私はいまも、高木英臣監督の教え子だと思っている。
私はいまも、高木英臣監督の教え子だと思っている。
京都両洋高校野球部の高木監督は、野球の指導者になるまえ、リクルートの営業マンだった。
新入社員の私の隣の席だった。
彼は、腐っていた新入社員の私を、見捨てずに復活させてくれた、3歳年上の「恩師」だ。
いまから15年前の夏のこと。
◆ ◆ ◆
私は、高木さんに相手をしてもらって、営業ロープレをしていた。
高木さんがお客さん役。私が営業マン役。
私が当時の主力商品「B-ing」を高木さんに向けながら
「我々はB-ingという雑誌を使って採用のお手伝いをさせていただいております」と笑顔で言ったら、
私は殴られた。
おまえにはB-ingが雑誌に見えるんか。
網棚にほかされるようなジャンプや、芸能人がホテルから出てきた写真を記事にしたようなフライデーと、
自分の売っとるB-ingが、同じもんに見えるんか。
求職者はなぁ、自分の人生変えようと思って、B-ing読んどんねん。
毎週買って、付箋貼りまくって、面接落とされまくって。そういう人らが読んどんねん。
これはなぁ、何万人の人生を変えるんやで。
お客さんはなぁ、会社を生まれ変わらせようと思って、高い広告代を払っとんねん。
これはなぁ、中小企業の魂のかたまりなんやで。
俺の売っとるB-ingは雑誌なんかやない。
二度とおれの前でこれのことを雑誌って言うな。
ちゃんと「B-ing」っていう名前で呼べ。
高木さんは、自分の仕事、自分の仕事の商品、自分の所属している会社、自分がそこで果たすべき役割。
そういったことを、ぜんぶ私に教えてくれた。
リクルートのやつらはあかん。みんなサラリーマンばっかりや。社内の評判ばっかり気ぃ遣ってる。
社内の評判だけしか考えてないから、売れてないタケシのことなんてどうでもいいんや。
だからタケシのことをみんな放ったらかしにしてるんや。
おれはおまえのことを見捨てへんで。
おれは、野球しかできへんようなおれを拾ってくれたリクルートのために仕事をする。
そのリクルートがおれにくれた商売道具やから、おれはB-ingに魂を込めて仕事をする。
そのリクルートが、B-ingを売らせるために採用した新人なら、それがどんなやつだろうが、おれは見捨てない。
高木さんは、毎週私を食事に誘ってくれた。
そして、食事をしながら、野球のこと、野球を通じて人生を学んだこと、
いまは野球の代わりに営業に全力を注いでいること、そんなことを話してくれた。
謙虚であること、努力すること、基本を忘れないこと。
当時の私がいちばん苦手だったことを、教えてくれたのは高木さんだった。
おれはグランドにいちばんに行って草むしりするのよ。
甲子園にはひとりじゃいけへん。
チームがあって、監督やコーチがいて、球拾いばっかりやってる後輩がいて、
そして、道具やグランドがなかったら野球はできない。
グランドに対する感謝のきもちがあるから、草むしりをするんや。
私は高木さんがだいすきだった。
夏になったら、いっしょに営業をサボって甲子園に行った。
気分転換が大事や。営業に出るふりして、いまから甲子園に行くぞ。
そのあとはサウナに行こうぜ。
甲子園にパワーをもらうんも、だいじな仕事や。
私はサウナでビールを飲んで熟睡している高木さんを起こして、夕方に会社に戻った。
会社に戻ったら、「高木、3塁内野席でテレビに映っとったぞ」と言って迎えられた。
◆ ◆ ◆
夏が終わったとき、同じ課の先輩営業マンがマネジャーに昇進した。
その先輩は、元の課長の下に籍を置いたままで、
元野球選手の高木さんと、ちゃらんぽらん契約社員と、「営業に向いてない」が口癖の女の子と、
入社以来1回も達成していない私の、面倒を見ることになった。
それが決まった週、彼は、私と契約社員を飲みに連れ出した。
このチームの意味、わかってるか?
新人課長が、自分の課も持たせてもらえずに、おれたち「お荷物」を背負わせられてるんや。
悔しいと思え。新人課長も俺らもなめられてるんや。
わかってるな。上の連中を見返すぞ。
この四半期は全員達成や。そして3ヶ月ぶんの月間MVPはおれたちで独占や。
「気持ち」でやるしごとが「アタマ」でやるしごとに勝つってことを、リクルートに思い知らせてやる。
私と契約社員さんは、突然火がついたように仕事をするようになった。
高木さんはチームを盛り上げ続けた。
彼は、基本に忠実にやり続けろと厳しく言い続けた。
私も契約社員さんも、まいにち電話がけを続け、飛び込み営業を続けた。
断られても断られても、ただひたすらやり続けた。
10月は高木さんが有言実行の月間MVPだった。
11月は私が月間MVPだった。
12月は契約社員さんが月間MVPだった。
その四半期の総合MVPと、最優秀達成率賞は、確変モードで売りまくった私がもらった。
全員が目標をハイ達成したチームは最優秀チームとして表彰された。
褒められ慣れていない私は、MVPで表彰されてみんなにいじられまくっても、
なんだかどう感情を表現していいのかわからなかったけれど、
高木さんは「たけしが売れたのが嬉しい」といって号泣してくれた。
私は、ここでやっと「リクルートに入社させてもらえた」と思った。
◆ ◆ ◆
高木さんが監督になったとき、10人そこそこの部員から始めた京都両洋高校野球部は、
きのう、初めて京都府大会の決勝に進出した。
そして、横綱平安高校を相手に正々堂々と闘い、散っていった。
甲子園まで、あと一歩だった。
高木さんはいつも言っていた。
高校野球の指導者になったって、プロ選手なんて一人出せるか出せないかだ。
だから、野球の技術しか教えないなら、何の意味もない。
おれは野球のおかげで、人生に必要なもんは全部学んだ。
いまの日本はどんどん腐ってきてる。
おれは野球を通じて、彼らに人生を教えたい。
試合が終わって崩れ落ちる子供たちに
「胸を張れ。顔を上げろ。立派やんけ。いい経験やないか」と言っていた監督は、
15年前と何も変わっていなくて、嬉しかった。
「高木チルドレン」に相応しい、行儀のよい外連味のない選手たちも印象的だった。
◆ ◆ ◆
何か先のことを目標にするだけの生きかたは無意味だと思っています。
「未来」は、いま造ることはできないのですから。
いま造ることができるのは「過去」です。
未来から顧みるだろう「過去」をひとつひとつ積み重ねて造り続けているのです。
「現在」を、「過去」として記憶していく作業をまいにちやっているのです。
達成と矜持の記憶、喪失と悔恨の記憶、限界まで追い詰めた記憶、それを知った場所の匂いの記憶。
そして、その「過去」は、顧みるごとに磨かれて、黒々と光りだすのです。
私にとって、高木さんと過ごした記憶は、いまも生き続けている宝です。
いまの私が、若い議員や、学生に言っていることは、高木さんに教えてもらったことです。
きょう試合を戦い抜いた選手たちにとっての記憶も、これからもずっと生き続ける宝となるでしょう。
◆ ◆ ◆
「きょう、見に来てくれてたんや?」
そりゃそうですよ。私だって、いまも高木さんの教え子ですから。
「どこで見とったん?」
そりゃ、高木さんの声の聞こえるベンチの真上に決まってるじゃないですか。
「そか。ありがとうな。おれの伝えたかったことを見ていてくれたのは嬉しいよ。」
おつかれさまでした。