『経済学と経済教育の未来』
八木紀一郎(代表) +有賀裕二・大坂 洋・大西 広・吉田雅明編『経済学と経済教育の未来』(桜井書店)を、著者の一人である大坂洋さんよりお送りいただきました。ありがとうございます。
http://ecoedu.jp/2014/12/post-22.html
経済学教育の画一化に抗して
本書の企画は,日本学術会議の経済学分野の「参照基準」の策定作業に対して多くの学会および研究者・大学教員が憂慮を表明した署名運動の中から生まれました。
多様性と創造性の促進こそが民主的な社会の基礎
ー経済学の社会性・創造性をとりもどすー
経済学教育の画一化とそれによる学生・生徒たちの視野の狭隘化は,経済学自体が社会科学としてもつべき多様性と創造的な発展の可能性を失わせかねません。現在の大学での経済学教育の画一化への動きは,各大学,各学部レベルでの人事やカリキュラムをめぐる議論においても強い影響力を持っています。それは大学のみならず,中学,高校での社会科教育,ひいては市民の全般的な社会科学的リテラシーに波及しつつあります。経済学教育が一面的なものになることは,多様性と創造性を保証しながら協働していく民主主義的な社会の構築にとって誠に憂うべきことです。
学派・学会を超えた真摯な討論
本書は所属学会・学派を超えた執筆陣により,多様な側面から参照基準を検討してゆきます。『参照基準』問題の背景にある大学教育の「国際的質保証」の課題を批判的に考察し,標準的とされている経済学を中心とするカリキュラムを超える多様性を経済学が持っていることを伝えるとともに,経済学の教育の創造的可能性を探求してゆきます。
という趣旨の本で、内容は以下の通りです。
まえがき 八木紀一郎序論 経済学の「参照基準」はなぜ争点になったのか(八木紀一郎)第1章 教育に多様な経済学のあり方が寄与できること――教育の意義を再構築する――(大坂 洋)第2章 経済学はどのような「科学」なのか(吉田雅明)第3章 マルクス経済学の主流派経済学批判(大西 広)第4章 競合するパラダイムという視点(塩沢由典)第5章 純粋経済学の起源と新スコラ学の発展――今世紀の社会経済システムと経済システムの再定義――(有賀裕二)第6章 「経済学の多様性」をめぐる覚書――デフレと金融政策に関する特殊日本的な論争に関連させて――(浅田統一郎)第7章 経済学に「女性」の居場所はあるのか――フェミニスト経済学の成立と課題――(足立眞理子)第8章 経済学の多様な考え方の効用――パート労働者の労働供給についての研究例から――(遠藤公嗣)第9章 地域の現実から出発する経済学と経済教育――地域経済学の視座――(岩佐和幸) 第10章 主流派経済学(ニュークラシカル学派)への警鐘――経済理論の多様性の必然――(岩田年浩)第11章 大学教育の質的転換と主体的な経済の学び(橋本 勝)第12章 働くために必要な経済知識と労働知識(森岡孝二)付録大学教育の分野別質保証のための 教育課程編成上の参照基準:経済学分野(日本学術会議)「経済学分野の教育課程編成上の参照基準」の審議について(岩本 康志)
いろんな分野の方がいろんなことどもを書かれているのですが、どちらかというと、教育という観点からの正統派的なカリキュラム編成の参照基準に、制度学派やマルクス派など新古典派以外のさまざまな学派の経済学者が文句をつけているという構図のように見えます。
そういう構図を見ると、私などからするとまずは、その大学生相手の経済学「教育」の職業的レリバンスはどう考えているのですか?と問いたい気持ちが湧いてきますが、まさにそれに答えようとしているのが、お送りいただいた大坂さんの「教育に多様な経済学のあり方が寄与できること――教育の意義を再構築する――」という文章です。冒頭に本田由紀さんの『教育の職業的意義』や拙著まで引いて、いろいろと論じておられるのですが、最後のパラグラフでこういう風に語っています。
・・・日本の学校の内部でこうした<抵抗>的側面は現在全くと言ってよいほど消滅している。他方で、学校の外で教育の<抵抗>的側面を支えてきた人々がいる。職業的意義の<抵抗>的側面が大学内部に根づかなかったことは、大学が企業システムに都合の悪い教育を排除してきた一つの証拠であろう。・・・
もう一つ、職業的意義に関わる点を論じているのが森岡孝二さんの「働くために必要な経済知識と労働知識」ですが、
・・・今日では経済学部の学生を含む大学生のほとんどは、卒業後、労働者として民間企業や公共機関などに雇用されて働く。その意味では大学生は明日の労働者である。しかし、不思議なことに「参照基準」には「労働者」という用語はどこにも見当たらない。・・・
・・・「参照基準」に出てこないのは「労働者」だけではない。雇用契約を説明する上で欠かせない「労働市場」も「労働時間」も「賃金」も出てこない。・・・
・・・「経済学分野の参照基準」における学生の卒業後の職業生活に関する記述には、賃金も労働時間も労働組合も出てこない。就職というタームさえない。・・・
と批判しています。
ただ、これは「経済学」部の学生さんだけの話ではないわけで、ここでこういう形で論じて、経済学部教育の中だけの話にしてしまうべきなのかどうかという議論もありそうです。
それこそ同論文の最後で冊子「知って役立つ労働法」を紹介しつつ、
・・・働くときに必要な基礎知識を学ぶには、労働法についてもある程度の理解が求められるが、それは経済学にとっても無縁ではない。労基法に触れずに賃金や労働時間について学ぶことは難しい。そう考えると、労働知識を身につけることは、キャリア教育の課題であると同時に、経済学教育の一部でもあると言いうる。・・・
と述べているのは、経済学教育だけの話でもなさそうに思われます。
現在国会に上程中の青少年雇用促進法案に、労働法教育の努力義務が盛り込まれたこともあり、この辺もう一歩踏み込んだ議論が必要なのでしょう。
他の論文は、どちらかというと、教育という視点よりは、学問研究者として主流派(新古典派)を批判しているものが多く、私のコメントするキャパを超えているので基本的にスルーしておきますが、浅田統一郎氏の論文が少数派だったリフレ派の勝利宣言ぽいのは、ネット上の一部では話題になるのかも知れません。
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