作家というよりは農夫に見える。ドイツ文学者の池内紀(おさむ)さんがそんな観察を記している。骨太な体つきに、口ひげ。ドイツの田舎でよく見かけるタイプだという。確かに写真で見るギュンター・グラスさんは素朴で武骨な印象を与える▼池内さんが新訳を手がけた代表作『ブリキの太鼓』は素朴どころではない。猥雑(わいざつ)で、滑稽で、愚かしく。ナチズムに絡め取られていくドイツ社会を、3歳の誕生日に自分の意思で成長を止めた「小さな大人」の目を通し、冷徹に描く▼母国の「過去」に向ける視線は厳しかった。過去から目を背けようとするふるまいにも。1990年のドイツ統一に反対の論陣を張ったのも、不幸な歴史に照らしてのことだったろう。旺盛な政治的発言で知られたノーベル文学賞作家が87歳で亡くなった▼2006年に発表した自伝『玉ねぎの皮をむきながら』に、〈私は沈黙してしまった。しかし、重荷は残った〉と書いた。少年時代にナチスの武装親衛隊に所属していたことの告白である。自身の過去を長く秘してきたことへの批判は覚悟の上だったに違いない▼作家の大江健三郎さんと親交があり、戦後50年にあたる95年には本紙上で往復書簡を交わした。大江さんに宛てた印象深い言葉がある。2人とも年老いたけれど〈いぜんとして焼跡(やけあと)の子どものままです〉▼また、2人がそれぞれの母国に向ける批判的な目は〈私たちの国に対する愛情のもっとも正確な表現です〉とも。言論人としての気概に打たれる。
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