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◎俳談

◎俳談
【翡翠(カワセミ)】
 ◆翡翠の阿修羅の如く狩りにけり NHKフォト俳句特選 
 翡翠の日本画は多くの画家が描いているが、20年間もひたすら翡翠を撮りつづけているとどんな名画でも難点があるのに気付く。どこか実際と違うのである。姿勢も違う、飛ぶ姿も違う。昔の画家が精密に描けるのは、鳥刺しから買って描いたためと言われる。鳥刺しとは江戸時代鷹匠の下で鷹の餌となる小鳥を捕る職業の者。従って生きた翡翠を描いていないのだ。
 ましてや水中の翡翠の姿など想像もつかなかったであろう。筆者はどうしても水中の写真を撮りたくて、一計を案じて撮影に成功した。クリスタルの水槽に小魚を入れて、カワセミに飛び込ませたのだ。恐らく北斎なら飛び付いて描いた垂涎の姿であろう。デジタルで見る画像は悪鬼そのものであった。最初は<翡翠の悪鬼の如く狩りにけり>とやったが、悪鬼よりも阿修羅の方が恐ろしさを感じると推敲した。
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◎始めに結論ありきの司法の暴走

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◎始めに結論ありきの司法の暴走
  樋口の「不合理判断」こそが不合理の極みだ
 困ったときに非常手段に訴えることを「鼬(いたち)の最後っ屁(ぺ)」と言うが、高浜原発の再稼働を認めない仮処分を出した地裁裁判長・樋口英明はまさにそのものであった。樋口は大飯原発訴訟でも昨年の5月に「運転再開差し止め」を命じており、ネットではこれが原因で4月1日付で「名古屋家庭裁判所」に左遷されたとの見方がもっぱらだ。引き継ぎの関係から職務代行が認められたことをこれ幸いと「にっくき原発の再稼働など認めぬ」決定を下したのだ。筆者は大飯訴訟判決の際にも、最高裁の判決との食い違いを指摘したが、今回も大きな食い違いを見せている。まるで最高裁の判例に楯突くような決定である。
 最高裁判決は1992年に伊方原発の安全審査を巡る訴訟の判決で、「原発問題は高度で最新の科学的、技術的な知見や、総合的な判断が必要で、行政側の合理的な判断に委ねられている」との判決を下している。司法が政府の政策にかかわりすぎるべきではないという「司法の謙抑性」の判断を下しているのだ。樋口は左遷の悔し紛れとは言わないが、最高裁の「合理性」という言葉をあえて使って「新規制基準についてはゆるやかすぎてこれに適合しても安全性は確保されず、合理性を欠いている」と決めつけている。
 下級裁判所の裁判官についての人事権は憲法81条によって最高裁判所が握っており、最高裁判所の意向や判例に反する判決を出すとその裁判官は最高裁判所から差別的処遇(昇進拒否・左遷など)を受けるケースが多いといわれている。そのため、最高裁判所判例重視の傾向が下級審では強い。司法の秩序維持のための当然の対応である。しかし樋口はあえて盾をついているとしか思えない。いわば裁判官にあってはならない「私闘」の側面を強く感ずるのだ。
 その決定内容についてのマスコミの反応は、原発再稼働反対の社会部に引っ張られているNHKが午後7時のニュースで、出だしから「司法が待ったをかけました」「集まった人たちから歓声が起きました」とまるで鬼の首でも取ったかのような「偏向」ぶりを示した。ニュースでも解説でも巧妙に再稼働反対を匂わせ続けた。とりわけ「住民側」という言葉を再三使ったが、仮処分の申し立て者9人は福井だけでなく、京都、大阪、兵庫などにまたがっており、“原発反対運動の専門家”の臭いが濃厚で、果たして「住民側」と言えるのだろうか。
 なぜなら、統一地方選挙で4選を果たした福井県知事・西川一誠は対立候補が訴えた原発ゼロ政策を「原発は安全管理しながら活用することが大事だ。『原発ゼロ』は日本では成り立たない」と明確に否定、80%を超える得票率で、対立候補を大差で退けている。本当の「住民側」の意志は選挙で定まっているのであり、放送で大々的に「住民側」と報ずれば福井県民の全てが訴訟を起こしたように聞こえる。NHK独特の巧妙なやり口だ。少なくとも用語としては「一部住民側」と表現すべきだ。自民党は17日の情報通信戦略調査会(会長・川崎二郎元厚生労働相)の会合にテレビ朝日とNHKの幹部を呼び、最近問題となったそれぞれの報道番組の内容や経緯などについて事情を聴くが、NHKの「原発偏向」も俎上(そじょう)に挙げるべきだ。
 新聞は朝日が樋口の決定が特異判断だろうが何だろうがあえて無視して「利用しなければ損だ」とばかりに「司法の警告に耳を傾けよ」と社説で政府・与党に対応を求めている。しかし自民党は国政選挙でも統一地方選挙でも公約や演説で「規制委の基準に適合すると認められた場合には再稼働を進める」と明記、明言して選挙に圧勝し続けているのであって、エキセントリックな「司法の警告」などに耳を傾ける必要は無い。
これに対して読売は「規制基準否定した不合理判断」、産経が「高浜原発差し止め『負の影響』計り知れない」と至極もっともな論陣を展開している。
 要するに樋口の決定は、「原発はゼロリスクでなければならない」と言っているのであり、これは世界的に見ても噴飯物の「オオカミ少年」判断であろう。科学的な知見ゼロの裁判官が、原発に関する日本の最高権威の規制委員会の知見に基づく再稼働判断に真っ向から「ノー」を突き付けても、一部のマスコミは喜ぶが、国民のためにはならない。最高裁の「総合的な判断が必要で、行政側の合理的な判断に委ねられている」とする冷徹な判例は、大震災後の現在でも十分通用することが全く分かっていない。始めに結論ありきの一部司法の暴走だけが目立った決定であった。政府も関電もこのような決定にとらわれる必用は全くない。政府は官房長官・菅義偉の言うように「粛々と」原発政策を進めれば良い。


◎俳談

◎俳談
 【文語体と旧仮名使い】 
◆さみだれや船がおくるゝ電話など 中村汀女
  <おくるゝ>の<ゝ>は一の字点という。平仮名を2字重ねるとき「ゝ」を使用する。昨今の文章ではあまり用いられないが「学問のすすめ → 学問のすゝめ」と書く例だ。これが名句となると格好がいい。なぜかといえば「文語体+旧仮名」であるからだ。短歌以来の形式には重みがある。戦後の文章はまだ70年だが、文語体には千年の歴史があり、日本人のDNAも間違いなくそれを受け継いでいて、百人一首などで慣らされている。受ける感動が違うのだ。
 したがって私は、文章は「口語体+新仮名」だが、俳句は「文語体+旧仮名」である。旧仮名でないと損したような気持ちになる。句会の句も口語体では馬鹿みたいに見え、数票減る。掲句は横浜に住んでいた汀女が、夫から「船がおくれる」と電話があったことを詠んだだけである。俳句にはこのような些事中の些事の中にも、人生の深淵を覗くような暖かさと善意が隠されている。女の幸福とはこのようなものでもあろう。

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◎安保、普天間、首相談話で保革激突の形勢

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◎安保、普天間、首相談話で保革激突の形勢
  選挙圧勝を背景に法制は8月上旬に実現へ
 焦点の北海道と大分の知事選で自民党が勝ち、41道府県議選で自民党が24年ぶりに総定数の半数を超える1153議席を獲得したことは、紛れもなく「自民圧勝・民主惨敗」の構図が統一地方選でも3回の国政選挙同様に維持されていることを物語る。首相・安倍晋三は自信を持って後半国会に臨むことになるが、勝ってかぶとの緒を締めるのは政治の常識。安保改定以来半世紀ぶりの安保法制にむけてふんどしを締め直して望むべきであろう。安保闘争と比較すれば野党および革新勢力の衰退は目をおおわんばかりのところに来ているが、国会の内外であい呼応、沖縄の普天間移転、戦後70年の首相談話とも連動して、政治状況が保革激突の様相を示すことは間違いない。
 まず、対米関係も絡んで複雑多岐にわたる政治日程を大きな鳥瞰図で見ると(1)安倍は26日から訪米(2)ワシントンでの日米外務・防衛閣僚による2+2で27日に日米防衛協力の指針(ガイドライン)を決定(3)5月15日をめどに政府が安保法制関連法案を国会に提出(4)会期を8月上旬まで40日間程度延長した上で、6月下旬に安保法制の衆院通過を目指す(5)8月下旬に同法制成立(6)8月15日の終戦記念日に安倍が「首相談話」を発表ーとなる。
 まず安保法制の重要ポイントを抽出すれば、最大の着眼点は密接な関係のある他国が攻撃を受けた場合に反撃する集団的自衛権の限定行使が可能となることだ。与党内で具体的な法制の詰めが14日から行われるが、公明党が「歯止めがなくなると」して国連決議を必要条件とすることと国会の事前承認を基本にするという2点にこだわっている。この内、国会の事前承認は公明党が「例外なく事前承認」を主張しているが、国会閉会中などを考慮して自民党は反対。結局、事前承認を「基本とする」という線で妥協の方向のようだ。国連決議についても、対中抑制を目指す法制に、中国の拒否権行使が行く手を阻んでは元も子もなくなるわけであり、自民党は応じまい。公明党の国連至上主義はいかにも古い。むしろ北大西洋条約機構(NATO)の要請などにも応じる流れが出てきている。例によって公明はワーディングでメンツを立てれば納得せざるを得ない流れであろう。ここでも自民党の選挙圧勝は大きい。確かに自衛隊の出動は首相の裁量に委ねられるケースが濃厚となるが、安倍は「かつての湾岸戦争やイラク戦争での戦闘、大規模な空爆や砲撃を加える行為に参加することは、自衛のための必要最小限度を超える。憲法上、認められない」と述べ、集団的自衛権の行使を限定容認する新3要件に基づき、戦闘には参加しない考えを繰り返し表明しており、これが最大の歯止めと言えよう。
 焦点のガイドラインは、1997年の改定以来となるが、同年の改定は朝鮮半島有事が核心部分であった。今回はよりグローバルな日米同盟への深化を基調とするものになろう。朝鮮半島有事に加えて中国の東・南シナ海への膨張路線と軍備拡張を背景に、対中抑止力を前面に打ち出す方向となる。新ガイドラインは、ミサイル防衛などに当たる米艦船への給油などの支援を平時から可能とし、武力攻撃に至らない「グレーゾーン事態」での協力もうたう。日本に直接の武力攻撃がなくても、要件を満たせば集団的自衛権を行使し、武力攻撃を受ける米艦を防護することも盛り込む。さらに中国の人工衛星破壊実験やサイバー攻撃を念頭に、宇宙空間・サイバー分野の協力強化も打ち出すことになろう。
 ここで問題になるのは日米ガイドラインが安保法制に先行して決定されることである。民主党代表・岡田克也が「憲法解釈の変更を前提にしたガイドラインの見直しは、大変な問題であり、アメリカとの合意の前に国会での説明責任を果たすべきだ。」と指摘しているが、スジ論としてはその通りであり日程に矛盾がある。しかしそれ以上に悩みを抱えるのが民主党だ。政調会長・細野豪志が左右の対立が著しい集団的自衛権行使問題について「党内の見解は5月中旬にずれ込む」と先延ばし発言をしていることが物語るように、政府を突く以前の問題として、党内問題があるのだ。とりわけ安保法制で旧社会党系議員の発言力が増しており、保守系と正面衝突すれば分裂もないとは言えない。岡田は党内分裂を避けつつ、政府を追及するという“また裂き”に遭っているのが実情なのである。したがって、腰は定まらず、安保法制はその意味からも勝負が付きつつあると言ってもよい。
 しかし反安倍派は、河野洋平が14日、中国首相・李克強と会談するが、驚いたことにこの会談に同行している沖縄県知事・翁長雄志が同席する。東シナ海で傍若無人の振る舞いをしてる中国首相の意図は日本分断にあることは間違いないが、二人の会談は、いかにも政府に対する当てつけめいており、不愉快極まりない対応だ。昔の右翼なら「売国的行為」と言うところだろうが、筆者ですら「邪道」と呼びたくなる。このように内外を巻き込んだ反対勢力の動きは今後8月の首相談話までの間、様々な形で噴出すると政府・与党首脳は覚悟しておいた方がいい。テンションが飽和状態に達すると、左右両翼の跳ね上がり的な暴力行為や、安保闘争のように死傷者が出る可能性も排除できず、安倍は重心を低く保って言動に注意した方がよい。こうした不測の事態が邪魔をしない限り、結局8月初旬には安保法制は実現する見通しだろう。


