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甲冑姿の名物候補・三上誠三氏が急死…選挙にかけた人生

甲冑姿の名物候補・三上誠三氏が急死…選挙にかけた人生

2000年1月、大阪府知事選に“出陣”した三上氏。羽柴秀吉に自分の名をミドルネームにした「羽柴誠三秀吉」で出馬していた

2000年1月、大阪府知事選に“出陣”した三上氏。羽柴秀吉に自分の名をミドルネームにした「羽柴誠三秀吉」で出馬していた【拡大】

 三上氏の関係者によると、今月10日まで仕事をしていたが、11日朝に容体が急変、そのまま息を引き取ったという。12日投開票だった統一地方選は期日前投票を済ませ、「最後にもう一度出たい」と話し、選挙への情熱は亡くなる直前まで衰えることはなかった。

 三上氏は1949年青森県金木町(現五所川原市)生まれ。中学卒業後、働いてためた資金でダンプカーを購入し運送会社を設立。27歳で青森県の高額納税者番付に載るほどの成功を収め、その後も建設業や観光業にも進出した。

 その資力をもとに1978年、同町の町長選に出馬。この時は本名だったが、3度目から「羽柴秀吉」を名乗るようになった。青年期に、近所の住職から「秀吉の生まれ変わりだ」と言われたのがきっかけだという。

 そして都知事選や大阪府知事選、衆院選など数々の選挙に立候補。2011年の夕張市長選まで、実に15回の選挙に立候補。甲冑姿のパフォーマンスなどで毎回“話題の候補”として取り上げられた。全て落選したが、07年の夕張市長選では当選者と342票差の次点まで迫っている。

 01年には自宅に強盗が入り、現金160万円などが入った金庫が奪われた。10年には、同町で経営する国会議事堂を模した宿泊施設で何度も火災が発生するなど、選挙以外の話題も多かった。

(紙面から)