生字幕放送でお伝えします伊藤⇒スタジオパークから…観客⇒こんにちは!本日の司会は高畑淳子さんです。
高畑⇒よろしくお願いします。
連続テレビ小説「まれ」始まって3週目になりました。
高畑さん、息子さんもね。
出ていらっしゃいますね。
黒くて大きくてゴリラみたいなのがうちの息子です、よろしくお願いします。
きょうのゲストは連続テレビ小説「まれ」からスタジオパークからこんにちは初めてのゲストです。
うちのじいちゃん輪島塗の塗師屋
(ぬしや)やさけえ。
塗師屋。
塗師屋のドンや。
ドン…。
輪島塗のドン。
紺谷弥太郎役の俳優の中村敦夫さんです。
高畑⇒どうぞ。
スタジオパーク初めて。
「まれ」からは初めてです。
登場シーンも。
重厚でドンでしたね。
紺谷弥太郎さんの雰囲気が表れていました。
塗師屋というふうにドラマでは言っています。
塗師屋というのはどういう仕事をするんですか。
中村⇒輪島塗の生産と販売をやるんですよね。
それがあの塗師屋です。
その親方プロデューサーといいますか全体的なことを仕切っているんですね。
塗師屋がたくさんあって、協会があってそこのトップでもあります。
塗師屋をやってらっしゃいます、ドンをやっている中村敦夫さん「まれ」のお話はもちろんですが輪島塗の魅力や中村さんは、いろんなことをやってらっしゃいます。
多才でいらっしゃいます。
俳優以外の一面にも迫ります。
中村さんへの質問、メッセージをお待ちしています。
本日のゲストは俳優の中村敦夫さんです。
よろしくお願いします。
俳優歴50年余りということですが連続テレビ小説のご出演は初めてなんですってね。
そうですね。
朝ドラというのは基本的にホームドラマ的なドラマでしょう?私はもともと時代劇から出てきて激しいアクションとかそっちだったんです。
現代劇でも企業ものとか刑事ものとか社会問題とかを扱うようなものが多かったです。
ホームドラマがないわけではないですよね。
ほとんど来ないですよ向いていないというか例えば、普通のお父さんとかね演じるのはどうやったらいいのか分からないんですよね。
切ったはったがあればいいんですけどね。
普通は偉い人役をやるのは難しいんですけどね。
今回はホームドラマですけれどもどうでしたか。
役柄がそんな感じ際立って個性的なんですよ。
そんなに違和感なくやっていますけどね。
中村敦夫さんが演じている役柄がこちらです。
ヒロイン希の同級生が紺谷圭太です、輪島塗の職人を目指すんですが紺谷圭太のお父さんが博之です。
その圭太のおじいさんが塗師屋の親方、紺谷弥太郎です。
塗師屋というのは塗る?初めて聞きました。
今回、初めて知った方が多いと思います。
立派な建物で中が職人たちの工場みたいなものですね。
手仕事ですけれども昔風の造りで民芸的で。
紺谷弥太郎さんのシーンを含めましてこれまでのダイジェストです。
高校3年生の夏希は幼いころから目指していた公務員になるために試験勉強に励んでいます。
しかし、心の奥底にはケーキ職人になりたいという夢がありました。
そんなある日輪島塗の職人を目指している幼なじみの圭太のことばが希の心を揺さぶります。
お前の夢、ケーキ職人の夢もし捨てられんがなら捨てるなや。
なして圭太やこんなこと言うがけ。
別に…。
なして?うちのじいちゃん。
中村さん演じる圭太の祖父紺谷弥太郎。
女性には、めっぽう弱いけど仕事には厳しい輪島塗の親方です。
輪島のドンや。
ドン…。
塗りが剥げとる。
ここも、ここも。
ああ、いいがいね、これぐらい。
だら!塗師屋が漆の剥げたキリコを出されるかいや。
仲間とともにさまざまな経験をした夏。
希の心は揺れ動きます。
高畑⇒貫禄がありますね。
ちょっと女性には弱いという感じのきれいな方が隣によくいますね。
よくそういうエピソード、いっぱいあるんですよね。
何なんだろうと思って考えたら女好きとか女たらしではないんですね。
べっぴんさん好きなんです。
美しいものが好きなんですね。
輪島塗の美術的な眼力というのは非常に高いわけです。
そういう意味合いで女性を連れ回したりおつきあいをしたり。