◎俳談

 ◎俳談
【切れ字が一句の生死を決める】
 ◆東京の娘の部屋や紙の雛 朝日俳壇長3席
  切れ字は俳句の命である。切れ字があるから五七五で宇宙を表現することもできるのだ。切れ字とは、読んで字の如くそこで一句が大きく切れる表現だ。代表的な切れ字が「や」「かな」「けり」である。中村汀女の
◆さみだれや船が遅る々電話など
を例に挙げる。切れ字が入ると<さみだれや/船が遅る々電話など>と切れる。読者は「さみだれ」で景色を脳裏に描き、それに続く下の句で平和な家庭の情景を思い浮かべる。切れ字「や」の持たらす余韻は限りなく大きい。冒頭句は一人暮らしの娘の部屋を詠んだが、この場合の「や」は心配している父親の有様すら想像させる。
 ◆王手打ち指迷わずに西瓜へと 杉の子
  掲句は「王手打ち」で軽く切れる。この場合の「ち」は切れ字の効果と同時に英語の「and」の意味を伴って、一句を滑らかにする。余韻をもたらすのである。最初、筆者は「王手打つ」とすべきか迷ったが「ち」とした。なぜか。「ち」を「つ」に変えると切れがなくなりすべてが「指」にかかってしまって、一句の雰囲気がぶちこわしになるのだ。一語が陳腐なものになってしまう。「つ」と「ち」の違いは、俳句の生死を決める決定的な意味を持つ。「句観」の違いどころか、熟達か稚拙かの差がある。
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◎人物評から見た安倍再選確実の構図

◎人物評から見た安倍再選確実の構図
  このツキは誰にも止められない
 人間ついてついてつきまくる時があるもので、首相・安倍晋三が今その真っ最中だ。2015年度予算が成立して、国会は安保法制で正念場を迎えるが、自民党内は党三役が全員「安倍再選」支持を表明。9月の総裁選で再選される方向がまず確実となった。6年の長期政権が確定する。
最大の理由は対立候補がどこをどうひねっても出てこないのだ。議員心理からすれば3回の国政選挙で圧勝したリーダーは、自分の当選のためにも継続して欲しいのであり、その潮流は当分変わらない。野党は民主党を中心にアベノミクスや安保法制の“本丸”を突けずに、「2分遅刻した」などと言って、参院外交防衛委員長を泣かせて溜飲を下げるくらいしか出来ない体たらく。ちまちまと「重箱の片隅戦術」がやっとのお粗末政党に堕していては、政局への関与など夢のまた夢。
 この一強多弱の状況がどうして生じたかと言えば、安倍が勝負に強いからに他ならない。敵が皆次ぎから次へとずっこけてゆくのである。毎回口を極めて安倍批判を展開している反安倍マスコミの牙城・テレ朝の報道ステーションは、キャスターの古館伊知郎と元通産キャリアの古賀茂明がこともあろうに本番の真っ最中に口論の醜態。反安倍同志が内輪げんかをするようではどうしようもない。農協改革では、これに強く反対してきた全中会長・万歳章が9日お手上げの「バンザイ辞任」。アベノミクスも髪を紫色に染めた鬼っ子のような容貌の女性経済評論家・浜矩子が当初から口汚く全面否定の“論陣”を張っていたが、株価は2万円に達する寸前。安倍は8日の国会答弁で「もはやデフレではない状況を作り上げた」とデフレ脱却を宣言。もともと経済評論家の見通しなどが当たったためしはないが、浜の予言はことごとく外れた。それでもテレビが使いたがるのは予想など外そうが「反対」さえしてくれれば良いのだろう。
 「好事魔多し」というし、寸善尺魔、月に叢(むら)雲、花に嵐と奢りを戒める言葉は尽きないが、確かに後半国会は地雷原を行く如しだ。安保法制と普天間移設という保革対立の核が熱せられて、誘爆を起こさせかねない状況もある。戦後70年の首相談話も、中韓両国がかたずをのんで見守っている。久しぶりに国の安全保障問題が、本格的な俎上(そじょう)に上がるが、全ては安全保障を巡る国際環境のなせる業だ。安倍の右寄りの政治姿勢が、中国の野蛮なる膨張主義に抑止力として対峙する「歴史的必然」があるのだ。中国はアジアインフラ投資銀行(AIIB)で外交的に圧勝したとほくそ笑んでいるが、先の米国防相・カーターの来日による日米蜜月の確認は、巻き返しの第一段と位置づけられる。安倍の訪米は、AIIBでイギリスに裏切られたオバマ政権にとっても、極東における「同盟健在」PRの絶好の機会になる。もちろん月末に決まる日米防衛協力の指針(ガイドライン)がこれを裏打ちする。
 こうしたひしめく重要課題に直面する安倍は、国会答弁を見る限り体力も気力も十分であり、1次内閣の弱々しさはみじんも感じられない。しかし国会答弁と首相日程がいささか過熱気味なことは気になる。例えば防衛相の答弁が不十分だと自分で補う。普通の首相ならこれほど神経を使ったら持たないところだが、安倍は持っている。しかし途中で体力的にも精神的にもポッキリ折れないかと危惧(きぐ)される。官邸の側近は、はやる安倍を何が何でも休養させるよう心がけることが大切だ。
 延長国会が8月の半ばか後半に終了すると、いよいよ9月の総裁選だ。昔の代議士は田中角栄にせよ椎名悦三郎にせよ民社党の池田貞治にせよ人物評が見事であったが、いまはこれが出来る人物はいない。僭越ながら総裁候補とされる人たちを杉浦語録で語ればこうなる。まず候補の最右翼・石破茂(58)だが「だるまだ」。その心は「安倍の爆走の前に手も足も出ない」のだ。というか「いまは手も足も出してはならない」のだろう。外相・岸田文雄(57)は、ただひたすら安倍に忠節を誓い、忠勤を励んでいるが、「忠勤ハチ公」で主人がいなくなっても励むのだろうか。幹事長・谷垣禎一は70歳。福田は72で首相を務め、筆者は74で現役記者を出し抜いているから、年齢と政治力は関係ないが、まあ谷垣は「安倍がづっこけた時のリリーフだけがチャンス」ということか。
 いったん手を挙げそうになった野田聖子(54)は「女だから褌(ふんどし)はしめないが、褌を担ぐのが精一杯」といったところだ。だいたい手を挙げても推薦人20人が集まるのか。選挙区向けに総裁選候補であるように見せかけても、田舎の爺さんはだませても、小生など都会の爺さんはだませないのだ。テレビの「時事放談」で露骨で抑制の利かなくなった反安倍発言を繰り返す野中広務とともに、「爺(じじい)放談」を繰り返す古賀誠を師と仰ぐようでは、お先真っ暗だ。小渕優子(41)チャンだけは可愛いから候補として戦う姿を見たいものだが、不祥事がたたってほとぼりが冷める3年後の総裁選でないと無理。小泉進次郎は近ごろ父親の「反原発」の毒気に当たったか全くさえないが、田中角栄風にしゃべれば「いずれにしても30年早い。雑巾がけしろ」だ。こうして候補が次々に消えて、後は売名泡沫候補が立つかどうかとなってきたのである。「放談おわり」。04370ww.jpg


◎俳談

◎俳談
 【平易か難解か】
 ◆子を殴(う)ちし長き一瞬天の蝉 秋元不死男
  悪さをした子を叩いた後味の悪さが「胸に刺さってとれない」ことを不死男は詠んだのだという。後悔の気持ちや寂しさ哀しさが入り交じった気持ちであるという。しかし寂しい哀しいのなまの表現は一切無く、その思いを中七から下五にかけての言葉に賭けた。読者に対してお願いだから「長き一瞬」と「天の蝉」で思いを感じ取って欲しいというのであろう。俳句を詠む読者はまずその詩情よりも、言葉を意味でとらえようとする。従って、最初はこの俳句を理解できない。しかし繰り返し読み、理解しようと努力するうちに、作者の思いがじんと伝わってくるのだ。俳句の表現とはそういうものだ。作者の思いが言葉を介して一呼吸置いて伝達されるのだ。
 逆に説明なしで理解出来る句がある。
 ◆擦り傷に唾つけてやる夏野かな 杉の子
どこの句会でも万点近い点を取った。子どものころへのノスタルジアを描き出していて、分かりやすい。一般の作句で真似すべきは後者である。不死男のように難解な句、読者が努力しなければ分からない句は素人が
作るべきではない。作るべき句は、誰もがすぐ分かる句であり、判じ物のような句はやめた方がいい。難しい言葉を使い、読者に判断を委ねるような上っ面だけの句を独善最低句と称する。

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◎安倍はG7で「習近平銀行」の実態を語れ

◎安倍はG7で「習近平銀行」の実態を語れ
  AIIBの独善性を検証する
 アジアインフラ投資銀行(AIIB)参加でG7に亀裂を生じさせたと中国国家主席・習近平の高笑いが聞こえるようだが、その「危うさ」から見ればやがて顔面蒼白の時が訪れるだろう。紛れもなくAIIBは「中華民族の偉大なる復興」を掲げた習の「中国の夢」の具体化であり、やはり2013年に打ち出した海と陸の「シルクロード経済圏」(一帯一路)構想と直結する。しかし裏から見れば国内経済の疲弊を「大風呂敷」で挽回しようとする意図だけが目立つ。中国側は日米間に亀裂を生じさせようと、「別のバスがある」と親中派を通じて日本の参加を働きかけているようだが、首相・安倍晋三は「別のバス」にも乗らない方がよい。むしろ逆に6月のG7では米国とともに西欧諸国の慎重なる対応を働きかけるべきだ。
 そもそも新シルクロード計画は、斬新な構想のように聞こえるが、たまに駱駝が鈴を鳴らして通るような辺境の地を舗装したり、鉄道を通したりしてペイするのかということだ。西アジアや中央アジアの地の果ては、地の果てになるゆえんがあって地の果てになっているのだ。ジャンボ貨物機で極東と欧州の物流は13時間のフライトで結ばれているのであり、現在のように重慶とドイツ・デュイスブルクの1万1000キロを16日間かけて貨物列車で運ぶメリットがどれほどあるかと言うことだ。海路にしても途上国の港湾設備に融資して、中国海軍に“活用”されては、それこそアジア諸国は庇(ひさし)を貸して母家をとられかねない。要するに西欧もアジア諸国も、にわか成金が貸金業に転ずる華やかさに目くらましを食らって、雪崩を打っている側面があるのだ。
 物事には表があれば裏がある。習の時代になって中国経済の停滞は著しく、GDPも公式の数字で7%そこそこ。実態は5%を割っているという説すらある。こうした中で国内の過剰投資がもたらした過剰生産の処理をしなければ、それこそデフォルトの危機すらあり得るとささやかれている。翻ってAIIBの構成を見れば、中国が50%を出資するが、これはアジア開発銀行の米国と日本の出資比率がそれぞれ、15.65%であるのと比べても驚くほどの比率だ。
 出資額が半分で総裁も中国が出すのだから、ガバナンスも含めて、完全に中国が主導権を握ることは火を見るよりも明らかだ。要するに中国の銀行が常習的に行っている、お手盛り融資など訳はないといってもよい。これを中国国内の“過剰生産の処理”に活用し、建築資材、鉄鋼、セメント、設備、運搬車両など過剰在庫を西アジア、中央アジア、東南アジア諸国に輸出する。国内経済の危機を「シルクロード経済圏」で活用して、切り抜けようという、よく言えば深謀遠慮、悪く言えば策略があるといわれるのだ。本質的に中国経済の延命策であることも間違いない。「一帯一路」構想は、海外の投資を引き寄せる甘い蜜なのであるが、その実態は国内が潤うことに比重が置かれている可能性が否定出来ないのだ。この路線が進めばAIIBでは甘い条件で貸付けが安易に行われ、不良債権の山を積むことになりかねないのだ。参加する場合の日本の負担は1800億円から3600億円とまちまちだが、政府の計算ではAIIBが資金繰りで危機的状態の陥った場合の分担は1兆円に達する見込みであり、政府筋は「とても付き合えない」と漏らしている。
 英国など欧州勢の参加により、そのノウハウが働き、中国の独善的な運営は難しくなると言う説もあるが、習近平の思惑は米欧日本などが確立した世界の金融秩序にくさびを打ち込むことにあり、世界金融での覇権確立が狙いだ。結局は中国ペースで機能することは避けられないだろう。こうした中国の投げたボールに、例によって日本国内は泡を食らってうろたえている。とりわけ親中派に「バスに乗り遅れるな」論が強い。その筆頭格が元首相・福田康夫だ。福田は「先進国として拒否する理由はない。拒否すれば途上国いじめになる。基本的には賛成せざるを得ない案件」ともろ手を挙げて賛成している。新聞論調も親中派の朝日が「公正な運営が担保されるなら参加も選択肢」、毎日が「日本の提案が反映されるよう中から発言を」といずれも参加論。これに対して読売は「国際金融秩序に責任を持つ日米が参加を見送ったのは適切な判断」、産経は「国際金融秩序を壊す狙いがあり参加見送りは妥当」だ。真っ向から割れている。
 ここは大蔵省アジア通貨室長を務めた衆院議員(民主党)の岸本周平
の主張が最も説得力がある。岸本は「AIIBに参加したからと言って、ビジネスチャンスがにわかに増大するものでもない。むしろ、日本の企業は国際金融銀行(JBIC)を中心に日本の民間銀行とともに、アジアに打って出る方がしがらみがなくて良い」と述べている。このあたりが最も冷静で妥当な見方だろう。参加派はことあるごとに「参加しなければ、アジアで必要とされるインフラ投資約800兆円規模の新興市場が遠のく」などと主張するが、AIIBに参加したからと言って中国がおいしい蜜を山分けしてくれると思うのが甘い。これまで通り独自に800兆円の市場を開拓すればよいのだ。800兆円は逃げては行かない。有利な方に付くのだ。
 安倍は6月のサミットに臨むに当たり、米国と協調して西欧主要国に「習近平銀行」の実態を伝え、少なくとも既存の国際金融機関との協調路線の必用を説くべきであろう。安全保障で中国の膨張主義に直面している日本の立場を堂々と主張すべきである。

