徹子の部屋 ペギー葉山 2015.04.13


大阪市は、さらにより公平な生徒個人の評価を行うため、元々予定していた市独自の統一テストを市内の公立中学の3年生を対象に、行うことも決めました。
市教委は、これまで通り定期テストや授業態度などを評価した内申点もつけ、統一テストによる内申点と比べて良いほうが採用されます。
(黒柳)なんと艶やかなバラの…咲き誇ったバラのお洋服でおいでくださいましたペギー葉山さん。
ただ去年色々ご心労がありましてですね4キロお痩せになったと伺っておりましたのでどんなことかと思っておりましたけどそんなに変わったようには見えないんですけど。
でも羨ましいと思いますけども。
お医者様は今ぐらいが一番いいと仰ってるそうです。
ペギー葉山さん今日のお客様です。
よろしくお願いいたします。
ペギー葉山さんでいらっしゃいます。
もう本当に長い歌手生活ずっとお続けになっていらっしゃる…。
第一線でやってらっしゃるんですけど。
なんか去年ご心労があったそうでございますがそれをちょっと伺います。
何?4キロお痩せになったって?そう。
別に病気とかなんかではなくて私の身の回りのことをいつもやっててくれたね運転とかなんかやってた人が病気で倒れてしまって。
結局彼がやってたこと…まあ運転以外はね全部私がやらなきゃならないような状態で。
一つのイベントがある時はドレスはこのドレスを着てそのアクセサリーをして靴をって全部調えるじゃない。
それを全部私が収納してまたやって全部やってって…。
やっとね最近はね運転する方がね決まったんですけれどね大変だったんです。
4か月ぐらい。
真夏の一番暑い時にね。
また妙にすごい忙しかったんですよ。
それでなんかドバッとね。
毎日私朝起きた時体重量るの。
あっそうなの?それが日に日に軽くなるんじゃない。
あら。
ちょっと心配になってきて。
でお医者様行ったら「それ一番理想的です今の体重が」って言われて。
あっそうなの?いかに私が太ってたかっていうこと…。
いやいやそんなことないけど。
でもお洋服がそうするとイブニングなんかがどう?そうです。
もう全部詰め詰め。
あっ詰めたの?うん。
それからちょっと足ね…腰悪くしたでしょ。
ですからドレスの丈もちょっと上げて。
もう大変。
そちらのほうにお金がかかってしまって。
直すのって結構ね大変ですものね。
でもお痩せになったら随分ねいいかなと思ったんですけどね。
まあ歌い手というのはあまり痩せてもいけないし…。
あっそうね。
あまり太ってても。
その中くらいが。
私今までねかねがねちょっと2キロぐらい痩せたいなって思ってたのね。
だからまあよかったかな。
しかもそれどっちかといえば運動でお痩せになったんだと思いますよね。
心労もっていうけど…心労もだけど。
心労でも痩せるのよねだからね。
やっぱり痩せるのかしらね。
でもその代わりにその運転手さんいなくて随分バスだの電車だの色んなものにお乗りになったんですって?そうそうそう。
ハチ公バスに乗ったの初めて。
何?ハチ公バス?ハチ公から出るの?知らない知らない。
ハチ公?うん。
渋谷に行くねバスがね代々木上原から出てるの。
ハチ公バスっていうの。
100円入れるの。
でねそうするとぱーって行ってくれるの。
ハチ公のところまで?うん。
デパート行って買い物して帰ってきて。
また乗るところがちょっと遠いんでまあちょっと足痛いわってタクシーに乗ったらやっぱり10倍かかったわ。
あっそう。
やっぱり安いのねバスやなんか…。
安いの。
それでとても親切だし…。
やっぱり体のね不自由な方のためにもそういうことを社会が本当に昔からね見ると温かい気持ちがあるんだなってありがたいと思ったわ。
そうね。
それから階段なんかもあるからやっぱり歩かないわけにはいかないからそういうことでは体にはね。
そうなの。
でもいいんだけどあなた腰痛になってツアーの初日になんか腰痛が出たんですって?そうなのよ。
私今まで何十回ってコンサートして一昨年が60周年だったでしょ?その当日が一番痛かったの。