ホームドラマでは、なかなか登場してこない個性が強いというか。
女性が表になっても全然いい役ですよ。
だけど年の役ですからね。
粋な雰囲気が常に漂っていますよね弥太郎は。
そうですね。
塗師屋の親分はどこでも遊び好きでね。
景気のいい時代があったわけですから遊びに対しても非常にたけているというか。
遊び方もきっとよく言う遊び方がきれいだとかそういう方なんでしょうね。
気っぷがいいんです。
まさにそれが表れている弥太郎役です。
周りには若い出演者の方が多いですね。
そうですね。
僕は俳優として全国区になったのは「木枯し紋次郎」という作品です。
それを同時代的に知っているのは3、4人ぐらいしかいないんです。
あとのキャストは、みんなまだ生まれていなかったというねそういう感じ。
私もこれは息子もいますけれども「木枯し紋次郎」のまねをうちでやりました。
教えてあげて。
知らないの?ということであっしには関わりのねえことでござんすということでやりました。
われわれ世代は。
中村さんイコール紋次郎です。
若い人たちというより上の世代の人たちが知っていてということですね。
おじいさんやおばあさんに僕の話を聞いているのかもしれないですね。
初対面の人が、びっくりして僕の顔を見るわけなんですよ。
歴史上の人物みたいな感じで。
ずっと俳優だけをやってきたんだったらどこかで仕事をしていたと思うんですけれども僕は時々しかやっていないから。
「木枯し紋次郎」は歴史に残るドラマでもありました。
おばあちゃんから聞いてというのもあるかもしれません。
今回は塗師屋の親方の役です。
ドラマでは輪島塗がたくさん出てきます。
輪島塗のシーンも結構こだわっております。
一部ご覧いただきます。
これ全部、輪島塗け。
なして、こんなたくさんあるが。
ドラマでは輪島塗を丁寧に表現しています。
実際に輪島塗の工程も紹介しているんですね。
輪島塗の漆塗りは大きく分けて下地と上塗りの2つに分かれとるんや。
作業工程は輪島塗は100工程以上あって出来上がるのに3年かかるんですね。
こんな何回も塗るがけ!いっぺん塗ったら1週間ぐらい乾かして…輪島塗の職人さんから指導を受けながら俳優の皆さんは演じていらっしゃるんですね。
3年…。
高畑⇒100工程?100工程以上。
これが実際にドラマで使われている輪島塗と同じ工房で作られたものです。
これは何回も重ね塗りしてですから、ごまかすんだったら1回だけでも分からないわけですよ。
素人の目には。
どこが違うかというとそこに職人の魂が込められているんです。
そういうことを感じるそこが輪島塗なんですよ。
それでは失礼して…見てください、中がすてきなんですよ。
これは沈金といいます。
金が入っているんです。
ほったあとに金粉を入れていくんです。
まき絵もあります。
粗相をしてしまいました。
気をつけてください。
そんなに壊れないんです。
丈夫です。
基本的には美術品みたいに扱われていますが生活用品なんです。
100年近く使ってらっしゃるかと思います。
30回以上漆を塗っているそうですね。
私はこれが気に入りました。
それでは、ご自分で。
借りてきたものですから。
なかなかエクスペンシブなんですよ。
輪島塗で使うはけです。
ここでクイズです。
このはけの先の毛の部分いったい何の毛から輪島塗のはけが作られているでしょうか、お考えください。
メールもたくさん届いています。
ご紹介します。
早速、似顔絵が届いています。
「まれ」での弥太郎がとてもすてきです。
祭りでの姿もすてき。
着こなし鼻血ブーです。
大阪府の方から来ています。
メールも届いています。
神奈川県の方からです。
弥太郎親方が不退転の心を説き若者たちにエールを送るシーンとてもよかったです。
安定を選ばず、攻めの人生を生きてきた中村敦夫さんならではの激励の場面でした。
芸子を連れて歩く粋人という役は珍しいので見るほうは楽しいですが演じるほうはいかがですか。
女の子?女好き、女たらしじゃない。
べっぴん好きなんです。