◎俳談

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◎俳談
【春の台(うてな)】
 台とは四方を眺めるために建てられた高殿( たかどの)や極楽に往生した者の座る蓮(はす)の花の形をした蓮台(れんだい)などを指すが、「春の台」となると、一句作りたくなる。その春の台が庭で満開だ。(写真)江戸時代に作られた椿で、実に美しく大輪の花を咲かせる。1841年の百科事典「古今要覧稿」に載る古い品種だ。しかし樹勢はやや弱く、二十五年前に植えたものが、いまだに樹高一メーター、樹径一センチだ。
 しかし庭の片隅に咲くと、その存在感はバラの花を圧倒する。この花が咲けばまず春は本番となる。
 椿を詠んだ名句は蕪村の
◆椿落ちてきのふの雨をこぼしけり
がある。椿の花にたまっていた、雨に着目した意外性がある。
 近代では何と言っても河東碧梧桐の
◆赤い椿白い椿と落ちにけり
だろう。解釈は既に白椿も赤椿も落ちている現場を詠んだという説と、赤い椿がぽとりと落ちれば、続いて白椿もぽとりと落ちたという情景を詠んだものという見方がある。筆者は前者では俳句を作る、意味が乏しく、むしろ後者の見方をとる。落花の生々しい感動を時間差で詠んだものであろう。
◆春の台座すれば老の軽きかな    杉の子


◎原発再稼働に「朝三暮四」の知恵

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◎原発再稼働に「朝三暮四」の知恵
  温室ガスが政権の尻を叩く
 「列子」のことわざに「朝三暮四」がある。「朝に三つ、夕方に四つとちの実をやろう」と言うと猿たちは怒り、「それなら朝に四つ、夕方に三つにしよう」と言うと、猿は大喜びしたという話だが、なにやら似たような話しになってきた。ベースロード電源で自民党は原発比率を2割程度と打ち出したが、一方、政府は2030年の電源構成(エネルギーミックス)で再生可能エネルギーの方が20%前半で原発を上回ると宣伝し始めた。「ふーん、なるほど」と通常の猿は納得するが、筆者のようにちょっと利口な猿は「まてよ」と考える。原発は2割だが、再生可能エネルギーには水力と地熱が入っており、これはベースロード電源も構成している。その10%を差し引けば太陽・風力などのエネルギーは10%そこそこで原発の半分だ。しかし反原発派のノータリン猿は「うーん、俺たちの方が多いから偉い」と思ってしまうのだ。錯覚を起こさせるうまい宣伝工作だ。政府には「知恵者がいるのう」ということだ。統一地方選を考えたのかのう。朝日猿は他社に遅れて8日朝刊トップで、これに乗っている。
 もっと下手な朝三暮四は、自民党がベースロード電源を6割として、具体的な原発の比率を言わなかったことだ。計算すれば石炭が3割で水力・地熱が1割だから差し引けば2割。ちょっと小利口なら猿でも分かる数字だが、一般の猿には分からないようにした。これも選挙対策かのう。だいたい「%」を使わず「割」としたところが、アバウトで物事を丸めようとする自民党らしい。とはいうもののようやく原発再稼働に向けて具体的な動きが出てきたことはご同慶の至りだ。もっと早ければもっと良かったがのう。
 ここから真面目調にトーンを変えるが、なぜここに来て動きが出たかと言えば、年初から地球温暖化でこのままなら安倍が大恥をかくと筆者が警鐘を鳴らしてきたことにようやく政権が対応し始めたのだ。政府は年末にパリで開催される国連気候変動枠組条約(UNFCCC)の「第21回締約国会議(COP21)」に向けて、原発再稼働を前提に温室効果ガス削減計画をまとめなければならない。それに先立つ6月のサミットでも削減目標提示を求められる。原発政策はもう待ったなしの段階に入ったのだ。既に紛れもなく「人類の死」に直面している地球温暖化を意識して、EUは温室効果ガスを40%削減、米国は26~28%、ロシアは25~30%と野心的な目標を決めており、安倍も原発再稼働なくしてこれらの諸国から蔑視されない数字を打ち出すことは不可能なのだ。
 そこで自民党が経産省の下工作に乗って2割の数字を出したことが何を物語るかと言えば、紛れもなく原発回帰の宣言である。もともと政府は原発を重要なるベースロード電源と位置づけているが、これからは具体的に再稼働が動き出すのだ。筆者は既に1月の段階で「ベストミックスは原発25%が適切」と主張してきたが、結局将来的には原発は20%台半ばとならざるを得まい。そのためには原発の耐久期限40年をさらに延長しなければならないだろう。すぐに忘れるから何でも反対党に堕しつつある民主党に忠告しておくが、同党は政権時代に原子炉等規制法を改正し、運転期間を40年とする方針を閣議決定する際、事業者が環境相に20年を上限に延長期間を申請、認可されれば1回に限り、運転の延長が認められるという例外規定を決定している。この場合、原発の寿命は最長60年になる。これだけは反対できまい。
 さらに安倍は慎重に言及を避けているが将来的には原発の建て替えや新増設も視野に入ってこざるを得ないだろう。日本が逡巡している間に
世界は今原発ブームにわいている。発展途上国にも原発建造の波は押しよせており、中国に至っては運転中が22基。現在建設中がなんと27基で、全部海岸寄りに作られている。日本の安全ノウハウなしで建設が進み、いったん事故が起きれば偏西風に乗って放射能の嵐が日本に降り注ぐ仕組みとなっている。これは中国の原発実験で証明済みだ。韓国や中国は輸出にも躍起になっているが、安全性は度外視で、このままでは危険極まりない原発が世界にまん延してしまう。このところ安倍の原発セールスは目立たないが、今こそ輸出に全力を挙げるときだ。
 当然のことながら、再稼働と同時に電気料金も順次引き下げられなければならない。震災前と比較して現在一般家庭が2割、企業が3割の値上げに苦しんでいる。将来電力の自由化で利用者が電源を選ぶ時代が来たとしても、まだまだ高くつく再生可能エネルギーを買う家庭はいまい。安くて安全な原発電源に普通の家庭は飛びつくと予言しておく。


◎俳談

◎俳談 
【鳥帰る】
 5日、森へ行ったら、鴨が群れをなして桜並木の上を旋回していた。(写真)。いよいよ春の季語「鳥が帰る」ときが来たのだ。昨年十月に池に来てから半年を日本で過ごして、マガモはアムール川などシベリア中央部、オナガガモはシベリア北東部に帰る。翌日行ったら一羽もいなかった。日本で栄養を蓄えて、脂肪肝になって、その脂肪を使いながらの必死の旅だ。繁殖行為を見かけたから、メスは卵を抱いての旅だ。繁殖地のシベリアで雛をかえしてまた日本に渡るのだ。作句には秋の季語「渡り鳥」「鳥渡る」と混同しやすいから注意が必要だ。
 鳥が帰るのは何となく寂しさを感ずる。池のまわりを旋回するのは名残を惜しむように見えるが、この主観を入れたら一句は陳腐なものになる。例えば「鳥帰る名残を惜しむごとくかな」などとはやってはいけない。
◆鳥帰る指をさしたる指哀し 杉の子
ぐらいがちょうどいい。安住敦に
◆鳥帰るいづこの空もさびしからむに
がある。この句は鈴木六林男の
◆天上も淋しからむに燕子花(かきつばた)
と極めて類想性が強いが、どちらの句が先かは分からない。しかしいずれも名句であり、詮索する必要もあるまい。
 同じ春の季語でも「鳥雲に」の方が使いやすい。
◆そのうちに何とかなるさ鳥雲に 杉の子
人生楽観主義が大切。
 渡り鳥絡みの句で一番寂しいのは岡本眸の
◆残りしか残されゐしか春の鴨
だろう。季語の「春の鴨」は春深くなってもまだ帰らずにいる鴨をいう。
人間世界にも通ずる名句である。
【筆者より】俳談を休載しようと思いましたが、要望が強く連載することに決めました。新旧取り混ぜて送ります。