その前から痛かったんですけれど我慢してやってたらね当日歩けなくなっちゃったの。
あら。
それでもう車椅子だ…舞台監督の人にすがってもう本当腕組んで舞台へ上がるわ。
私はそうねこうやって座る癖があるのね。
だからやっぱりこういう癖を直しなさいっていつも言われて色々やってるんですけどやっぱりこれも歳なりね。
あなた…ボギボギいってるのは靴よね?今ね。
そうよ。
靴もみんなね…靴もみんなね低い靴に替えたの。
だからドレスが大変。
ボギボギいってるから骨がいってるのかと思ってびっくりした…。
そんなデリケートな体じゃない。
ハハハ…。
靴と靴がこすれる音でボギボギいったのね。
体を曲げたらさボギボギいって…。
こうやってボギボギ…。
そんなに痩せたいわ。
ハハハ…。
でその初日…。
偶然なんだけど初日に録画することになってたんでそのツアーの。
だからねちょっと座って歌ってらっしゃる…。
この時ね奇麗な…。
でもね全然ねちょっと拝見したんですけど…皆様にお目にかけますけど。
全然ね座ってらっしゃるようにちょっと見えないのねうまくいってて。
でもね痛みと闘いながら歌うのってつらかったわ。
そうね。
こういうところお使いになるしね胸やなんか。
皆さんは痛みっていうのがわからないじゃない客席の方っていうのは。
あなたがねそういう状況だっていうことがね仰らないとね。
ちょっとご覧ください。
はい。
「南国土佐を後にして」「都へ来てから幾年ぞ」こんなの全然わかんないじゃない。
これ座っていらっしゃるの?座ってるのか立ってるのかわからない?わかんない。
あっそう言われてみると座ってる。
「朝の光がさしこむ前に」「目覚めて孤独な時間が過ぎる」「あの友はあの夢は今はいずこに」「つたの絡まるチャペルで祈りを捧げた日」おお懐かしい。
あらお立ちになりましたねお嬢様。
ハハハ…。
つかまってる。
そうねちょっとね…。
わあ悲しい。
「懐かしい友の…」やっぱりこの曲はね立たないとね。
もう立ってね歩いてねもう上手下手へと歩こうと思ってたんだけど。
立ったまま。
「通ったあの道」「秋の日の図書館のノートとインクの匂い」「枯葉の散る窓辺学生時代」すごい。
『学生時代』。
もうなんたってあなたの…最初のヒット?『学生時代』って。
一番最初のヒットって別にないの。
まあ『南国土佐』が一番大ヒットですけどね。
そりゃそうです。
あとのほうになって…。
ペギーさんには随分長いこと色んなお話伺ってるんだけどあなたのおじい様が白虎隊だった…。
フフフ…。
ハハハ…。
笑っちゃ悪いけど。
すごい古いような気がするんだけど。
あなたのおじい様が白虎隊だったの?まあ若い…。
母方の祖父がね会津なんです。
そのほら『八重の桜』って一昨年やってたでしょ?あったでしょ?あの時のヒロインと同じ感じ。
もうならぬことはならぬってもうとにかく会津藩にはね教えがちゃんとあって。
やれないことはやっちゃいけない。
ならぬことはならぬ。
そう。
もうそれからあとはもう本当に厳しい母親でしたし。
あっそう。
ええ。
だからその祖父が白虎隊で14歳だったんですあの戦いの時ね。
やっぱり「お前若いから行きなさい」って…行って泣きながら鶴ヶ城の燃えるのを見て。
その後東北をずっと通って色々苦労があって苦難の道で結局は北海道に渡ったの。
北海道の小樽にね住を構えて教育者になるっていうことで。
校長先生にね…。
11代目の校長が住吉貞之進っていうの。
うちの母方の名前が住吉っていうんですよね。
その貞之進という校長は…。
まあ私が…孫が言うのはちょっとですけど名校長といわれていて。
小学校の?ええ小学校の。
当時はそうでしょうね。
11代目のね…。
とても怖い顔をしてますでしょ?ならぬことはならぬ顔をして。
ならぬことはならぬ。
それでとてもモダンなねリトミックダンスとか新しい踊りを取り入れたり。
すごい。
それから障害者のね子供たちをクラスに入れたり。
とても当時は大変だったことなんですけど。
すごいことでしょそれってね。
それがいまだにね恩を感じてくださってる子孫の方がいらっしゃったりして。