美しいものを作っているというのがあるんでしょうね。
攻めの人生、と。
これは中村さんによく出てくるワードです。
中村さんが演じているのが塗師屋ですが、輪島塗で使うはけ、どんな毛が使われているんでしょうか視聴者の皆さんの答えです。
いちばん多いのが馬のたてがみですね。
その次が人間の髪の毛その次がヤシの実の繊維です。
親方、正解は?これは人間の髪の毛です。
特に女性です。
女性の髪の毛です。
髪の毛なんですか。
繊細な部分なので髪の毛の細さがちょうど柔らかさを含めて。
お若い方の髪の毛じゃないとだめなんでしょうね。
昔は男性も使っていたそうなんですが、最近はやはり若い髪の毛。
白髪のあるはけは見たことないですね。
急に、にらまないでくださいよ。
若い髪の毛と言ったときに。
中村さん、実際におやりになったんですか。
やりました。
いかがでしたか?かぶれちゃいました。
結構大変です。
腕時計が入らないぐらい手が膨れてしまって。
漆ですからね。
職人の方は大変ですね。
別に職人さんだって安全ではないんですよ。
慣れているわけではなくて。
大変なことですね。
実際に指導を受けながらこのはけを使ってるんですね。
「まれ」今週は3週目です。
どういうふうに展開するのかご覧ください。
そんなこと関係ないやろ。
大あり。
ロールケーキ甲子園を開始いたします。
ケーキ職人になりたいんです。
趣味ならみんな喜んで笑ってくれる。
お母さん、ありがとう。
ケーキコンクールに応募しました。
今後は中村敦夫さんも塗師屋の親方として、ますますご活躍のシーンも出てきますのでぜひ皆さんお楽しみに。
NHKオンデマンドでも初回から見ることができます。
中村敦夫さんの親方ぶりもチェックしていただきたいと思います。
続きまして高畑さんに中村敦夫さんにぐぐっと迫っていただきます。
中村敦夫さんは1940年、東京生まれ。
お父さんが、新聞社で支局長をしていたことから支局の2階に自宅があったため事件が起きると記者たちと一緒に現場に行くなど好奇心旺盛な少年時代でした。
これが支局の。
敦夫さんは?これです。
ダンスを踊っていますパーティーですか。
要するに1945年終戦の年に東京は空襲を受けて大変なときで、その前の年におやじの故郷である福島県に疎開していたんです。
戦争が終わったら県の新聞の支局長として勤めていて昔は支局長の家が新聞社でもあったんです。
1階がね。
これは1階です。
地方都市の文化の中心地みたいになるわけですよ。
の集積がありますからいろんな人が集まってきて当時はおしゃれなパーティーとかをやっているわけです。
バイオリンを弾いてる方がいます。
トーキー時代の大スターですずきでんめいという方です。
すずきでんめいさんは近くに炭鉱を経営していたんです。
いろんな人が出入りしていました。
子ども心に大人の世界を見て育ったんですね。
友達が大人ばっかりです。
新聞記者が友達だったんです。
事件が起きたら現場にも、よく行かれていたそうですね。
昔は車なんかないですから新聞社の名前が書いてある自転車があってそれがかっこよかったんです。
自転車の後ろに乗って現場まで見に行ったりしました。
今、思うとよく連れて行ってくれましたね。
特別だったんでしょうね。
好奇心旺盛だったんですね。
小学校、中学校と生徒会長を務めた中村さんは高校生になると都内の進学校に入学。
しかし同級生が皆東京大学を目指して一心不乱に勉強している姿に違和感を覚えます。
大島に旅行に行きました、修学旅行に。
違和感を感じていたんですか。
中学ぐらいまでは自由に伸び伸びといろんなことをして遊んでいたんですけど、高校辺りから締め付けが厳しくなってくるでしょう。
管理されていく道が狭いところに追い込まれていくんです。
勉強できると価値観が。
ただ出世するようなそうすると職業もそっちのほうに向いていくじゃない。
一緒に追い込まれるのがとても嫌だという感じがあったんです。
だから向かなかったんですよ。
みんなとは違う道を進もうとした中村さん。
