天下統一への原動力となったのは若き家臣たち「親衛隊」の存在です。
多くは信長が若い頃自ら声をかけスカウトした変わり者ばかり。
「ハゲネズミ」と言われた秀吉やおっちょこちょいの槍使い。
更には体は小さいのに態度は大きい俺様系まで。
個性豊かな親衛隊誕生の秘密を解き明かします。
戦場に勇ましく駆け出していった信長と親衛隊の若者たち。
ところが…。
一体何が起きたのでしょう?事件の現場を訪ね涙の真相に迫ります。
信長に次々と襲いかかる試練。
絶体絶命の危機に陥った信長を救ったのは親衛隊の思いがけない行動でした。
目指すは天下!共に手を取り合い戦国の世を駆け抜けた若き信長と親衛隊の青春物語です。
かかれ〜!天下取りを目指す信長のデビュー戦桶狭間の戦い。
10倍以上の敵を相手に劇的な勝利を収めた信長は一躍その名を世に知らしめます。
この時信長27歳。
そこに至るまでの道のりはつらく悲しいものでした。
まだ無名だった若き信長が歩んだ苦難の日々をのぞいてみましょう。
桶狭間の戦いを遡る事26年。
信長は尾張現在の愛知県西部に生まれました。
父はこの地を治めていた有力武将の一人織田信秀。
信長はその嫡男。
織田家の将来を担う頼もしい跡取り息子…と言いたいところですがどうもそうはいかなかったようです。
信長が幼い頃学んだ寺に当時の様子を伝えるエピソードが残っています。
これが…しっかり勉強するようにと言われて寺にやって来た信長。
ところが手習いもそこそこに習字の紙を松の枝に引っ掛けるとそのまま寺を抜け出して近所の子供たちと遊びに行ってしまいました。
人から命令されるのが大っ嫌い。
自分がやりたいと思ったら即行動。
そんな少年だったようです。
年頃を迎えてもその振る舞いは自由奔放。
町を歩く時もだらしない服装でぶ〜らぶら。
裾の短いはかまに腰にはなぜか荒縄とひょうたん。
着物も袖なしです。
およそ織田家の嫡男とは思えない行儀の悪さに人々は信長を「大うつけ」非常識な愚か者だとうわさします。
重臣たちも跡取りらしからぬ信長の行いに眉をひそめ織田家の行く末を心配しました。
そんな中…
(信秀)あれがあやつの良いところよ。
常識にとらわれない我が子の振る舞いから逆に器の大きさを感じていたのかもしれません。
ところが信長19歳の時悲劇が襲います。
最大の理解者である父親が病死したのです。
信長は若くして家督を継ぐ事になりました。
すると…。
あのような大うつけに織田家を継がせてよいのか?さよう。
到底我らは従えぬ。
ご当主となるべきは弟君信勝様よ。
重臣たちは信長を軽んじ信長の弟信勝に心を寄せるようになります。
心の声今の家中で頼みにできる者は一人もおらん。
それもよかろう。
わしはわしのやり方で新しき織田家をつくってみせる。
信長は城を飛び出します。
おい。
おぬしら名は?始めたのはなんとスカウト。
自ら声をかけ家臣を集めて回ったのです。
(信長)その方どもの命わしに預けぬか。
ただ声をかければいいわけではありません。
まず家臣にふさわしい人材か見極める必要があります。
ある時遠くから風変わりな男が歩いてくるのを見つけた信長。
あやつ面白い面構えをしておるなあ。
よ〜し…。
男が近づくと…。
ん?何じゃこれは…あっ!なんと門の上からおしっこ。
怒った男は門に上がってきてどなり始めます。
誰じゃ!信長だ。
信長様…?いやいくら信長様でもやってよい事と悪い事がござりまする!面白い!気に入った!信長と知ってもひるまず抗議するとは見上げた根性。
信長は男を即座に召し抱えたのだとか…。
この男こそ後の豊臣秀吉です。
相手の本音を上手に引き出してその人となりを正しく判断するためには信長の格好も一役買っていたようです。