◎問われるのは沖縄政治の堕落の方だ

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◎問われるのは沖縄政治の堕落の方だ
  安倍は「扇動・挑発知事」と会談する必要は無い
 政治家にはstatesman(政治家)とpolitician(政治屋)の二種類があるとよく言われる。その責任を自覚し、自国の繁栄と国民の幸せのために、最良の道を模索し実行する人がstatesman。耳障りの良い言葉使いに長け、民衆の人気を得ることに力を注ぎ、自己の利益になるよう政策を実行する人がpoliticianだ。その姿が鮮明に出たのが、官房長官・菅義偉と沖縄県知事・翁長雄志との会談であった。菅が国家百年の計を見越して政治家らしく会談に臨んだのに対して、翁長はもっぱら「県民の扇動と政府への挑発」を意図した政治屋の発言を繰り返した。日本を取り巻く国際情勢は、例え知事レベルでも外交・安保感覚を持つことが不可欠になりつつあるが、この翁長の姿勢から見る限り、首相・安倍晋三は会談すれば利用されるだけである。普天間の辺野古移設をそれこそ「粛々」と推進するべきである。
 会談とこれを報ずるマスメディアを観察して、つくづく思ったのが、まるでかつての安保闘争のようであることだ。朝日を中心に、地元の沖縄タイムズ、琉球新報など偏狭かつ急進的メディアが反米、反政府の立場から民衆を煽り続けている。結局安保闘争でのこの方式は挫折したが、今回も、その道をたどるだろう。最近、大誤報のほとぼりも冷めたと思ったか、明らかに露骨な反安倍路線に踏み切った朝日に至っては、「沖縄を捨て石にしてはならぬ」と感情論丸出しの社説を展開した。しかし、そこには大きな視点が欠けている。沖縄は現状維持が「捨て石」そのものなのであり、その「捨て石」の状況を大きく改善するのが普天間の辺野古への移設なのだ。人口密集地で「世界で一番危険な基地」と米軍ですら認める基地の返還は、沖縄のまさに悲願なのであり、辺野古は環境的にも、これを阻止するほどの価値は全く存在しない。人命が大切か、辺野古沖に生えている海草の類いが大切かと言うことだ。安保改訂は安倍の祖父・岸信介が命がけで実行し、日本繁栄の基礎を築いたが、安倍の立場は祖父と全く同じである。不退転の決意とは普天間移転のためにある言葉に他ならない。
 会談で翁長は「県民に対して大変な苦しみを今日まで与えて、普天間の危険性除去のために沖縄が負担しろと。それは日本の国の政治の堕落ではないか」と口を極めて批判した。翁長はかねてから一部県民に媚びてか、政府を「日本政府」と呼んでいる人物だが、「堕落」発言からは「地方自治の堕落」しか感じられない。なぜ堕落かと言えば、地域の抱える問題の本質をそらしているからである。翁長の言う「大変な苦しみ」の象徴は普天間基地の存在そのものであり、それを除去して「何の苦しみ」も生じない海を埋め立てて基地を作ることは、「捨て石」ではなく「将来への希望」に他ならない。翁長は知事選、総選挙で「辺野古移設反対派」が勝ったと意気込むが、選挙の争点は「普天間移設」であるべきだった。策略的な選挙戦術の勝利に他ならない。それに翁長自身那覇市長時代には辺野古移設を容認していたではないか。選挙に有利と見ると、政治信条を変えるのは「政治屋への堕落」の最たるものではないのか。
 加えて翁長は沖縄が宿命的に置かれている地政学上の立ち位置を全く理解していない。冒頭述べたように知事クラスでも外交・安保を勉強することが不可欠の国際環境である。普通の政治家なら昨今の沖縄が置かれている安保上の環境を無視できないはずだ。紛れもなく中国が虎視眈々と「沖縄県尖閣諸島」を狙っている現実をどう見るかだ。自分の県の一部が切り取られて、中国領となることを是認するような知事は「地方自治の堕落」以外の何ものでもない。今後、紛れもなく中国は海洋覇権を狙って東・南シナ海に進出するのであり、既に人民日報に至っては13年8月に、「尖閣諸島はおろか、沖縄すら日本の領土ではない」と主張し始めているではないか。翁長は抑止力とは何かを政治学のイロハとして勉強した方がいい。傍若無人のごとく南シナ海に進出している中国を見れば、抑止力が喪失した瞬間に東シナ海に舌なめずりしながら、進出してくることは自明の理である。
 それとも「日本政府のくびき」を外れて、中国の統治下に入りたいのなら、それを公然と主張すべきである。共産党や社民党、地元紙など左翼勢力の主張に同調して、事態をこじらせればこじらすほど、喜ぶのは中国である。翁長の「堕落」の基本は政府首脳との会談を使って、県民を扇動する手法そのものにある。新聞は菅と翁長の会談を「平行線」と主張したが、実態は「物別れ」に他ならない。物別れした以上、解決策を探すのは容易ではない。前知事・仲井真弘多が13年に埋め立て許可を出したその方針を奇貨として、安倍は、扇動政治屋の言動にたいしては毅然(きぜん)として、かつ信念を持って「粛々と」対処すべきである。菅は翁長から「上から目線」と指摘された「粛々」という言葉を今後使わないというが、安易な妥協はすべきではない。本来粛々とは「静かなさま」に加えて「つつしみうやまうさま」を指す。翁長の「上から目線」の指摘は国語力の不足を物語る。多様な意見を「うやまい」つつ「粛々」と進めることが大事だ。


春休み

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ただ今春休み中。再開は4月7日。

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◎俳談

◎俳談
 【日常の中の闇】
 ◆葱(ねぎ)刻む平穏いまだ続きをり 毎日俳壇1席
  我々は日常の中に非日常がいつ起きるか分からない世に生を得ている。事故とは限らない、人間と人間が接触してどのような摩擦が発生するのか、自然がもたらす災害がいつ来るのか。どのような危機に遭遇するのか。年を取れば取るほど、良くこの人生をすり抜けてこられたと思う毎日である。「葱刻む平穏は」はそのことを指す。そしていまだに続くことを安堵しているのだが、その背景にはきっと何かが起きるという予感が常に存在するのだ。
 中村汀女の
 ◆あはれ子の夜寒の床の引けば寄る
 は、母と子の間にあふれ出る感情の高まりを描写して見事である。秋の夜寒に末っ子の寝る姿に憐憫を感じて布団を思わず引き寄せる。そして布団の軽さ、子の軽さを改めて知りその不憫さは一層募る。平穏の中にあるこの子の人生の起伏を思うと抱きしめたくなる。人間は日常の中に存在する暗黒を常に予感するのだ。

◎住民投票が中央政界への波及必至

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◎住民投票が中央政界への波及必至
  勝てば橋下の国政選挙出馬も
 大阪市をなくし、東京23区のような特別区に再編する大阪都構想がいよいよ本格的に動き始めた。5月17日の住民投票の結果は中央政界を巻き込んだ動きを誘発しそうだ。構想推進派が勝てば維新の大阪市長・橋下徹が勢いづき、国政選挙出馬の動きに出る可能性が強い。負ければ橋下は「政治家を引退する」と発言しており、その性格から言って本当に引退する公算が強い。その場合維新が分裂傾向をたどる可能性がある。また勝った場合でも、再編構想は実施に移されるが「大阪都」の名称実現には法改正か立法措置が必要となり、名前どおりに実現するかは予断を許さない。当初から大阪が東京並みの大都市に変ぼうすることを前提にした橋本構想は、誇大妄想というか幻想というか、うさんくささがつきまとっていたが、大阪の有権者はお笑いタレントを府知事に選ぶような“軽さ”がある。公明党支持母体の創価学会の動向がカギを握っているようだが、予断を許さない。
 橋下が都構想推進に当たって「大阪を東京に匹敵する大都市にしたい」という発想は悪いものではないが、名前がいけない。東京都や京都は全く違和感がないが、多くの国民が「大阪都」に対しては違和感を感ずるのはなぜだろうか。まず日本人の常識から見れば、都とは昔から皇居のある土地を指した。「京の都(みやこ)」は皇居があったからであり、「奈良の都」も然りだ。皇居が移れば「遷都」となるのである。
 さらに「都」と名付けて機構を改革しただけで経済規模で4倍の開きがある東京並みに、衰退した大阪が復活するような主張はどうしてもいただけない。現在の一極集中が二極集中になると見るのも幻覚だ。東京への一極集中と繁栄の仕組みは、政治、経済、文化などの複合的な要素に裏打ちされているのであり、大阪とは表現は悪いが格が違うのである。しかし、住民投票が中央の政治に与えるインパクトは無視できないものとなろう。まず勝った場合だが、橋下は市長選に出馬して、都構想にまい進したい気持ちを表明しているが、法的措置が伴う以上自らが国政選挙に打って出ることも当然視野に入っているものとみられる。来年の参院選挙なら参院への出馬、衆参同日選挙なら衆院への出馬の可能性がある。
 しかし都構想を掲げて国政選挙に勝てるかというと話は別である。世論調査でも構想に関心を持つ有権者は近畿圏に限定されており、住民投票の勝利が、1年後の国政選挙に弾みがつくことはあり得ないと見るべきだろう。新自由クラブの例もあるようにいったんブームが去った中小政党が、再びブームを巻き起こすのは極めて困難だ。「風」が吹き続けることはないのだ。ただ参院選で勝利して憲法改正を目指す首相・安倍晋三にしてみれば衆院に続き参院でも改憲発議に必用な3分の2の議席を与党だけで確保できればよいが、維新の動向が左右する可能性も否定出来ない。だから安倍はもともと親密な関係にある橋下に対して都構想に前向きな感触を与えているのである。
 だが安倍にしてみれば「都構想絶対阻止」を唱える自民党大阪府連の意向を全く無視して都構想を推進するわけにも行かない。ただでさえ府連には「首相が後ろから鉄砲を撃っては困る」という不満の声が出始めているのである。だから官房長官・菅義偉も18日、「官邸は住民投票を注視していくことに変わりはない」とのめり込みを避ける発言をしているのだ。
 一方で住民投票に敗れた場合にどうなるかだが、冒頭述べたように橋下は政治家を辞める公算が大きい。その場合は外様の維新の党代表・江田憲司では党をまとめきれるかどうかは疑問だ。むしろ保守系とリベラル系に分裂し、保守系は自民党に吸収され、リベラル系は民主党に移るような分裂傾向をたどる可能性がある。いずれにしても215万人の住民投票は史上最大級であり、多数派工作は統一地方選挙とも表裏一体で進むことが予想される。カギを握るのは公明党の支持母体の創価学会票だが、これまでのところ同学会は自主投票を決めている。しかし最終段階で組織的な動きが出てこないとは限らない。 


◎俳談

◎俳談    
【花粉症は季語】
 花粉症の季節だ。筆者は杉浦の姓だけあって花粉症とは無縁の存在だ。杉浦の名字の由来ははっきりしないが、きっと杉が一杯生えている海の湾曲した陸地に住んでいたんであろう。だからDNPは花粉症などとは縁遠く出来ているのだ。苗字としては静岡、愛知両県に集中しており、愛知県に全国の杉浦姓の5割以上が分布している。徳川家の下級武士で、水戸街道の守りを葛飾柴又でしていたという説もある。最近は誰になったか知らないが、昔は矢切の渡しの船頭さんも杉浦性と聞く。
 その花粉症だが、立派な春の季語である。多くの人にとって
◆七人の敵の一人は花粉症 伊藤白潮
の季節だ。外に出れば花粉が第一の敵となる。我が愛する金子兜太も六十台まで花粉症だったといわれる。兜太は伊藤園の「お~いお茶新俳句大賞」に
◆空みれば花粉達ほら乱婚だ
を採っている。兜太は自書で関由紀子の
◆水軽くのんで笑って花粉病
に触れている。「『花粉に病む』とはどこかの美女麗人を想像させてる」と書いているが、鼻垂らしては美女麗人も台無しだ。美人もおそらく大きなマスクの中はくしゃくしゃになっているかと思うと恐ろしい。季語が新しいだけあって花粉症の名句はまだ生まれていない。
 同じ黄色でもミモザは有毒花粉が飛ばなくて有り難い。玄関のミモザが今盛りだ。(写真)
◆玄関を開ければこぼれ花みもざ 東京俳壇入選
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◎プーチンは身分不相応の“火遊び”をやめよ