日本から抜け出して南の国へ行こうと東京外国語大学マレー・オランダ語科に入学します。
しかし、同級生は商社に就職を目指す人が多く物足りなさを感じていました。
すごい大学ですよ。
大学でも周りと?外大の各語がありますよね。
言語でお芝居をするものがあるんですね。
なぜここに行ったかっていうと受験戦争に巻き込まれないようにしかも日本という国の画一化された社会から抜け出したいとモームという作家の小説を読んだんですね。
タヒチの舞台ですけれども自由に伸び伸びと生きる話です。
なんとか南に脱出したいと思って大学に行ったんです。
入ったら商社マンのコースなんです。
そこで、中村さんが選んだのは演劇の道でした。
演じることのおもしろさに目覚め大学を中退して劇団に入ります。
しかし、体制が合わず8年で退団。
なぜおやめになったんですか。
当時、アングラ劇団というのが非常に盛んになってきて蜷川幸雄さんとか唐十郎さんとか赤テント黒テントいろんなのがあって、圧倒的にそっちのほうが人気だったんです。
老舗の新劇は古くさい時代になって登龍門だったわけなんですけれどもただやっていることがおもしろくないと時代に遅れているなという感じが強かったんです。
その間アメリカに留学したりしていていろんな新しい演劇の状況を見ていますから何か、浦島太郎みたいな感じ。
逆ですね。
帰ってきて、まだこんな古いことをやっているのかとトップの立派な経験を積んだおじいさん、おばあさんたちとそりが合わないというか。
常に現状に甘んじないというか。
次へ次へと。
攻めの人生ですね。
聞こえはいいですけれどもそうじゃないんです。
つまらないことが嫌なんです。
おもしろいことを追っかけていくと現状と対立するということになりますよね。
無理やりにでも先にいかなきゃならないとね。
ずっとそうなんです。
現状打破をしていく、攻めの攻めのというのを繰り返していくんですね。
そして、1972年に放送したあの伝説の役柄と出会います。
時代劇の新しいヒーロー像を打ち立てた「木枯し紋次郎」。
あっしには関わりのねえことでござんすというせりふで一世をふうびし俳優として、その名が全国区に知れ渡ったのです。
これは時代劇としてもかなり革新的といいますか時代劇でも攻めていたドラマというイメージが。
3つの条件があったと伺ったんですけど、紋次郎役には。
成功というのは、私にはあまり関係なくて、市川崑というすごい大監督のそのイマジネーションというんですかね。
それが決定的なんですよ。
例えばこんなでっかいかさとか長いかっぱとかね。
こんなもの歴史的にはないんです。
実在しないわけです。
もっとかさは小さいしかっぱも短いわけですよ。
だけども絵として当時はやっていたマカロニウエスタンという西部劇そういうイメージにしたいということでサンブレロの代わりに大きなかさマントの代わりに長いかっぱそういうもの、市川さんがデザインしてチャンバラも設定的にいって貧しい農家の息子が剣道なんかできるわけない。
とにかくめちゃくちゃな剣道に出会ったに違いない。
そういうところは正しかったわけです。
いろんなものが新しかったんです。
音楽も新しかった。
上條恒彦さんのね。
小室等さんが作曲してね。
すべて新しいものが結集したということがあったんです。
ようじは最初からあったんですか。
原作に書かれていたんです。
それも話題の1つになったわけです。
これを考えると、僕は人間の運命というのは本当に不思議だなと思うんです。
例えばこの作品をまず笹沢左保さんが原作を書かなければ市川さんはできないわけです。
笹沢さんがなぜこのようじを思いついたかといったら当時野球で南海にスタンカという選手がいたんです。
バッターボックスに入るときにようじをくわえて入ってきたんです。
そこから思いついたんでしょうねヒントを。
スタンカがようじをくわえなければ僕は全然、別の人生を送っていたわけです。
そういう細い赤い糸でつながってくるんです人と人とが。
不思議ですね。
自分の手柄はほとんどないんですね、運命で。
そんなことはないと思いますけどね。