信長はこれと見込んだ者にはとにかく声をかけました。
相撲大会では見事な取り組みを披露した力自慢の相撲取りを。
またある時は諸国を回って見聞を広めている巡礼者を。
次々家臣に取り立てていきました。
能力さえあれば誰でも家臣になれる。
そんな評判が広まると…。
おい信長とはおぬしか?誰だ!信長わしを召し抱えよ。
自ら仕官を直訴する者も現れます。
信長は…。
心の声気に入った!鼻っ柱の強さに見どころを感じたのか早速お召し抱えに。
この男は平野甚右衛門。
後に「家臣の中で一番武勇に優れている」との評価を得る事になる若者です。
こうして集まった男たちにはある共通点がありました。
それは彼らの多くが長男ではなかった事。
通常武士の領地を受け継ぐのは長男。
次男以下の弟たちはただの居候です。
そのため一人前とは認められず日々肩身の狭い思いをしていました。
信長に仕える事となった一風変わった家臣たち。
信長は彼らをかわいがり一人一人にあだ名を付けました。
「はげねずみ」は秀吉のあだ名。
顔がネズミに似ているというのでしょうか。
「津島小法師」はあの鼻っ柱の強い平野甚右衛門の事。
「津島」は出身地「小法師」は体が小さい男という意味です。
「編笠」。
戦の時慌てた家臣が兜ではなく編笠をかぶったのを面白がり命名しました。
信長がいかに家臣を大切にしていたかそれを示すものが残っています。
それはこの足半。
「足半」とは戦の時に履くかかとのない草履です。
ある戦いで信長は手柄を報告しに来た家臣の足に目を留めます。
必死に駆け回るうち足半がちぎれ血まみれとなっていたのです。
すると信長は予備に持っていた自分の足半を手ずから与えその働きをねんごろにねぎらいました。
こちらがその足半を贈られた家臣兼松正吉の肖像画です。
腰の辺りにご注目。
正吉はよほどうれしかったのか足半を肌身離さず大切に持ち続けました。
その様子が肖像画にも描かれています。
信長のため必死で働く家臣とそれに温かく応える信長。
彼らは固い絆で結ばれていきました。
身分や家柄にとらわれない信長直属の家臣「親衛隊」。
独りぼっちだった信長は初めて気心の知れた家族のような仲間を手に入れたのです。
(家臣)信長様!これより出陣いたす!
(家臣一同)おう!ようこそ「歴史秘話ヒストリア」へ。
家族や家臣からそっぽを向かれて寂しい青春時代を送っていた信長。
そのころ後に盟友となる少年に出会ったと言われます。
こちらは信長が10代の頃勉強のために通った万松寺というお寺。
そこには当時6歳の少年が暮らしていたといいます。
少年の名は竹千代後の徳川家康です。
隣国三河の武将の家に生まれた家康は人質としてこの寺で孤独な日々を送っていました。
8歳年上の信長は万松寺を度々訪れ幼い家康と交流したと伝わっています。
共に寂しさを抱えているからこそ通じ合う思い。
信長と家康は後に同盟を結び天下制覇を目指します。
その原点には幼い頃交わした友情があったのかもしません。
さて信長が自らスカウトした親衛隊。
しかしその行く手には厳しい現実が立ちはだかります。
信長が家督を継いで2年。
尾張に危機が訪れます。
駿河遠江三河を支配する大大名今川義元が尾張の信長領に侵攻。
信長の居城から僅か20kmの場所に砦を築いたのです。
信長は直ちに織田家全軍を動員するべく重臣たちを集めます。
ところが…。
我ら到底兵は出せませぬ。
代々織田家に仕えてきた筆頭家老林秀貞と弟の通具兄弟が出兵を拒否。
信長の命令には従えないとその場を退席してしまいます。
やむをえず信長は織田家全軍の1/3にも満たない親衛隊を引き連れ砦に急行します。
よいか決して退くな!なんとしても堀を登れ!続け!
