【スピーカー】
NPO法人SCC(Sport Communication Circle)理事長 太田敬介 氏
【動画もぜひご覧ください!】
夢をあきらめたところからのスタート | 太田 敬介 | TEDxKagoshimaUniversity
3世代で通えるスポーツクラブ
太田敬介(以下、太田):私は地域の中でさまざまな人がスポーツを通して集い、その輪がどんどん拡がっていきますように、いろいろな活動をしています。いろんな世代の人たちが参加できる陸上競技クラブを主催しています。
これは小学生のブロックです。このように走ったり、鬼ごっこをしたり、ハードルをしたり、走り幅跳びをしたり。
大人のランニングブロックです。フルマラソンの完走を目指したり、健康のためにジョギングをする人たちがいます。
中学生以上のアスリートブロックです。全国大会に出場するような選手もいます。下は6歳から上は80歳くらいまでの人が参加します。毎回練習には150名くらいの参加があります。
なので、このように親子で参加をしたり、ご夫婦で参加をしたり、当然兄弟で参加をしたり。
これは私の子どもです、6年生、4年生、1年生。1年生の女の子がかなり不機嫌な顔をしてますけども、これはただお腹が空いているだけ(笑)。この後食事を与えたら、機嫌良くなりました。
(会場笑)
おばあちゃんがお孫さんと一緒に来たり、3世代で通えるスポーツクラブです。
スポーツチームのほとんどが同年代で構成されている
スポーツだけでなく、このようにクリスマスパーティーをしたり、スポーツを通した多世代のコミュニティです。
50メートルを1分以内で走りきれる人なら誰でも参加できるスポーツイベントを主催しています。ご覧ください。
右から中学生くらいの女の子、高校生くらいの男の子、大人の女性、男性、おじいちゃんが真剣にかけっこ勝負をしています。
とってもいい勝負をしています。誰が勝つか分かりません。こんな写真見たことないと思います。
こんなちっちゃな子も出場しています。アニメのキャラクターに釣られながら走っていますが、本当に釣られているのは前の男の子です(笑)
(会場笑)
このように泣きわめきながら走る子もいます。日本のスポーツチームというのは、ほとんどが同世代で構成されます。スポーツ少年団、部活動、学生のサークル、ママさんバレーボールチーム、ゲートボールチーム。
よって、スポーツイベントとかスポーツ大会も世代を区切られて開催されるものがほとんどです。中学生の大会とか、社会人の大会とか。
皆さんにとってはそれがごく当たり前の光景だと思うんですけれども、今見ていただいたように私はいろんな世代の人が参加できるクラブ、そしてスポーツイベントを主催しています。
大学を卒業した後も陸上競技を続けたかった
なぜそのようなことをするようになったのか、今日はお話をしたいと思います。元は野球少年です。小学校、中学校とずっと野球をやっていました。
で、中学校の時に野球部に所属をしながら、陸上の大会に出ました。すると、まぁまぁ良いタイムが出まして、今度高校では野球部に入るか、陸上部に入るか悩み始めました。
どっちのスポーツが自分に合ってるだろうな、と。で、陸上競技を選んだわけですけれども、最終的な理由は坊主頭にしなくていい、と(笑)。
(会場笑)
3年間坊主頭でしたので、思春期ですから、モテたい。それだけでした。高校から陸上競技をはじめまして、髪を伸ばしながら、高校3年生のころには全国大会で入賞するようになりました。
インターハイとか国体。それぐらいのころから、将来は(胸の辺りを指して)ここに日の丸が入ったユニフォームが来たいな、日本代表、オリンピック、夢見るようになりました。大学は中央大学という非常に伝統のある競合陸上部がある大学に進学をしました。
陸上部に入ると、先輩とか同級生にはもうすでに世界大会に行くような人たちもいて、そういう人たちと身近に接することで、日本代表、オリンピック、思いをますます強くしました。
大学3年、4年くらいになるともう周りは就職活動を始めるんですけども、私は「大学卒業した後も陸上競技を続けたい」、その思いひとつでした。
その時に、この鹿児島に実業団の陸上部をもつ企業がありまして、そこの監督さんから声を掛けていただいて、実業団陸上部に入部することが決まりました。
それが私がこの鹿児島に来た理由です。ちょうど20年前の話になります。この鹿児島を拠点として実業団の陸上部、短距離選手として日々トレーニング、そして大会とか合宿も、日本全国いろんなところに行きました。
もう北海道から沖縄まで。海外の大会にも参加したことがあります。夢を追っていました。話は変わりますけども、2020年と言えば何でしょうか?