いろんな人が絡んでいるんですね見えないところで。
中村さんはこれはオーディションか何かだったんですか?市川さんが当時、映画産業がだめになっていて映画会社が巨匠たちにお金を出さなくなったんです。
自主独立の映画を作らないといけないということでテレビシリーズをやれば監修料が入るわけです。
そのためにできたんです、この企画がね。
そこでも、ある人が絡んでいるんですけど。
そのためには有名なスター俳優がやると予算を持っていってしまうんです。
ギャラが高いから。
条件としては安い俳優じゃないといけないんですでも役は30歳くらいの役だから30歳くらいの新人ってなかなかいないんですね。
こういう大きいかさをかぶるから丸顔の顔ではだめだ。
面長の人でないと。
長いかっぱを着ているから背が高くなきゃだめだ。
昔は時代劇の俳優さんスターというのはみんな背が低かったんですね。
顔が大きくて背が低いというのが条件だったらしいんです。
だから僕なんかお呼びじゃなかったんです。
一緒に並んでも、首から上が映らないんです。
でも、これで一世をふうびされて俳優として大活躍されるんですがしかし中村敦夫さん、俳優だけにとどまっていないんです。
作家やテレビの報道キャスターをされました。
作家としてもデビューされて。
「チェンマイの首」。
これはベルリンの壁ですよ。
崩壊する前の、2年前ぐらいですかね。
やっぱりお小さいころの記者魂の影響があったんでしょうか。
要するに事実というのは一般に報道されるものとは違って裏の裏まであるんだということを小さいときから知っているでしょう。
現場へとにかく行ってみようとそういう気持ちがいつも強いんですよ。
キャスターをされる前に最初にやられたのが作家ということですね。
きっかけは外国を舞台にした小説。
なぜかというと俳優をやっていても大体やっていくとパターン化していくわけですよ同じような企画同じような役。
分かります。
だんだんつまらなくなってくるんです。
自分としては、もっとおもしろいもの、こういうものがあるんじゃないかと。
特にこの時代に興味を持ったのは東南アジアなんですね。
僕自身アメリカに行っていましたから、アメリカの影響が非常に強かったんです。
アジアについてはほとんど無知だった。
日本人全体がそうなんです。
裏庭だと思っている。
しかし本当は表、庭なんです。
そのことに気付いてそういう場所を舞台にした映画の企画とかを作りたいなと思ってところがどこへ持って行っても何を言っているんだということになっちゃうわけです。
それじゃあしょうがないから映画みたいな小説を書いてやろうと思って、自分で出かけていって何か月も取材して小説を書いたらそうしたら、たまたまこれがベストセラーになったんでね。
当時、テレビの世界もだんだん歌やドラマ時代から情報番組時代に転換していくやさきだったんです。
そうすると外国取材をしないといけない。
慣れているやつはいないかという話になるわけです。
ことばもおできになるし。
それで選ばれて、世界中を見ることになるんですね。
しかも大体、テーマがタブーみたいなものばかりなんですよ。
今までテレビ界では扱っていなかったところをねらっていくという。
きわめて冒険的な企画だったんです。
危ないことが、いっぱいあったんじゃないですか。
日本人はすぐ危ない危ないというけどね外国へ行ったら安全なんてものはないんですよ。
自分で自分の身を守らないといけない。
いろんな世界、あらゆるところに行かれて。
今危ない目、というお話がありましたね。
中村さん、世界たくさんそういうことがあるんだと、お話されましたが中村さんご自身香港マフィアの取材をされていたときに大きなトラブルがあってスタッフとちょっとトラブルになっちゃったそのときに回避できたある理由があったそうです。
それは何だったのか。
中村さんのおかげでトラブルが回避できたそうです。
その理由は何でしょうか。
どれもありそうですね。
メールもご紹介します。
埼玉県の方から、40代の方からです。
もうずいぶん前のNHKドラマ「季節外れの蜃気楼」がすごく印象的でした。