(家臣一同)オー!日の出とともに親衛隊は砦への攻撃を開始。
しかし戦いは信長にとって厳しいものとなりました。
ここが村木合戦があった村木砦の跡になります。
今川軍数百人が立て籠もった村木砦。
その周りには巨大な堀が巡らされていました。
記録では「霞むばかりの幅の広い」というような記録が残っておりまして現在地形を見ましても…
(藤井)その時に織田軍の信長の親衛隊はその塁壁を登ると今川軍から突き落とされる。
突き落とされたらばまたそこでもってはい上がって攻めていく。
ですので…
(兵たちのおたけび)
(銃声)次!攻める味方を援護すべく信長は鉄砲を次々取り替え敵兵を射撃。
次!
(銃声)うわ〜!あぁっ!うわああ!しかし砦の守りは固く親衛隊は次々と倒れていきます。
(家臣)中川正成討ち死に!
(家臣)平井武兵衛討ち死に!
(家臣)飯尾長近討ち死に!9時間に及ぶ激戦の末信長はようやく砦を攻め落とし今川義元の侵攻をなんとか食い止めました。
しかし信長の本陣に喜びはありませんでした。
親衛隊は死体の山が出来るほどの犠牲を出し目も当てられないありさま。
その時の信長の様子を記録はこう伝えています。
「信長公は『こいつも死んだのか。
あいつもか』と仰せになりながら涙を流された」。
心の声これ以上わしが見いだした者どもを失いとうはない。
そのためにはもっと強くならねばならぬ!ハッ!信長は親衛隊の強化に取り組みます。
まずは武器の改良。
槍の長さを一般的に使われる4mから1.5倍の6mを超えるものに変更。
長ければ長いほど敵に届きやすく有利となります。
しかし長い槍は最初の一突きをかわされると逆に不利になってしまいます。
えい!そこで信長は戦い方も一新。
槍を持つ者を集め皆で一斉に構えさせる戦法「槍ぶすま」を導入。
個々の力は弱くても集団で戦えば力は数倍。
犠牲も抑えられます。
更に信長が訓練で盛んに行った事があります。
よし行け!
(家臣一同)はっ。
鷹狩りです。
(鳴き声)「鷹狩り」とは鷹を放って獲物をつかまえる狩りの事。
信長は独特の工夫を凝らしました。
獲物を探しに行く「鳥見」という役割。
それまで一人一人バラバラに行かせていたのを…獲物を見つけると1人が信長に報告。
1人はそのまま見張ります。
信長が到着するまで見張り続けるため多少獲物が移動しても逃す事はありません。
鳥見の者が獲物を見つけその居場所を知らせねば鷹を放てぬ。
さすれば獲物も捕えようがない。
それは戦も同じだ。
狩りの成功は鳥見がもたらす情報によって決まる。
信長は鷹狩りを戦に見立て情報をつかんだ者が勝つと繰り返し親衛隊に説きました。
更に信長は親衛隊を素早く動かす仕組みも整えます。
当時一般的に家臣は大名の城から離れた所に領地を持ち農業を営みながら暮らすもの。
大名が兵を集める時はめいめい領地から城へはせ参ずるため時間がかかります。
一方信長の親衛隊は領地を持たない次男以下。
信長は彼らを城近くに住まわせました。
これなら戦の時一声かければすぐにでも動員できるうえ集団訓練も頻繁に行う事ができます。
他の戦国大名の例は私もいろいろ知ってるんだけど…こうして着実に力をつけていった信長と親衛隊。
その成果を試される時がやって来ます。
村木砦での苦い経験から半年後。
急の知らせが届きます。
信長の城に程近い清洲城でクーデターが発生。
家臣が城主を殺害したというのです。
清洲城の勢力はこれまでも信長に敵対し領内に攻め込んできた厄介な存在。
いずれ攻略しておかなければ…。
そう考えていたやさきの出来事でした。
心の声この時を逃してはならぬ。
清洲城を攻め取るは今ぞ!
