やかに描かれています。
「紅白梅図屏風」にはこんな読み解きがあります。
豊かな曲線の水流が女性を表し両脇の梅は男性。
そうして男女の淫靡な関係が描かれているのだとか。
鴻池のアトリエ。
赤く塗った大きな皮で着物を作るといいます。
そこに水流のような模様を描き始めました。
休む事なく速いペースで描き進めていきます。
いや遊んでたからね…。
遊んでた人は速いかもしれないですね。
チャチャッとやったんじゃないかな…。
パッて思ったら。
勉強すれば描けるっていうわけでもないし。
だから女の人と遊ぶ事も含めてどういう手触りとか質感とかそんなものも全部入ってくると思いますけどね。
(取材者)それは何ですか?これはオオカミの…モンゴルのオオカミさんです。
最後に着物の内側にオオカミの毛皮を付けます。
完成した作品。
タイトルは…赤く塗った皮の上を流れる無数の水流。
背中の裂け目からオオカミの毛皮がのぞいています。
「紅白梅図」を見た時の…屏風と屏風の間の隙間ですよね。
(鴻池)その中にグーッと引き込まれるように…
(鴻池)それはまるで血管のようでもあるしもっと粘着質のある何かマグマのようなものかもしれないけどそういう液体が地中を通ってる感触ですよね。
そこにいって自然と一体感になってる快感からもう一度現実に戻ってくるためにはぐ〜っと何かを持ってくるためにもう一度裂け目を通ってこっちに戻ってきて戻ってきたらつかんだものが毛皮だった。
そういう感じかな。
なんか。
…を出したかったんですけどね。
いい旅をさせてもらったという感じがしますね。
これはやっぱり光琳がつくってくれた光琳代理店が旅行代理店がつくってくれた旅だったんじゃないかなと思いますけど。
鴻池さんは屏風の裂け目に注目されていましたね。
僕もやはり「紅白梅図屏風」を見るとどこか異界への入り口のように感じてちょっとぞくっとさせられるんですけども。
あらゆる二曲屏風にはあるいは六曲屏風でもこの間には切れ目とか裂け目があるわけだけども特にこの作品で鴻池さんがそこに注目した惹かれた魂を奪われたというのはこの流れだと思いますね。
単なる水流ではないと。
深淵。
「深い」「淵」ね。
深淵であると。
そうするとやっぱり深い淵の底をのぞいてみないと…。
怖いような…。
怖い。
だけどものぞいてみたい。
そういった深層心理があったんじゃないかなと私は思いましたね。
この作品から人間性人の一生光琳自身の人間性のようなものも少しずつかいま見えてくるような気が。
光琳の人間性がどういうものであったかこれはひと言ではなかなか難しいけれども複雑な人間であったというのが私の考えですね。
その二面性があって享楽主義的な光琳から少しずつ冷徹な面を持った芸術家の光琳にあるいは鋭い人間の観察者としての光琳に成長していったというのが私の見る光琳の人間性なんですね。
そういった光琳の一生というものがここには投影されてる。
あるいは光琳は無意識であったかもしれないけれどもそれを描こうとしたんだというふうに解釈も可能ではないかと私は思っているんです。
日本美術史の中で光琳が「紅白梅図屏風」を通してなしえた業績というのは何かございますか?確かにこれは紅梅と白梅と水流を描いてあるわけですけれどもそれは同時に光琳の自分の人生あるいは自分の心情というものを表現した。
これを日本の絵画史の流れの上で見るとやっぱり革命的な事なんですね。
光琳の亡くなったあと絵画はだんだんと自己表現の方に向いていくんですね。
それをよく「写意」という言葉で表現するんですけれども。
「意」というのは自分の心ですね。
心を表現する。
そういった光琳はその次の絵画史のパイオニアであった。
あるいは先取りをしていた。
こういうふうに私は言えるんじゃないかなと思っているんです。
どうもありがとうございます。
そして最後にもう一人現代のアーティストが光琳と向き合います。
去年8月ニューヨークを拠点に活躍する現代美術作家杉本博司の作品作りが始まりました。
運ばれてきたのは光琳の「紅白梅図屏風」です。
ガラス越しにはね何度も見てるんですけど生で見たのは今回初めてですね。