あのころから優しく落ち着いた雰囲気は変わらないですね。
個人的にはちょいワルおやじ的な作品にも出てほしいなと思っていますが、いかがですか。
ちょいワルどころか大ワルずいぶんやりましたよ。
今回も「まれ」でもね。
ちょいワルおやじ的な感じが出ていますけど。
東京都の女性の方です。
キャー!敦夫さん、待っていました!中学生のころから、ずっと大好きです。
敦夫さんといえば時に作家、あるときはキャスターはらはらどきどきさせられっぱなしでした。
どんな立場にいても、いつも潔い。
ほれぼれします。
この春は毎朝わくわくが止まりません、いつまでも応援し続けます。
分かります。
皆さんわくわくはらはらどきどきさせられっぱなしということです。
そんな中村さんも、香港ではらはらされたんでしょうか。
トラブルをどうやって回避できたか視聴者の皆さんの答えはいちばん多いのが、赤の中村さんのファンがいた。
その次が議論で打ち負かしたです。
お答えは?これは赤ですね。
私のファン。
多くの方が正解です。
実はこれはね、香港と言っても九龍という場所があるんです。
今はきれいに開発されましたが昔は入り乱れて迷路のような九龍城という上海やくざと香港やくざのけんかの場所であったしね。
いろんな犯罪がそこであったわけです。
普通の人が、そこに入ると出てこられないような状況になる怖いところの取材をしたんです。
そしたらスタッフがつかまってしまいましてね。
電話が来てなんとかしてくれないかという話なんです。
大体、僕のほうがそういういろんな現場で慣れているんです。
しょうがないから入っていったらやくざに囲まれてですね因縁をつけられて基本的にはお金なんでしょうけどね。
ところが僕がね、入っていったとたんやくざたちが、ぱっと振り返ったらいきなりモンチロー!というんです。
モンチロー?何だと思ったら、ちょうどそのときに広東語で吹き替えで紋次郎のテレビを流していたらしいんです。
広東語ではモンチローなんですか。
あれもやくざですからね。
ものすごい親近感を持たれちゃって。
サインをしてくれれば何でもOKみたいな取材がすごくうまくいっちゃったんですね。
あれはそんなに危険だと僕は思いませんけどね。
もっともっと危ないことはありましたから。
中村さんがサインを書いて。
あっしには関わりのねえことでござんすで解決ということで。
さまざまなキャスターとしての経験もされて、そのあとで政界に進出もされてそしてまた俳優に戻って来られたわけです。
どうしてまた俳優をやっていこうというふうに?別に僕は深く考えていないですよ。
俳優をやっていないときはほかのことで忙しいだけです。
あいたときにたまたまくればね。
じゃあやりましょうということで。
そんなに重大決意とかないんです。
政治を引退してからは自分が経験したこととか学んだことこれはいったい何だったんだと全体的に客観的に見たらそれを総括したいという気持ちになっていたんです。
だからあまり個人的に目立つような職業で頑張っていたわけじゃないんですけど。
例えば大変仏教に興味を持って釈迦が歩いたあとをずっと旅をするとかね。
あるいは本も読むとかそういうことをやってました。
その中で同志社の大学院で3年間ばかり講義してくれということで生徒を持ってゼミをやっていたんです。
それで考え方を整理していきました。
写真が出ちゃったから説明したほうがいいだけ。
その題材の1つで考えたのが種田山頭火の朗読劇。
これもそれに連なっているんです。
今やっているんですけど大学でテーマを作らないといけないわけですから市民社会論という堅苦しいあれがついていますけど簡単に言うとエコロジー社会。
どういうことなんですか。
近代というのは環境破壊の歴史があるわけですね経済成長が、いちばんの神様だということで歯止めなくやってしまったために今、地球は大変なことになっているし人類の先行きも怪しくなっているわけです。
それに対してもっと人間は自然の一部だからそうしたものを大きな価値観として経済も政治も考え直さないといけないということが基本にあるわけですね。