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◎プーチンは身分不相応の“火遊び”をやめよ
  ロシアに冷戦の構図を作る国力はない
 プーチンがかつてのソ連のように冷戦構造を軸に米国と対峙するような姿勢がなり立つと思っているとすれば、時代錯誤もいいところであろう。ロシアの国内総生産(GDP)は200兆円で米国の7分の1。軍事費は9兆円で米国の8分の1。もはや大国ではないのである。大国でないからプーチンは「核大国」ならまだ残っているとばかりに、それを選択する手段に出たのであろうが、米欧諸国は核兵器の使用など出来るわけがないと足元を見透かしている。プーチンは身分不相応の「火遊び」を早期にやめるべきだ。
 ロシア側から最近しきりにウクライナ情勢を巡って核兵器の話が出回っている。2月には「ウクライナのドネツクで核爆弾が使われた」という、ガセネタがロシア側から流された。今月11日にはロシア外務省高官が「ロシアは編入したクリミアに核兵器を配備する権利がある」と発言した。そして15日放映のクリミア編入一周年記念テレビインタビューでのプーチン発言である。プーチンは「ロシアはクリミア編入時に核戦力を戦闘態勢に置く準備があった。状況がどのように展開しても相応の対応が出来るように指示した」と述べたのだ。しかし当時のクリミアには核兵器が必用な戦闘が発生しておらず、不可思議極まりない発言である。
 おまけにロシアが核使用の準拠となる「軍事ドクトリン」が存在するが、この規定を満たす状況ではない。ドクトリンは「ロシア連邦は、自国・同盟国に対する核兵器やその他の大量破壊兵器の使用への対応として、また、ロシア連邦に対する通常兵器を用いた国家の存立そのものを脅かす侵略の場合に、核兵器を使用する権利を保持する」となっており、事実上核兵器を「先行使用」し得る規定となっっている。しかし「自国・同盟国に対する核兵器やその他の大量破壊兵器の使用」「国家の存立そのものを脅かす侵略」があったかといえばないのである。
 あきらかにやらせインタビューにおけるプーチン発言は何かと言えば、国内的思惑と対外的思惑が五分五分の割合で存在する。国内的にはロシアは原油価格の暴落とルーブル下落による急激なインフレに見舞われて、国民の不満が蓄積し始めている。しかし愛国心をくすぐるクリミア編入以後支持率は80%を越え、一時は88%に達した。ロシア国民は今のところかつての日本並みの「欲しがりません勝つまでは」に似た度し難い愛国主義に固まっており、プーチンはそこに向かって球を投げたのだ。核使用も辞さぬ姿を国民に見せて、「欧米の圧力に屈しない強い指導者」をアピールしたのだ。
 一方対外的には、米国を主軸とする通常戦力の圧倒的な優位のなかで、米欧の軍事力に対決しうるものは核戦力しか残っていないのである。冷戦時代にソ連が常とう手段として使った「核恫喝」を持ち出さざるを得ない状況に立ち至ったのだ。つまりそこまでロシアは追い込まれて、窮鼠猫をかむ姿勢を示さざるを得なくなったのだ。背景には核の優先度を高める方針をあえて世界に示すことにより、自らの発言力を高める計算が働いている。国際政治の舞台においてはプーチンは何をやるか分からないと思わせておいた方が、自らの発言に対する注目度が強化されると言う判断であろう。
 しかし冷戦で米国と張り合った夢よもう一度と言っても、構造的にロシアの力は冒頭述べたとおり弱体化しており、冷戦の構図を作り出すことは不可能に近い。要するに実態はプーチンの「火遊び」であり、冷戦構造と言うより、冷戦の真似事的な色彩が濃厚なのである。それでは日本がこの「疑似冷戦」にどう対応すべきかだが、「北方領土返還」という悲願を抱えている以上、「対話」の路線は継続すべきであろう。
 先にも書いたが、ウクライナ問題で世界から孤立しているプーチンの弱みを突くチャンスでもある。愛国主義一色にロシア国民を扇動しているプーチンが、北方領土を返還すると言えば一挙に支持率が下がり、暴動が起きかねない事態も想定される。したがって返還の実現性は遠のいているが、溺れる者はわらをも掴むで、あのルーピー鳩山ですら“活用”するロシアである。首相・安倍晋三の“活用”が可能となれば、何らかの譲歩に出る可能性も否定出来ない。先進7か国の団結は維持しなければならないが、他の6か国は直接的な領土問題を抱えていない。だから安倍が領土で対話をする場面を作っても、全くおかしくない。対中けん制のためにも日露首脳会談の模索は継続すべきであろう。


◎俳談

◎俳談
【河津桜の先導で桜の季節】
 森は今河津桜が満開だ。この時期になると桜とカワセミの写真を撮りに行く。一週間前に行ったら途端にカワセミが桜にとまった。すかさずバリバリと連写して撮れた(写真)。しかしその後とんと姿を現さない。カワセミの気まぐれには馴れているが、そろそろ交尾の時期だからカメラ持った年寄りにポーズをする暇もないのだろう。河津桜は花の寿命が長く、終わる頃にはソメイヨシノが咲き始める。いよいよ桜の季節の到来だ。
 桜は昔は軍部が活用した。日本人に「一等国民」であるかのような思想をうえつけようとしたのだ。その代表例が本居宣長の
◆敷島の大和心を人問はば朝日ににほふ山桜花
だ。軍部はナイーブな国民性を「朝日に照り映える山桜の花」のようなものだと例え、散ることの潔さにつなげた。本来の意味は全然違う。単純に日本人の心を、山桜の美しさに凝縮して詠んだだけだ。
良寛和尚の辞世の句と言われている
◆散る桜残る桜も散る桜
も軍部が最大限活用した。歌まで作って煽った。軍歌「同期の桜」は、明らかにこの句の影響下にある。しかし曹洞宗の僧侶であった良寛は辞世の句として詠んだもので、一種の禅の悟りを一句にしたものである。「人間平等にやがては死を迎える運命にある」という不動の定理を述べたものだ。
 今の時代は幸いにも軍部の不協和音なしに桜を観賞できる。黒田杏子が
◆身の奥の鈴鳴りいづるさくらかな
と見事に形容したように、桜は日本人の心を揺さぶる特殊な花であろう。 在原業平の言うとおりだ。
◆世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし
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◎礼節を欠いた朝日、岡田の「メルケル活用」


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◎礼節を欠いた朝日、岡田の「メルケル活用」
  独は慰安婦で日本に“殴り込み”をかけない
 このままではドイツ首相・メルケルの訪日が、誤解のまま終わりかねない。せっかくの良好なる日独関係を毀損しても首相・メルケルに歴史認識で発言させ、これを金科玉条として政府への攻撃に活用する動きが、民主党と朝日新聞に見られたのは問題だ。両者は中国の習近平が訪独で口を極めて対日批判、中国首脳らがことあるごとにドイツの戦後処理を日本との比較に利用している流れにヒントを得て、メルケルに安倍政権を批判させようと試みたのだ。民主党代表・岡田克也にいたっては、確たる発言ではないのに慰安婦問題で早期解決を促したと曲解、事実上の誤報まで作り上げる始末だ。これに対してさすがにメルケルは百戦錬磨だ。歴史認識に関して「隣国の寛容もあった」とフランスの寛容さに言及、中韓の意固地さを暗に批判した。それにしても一国の首相を、よってたかって己の主張の正当化に利用するリベラル勢力の礼儀の欠如と“さもしさ”は目をおおいたくなる。
 まず朝日の「安倍おとしめ戦略」は、極めて巧妙で根が深い。おそらくメルケル訪日と気付いて直ちに作戦を練ったのだろう。来日早々の9日に朝日を訪問させ、講演を行わせる日程まで組んだ。講演では歴史認識で安倍批判はしないと見たか、質疑応答で問いただす作戦まで練ったに違いない。ようやく質疑でメルケルは独仏の関係改善の歴史に言及。「他の地域にアドバイスする立場にない」としながらも、ドイツが欧州で和解を進められたのは「ドイツが過去ときちんと向き合ったからだ。隣国(フランス)の寛容さもあった」との発言を得た。たいした発言ではないが朝日が最大級のセンセーショナリズムで取り上げれば、全てのマスコミが追随するとの判断があったのだろう。結果的にはそうなった。
 一方、岡田は朝日の巧妙さはなく、ただただ強引に歴史認識にひきづり込もうという戦術に徹した。まさに“邪道”である。なんと失礼にも40分の会談時間のうち30分を無理矢理歴史認識の話題に引っ張り込んだのだ。そうしてあの「慰安婦発言」の虚報を無理矢理引きだしたのだ。岡田によればメルケルは、いわゆる従軍慰安婦の問題について、「現在の東アジアの状況を考えると、日韓関係は非常に重要なので、きちんと解決したほうがいいのではないか。日本と韓国は基本的な価値を共有しているので、和解を進めるべきだ」と述べ、問題の解決に向けた努力が必要だという認識を示したというのだが怪しい。なぜなら3流記者はかぎ括弧の中に「慰安婦」の主語を入れて「日韓関係は非常に重要だ。慰安婦問題などはきちんと解決したほうがよい」と報じたが、一流報道機関の報道はNHKにしても朝日にしてもかぎ括弧に入れていない。これは明らかに一般論としてメルケルが語ったものでああろう。主語がないのに岡田が、慰安婦問題と言う主語を取って付けたのだろう。だから一流報道機関は、怪しいと感じて表現にニュアンスを付けたのだ。岡田は自分から持ちかけないのにメルケルが言及したと言うが、メルケルの来日は日独親善を目指したものであり、安倍政権に“殴り込み”をかけに来たのではない。
 案の定、ドイツ政府は異例の打ち消しに出た。ドイツ政府のザイベルト報道官は13日の記者会見で、メルケルが民主党の岡田との会談で従軍慰安婦問題の解決を促したとの報道について「正しくない」と、一党の党首のメンツを丸つぶれにさせる表現で真っ向から否定。ザイベルトはメルケルが日本での記者会見で「(過去との向き合い方を)助言するために日本に来たわけではない」との立場を表明したとし、岡田代表との会談でも同じ「表現を用いた」と強調。「日本政府がどうすべきかというような発言をした事実はない」と述べたのだ。岡田は眼病に苦しんでいるが、耳までおかしくなったのだろうか。岡田は16日「誰が解決すべきかは言っていない。注意深く首相は避けた」と釈明しているが、あやふやな発言であることの証拠だ。
 朝日も岡田も、一国の首相を利用して何が何でも我田引水しようとする姿勢が見えて卑しさすら覚える。そもそもドイツは対日関係を重視しており、習近平の訪独に際しても中国側は、ベルリンのホロコースト記念碑の訪問を打診したが、ドイツ側は拒否したと言われる。日本との関係を重視するドイツは、歴史をめぐる日中間の対立に巻き込まれることを望まないのが基本姿勢だ。ドイツの暗い過去につながりかねないという配慮もある。元ドイツ大統領・ヴァイツゼッカーの演説は「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となる」だけが有名で、日本では安倍批判の材料となっている。しかしヴァイツゼッカーは、2000年に「過去に対する罪を認めるようにとの要求が、政治的恐喝の手段とされることは好ましくない。私は中国人が日本人によっていかに苦痛を受けたかを理解しているが、中国は過去の問題を政治的に利用すべきではない」と発言しているのである。このドイツ政府の立ち位置は中国とは経済関係を重視するものの、政治的には価値観を共有しない国という一線を引いていることを意味する。深い外交的な考察なしにひたすら来日する政治家を、自分の主義主張に活用しようとするマスコミも政党も、視野をもっと広げなければならない。自民党も総務会長・二階俊博が慰安婦問題で「ドイツのメルケル首相にも『ちゃんとやりなさい』と言われた。あらゆる機関が努力して、一日も早く正常な姿にすることが大事」と「岡田誤報」にまるまる乗った発言をしたが、浅慮も甚だしい。最近は安倍の足を引っ張ることが仕事と考えているようだが、「風評」で発言してはいけない。


◎俳談

 ◎俳談
【材料を無理矢理見つける】
 「絵心」があれば「句心」もある。句心は句作のセンスを指すが、句を作る意欲と言ってもいいだろう。句心が生まれたら何が何でも一句作ってしまう。季重なりだろうが、不格好だろうがまず作ることが先だ。材料を無理矢理にでも見つけてしまうのだ。
 芭蕉が
◆春なれや名もなき山の薄霞
と詠んだが、普通の人は富士山とか高名な山で作りたがるものだが、芭蕉ともなると名もなき山で名句を作ってしまう。なぜ作れるかというと、句心が湧けば無理矢理にでも作ってしまうからだ。句心が湧かないと奥の細道で松島に行っても俳句が出来ないのだ。
 中村若沙は、しょっちゅう句材を探している内に、帰省した際にあることに気付いた。郷里に戻ると自然に標準語が郷言葉に変わっている自分に気付いた。しめたとばかりに
◆春掛けや郷(さと)にもどりて郷言葉
 若沙は岡崎市生まれ。筆者は隣町だ。三河弁は名古屋弁と違って、江戸弁の原型だけあって、品がいい。矢作川が流れていて閑かな田園地帯だ。「春掛け」は春の掛け軸の意味だ。
 江ノ電に乗ったら句心が湧いた。海を見たら光っている。
◆立春や江ノ電光り海光り 毎日俳壇入選
思いついたらすぐに忘れるから、書き留める。その句を書き留める鉛筆のしんが折れた。これも逃さず一句にする。
◆悴(かじか)みて鉛筆の芯折れ易し 毎日俳壇入選
といった具合に、まず作るのだ。五七五に無理矢理文字を並べるのだ。その後で推敲(すいこう)する。それでは句心が湧かない場合はどうするか。これも無理矢理湧かすのだ。無理にでも湧かす訓練を積めば、その癖がつく。

