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【社説】

国民を守る司法判断だ 高浜原発「差し止め」

 関西電力高浜原発(福井県高浜町)の再稼働は認めない−。福井地裁は、原子力規制委員会の新規制基準を否定した。それでは国民が守られないと。

 仮処分は、差し迫った危険を回避するための措置である。通常の訴訟とは違い、即座に効力を発揮する。

 高浜原発3、4号機は、動かしてはならない危ないもの、再稼働を直ちにやめさせなければならないもの−。司法はそう判断したのである。

 なぜ差し迫った危険があるか。第一の理由は地震である。

 電力会社は、過去の統計から起こり得る最大の揺れの強さ、つまり基準地震動を想定し、それに耐え得る備えをすればいいと考えてきた。

◆当てにならない地震動

 原子力規制委員会は、新規制基準による審査に際し、基準値を引き上げるよう求めてはいる。

 関電は、3・11後、高浜原発の基準地震動を三七〇ガルから七〇〇ガルに引き上げた。

 しかし、それでも想定を超える地震は起きる。七年前の岩手・宮城内陸地震では、ひとけた違う四〇二二ガルを観測した。

 「平均からずれた地震はいくらでもあり、観測そのものが間違っていることもある」と地震学者の意見も引いている。

 日本は世界で発生する地震の一割が集中する世界有数の地震国である。国内に地震の空白地帯は存在せず、いつ、どこで、どんな大地震が発生するか分からない。

 だから基準地震動の考え方には疑問が混じると判じている。

 司法は次に、多重防護の考え方を覆す。

 原発は放射線が漏れないように五重の壁で守られているという。

 ところが、原子炉そのものの耐震性に疑念があれば、守りは「いきなり背水の陣」になってしまうというのである。

 また、使用済み核燃料プールが格納容器のような堅固な施設に閉じ込められていないという点に、「国の存続に関わるほどの被害を及ぼす可能性がある」と、最大級の不安を感じている。

 福島第一原発事故で、最も危険だったのは、爆発で屋根が破壊され、むき出しになった4号機の燃料プールだったと、内外の専門家が指摘する。

 つまり、安全への重大な疑問はいくつも残されたままである。ところが、「世界一厳しい」という新規制基準は、これらを視野に入れていない。

◆疑問だらけの再稼働

 それでも規制委は新基準に適合したと判断し、高浜原発は秋にも再稼働の運びになった。

 関電も規制委も、普通の人が原発に対して普通に抱く不安や疑問に、しっかりとこたえていないのだ。従って、「万が一の危険という領域をはるかに超える現実的で切迫した危険」があると、福井地裁は判断した。新規制基準の効力や規制委の在り方そのものを否定したと言ってもいいだろう。

 新規制基準では、国民の命を守ることができないと、司法は判断したのである。

 昨年五月、大飯原発(福井県おおい町)3、4号機の差し止めを認めた裁判で、福井地裁は、憲法上の人格権、幸福を追求する権利を根拠として示し、多くの国民の理解を得た。生命を守り、生活を維持する権利である。国民の命を守る判決だった。

 今回の決定でも、“命の物差し”は踏襲された。

 命を何より大事にしたい。平穏に日々を送りたい。考えるまでもなく、普通の人が普通に抱く、最も平凡な願いではないか。

 福島原発事故の現実を見て、多くの国民が、原発に不安を感じている。

 なのに政府は、それにこたえずに、経済という物差しを振りかざし、温暖化対策なども口実に、原発再稼働の環境づくりに腐心する。一体誰のためなのか。

 原発立地地域の人々も、何も進んで原発がほしいわけではないだろう。仕事や補助金を失って地域が疲弊するのが怖いのだ。

 福井地裁の決定は、普通の人が普通に感じる不安と願望をくみ取った、ごく普通の判断だ。だからこそ、意味がある。

◆不安のない未来図を

 関電は異議申し立てをするという。しかし司法はあくまで、国民の安全の側に立ってほしい。

 三権分立の国である。政府は司法の声によく耳を傾けて、国民の幸福をより深く掘り下げるべきである。

 省エネと再生可能エネルギーの普及を加速させ、新たな暮らしと市場を拓(ひら)いてほしい。

 原発のある不安となくなる不安が一度に解消された未来図を、私たちに示すべきである。

 

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