(会場笑)
……言いませんか?(笑) 東京オリンピック、パラリンピックですね。とても楽しみです。加えて、2020年は鹿児島で国体も開催されます。覚えておいてください。
話を元に戻します。鹿児島に来て5年が経ちました。2000年という年を迎えました。
勘の良い人はピンと来たかもしれません。先ほど2020年東京オリンピックと言いました。オリンピックは4年に1度ですね。2000年もオリンピックイヤーでした。私は28歳という年齢を迎える年になっていました。
このオリンピックというものを夢見ながら選手生活を送れるのも最後かもしれない、心のどこかでそう思っていました。なので、2000年という年は自分の最高のパフォーマンスが出来る年にしたい、そう思っていました。
「会社のお荷物」と言われた実業団選手時代
ところが、忘れもしません、2000年3月23日。陸上部員全員が集められて、3月いっぱいをもっての陸上部の廃部が告げられました。突然でした。大変大きなショックを受けました。深い憤りをおぼえました。
そこでまず私が下した決断は、「こんなところで終わってなるものか、こんな形で終わってなるものか。まだ走り続ける」辞表を書きまして、会社を辞めました。
先のことなんか何も考えていませんでした。晴れて無職になりましたので、私には時間がたっぷりあります。好きな時に好きなだけトレーニングできます。
陸上部の廃部の発表から、しばらくトレーニングは中断していましたけども、1日も早くトレーニングを再開して、コンディションを整えて、もう目前に迫ったこの2000年のオリンピックイヤー。
「戦い抜いてやるぞ」とそう思っていました。しかし、心と体のバランスが崩れてきました。
自分は今まで一体、何をやってきたんだろう。「スポーツっていいものだ」って、ちっちゃい頃から周りの大人にそう言われて育ってきました。「スポーツ、どんどんやりなさい」。私もスポーツが大好きでした。
いろんなスポーツをやりました。体育の授業が大好きでした。たまたま自分に合ったスポーツが見つかって、記録が伸びて、実業団選手になって、そして最後に「あなたたちは会社のお荷物だ」と言われた。スポーツって何なんだろう。
スポーツ選手って会社のお荷物、社会のお荷物なんだろうか? 自分は今まで一体、何をやってきたんだろう。無職になってまでなお走ろうとしている自分は何がしたいんだろう。
もし、この先夢が叶ったとして、それが何なんだろう。今まで、0.01秒速く走るためにすべてを賭けてきた。でもそれに何の意味があるのか、そう思ってしまったんです。当然練習に身が入りません。
調子はガタガタガタガタと落ちていきます。あんなに憧れていた私の夢は、あっという間に消えて、遠い闇の向こうに行ってしまいました。このころの私は精神的にも大変落ち込んでいました。何でこんなことになってしまうんだろう? 自分は何にも悪いことをしていないのに。
何ひとつ悪いことをしてないのに、何でこんなことになってしまうんだろう? 何が悪いんだろう? 誰が悪いんだろう? 毎日毎日言っていました。そしてその日も同じようにとある友人と会って、ぐだぐだぐだぐだ文句を言っていました。
問題だと思うなら行動すればいい
その友人は黙って私の話を聞いてくれた後、静かにこう言いました。
「大変な経験をしたね。でも、いま全国でいろんな企業が運動部を手放している。行き場を失ったスポーツ選手や指導者が全国にたくさんいるはず。
その人たちは何をしてるの? こういうことが問題だと思うのであれば、『問題だ』って言わないといけないんじゃないの? 行動を起こさないといけないんじゃないの?