いいおじい様をお持ちでね。
ええ。
亡くなった折に碑がね小樽に天上寺っていうお寺さんがありましてその裏の山に祖父の碑を建ててくれて。
一昨年でしたか行ったんですよ。
あっそう。
それで教え子の皆さんの子孫がねいかに素晴らしいおじいちゃまだったかっていうことを話してくださって。
私も本当にそれは母からは聞いてたんですけれども本当にちゃんと耳にしたのがねその時が初めてだったんで。
「あなたが何でもチャレンジして」…。
例えば『ドレミの歌』とかなんかアメリカに行って色んなものを持ち帰ってきた…。
いつも母がねお台所をやりながら「あなたはおじいちゃまに似てるのよね」なんてよく言われてたの。
だからきっとねそういう血をね私は祖父から受け継いだんだなって思って。
さてあなたはジャズをお歌いになってたんですけど。
その進駐軍のキャンプにいらして将校クラブなんかで歌っていらした時に将校の方がなんかあなたに鍵を渡して部屋へ行きなさいって…?あのねデビューする前なんですけどまだ学校卒業するかしないかの頃にね。
新橋にある第一ホテルのそこが将校クラブだったんですホテルでありね。
新橋の第一ホテル?ええ。
今もあるでしょ?ボールルームがあってそしてそこで皆さん踊って渡辺弘とスター・ダスターズのね。
すごい。
私もちょっとおずおずとしてて。
先輩には石井好子とかナンシーさんとかいらしてて。
ドレスがねとても貧しかったの当時ね。
母がねミシンで…。
戦後すぐでしょ?ええ。
勝手になんか花柄でねなんかこうお花を折ってぺたぺたぺたぺたアップリケみたいなのを作ってくれてそれを着たり。
あっこれあなたね?でも可愛いわね。
やぼっちいでしょ?でも可愛いわ。
そうしたらねそれ見てそのホテルのゼネラルマネジャーの方ミスタースナイダーって仰る方があるクリスマスの日にね「これ私の部屋の鍵だからこれを持って私の部屋へ行きなさい」…。
そんなこと絶対やっちゃいけないってバンドマスターからきつく言われてたの。
えっ!と思って。
でもねせっかくだから…。
また廊下で会った時「行った?」って言うの。
「鍵で開けた?」って。
もうしょうがないと思って行ってパッと開けて…。
その頃ねホテルの屋上にまたひと棟家があったんです。
ペントハウスみたいの?ええ。
ペントハウス。
そうしたら奇麗なね長椅子がこうあってそこにピンク色のドレスがわーっとかかっててチュールのね…ペチコートと一緒に。
チュールってご存じ?ええもちろんよ。
張りがあるちょっとね。
すみれの花がこうついててね夢のような…。
こんなドレス映画しか見たことないような。
そこにカードがあって「ペギー毎晩ねいい歌をね歌ってくれてありがとう」って。
「これ僕たちからのあなたへのクリスマスプレゼントだよ」って英語で書いてあった。
えー!えー!って私しばらく見とれて。
そうだここは来ちゃいけないところだってそのドレスだけ抱えてパッて下りていって。
そのドレスを着てデビューの頃はもうもうコンサートもホテルのロビーでもクリスマスにも全部着てたの。
あっこれそう?そうです。
これそう…。
あらでもよくあなたのサイズにぴったりでしたね。
サイズがぴったりだったの。
すごい。
誰か調べたんだねきっと。
今はもうちょっとこれ着れないと思いますけれど。
でもすごい。
クリスマスツリーが奇麗でしょ?うん。
大きなクリスマスツリーね。
そうなの。
あの頃夢のようなねクリスマスだった…。
胸のところになにか仰ったようにアップリケみたいの…?すみれのね紫色の花。
薄いピンクにね紫がふわーっと斜めについてて。
夢のようね。
夢の…お姫様みたい。
でもあの夜のことが忘れられなくてずっとこのドレスを着てねジャズコンサートや…歌ってたのよ。
これはもうだいぶ経ってからかしら。
これはねデビューの時。
キングレコードからデビューした時のドレスです。
じゃあもうだいぶ日本でもこういうものを作れるようになってからね。
そう。
皆さんねチュールのドレスみんな競争でね着たものね。