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◎「小泉しゅうと」の手に負えぬ“場ふさがり”

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◎「小泉しゅうと」の手に負えぬ“場ふさがり”
  原発反対で科学的無知露呈を繰り返す
  しゅうと(姑または舅)は若夫婦にとってじゃまになるから「しゅうとの場ふさがり」というが、長寿社会を反映して政界でも「場ふさがり」が盛んだ。なかでも「しゅうとは年が寄るほどひがむ」のを如実にあらわしているのが、元首相・小泉純一郎の発言だ。最近では原発批判にかこつけて首相・安倍晋三がオリンピックの東京招致を実現したことまでやっかんだような発言をしている。欧米の政界では、引退した大統領や首相は政治に直接的に口を出すケースは珍しい。
 日本でも、退役した社長は一部例外を除いて現役社長の会社運営に口を出さないのが普通だ。ところが日本の政界は口を出す首相が圧倒的に多い。83年の中曽根康弘から過去30年で生存している首相経験者は、 中曽根康弘、海部俊樹、羽田孜、細川護熙、村山富市、森喜朗、小泉純一郎、福田康夫、麻生太郎、鳩山由紀夫、菅直人、野田佳彦だ。様々なる発言からこの“しゅうと度”を、少ない方から多い方にAからDまで並べるとAが中曽根、海部、羽田、福田、麻生、B森、野田C細川、村山、菅、D小泉、E鳩山といった印象になる。CからDまでは総じて国のためより自己顕示の傾向が強く、老醜をさらしてみっともない。
 鳩山はもはや「国賊」(元防衛相・小野寺五典)並みであり、紳士的な官房長官・菅義偉が馬鹿馬鹿しいとばかりにコメントを拒否するくらいひどいから、これは神社の社格で言えば別格官幣大社だ。それに勝るとも劣らないのが、愛弟子であるはずの安倍の足を引っ張り続ける小泉だ。最近は原発を巡って科学的な無知と、事実誤認、我田引水そして嫉妬心を臆面もなくさらけ出して恥じるところを知らない。最近の発言における嫉妬心とはどこかと言えば11日の発言で「汚染水も『コントロールされている』と誰かが言っていたが、全然されていない」の部分だ。これは明らかにアルゼンチンのブエノスアイレスで開かれたIOC総会で安倍が行った最終プレゼンテーションを指している。安倍は「東京電力福島第1原発について私は皆さんに約束する。状況はコントロールされている。決して東京にダメージを与えない」と発言、招致に成功した。小泉の潜在意識の中にはこれが嫉妬心として存在し続けて来て、ぽろりと出たのであろう。事実誤認もいいところである。この発言について菅は「福島第一原発の港湾外の放射性物質濃度は、法令で定める『告示濃度限度』に比べ、十分低いままだ。IAEA(国際原子力機関)からも、『WHO(世界保健機関)の飲料水ガイドラインの範囲内にあり、公衆の安全は確保されている』と評価をいただいている」と述べた。そのうえで、菅は「汚染水の影響は港湾内に完全にブロックされており、状況はコントロールされている」と、小泉発言を完全に否定した。この結果、小泉の感情むき出し発言はあえない最期を遂げたのだ。
 さらに小泉は「核のゴミ処分場のあてもないのに原発を勧める方がよほど無責任だ」と述べたが、自らが首相在任時には原発稼働を推進し、核のゴミ処分場などという問題は頭の片隅にもなかったことを棚に上げているのである。スーダラ節もびっくりの無責任さだ。小泉は「政府が原発ゼロにかじを切れば、必ず自然エネルギーで成長できる国になる」とも発言した。ここで強調したいのは小泉の発言は全て「直感」だけで政権運営した時代への老人性ノスタルジアが感じられることだ。なぜなら「必ず自然エネルギーで成長できる国になる」の根拠を全く示さないからだ。太陽エネルギー政策を推進したスペインが財政破たんに陥り、原発ゼロを公約したメルケルが依然稼働をし続けているのは、自然エネルギーが全く見通せないからだ。日本でも現在2%がせいぜいであり、原発を稼働せず自然エネルギーを無秩序に増やせばコストがかかり電気料金は2倍に高騰する。家計や産業がこれに耐えられるだろうか。小泉は自然エネルギーで可能というなら、具体的な工程表を示せ。国家に死活的なエネルギー政策はお経のように唱えれば良いものではない。
 そして小泉の視点が全く欠けているのが、地球温暖化問題である。地球温暖化による気候大変動で日本ばかりか世界中で大災害が続出している。リベラルなニューヨークタイムズですら原発稼働による温暖化阻止を主張しているではないか。原発を語るなら地球温暖化を語らなければならないのは言うまでもない。中国に至っては運転中が22基。現在建設中がなんと27基で、全部海岸寄りに作られている。小泉は中国に行って危険な原発を製造中止にせよと訴えたらどうか。原発反対で都知事選に細川護煕を担いで大敗退。国政選挙では過去3回全てが、原発再稼働がテーマになり、推進を唱える自民党が圧勝したではないか。いくら聴衆が集まるのが嬉しいからと言って、国の政治の根幹を揺るがすような無責任で根拠レスの発言を、かつて首相を経験したほどのものが繰り返すべきではない。政府はもたもたせずに早期に原発を再稼働し、将来は新設も視野に入れた、ベストミックス政策を打ち出すべきだ。安倍も「舅の門と麦畑は踏むほどよい」というから、12日夜、歴代首相経験者6人と会食したのはよいことだ。中曽根康弘、海部俊樹、森喜朗、小泉純一郎、福田康夫、麻生太郎が出席したが、小泉の立場がどうであったか興味深い。おそらく原発では孤立したのではないか。


◎俳談

◎俳談
【句作のコツ】
 俳句の作り方には「じっと眺め入ること」と「じっと案じいること」の二つの方法があると述べたのは高浜虚子。
 前者のケースで言えば高野素十の
◆猫柳四五歩離れて暮れており
だ。猫柳を見詰めて春を感じた作者が、四五歩離れて振りかえると早くも春の日が暮れかかっていると言う印象を詠んだ。もちろん四五歩の間、数秒で暮れかかるわけがない。暮れているのに気付かないで見ていて、四五歩離れて気が付いたのだ。もう一つ
◆夕野火の色にも雨の近きかな 藤崎久を
夕方の野火を見詰めていると、野火の色が次第に赤さを増して寂しさも募る。折から雨が降りそうな空模様で赤い火が潤むかのように見え始める。その有様をじっと見詰めて書き留めたのだ。
 じっと案じる春の句は
◆犬ふぐりどこにでも咲くさみしいから 高田風人子
 犬ふぐりを見て句作をしようと思い、この花はなぜ咲くのかに思い至った。「楽しいからか、つまらんからか、腹が空いたからか、いやさみしいからだ」に立ち至ったのだ。自分の思いを独断専行させて作ったのだ。
 筆者の場合は気が短いから立ち止まってじっと見詰めて考えるなどと言う悠長な作句方法はとらないが、それでも観察句はある。
◆春灯のあふれ出でたる外国船   毎日俳壇二席
 黄昏時横浜の桟橋で豪華客船の離岸を見ていた。多くの窓に灯がともり華やかな出港であった。遠く離れても光って見えた。はたと気付いた。春だから春灯で作れると思ったのだ。もう一つ信州に行ったときの句だ。
◆日脚伸び山家それぞれ坂を持つ 毎日俳壇入選
 山間の村は本道沿いに家が建っているものの、それぞれ坂の私道があって家にたどり着くことに気付いたのだ。
 案じて作った句は
◆嶺に立つ吾もかぎろひゐる人か 産経俳壇入選
登山したときかぎろふで一句作ろうと考えた。そのけっか逆転の発想で遠くから自分を眺めたらかぎろうに違いないとおもってつくった、いわば落語で言う「考えオチ」だ。

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◎北岡発言は安倍の意向を反映している

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◎北岡発言は安倍の意向を反映している
  ブレーンが裏切るわけがない
 簡単にに言えば御用学者。もう少し良い言葉を使えば今をときめく御用学者。もっと良い言葉で言えばブレーンが、安倍の意向を忖度(そんたく)しないで発言するだろうか。70年談話に関する有識者会議「21世紀構想懇談会」座長代理で国際大学長の北岡伸一が、「安倍首相に日本は侵略したと言ってほしい」と発言したといって、単純右翼やネトウヨが騒いでいる。「侵略でなくて侵攻だ」と怒っているが、どうだろうか。終戦記念日に出す安倍談話に向けて、安倍が「侵略」だけは妥協する可能性があるから世論の堀の深さを測っているというのが、実態ではないか。問題発言なら官房長官・菅義偉が即座に否定的見解を述べるが「政府としてはコメントすべきではないとおもう。議論を見守りたい」と述べているのも怪しい。
 「安倍談話」に関する安倍のポジションは「安倍内閣は、歴史認識については歴代の内閣の立場を全体として受け継いでいく」というものだ。しかし「全体として受け継ぐ」の表現から見ると「植民地支配と侵略」「痛切な反省」「心からのお詫び」の“キーワード三点セットをそのまま受け継ぎたくないように受け取れる。とりわけ村山談話についてはかねてから「安倍内閣としてそのまま継承しているわけではない」と述べている。社会党首相の出した談話など踏襲したくない気持ちは分かる。
 「侵略」については中国はともかくとして、韓国には侵略などしていない。明治政府は頼まれて併合しただけだ。侵略したのは秀吉までで、談話でそこまでさかのぼる訳がない。そもそも、アジアは日本とタイ以外は米英仏蘭が先に侵略していたのであり、アメリカ領フィリピン、オランダ領インドネシア、イギリス領シンガポールと言う呼称があったのがその証拠だ。列強による植民地支配を開放した戦争の側面を忘れてはなるまい。しかし歴史的定義から見れば侵攻というより、中国と東南アジアに関しては遅れてきた日本の侵略と言われても仕方があるまい。
 そこでこれまでの安倍のポジションを分析すると戦後50年の村山談話に先立って自・社・さ3党は国会決議を行っている。安倍はこの決議に不満で本会議を欠席しているのだ。その理由は決議に「植民地支配」や「侵略的行為」の表現があったからだといわれている。その決議は安倍らの反対で「不戦」や「謝罪」には言及していない。だから社会党の首相・村山富市は国会決議では不十分だとして「村山談話」を出したのだ。その経緯を見れば安倍がそのまま継承したくない気持ちになるのは理解できる。
 そこで北岡がどういう立場にあるかといえば、安倍の信頼が最も強い学者である。 第2次安倍内閣で「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」座長を務め、集団的自衛権の行使容認では民間の論客として、反対派との論争を繰り返した。まさに安倍シンパのブレーンである。そのブレーンが最初に指摘したように、突然安倍を裏切って安倍を追い込むようなことをするだろうか。いや、決してしないだろう。安倍と綿密に意見調整しているか、少なくともその考えを忖度(そんたく)して発言しているのだ。
 発言を見ると「謝罪が中心に来るかどうかということがキーだというメディアに違和感を感ずる。あまりにゆきすぎた謝罪は国内の反韓、反中意識を高めて和解を難しくする」と、明らかに朝日新聞に真っ向から反対する姿勢だ。そのままの文言に消極的な安倍と全く共通している。その一方で侵略に関しては「悪い戦争をして沢山の人を殺して、誠に申し訳ないということは国民の99%が言う。私は安倍首相に日本は侵略したと言って欲しい」と発言している。わざわざ根拠のない「99%」という数字を挙げたのは、安倍がそこまで降りてきている可能性があることを物語るものであろう。ただし表現としては韓国も含めたものにするべきではあるまい。併合と侵略は分けた形にする必要があろう。
 安倍談話に関しては中国や韓国からしきりにけん制球が投げられ、米国も絡んで過去にないスポットライトが当たっている。しかし例えば韓国の外務省報道官が「歴代内閣の歴史認識が両国関係発展の土台となってきた」と村山・小泉談話の継続を求めているが、何度謝っても次なる要求が出されるようでは「全く土台になっていない」ことになる。中国も「一外相」(菅義偉)の王毅が先頭に立って勇ましいが、習近平政権に国内向けに利用する邪心が目立つようでは、真の友好関係など構築できるわけがない。