それで興味を持ったのがね日本は近代化というのは100年遅れで明治維新から始まったものすごいスピードでね。
あらゆる知識人が、みんな近代化賛成でそっちへ加担してそのために日本は先進国に入ったということはありますけどでもそのとき同時にそれだけでいいのかというもっと伝統的な日本のよさ、もっとたくさんあるわけでしょう?自然との共存というような、それを捨てていいのかそういうふうに考えた知識人はいなかったのか、というのが私のテーマの1つだったんです。
その中でいろんな人の名前宮沢賢治とか南方熊楠とかたくさんいますね。
私は授業では山頭火と南方熊楠を取り上げたんです。
2人ともお坊さんなんだけど。
ただ南方熊楠は学者ですからね。
一般的になじみにくい、難しい天才的な学者なんです。
授業ではできますけど一般にはどうかなと思っていました。
しかし本を出すときに南方熊楠のほうだけを入れてページ数が増えちゃって山頭火を省いたんです。
非常に悪いなと思って。
山頭火に悪いなという意識があって、朗読劇にして紹介しています。
自由律俳句といって五七五にとらわれず自由に俳句を詠んでいた山頭火。
でも今そういうふうに中村さんが輪島塗の、塗師屋をなさるという。
つながりますね。
そればかりではなくて、輪島の大事なものをとドラマに出ていらっしゃることが。
手足の力とか、能力とかね。
お祭りとか。
原人間的な価値というかね。
それこそ「木枯し紋次郎」じゃないですけど1本の糸が全部つながって山頭火の朗読をやってらっしゃるという感じがいたしました。
最後に視聴者の皆さんから、質問メッセージが届いております。
お答えいただきます。
こちらも塗師屋のゴッドファーザーイラストをいただきました。
そして質問です。
福岡県の方からです。
中村敦夫さん、競輪が、お好きなんですか。
「こころ旅」で火野正平さんが言っていました。
僕は好きというのではなくて専門家です。
テレビで10年ぐらい評論もやっていましたしね。
多才すぎて。
すごく考えるんですよ、頭のトレーニングに重要な知識です。
推理小説を読むようなね、そういうものなんです。
だから作家で競輪ファンはたくさんいます。
メッセージもたくさん届いています。
石川県の方からです。
私は金沢市の人間なので「まれ」のドラマが輪島なのがうれしく、拝見しています。
中村さんの輪島弁が、とても自然でお上手なことに感動しています。
うちの父たちが話しているのと全く同じです。
本当に?それはすばらしい。
あのことば、難しいですよね。
ことばだけではなく、雰囲気までも地元の方で、すばらしいと思いました。
輪島塗のことも改めてすばらしさを中村さんに教えていただいた気がします。
若いころもすてきでしたが今の中村さんがすごく好きです。
福島県の方からです。
「木枯し紋次郎」のころから敦夫様の大ファンです。
紋次郎放映当時初々しい女子高生でした。
高校の同級生の間でも紋次郎を演じる敦夫様は大人気でした。
あれから何十年だったでしょうか。
中村敦夫さんは変わらず知的です。
「まれ」毎朝楽しみに拝見しております。
若い方も見ていらっしゃるんですね。
2015/04/13(月) 13:05〜13:52
NHK総合1・神戸
スタジオパークからこんにちは 中村敦夫[字][双]
朝ドラ“まれ”出演 攻めの人生、その原点は ゲスト:中村敦夫 司会:伊藤雄彦アナ、高畑淳子
詳細情報
番組内容
双方向データ放送番組。テレビのリモコンを使って、ゲストに関するクイズやアンケートに挑戦!気になるゲストの生トークにあなたも参加しませんか?テレビをネットにつなぐとさらに楽しめます。
出演者
【出演】中村敦夫,【司会】高畑淳子,伊藤雄彦
ジャンル :
情報/ワイドショー – 芸能・ワイドショー
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
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