でもこれの前にさっきのあなたがおもらいになったっていうのはやっぱりアメリカの…すごいっていうのもう一回ちょっと見せていただいて…。
よく写真に撮ってお置きになったわね。
あれはね結局デビューのね写真なの。
これはホテルのね写真屋さんがお撮りになったの。
さっきのもう一つのはレコードデビューの時に写真の方が撮ってくださって。
あっそうなの。
でもやっぱりあなたはきちっと写真撮ってお置きになるけどこの時その時の…なんていうの?いただいたうれしかったのはこれですってやっぱり見られるしね。
そう。
これを着て『ドミノ』とね『KISSOFFIRE』でデビューしたの。
フフフ…。
昭和27年かしら。
そうそう。
学生時代ですよね。
あなたまだね。
そうです。
でもそういうなんていうのかしら。
アメリカの人たちのそういうなんかさ部屋に行ったら大変なことになるってみんなが思ってる時にそんなのじゃなくてあなたにプレゼントをみんなであげようっていうその気持ちがね。
そうなのよ。
だってこの間まで戦ってたね国のねいわゆる敵だったでしょ?だって私たち…鬼畜米英って言われてたんですよ。
「撃ちてし止まむ」ってやってた…。
その人たちがこんなに親切に…温かいね負けた国の歌い手にプレゼントしてくれたなんてなんて心が広くて温かい…。
なんか私のやっぱり人生の一つのまた教訓になりましたね。
そうですよね。
人人人それぞれはもしかしたらいい人たちかもしれないってね。
そうです。
悪い人もいたかもしれないけどいい人もいた…。
そうね。
ちょっとコマーシャルいきます。
戦争が終わって70年っていうぐらいなんですがその間何事もなくてまあよかったんですけど。
去年ですか?あなた学童疎開してらしたところの子供たちが…。
今現在の子供たちがあなたが学童疎開してたことを見っけたんだって?そう。
それがね2年続けたことなんですけど。
一昨年ね6年生がなんか卒業する前に思い出としてこの…いわき市の大野村の第一小学校っていうんですけど。
この界わいに何か社会的に色んなことが起こったんじゃないかって勉強にずっと歩いてたのね。
そしたら金波旅館っていう私たちが…。
ぎんば旅館?きんぱ旅館。
金の波と書いて…。
あっ金波。
金波旅館。
そこに行ったらば…その社長さんと私は年賀状だけは文通してあってて。
時折最近の状況なんて写真をあげてたの。
『学生時代』の歌碑ができたのよなんて言って送った写真をね「あんたここは知らねえのか?ペギー葉山がいたんだよ」ってやってやったらしいのね。
それでびっくりして。
「僕たちのこの大野村にね歌手のペギー葉山さんがいたんだっていうことがわかった」って手紙をくれたの。
「僕たちの卒業式にね来てくれて歌ってくれたらうれしいんだけど」って。
「『ドレミの歌』とか色々僕たちも練習しましたので」…。
そこから始まって。
そのあと…そうだじゃあ行こうっていうことになって。
福島県?そこは。
ええ。
福島県石城郡。
昔大野村。
字白岩金波っていうの。
昔学童疎開の子はとても旅館とかそういうところにね行きましたもんね。
旅館とかお寺とかねみんな分散させられたのね。
そうそうそう。
私たちは本当にそういう意味では当時は豪農っていうのかしら?子供四十何人預かるっていうのはやっぱり大変…。
大変ですよね。
食べさせなきゃいけないんだからね。
本当にそう。
そこで結局…。
あら昔の写真があったの?これ。
そうなの。
お正月のお餅つきでね。
えー!都会の子ってお餅なんてついたことないじゃない…。
そうそう。
これあなたどこにいらっしゃるの?私一番前のね右から3番目。
手広げてなんか…白虎隊みたいな格好しちゃって…。
白虎隊みたいでしょ?白虎隊みたいに座ってる子ね。
そうなの。
それでこの家がそのまま残ってて…。
旅館が?はい。
それで旅館は震災でちょっと営業ができなくなって。
この間の?ええ。
でこれがその次に訪れたところなんです。
あっそうなの。
えー。
ほとんど変わってないところは変わってない…。
「金波」って書いてある後ろにね。
金の波って。
一番右にいるのが社長さんなんですけどあの頃ねもうはな垂れ小僧だったのよ。