◎俳談

◎俳談
【いいじゃないかい発情期だもの】
 猫でも発情のシーズンだ。政務官も路上でディープキスをかわして、猫のように、ごろごろ、ニャンニャンしてもいいではないか。あまり堅いことばかり言っていると、人口が増えんぞなもし。この国は。
 門博文とかいう聞いたこともない衆院議員との路上ディープキスが週刊誌で報じられた農林水産政務官・中川郁子が続投だげな。いくら大臣・西川公也が辞任の瀬戸際の時に「キスとはけしからん」と言っても、燃え上がった五十六歳の不倫の炎が消えるわけがないでよ。中川はこの五十六歳という年齢だからたいしたものなのだ。江戸時代の花柳界だったら、二十歳で年増と呼ばれ、大奥だったら「おしとね下がり」の年齢は三十歳。今では七十過ぎてもお婆さんなどと呼んだら口聞いてもらえない。六十、七十は女盛りだ。(それから急速に衰える。)
 昔は三十が女盛りだったから、倍の年齢になっている。次は六十六歳の農水政務官がきっと路上でディープキスをする。その次は七十六歳の政務官だと予言しておく。こういった問題は政務に支障がない限り、選挙民の判断に委ねた方がよい。「巨大与党の奢り」と見れば選挙民が判断する。これくらいいいではないかと思えば、選挙民は判断しない。日本もラテン諸国のように少しは融通が利くようになってもよいではないか。第一追及の民主党は代表・菅直人が20歳年下の美人キャスターと不倫。細野豪志も路上で山本モナと不倫キス写真を撮られている。10日も民主党は何かごっついヤツが鬼の首を取ったように中川ちゃんを追及していたが、ここは菅or細野が質問に立つべきところだぞなもし。「辞任だ」とテレビで息巻いていた馬鹿評論家がいたが、何ということを言うのでしょうか。与謝野晶子の
◆柔肌の熱き血潮に触れもみで寂しからずや道を説く君
でも復唱せよ。「熱く昂ぶった私の柔肌に触れようともせず人の道を説き続けるなんて、寂しくないのあんた」と言われてしまうのだ。「道を説くなら私の帯を解いておくれ」というのが、男と女の基本なのだ。(*^▽^*)
 そもそも万葉時代などは不倫の宝庫だった。
◆あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る
は不倫の恋の歌だ。額田王(ぬかたのおおきみ)が大海人皇子(おおあまのおうじ)に「紫草のように美しいあなたを憎く思っているならば、人妻だからといって、どうして私は恋などしようか」というわけだ。天智天皇が開いた宴(うたげ)の席で、妻である額田王と前夫である大海人皇子が、不倫の愛の歌を詠みあって、宴席を盛り上げたのだから、おおらかなもんだ。もう少し日本も発情期の春くらい開放的になろうではないかのう。もっともワシには縁がないがのう。そういえば女流俳人もすごい。
◆オートバイ内股で締め春満月
だと。読売俳壇の正木ゆう子様の作だ。たまにはワシの俳句を採ってくれろ。

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◎手が付けられない鳩山“ルーピー外交”

◎手が付けられない鳩山“ルーピー外交”
   ロシアの甘言に乗ってクリミア訪問を強行
  「馬鹿に付ける薬はない」ではありきたりだが、「馬鹿者と酒酔いはよけて通せ」では国が恥をかく。「馬鹿と鋏(はさみ)は使いよう」というが、その使い道がないほどの馬鹿はどうする。まあ「馬鹿は死ななきゃなおらない」とそのときを待つしかない。「憲政史上に残る愚劣な首相」と産経にこきおろされた鳩山由紀夫がもうどうにも止まらない。昔の映画「馬鹿が戦車でやってくる」そのものだ。今度は外務省の反対もどこ吹く風とばかりにただいまクリミア視察中だ。
 外務省筋は「仮にも日本の首相であったものがクリミアを訪問することの重大さを鳩山さんは知らない」と漏らす。政府は、ロシアによるクリミアの一方的な併合を「国際法違反」として認めておらず、外相・岸田文雄は10日の記者会見で「日本政府の立場とは相いれず遺憾だ」と懸念を表明した。首相経験者がロシアの関連法令に基づいてクリミア入りすることで、日本の立場に誤解を与える可能性があると指摘される。鳩山は5月に東京で開かれるロシア文化フェスティバルの組織委員長を務めており、その準備でモスクワを訪れ、その足でクリミアを訪問したものだ。四面楚歌で国際的に孤立しているロシア外交にとっては願ってもない“得点”だ。おそらくロシアも日本の元首相の宣伝価値を天秤にかけて、これはやりがいがあるとばかりに、狡猾なる外交官が「クリミアまで足を伸ばしてはいかが」と誘ったに違いない。
 鳩山は「外交をやるのは外務省だけではない」とうそぶいて、得々としているが、その“外交活動”を分析すると、すべからく相手国によって利用されている。「憲政史上に残る愚者」をだまし、利用するのは利口でなくても普通の人でも十分可能だ。一番だましたのは小沢一郎だろう。だから鳩山は「小沢一郎さんは最もクリーンな政治家」と崇拝しているのだ。外国で鳩山をだましたのは、これまた狡猾なる中東の外交官だ。2012年にイランを訪問した際イランの核開発問題についてマフムード・アフマディーネジャード大統領と話し合った。イランのメディアはこの会談で、鳩山が「国際原子力機関がイランなどに二重基準的な対応をとっているのは不公平だ」と語ったと報じた。日本国内のごうごうたる批判を浴びると、鳩山は「このような発言はしていない、イラン側の発表は捏造だ」と否定したがあとの祭りだ。
 中国が「ルーピー活用」に目を付けないわけがない。2013年、中国訪問中の鳩山が沖縄県・尖閣諸島を巡り、日本政府の「日本固有の領土であり領有問題は存在しない」という立場を無視して「日中間の係争を認めるべきだ」と発言した。明らかに中国側からの吹き込みをそのまま口にしたものだ。あの物静かな名防衛相・小野寺五典をして「理解できない。『国賊』という言葉が一瞬、頭をよぎった」と非難させるに至った。
 しかし自発的に行った外交上の大失政もないわけではない。普天間基地移設先について「県外移設に県民の気持ちが一つならば、最低でも県外、出来れば国外の方向で、我々も積極的に行動を起こさなければならない」と発言したのだ。日米安保政策の大転換だが、それすら気づいていないとみえて、オバマに「トラスト・ミー」とやったのだから呆れ返って物が言えない。すぐにワシントンポストが「Loopy]と名付けて、ガーディアンなど英国紙などがこれを使った。
 民主党は幹事長・枝野幸男が鳩山とは関係ないとばかりにクリミア訪問事件でアリバイ作りに懸命だ。「鳩山氏は民主党を離党して2年近くが過ぎており、今回の行動を含めその言動について、民主党は一切関知するものでない」と関係を否定。「日本政府は、ロシアによるクリミア編入を『一方的な併合で国際法違反』として認めておらず、民主党もこの立場を支持する。総理大臣経験者が、ロシアの査証でクリミアを訪問することは、日本の立場について誤解を与え、ロシアに利用されるおそれもあり、軽率とのそしりを免れない」と鳩山の訪問中止を求めたが後の祭りだ。民主党は鳩山との関係を否定しても、愚者を首相に担いだ責任までは免れられまい。全てはかつて「民主党政権の首相」だった鳩山の行為なのである。
 日本外交は「鳩山外交」に処置なしの呈だ。まさかカメラマン並みにパスポート返納命令を出すわけにもいくまい。本当は返納させて、ISILに行くと言い出したときだけ許可するのも一案だ。
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◎俳談

◎俳談
【小学生俳句に腰抜かす】
数年前
◆天国はもう秋ですかお父さん(小5女)
に腰を抜かした。こんな子がいたら天国の父親もさぞ幸せだろうと思った。いま小学生俳句が面白い。昔天童今凡人で将来大俳人になるかならないかは別として、鋭い感性をそのまま出していて、感性の原点を教えてくれる。
◆ つららはねかいじゅうの歯にそっくりだ
は、ものを見る目を小学生から持っていることをいみじくも物語っている。
◆つりばしがゆれてわたしはチョウになる
森山加代子の歌に「あなたに抱かれて私は蝶になる」があるが、この句は類想ではない。なぜなら「吊り橋が揺れて」が上五にあるとないでは、類想性があるなしに決定的な作用を及ぼすからだ。揺れた瞬間に出てきた句かどうかは知らないが、陳腐な歌謡曲に超然とした独自句だ。
 ランドセル俳人が小林凜。もう卒業だ。いじめを受けて
◆生まれしを幸かと聞かれ春の宵
◆いじめられ行きたし行けぬ春の雨
と詠んだ。天才歌人・石川啄木を思わせる。いじめで小学生なのに俳句が生きる目標となった。一念発起して受験中学に入った。きっと環境が変わるだろう。
 句集「紅雨(こうう)」を昨年出版。8万部が売れた。「紅雨」は桜に降る雨。
◆紅雨とは焼かれし虫の涙とも
現代のいかなる俳人もこの感性にはぶったまげるだろう。
◆ツリー背に算数に泣く聖夜かな
は、哀感が漂う。
◆ラブレター師の手に渡す落椿
近ごろの小学生は「女先生」にラブレターを渡すのだ。そういえば
小学二年のころ本気で恋しい美人の先生がいた。家の玄関先まで顔を見に行ったことがある。恋文を渡せば良かった。