杉本は「紅白梅図屏風」を写真に撮る事で新たな作品を作ろうと考えています。
日本の場合には16世紀からその程度の事はありましたよと。
日本がもっと誇るべきだと思うんですね。
世界に対して。
杉本の作品。
大判のフィルムカメラで水平線と空だけを写した古代から変わらぬ海の景色です。
独自のコンセプトで写真を芸術の域に高めたと世界的に評価されています。
今回使うのは2億画素という超高性能のデジタルカメラ。
「紅白梅図屏風」を撮影しその写真を屏風にすると言います。
ただこれでねデジカメの高性能の最高のもので複写して撮ったってそれはただの複写ですから。
(杉本)これを夜の闇夜に梅が咲いているというのにしようかと思ってるんですよ。
何度も撮影し画像を確認します。
箔の跡を出したいのでこっちの方がいいかな。
やっぱり暗くしたいというかこことここのコントラストをつけたいのでこの幹を…。
そうするとこっちの地の金箔の方をグレーを濃くしていくといいですね。
そこを切り離しちゃった方がいいですね。
写真で挑む杉本のねらいとは。
光琳が師と仰いだ俵屋宗達の「風神雷神図」。
この屏風を実は光琳が模写していました。
しかも風神雷神の大きさは宗達の絵とぴったり一致します。
光琳は描き写す事で宗達の筆だけでなくその精神まで学び取ろうとしたのです。
杉本はそこに日本美術の神髄がかいま見えるといいます。
宗達に憧れた光琳。
両脇の梅は風神雷神と重なります。
しかし光琳は真ん中の空間に大胆な水流を描きました。
「紅白梅図屏風」はいつか宗達を超えたいと願った光琳が人生の最後に出した答えだったのかもしれません。
撮影から2か月杉本が現像所にやって来ました。
今回はプラチナ・パラディウム・プリントという技術で現像を行います。
まずプラチナを混ぜた感光材を印画紙に塗り…。
特殊なプリンターでデジタル撮影した画像を焼き付けます。
この技術を使うと墨のような黒が表現できると杉本は言います。
多分前回…後でご覧頂きますけれど前のと比べて黒が…。
何度もやり直し納得のいく闇を探します。
杉本の屏風が完成しました。
杉本博司の…月明かりを浴び梅と水流が闇の中に浮かび上がります。
これをやった事によって闇の中の闇の表現というのはどういうふうに見えるのかがよく分かってきたわけですね。
ですからこの光琳の「紅白梅図」の研究によって自分の行くべき道を示してくれたと言う事もできるわけなんですよ。
光琳様ありがとうございましたという感じですよね。
光琳がこの世を去って300年。
その美は脈々と受け継がれています。
2015/04/12(日) 20:00〜21:00
NHKEテレ1大阪
日曜美術館「光琳は生きている」[字][再]
今年は琳派400年。琳派の名の由来となった尾形光琳を60分拡大版で特集。千住博、会田誠、杉本博司など、現代を代表するアーティストが創作を通して光琳の魅力に迫る。
詳細情報
番組内容
今年は琳派400年。琳派の名の由来となった江戸時代の巨匠・尾形光琳を60分の拡大版で特集する。この春、光琳の最高傑作であり、日本美術史上屈指の国宝「燕子花図屏風」と「紅白梅図屏風」が56年ぶりに同時に展示された。番組では、いま第一線で活躍するアーティストたちが、光琳の国宝と向き合い、自らの創作を通して光琳の魅力を探っていく。千住博、会田誠、猪子寿之、鴻池朋子、杉本博司。どんな作品が生まれるのか。
出演者
【出演】日本画家、ビエンナ—レ優秀賞…千住博,現代美術作家…杉本博司,アーティスト…会田誠,チームラボ株式会社代表取締役…猪子寿之,現代美術家…鴻池朋子,東京大学名誉教授…河野元昭,【司会】井浦新ほか
ジャンル :
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz
OriginalNetworkID:32721(0x7FD1)
TransportStreamID:32721(0x7FD1)
ServiceID:2056(0x0808)
EventID:10783(0x2A1F)