それがこんなにね…おじいちゃまになって。
これ当時の写真?ええ。
米英ゲキメツの時代。
「米英ゲキメツ」って書いてありますね。
あなたどこ?柱の…。
柱の前?3番目の…。
あっそう。
今ね女の子から数えて123…3番目のこの子ね。
柱にちょっと…。
123…そうそうあの子。
あの子がそう。
みんな名札つけてね。
この子たちは全部東京から行った子なの?そうですええ。
2年生から6年まで。
結局6年生の人が縁故疎開して帰ったら5年の私たちがみんな…。
最高になって。
小さい子たちが泣いたりとか色々してね。
そうそう慰めてね。
「帰りたい」「帰りたい」って泣くのもうなだめるの大変だった。
おなかがすいてね干し柿を一人一人割り当てられてね。
何日もいくとだんだん粉が吹いてきていただきたいけど誰かが食べるのよねそれ。
そうわかる。
それを先生がね怒ってね。
呼ばれて怒られて…。
「ごめんなさい」って言ってね謝ってるのをみんなでね耳塞いでね「可哀想ね」「可哀想ね」って。
「でもあれ私の干し柿なのよ」って言って…。
そうなのよね。
でも本当に…最終的にはうさぎとか蛇とかそんなものも食べるところまでいったんですって。
飼ってたうさぎを食べたり。
それからみんなでね育ててた豚をね殺して食べなきゃならなかったっていうの…。
私はそれはもう…それが唯一嫌だった。
悲しかった。
蛇も食べた?蛇は食べない。
男の子は食べたみたい。
でもそういうものを食べてたからみんなとにかく栄養失調にならなかったのよね。
でも私ね引き取られた時はねこんなに太ってたの。
写真も太ってるでしょ。
本当は栄養不良でねぱんぱかりんにね…。
膨れて…?そうなの。
栄養失調っていうのはね痩せるかね膨れるかどっちかなんですよ。
膨れる子だったの?私は膨れる子だった。
今も膨れてるけど。
私は痩せる子だったからね体中におできができちゃってね。
もうあんなね…たんぱく質がないとおできできて…。
あなたもできた?私も。
飛び火になってね顔中。
いまだに足にあるわよ痕が。
体中におできができてね…。
子供たちにそんなね戦争中の話をしてね「戦争は絶対駄目なのよ」って言って話をして。
でもねびっくりしたみたい。
そういう蛇を食べたことがあるとかね。
そうよね。
かえるを食べたとかが…。
だから今の子供たちは本当にそういう意味では幸せだから…。
それから東京に爆弾が落っこってきて大空襲があったなんていうことを知らない子だっていっぱいいるわけですものね。
だってアメリカと戦ったことも知らないでしょ?「勝ったんですか?」なんて言ってる子いるぐらいだからね。
もう困っちゃう。
だから歴史はちゃんとね伝えていかないといけないのよね。
だから私たちぎりぎりのとこじゃない?そうですよ。
私たちだから長生きして伝えていかなきゃ駄目なのよ。
伝えていかなきゃいけないのね。
語り部よもう。
そうよ語り部。
子供の時どんなにつらかった…。
親と別れるとかね。
そうそうそう。
ちょっとコマーシャルいきます。
ペギー葉山さんは今猫に夢中になっている。
そうなの?そうです。
去年の12月…去年の12月の2日に生まれたのねアビシニアンの猫が。
12月に生まれたので…。
あら!可愛い。
可愛いでしょ。
あの大きなのが親なの?ううん。
まだあれは子供よ。
これも子供なの?うんそうなの。
あら可愛…あらアビシニアンってね可愛い。
この子はねクリスマスだからクリスって名前でね。
もう1匹のほうはねあの子はね女の子なのよ。
クリスマスだからマリアって名前にしてね。
『WestSideStory』のマネ。
この赤いのは…赤っぽいのがマリア。
この上にいるのはジョージって。
私ジョージ・クルーニーが好きだからねジョージと…。
ジョージ・クルーニーって素敵よね。
大好き私も。
素敵よね。
可愛い。
この3匹は子供なの?そうなの。
親もいるの?親もいるのよ。
エメラっていうの。
これが親なの。
アビシニアンってこんな格好がいいの?そうなの。