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◎急先鋒王毅に外交上の“良識”を問いたい

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◎急先鋒王毅に外交上の“良識”を問いたい
  全人代向けに「反日」を利用するな
  またまた中国外相・王毅が君側の奸臣(かんしん)のごとき発言を繰り返している。一連の発言を分析すると、戦後70年の歴史認識問題ではどうも王毅が、対日舌戦の急先鋒になる役割を果たしているようである。王毅は「日本おとしめ係」だ。先に国連で「過去の侵略の犯罪をごまかそうとする者がいる」と首相・安倍晋三を狙い撃ちにしたが、今度は「70年前、戦争に負けた日本が、70年後に再び良識を失うべきではない」のだそうだ。明らかに全人代向けに、「反日」のうけを狙っている。中国の有名なことわざに「人を責むるの心を以て己を責めよ」があるが、その知性をいささか疑いたくなる王毅は自分の国のことわざから勉強しなおした方がいい。ことわざは「人はどんな愚者でも過失を理解した上で責めるものだ。反面聡明なる者は自分の過去に寛大になる。だから他人を責めるような心で自分を責め、自分を許すような心で他人を許せ」と言っているのだ。
 しかし王毅は真逆である。中国にはまるでにわかな成金のような傲慢な政治家が多いが、王毅はその筆頭右代表だ。先の安倍狙い撃ち発言の際には「盗っ人猛々しい」と形容したが、今度はその二乗である。こともあろうに一国の外相が他国の首相に対して「胸に手を当てて考えよ」はあるまい。中国こそ胸に手を当てて考えれば戦後に自分が行ってきた血みどろの戦史を思い浮かべ、通常人なら血が凍りつくだろう。ウイグル侵攻、チベット侵攻、朝鮮戦争に介入、インドに侵攻して中印戦争、中ソ国境紛争、中越戦争と血塗られた好戦的国家の姿が思い浮かぶはずではないか。王毅は「70年前、戦争に負けた日本が」というが、日本は国民党政権に負けたのであって、対日軍事行動を避けて逃げ回っていた中国共産党軍に負けたのではない。歴史認識の初歩が唯我独尊・我田引水すぎて間違っている。
 王毅は「70年後に再び良識を失うべきではない。歴史の重荷を背負い続けるのか、過去を断ち切るのか、最終的には日本が選択することだ」と言うが、70年後の今現在、良識を失っているのはどの国か。南沙諸島に軍港を作り、飛行場を作って自国の海洋進出の野望を果たそうとしている国はどこか。東シナ海でも日本の領海領空に土足で踏み込む国はどこか。王毅は南シナ海に関して「自分の庭に建てているものにとやかく言われる筋合いがない」と開き直っている。中国海軍少将にいたっては「中国が遠洋や南シナ海に向かって進むことにあれこれ言うべきでない」と発言、まるで昔の日本軍のような聞く耳持たぬ横柄さだ。この「とやかく」と「あれこれ」発言は、問答無用の軍国主義そのものではないか。
 王毅発言が「良識」を欠き、礼を失している最大のものは、中国が9月3日の「抗日戦争勝利記念日」に、北京で行う「反日軍事パレード」に安倍を招待するかどうかを記者会見で聞かれて、「関係するすべての国の指導者を招待し、誠意さえあれば誰であれ歓迎する」と発言したことである。本来なら一国の首相を招待する場合は、綿密に外交ルートを通じて調整した上で発表すべきものだろう。それを記者会見如きで「招待する」はあるまい。それも「誠意さえあれば」とは何事だ。要するにに、安倍に対して9月3日に「ひれ伏しに来い」と言っているようなものだ。もとより安倍は行くべきではないし、オバマにも「日米の信頼関係の根本を崩す。参列すべきではない」と申し入れるべきだ。9月3日はプーチン、朴槿恵の二人だけが参加する、「寂しいもの」になるよう、今後陰に陽に世界各国に根回しをすべきだ。要するに「歴史認識戦」が始まっているのであって、このプロパガンダ合戦は躊躇せずに反論を加えるべきことであろう。官房長官・菅義偉が王毅の「条件付き安倍招待」について「一外相の発言であり、政府の立場でコメントは控える」と軽蔑的不快感を示したのは適切である。「良識」発言に関してはできれば「これはそのままお返ししたい」と言えばよかった。
 中国一辺倒で5回も訪中しているメルケルがようやく日本に来た。先進7か国の最後の訪問だ。講演で「 ドイツは過去ときちんと向き合った」と述べたが、日本はきちんと向き合っても、フランスと違って中韓両国の指導者が自国民に媚びを売って、土俵を広げてしまうのだ。莫大(ばくだい)な政府開発援助(ODA)を行って、近代国家への道筋を付けても中韓の指導者はすぐに忘れてしまうのだ。対中経済関係維持に全力を傾注せざるを得ないメルケルがせめて「東シナ海と南シナ海における海路・貿易路の安全が海洋領有権を巡る争いで脅かされている」と中立的立場を取っただけでもプラスだと思えば良い。中国に経済的に縛られているドイツにはもともと期待しない方がよいのだ。


◎俳談

◎俳談
【野鳥を詠む】
 翡翠(かわせみ)を撮って三十年になる。森まで自転車で五分の距離だから、自分の家の庭のようなものだ。遠距離通勤時代はきつかったが、今は大自然の生活と大都会の生活の双方が満喫出来る。
 翡翠を撮るには何と言ってもカメラと超望遠レンズだ。それも最先端のものが必要となる。なぜなら「飛びもの」を撮るには、連写の枚数が物を言うからだ。プロがスポーツ撮影に使う一眼レフが必要となるのだ。一秒で十一枚連射の世界だ。長年やっているから道具はそろっているが、最近注目したのがミラーレスカメラだ。ニコン1V3は何と一眼を追い越して秒六十枚が可能だ。それでいて価格は十分の一で、解像感も遜色ない。通常は二十枚で撮る。多すぎてもパソコンの処理が大変だ。おまけに、イメージセンサが小さいから、2.7倍の拡大画像で写る。500㍉のレンズを使えば1350㍉相当となる。今朝はこれで青鷺を捕った。(写真)
◆青鷺の頭上に羽をきしませて 杉の子
水面に降りる寸前だ。
 青鷺が魚を捕るのは言うまでもなく一瞬だ。凍りついたように動かぬまま来た魚を首を一閃させて捕る。
◆青鷺の魚を捕りて音もなし 杉の子
 翡翠は三十年撮っていて飽きない。もちろん止まり木の写真などは初歩中の初歩。飛んでいるところや水中写真を取れるかどうかが“必殺翡翠人”の腕の見せ所だ。その写真は筆者の野鳥ブログに山ほどある。↓
http://izuminomori.blog.so-net.ne.jp/
勤め人は仕事の合間に見ると、ほのぼのとしてまた仕事をする勇気が湧く。
◆翡翠の一直線なり一途なり 杉の子
翡翠は撮影者に似た性格を持っている。
◆水鳥の命一閃今朝の春 NHKフォト575入選
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◎韓国の対米・対日外交に「負」の影響

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◎韓国の対米・対日外交に「負」の影響
  米国から対中離反を迫られよう:テロ事件
 韓国にとって踏んだり蹴ったりとはこのことだ。シャーマン発言を「日本えこひいきだ」とばかりに反発して巻き返そうとしていた矢先の反米・反日・親北の活動家によるテロである。加えて「日本外務省のホームページで『価値観の共有』が削除された」とクレームを付けた途端に、価値観が共有できない事態の発生でもある。大統領・朴槿恵は06年には地方選の遊説中、暴漢によって顔面を切りつけられ、60針を縫うけがを負ったが、米大使・マーク・リッパートは20針も上回る80針の大けがという因縁事件だ。容疑者キム・ギジョンはシャーマン発言との関係を否定しているが、否定しようがしまいが、発言によって激昂した韓国世論をチャンスと見た行動であることは変わりあるまい。
 米韓軍事演習の最中であり、朴は「米韓同盟に対する攻撃であり容認できない。徹底的に調査する」と発言したが、この発言はひょっとすると北朝鮮の影があると感じ取った発言とも受け取れる。容疑者は北朝鮮を8回も訪問している。今のところ単独犯だとされているが、米韓離反は北の思うつぼであり、朝鮮半島は何でもありの状況であると心の片隅に置いておいた方がよい。
 事件はかつて駐日大使・ジョン・ルース・ライシャワーが統合失調症患者にナイフで大腿を刺され重傷を負った事件とは異なる。同事件は、かえって日米関係深化に役立ったのであり、これとは異なる性質を帯びている。米韓両国は急きょ高級事務レベルで事態を協議「米韓関係に悪影響を及ぼさないよう努力するとの認識で一致した」(韓国外務省報道官)が、これは当面短期の糊塗である。長期的には事件が韓国外交にマイナスの影響を及ぼすことは避けられない。まず第一に、韓国が中国と米国によって迫られている“踏絵”の構図への対応で、米国寄りの姿勢を迫られざるを得ないだろう。朴槿恵は「経済は中国」、安保は「米国」と使い分けてきたが、今後は甘くはあるまい。象徴的になっている「高高度防衛ミサイル(THAAD、サード)」の韓国配備問題も、一層米国に有利に作用するだろう。習近平のけん制を受けて態度が決まらない朴はやがて厳しい決断を迫られる時が来るだろう。
 次ぎにシャーマン発言が「愛国的な感情が政治的に利用されている。政治家たちにとって、かつての敵をあしざまに言うことで、国民の歓心を買うことは簡単だが、そうした挑発は機能停止を招くだけだ」と朴の執拗な歴史認識で国民を反日に誘導する姿勢にくさびを打った問題である。発言では韓国の「米国は歴史認識では韓国支持」という読みが甘かったことがいみじくも露呈された。国務省のハーフ副報道官が「特定の国と人を意識していない」と火消しに懸命だが、例によってマッチポンプだ。シャーマンほどの外交官が思いつきで発言するはずはない。おまけにシャーマンは発言前に韓国を訪問しており、優秀なリッパートから詳しく日韓関係の報告を受けていないはずはない。どう見ても日韓関係が好転しないのは朴の慰安婦固執にあるとの判断に至っての発言なのだ。韓国はこの発言に対して総力を挙げて外交的な巻き返しを図ろうとする矢先の、テロ事件だ。韓国外交が出はなをくじかれたことは否めない。
 さらに日本に対しても韓国は、外務省がホームページから「我が国と、自由と民主主義、市場経済等の基本的価値を共有する」との表現を削除した問題を対日外交の重要テーマにする姿勢を見せていた。4日、日本政府の説明を要求して、外交攻勢をかけ始めたところにこの事件の発生であった。外務省は首相・安倍晋三の施政方針演説に沿って削除したのであり、安倍は産経のソウル支局長が在宅起訴されたいきさつを見て、言論の自由を重視する民主主義国家としての韓国の有り様を疑って外したのだ。ところが今回のテロ事件は、韓国が民主主義国家として成熟していないあかしになってしまったのだ。これも「基本的価値共有否定論」が正しいことになってしまった。やはり韓国外交の出はなをくじくことになったのだ。
 大国と小国との関係から言えば、韓国の事件は1891年(明治24年)に発生した大津事件を彷彿とさせる。ロシア帝国皇太子・ニコライに警察官・津田三蔵が突然斬りつけた暗殺未遂事件である。ただし皇太子の負傷に関しては、ロシア皇帝も皇太子も日本の迅速な処置や謝罪に対して寛容な態度を示し、日本がこの問題を無事解決できた理由の一つにロシアの友好的な姿勢があったことは疑いない。今回も米国は同様の寛大な態度で臨むことが予想されるが、縷々(るる)述べてきたように厳しい極東情勢の中で、韓国外交への負い目となったことは間違いない。韓国は様々な局面での譲歩を余儀なくされるだろう。日本政府は、「窮鼠」に噛まれないようにひたすら事態を静観すればよい。時々慰めたりすれば恩を売ることも出来る。しかし過度の譲歩は、すぐにつけ上がる国民性を考えてほどほどにすべきだ。


◎俳談

◎俳談
【戦争を詠む】
 戦後70年にわたり日本が戦争をしなかったことは、地政学的に海に囲まれた天然の要塞であったからだ。しかし、グローバル化の時代である。好むと好まざるとにかかわらず、戦争に巻き込まれる可能性がないとは言えない時代に入りつつある。周辺に好戦的な国々が台頭、激動の中東情勢を見るとそう思う。
◆戦争が廊下の奥に立つてゐた
と詠んだのは渡辺白泉。白泉は国家による言論弾圧の一つである一九四〇年の京大俳句事件に連座、執筆禁止命令を受けている。この句は一九三九年の作だ。詩人で評論家の大岡信は「廊下の奥というささやかな日常生活に、戦争という巨大な現実は容赦なく侵入してくる。その不安が一種のブラックユーモアとして言いとめられている」と見事な分析をしている。一方で出征する学徒を鼓舞した俳人も居る。中村草田男は
◆勇気こそ地の塩なれや梅真白
と詠んだ。新約聖書の山上の垂訓のひとつ「あなたたちは地の塩である」から取った。「この世の汚れを取り去るもの」の意味であり、これで出陣の教え子を励ました。 
 筆者は七十四歳で戦前生まれだから、大戦を経験している。だから戦争絡みの俳句が詠める世代である。
◆菜の花や機銃掃射を受けし土手  NHK入選
戦争末期には姉の高校がよく機銃掃射を受けていた。
もうじき東京大空襲だ。既に季語になっているがあえて季語をダブらせて
◆春寒の夜の空襲と言ひ遺す 朝日俳壇一席
と詠んだ。親戚のおじさんが池に浸かって助かったという話を聞いた。寒い夜だったそうだ。昭和は恐ろしい時代であった。    
◆恐ろしき昭和を見たり昼寝醒   朝日俳壇年間秀句
今は平和だが、この平和が今後も長く破られることがないよう念じつつ
◆沖縄忌棒きれ一つ流れ着く 朝日俳壇入選

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