(兵たちのおたけび)知らせを聞いた信長は直ちに軍勢を清洲城に急行させます。
親衛隊は訓練を重ねてきた槍ぶすまを前面に立てて突撃。
対する敵の抵抗も激しく戦いは一進一退となりました。
やがて信長軍の槍が清洲勢の槍より長い事が次第に効果を発揮し始めます。
そして信長軍は戦いに勝利。
長らく懸案となっていた清洲城制圧に成功しました。
親衛隊は今やたくましい精鋭集団へと成長したのです。
信長が親衛隊に強調したのはいかに情報が大切かという事。
それは戦場以外でも信長の命を救います。
信長が将軍への挨拶と都見物を兼ねて京都に出かけた時の事でした。
京に到着して程なく…。
・
(足音)信長様!
(信長)何事じゃ兵蔵!家臣の一人丹羽兵蔵がただならぬ形相で飛び込んできました。
(兵蔵)殿の御身が危のうござる!途中知り合うた小僧の話によりますると…。
回想
(兵蔵)まことか!はい。
しかとこの耳で聞きました。
信長を鉄砲で仕留めるなど造作もないと。
なんと鉄砲で信長暗殺をたくらむ刺客がいるというのです。
心の声急ぎ信長様にこの事を…。
いや待て。
あれだけはしかと見届けておかねばならぬ…。
兵蔵はひそかに刺客たちの後をつけ彼らの宿を突きとめます。
(兵蔵)間違わぬよう宿の入口の柱に印をつけておきました。
(信長)兵蔵ようやった。
何じゃお前らは!兵蔵の情報から信長は大胆にも自ら刺客たちのもとへ乗り込みました。
うぬらがごときうつけどもがこの信長を討つだと?どうだ試してみるか?日頃の訓練の成果が見事に発揮され信長暗殺事件は未然に防がれたのです。
そして「歴史秘話ヒストリア」。
信長と親衛隊はその強い絆を武器に未来をつかむ戦いに挑みます。
清洲城に拠点を移した信長はここから尾張統一へ動きだします。
織田家は信長の親衛隊を中心とする家臣たちといまだ信長に従おうとしない古参の家臣たちとで二分されていました。
我ら到底兵は出せませぬ。
最大の障害はかつて出兵を拒んだ重臣の林秀貞・通具兄弟。
林兄弟は信長に反旗を翻し信長の弟信勝を織田家の当主に据えようと画策していました。
心の声このまま家中で争えば織田家の力がそがれるだけだ。
今一度林兄弟と腹を割って話し合うてみるか。
信長様!半平か。
那古野の城に参る。
林様のところへ?さればそれがしが供を!供は要らぬ。
心の声供も連れずに林様の城へ?今の林様は信長様に何をするか分からぬ。
大事なければよいが…。
周りには味方となる家臣が一人もいません。
(通具)兄上またとない好機にござる。
これまでの非礼を問うてあのうつけめに詰め腹を切らせましょうぞ。
織田家の御為にござる!弟の通具はこの場で信長の命を奪おうと言いだします。
まあ待て。
ここで腹など切らせずともよい。
うつけ殿とは遠からず決着をつける。
結局林兄弟との話し合いは決裂しました。
その夜からくも難を逃れた信長は清洲城に戻ります。
心の声林兄弟がその気になれば信長様のお命はなかった…。
一時とはいえ主君の身を敵にゆだねてしまうとは…。
(家臣)ご注進!林兄弟謀反にござりまする!ついに林兄弟が信長を打倒すべく挙兵。
それに呼応して信長の弟・信勝はじめ尾張の東半分にある城の武将たちが一斉に蜂起。
1,700の兵で信長の清洲城を目指します。
これに対し信長は親衛隊700と共に出陣。
敵を迎え撃つため兵を進めます。
信長の親衛隊と織田家の重臣。
味方同士で命を奪い合う悲惨な戦いが始まろうとしていました。
心の声今日の戦我が身に代えても必ずや信長様をお守りする!