自分は何も悪くありません。誰か助けてください? 自分で立ちあがろうとしない者に、誰も手を差し伸べてはくれないよ」
頭をガーンと殴られたような気持ちというのは、まさにこういうことでした。言い返す言葉はひとつも見つかりませんでした。家に帰って黙って考えました。
それまでは「自分は何も悪くない。周りのせいで自分がこういう状況に置かれている」、そう思い込んでいました。でも、「あなたに出来ることがあるんじゃないの?」そう言われました。
自分に出来ることってなんだろう? この時、矢印がぐるんと回ったんです。
自分に出来ることってなんだろう? 数日間考えました。そして、絵を描きました。従来の日本のスポーツ構造。ジュニアのスポーツから始まり、中学、高校、大学。ああ、日本のスポーツってまずほとんどが学校で行われるスポーツなんだな。
じゃあ学校を卒業した後はどうするのか。一部のトップ選手だけが集められ、宣伝広告として企業スポーツ、プロ、実業団というところに行くんだな。こういうシステムになってるな。
このシステムの良いところもありますが、いろんな問題も抱えている。子供たちの体力低下の問題。スポーツが世代で区切られているから、スポーツを通した世代間の交流が少ない。
学校でスポーツがほとんどですから、学校を卒業するとスポーツをする場、機会が途端に減ってしまう。運動不足の大人がたくさんいます。ドキッとした人いませんか? 大丈夫ですか?
(会場笑)
夢が叶わなかった自分だからこそ出来ることがある
運動不足で健康を害している人もたくさんいます。そして、一部のトップ選手を集めた企業スポーツというのは、企業の業績に大きく左右される。いろんな問題を抱えているな。
じゃあ、これからの新しいスポーツというのはどうあるべきだろうか? スポーツの経験というのは、年齢とか学校とか企業とかそういうものではなくて、スポーツをしたいと思った人が誰でもいつでも地域の中で気軽に参加できるそういう場がまずは必要なんじゃないか? そういうベースの中から少しずつレベルの高い選手も育っていく。
今までは財源的な意味も込めて、企業とか学校が丸々スポーツを抱えていたわけですね。そこからスポーツが自立をする。自分たちで財源を持つ。そういう自立したスポーツスタイルに対して、学校とか企業というのはバックアップする、そういう側に回る。
こういうスポーツシステムをつくれないだろうか? 地域の中で、いろんな世代の人たちがスポーツのもとに集い、コミュニティが生まれ、その輪がどんどん拡がっていきますように。
スポーツコミュニケーションサークル、頭文字をとって“SCC”という名前の地域スポーツクラブを立ち上げよう。自分にとって出来ることは、これなんじゃないか。そう思いました。
陸上部の廃部から3ヵ月後、2000年の7月1日、SCCは代表私1人、会員は3人という小さな小さな地域スポーツクラブとして活動を始めました。
私の大好きな写真のひとつです。SCCのクラブの会員の皆さんが、毎年24時間駅伝というイベントに参加します。24時間皆でたすきを繋いだ後に、ゴールは皆一緒になってゴールをします。
(写真のゲートには)“スタート”と書いてますけど、ゴールです。みんなの笑顔が、最高です。SCCは設立からちょうど14年が経ちました。今、会員数は700名という組織になりました。
私は陸上競技の選手としては夢が叶いませんでした。それに対する挫折感というのは、実は今も残っています。でも、「夢が叶わなかったあなただから出来ることがあるんだよ」って気づかせてもらいました。私があのときあのまま自分が置かれている状況を人のせい、周りのせいにしたままだったならば、今の私はありません。
自分が出来ることは何か。矢印をぐるんと回して考えてみる、行動してみる。その一歩が皆さん一人ひとりの10年後をつくるのかもしれません。皆さん一人ひとりに出来ることは何でしょうか? ありがとうございました。
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