向田さんが飼ってたのもちょっとこんなふうだったけどねあれはアビシニアンかどうかわかんないけどちょっとヒョウみたいな感じでね。
あれはねずみ色だったわね向田さんの。
色々いるの。
可愛いわよ。
あらー…でも敏捷そう。
いたずらでもう…その辺うっかり置けないの。
みんなこれやるから。
あっそう。
でももう可愛くて癒やされてます。
でも今の長くなってる茶色い子に旦那様を見つけてきて子供を産まそうと思った時に阿部寛さんみたいのがいいってあなた思った?すごいおかしい。
顔が阿部寛でね声がフランク・シナトラみたいな人がいいって…。
そんな猫がいるの?「いるでしょ」って言って探してそしたらイサムチャンっていうのがいたの男の子で。
それに恋をしてイサムチャンとうまく…はい。
あの箱…何だっけ?袋みたいな中に入ってた…なんていうの?入れ物の中に入ってた3匹がそのイサムチャンの子なの?そうなのそうなの。
だからイサムチャンって…一番赤い子いるでしょ?あの子が…イサムチャンお父さんに似てる。
あの2匹はさ可愛いけど薄い色ね。
今もうこの猫たちに追われてます一日中。
あっそう。
聞かない?この子たち。
勝手?可愛い?可愛い。
コンサートがありますペギー葉山さん。
東京文化会館の小ホールでおやりになる。
上野のね。
はいご覧ください。
本当にあなたいつもお洋服奇麗ね。
4月15日ではい。
春の感じで。
本当ね。
さっきから言ってるんだけどお洋服大変ねって言ったけどああいうポスターとかなんかの時にいちいちお洋服がないとね。
そうなの。
昔のを引っ張り出すわけにいかないでしょ。
そうそうそうねえ。
だから本当にドレスだけはね絶えず何となく見てないと大変…。
でも作ってくださる方がいらっしゃる?今でも。
何人かいます。
それだったらいいですよね。
ええ。
なかなかねイブニングっていうのもそう簡単に作れないじゃない慣れてないとね。
もう形から何から全部はねやっぱり…。
場所があるでしょ?TPOでやっぱりテレビ向きちょっとしたね小さいホール…。
今日のようなとかね。
徹子さんの部屋とか色々…。
そうそうそうそうそうそう。
それからそういううんと大きいコンサートホールとかね。
そうなんです。
あとまあちょっとしたパーティーとかね色々あるでしょ?講演とかレクチャーとかね。
それから特に私たちの年代はそういう時…。
頑張ります。
どうもありがとうございます。
でももう心労はなくなったわけねそれじゃ。
運転手さんができたのねようございました。
どうもありがとうございました。
どうもありがとうございました。
このあとも引き続き『ワイド!スクランブル』皆様どうぞご覧ください。
2015/04/13(月) 12:00〜12:30
ABCテレビ1
徹子の部屋 ペギー葉山[解][字]

〜祖父は白虎隊&4キロ痩せて初体験を!〜ペギー葉山さんが今日のゲストです。

詳細情報
◇ゲスト
ペギー葉山さんがゲスト。
◇番組内容
友人の誘いでジャズを歌うようになり、その歌唱力を認められ高校生ながら進駐軍のクラブ歌手として脚光を浴びたペギーさん。新しい音楽に惹かれ、物おじせず外国人の中に飛び込んでいく強い心は「白虎隊の生き残りだった祖父の影響では?」と母に言われて育ったと語る。また、長年、車の運転と衣装の管理をしていたスタッフが昨年夏に病に倒れ、衣装の管理や運搬など力仕事を一人でやることになり、4キロも痩せてしまったという。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/
◇解説放送
小松靖(テレビ朝日アナウンサー)

ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)

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映像
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日本語
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