(兵たちのおたけび)正午ごろ戦いの火蓋が切られました。
(銃声)うわあ…!倍以上の軍勢を擁する林軍の勢いはすさまじく親衛隊は次々討たれていきます。
敵の大将林通具は自身も刀を手に前線に立ち信長軍相手に暴れ回りました。
皆の者もう一押しじゃ!信長を討てば織田家は安泰ぞ!この勝ち戦にて織田をまとめ上げるのじゃ!
(家臣一同)オー!心の声またもや村木砦の時のようにあの者たちを死なせてしまうのか…。
敵の猛攻に信長軍が崩れかけたその時。
うお〜!親衛隊の一人が通具に斬りかかりました。
何じゃその方!黒田半平!信長様への謀反断じて許さぬ!心の声敵の大将さえ倒せば戦の風向きは変わる!必ず変わる!ヤァッ!どうしたどうした!歴戦の猛者である通具に圧倒される半平。
それでも通具に何度も食らいつきます。
半平と通具の斬り合いは数時間に及びました。
ええい!お互い体力の限界を感じ始めたその時…。
半平は左手を斬り落とされてしまいます。
終わりじゃあ!フンッ!
(斬る音)現れたのは信長でした。
(信長)大事ないか!信長様!申し訳ござりませぬ!半平手柄を立てたのはその方だ。
え…?
(信長)よくぞ通具を追い詰めてくれた。
信長様…。
泣くな!我らの戦いはこれからぞ!はい!大将を失った林軍は総崩れ。
戦いは信長軍の勝利に終わりました。
親衛隊の力によって謀反を押さえた信長は名実ともに織田家を統一。
戦国大名として天下に名乗りを上げる事になるのです。
(信長)これより桶狭間の今川勢をたたく!敵勢幾万あろうとも恐れるな!我らならば必ずや勝機は来る!いざ!
(家臣一同)オー!今宵の「歴史秘話ヒストリア」。
最後は…そんなお話でお別れです。
天下統一を目前にした…この時親衛隊は別の場所に宿をとっており信長のもとには僅かな供回りしかいませんでした。
燃え盛る炎の中…信長の死を知った親衛隊はどうしたのか。
それを物語るものがあります。
こちらが清玉上人自筆の織田信長公はじめ天正10年6月2日討ち死にされた織田家中の方々が記された巻物です。
信長が命を落としたその同じ日に討ち死にを遂げた親衛隊の名簿です。
知らせを聞いた親衛隊は僅かな手勢で明智軍に突撃。
激戦を繰り広げ散っていきました。
その数…境内には信長の遺骨を葬ったという墓も建てられています。
周りには親衛隊112名の墓が信長を囲むように建っています。
信長に愛された男たちは最期の瞬間までその恩に報いようと力の限りを尽くしたのです。
尾張の大うつけから天下の覇者へ。
信長を支え続けた親衛隊は今も信長を守るように寄り添い静かに眠っています。
2015/04/15(水) 14:05〜14:50
NHK総合1・神戸
歴史秘話ヒストリア「俺たちノブナガ親衛隊〜織田信長と家臣たち 青春の絆〜」[解][字][再]
戦国の風雲児・織田信長。天下統一への戦いを支えたのは、若い頃、信長自らスカウトした変わり者の親衛隊だった。目指すは天下!若き信長と親衛隊の熱き青春の絆。
詳細情報
番組内容
戦国の風雲児・織田信長。天下統一への戦いを支えたのは、信長が若い頃、自らスカウトした「親衛隊」の若者たちだった。そのメンバーは、ハゲネズミと呼ばれた秀吉や体は小さいのに態度は大きいオレ様系など、変わり者ばかり。あの信長を涙させた親衛隊の悲劇とは?信長暗殺計画に立ち向かった親衛隊の秘策とは?桶狭間で戦国の世に名乗りを上げる以前の、若き信長と親衛隊たちの青春の熱き絆の物語。
出演者
【出演】根岸拓哉,【キャスター】渡邊あゆみ
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
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