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  あの時、福島のある町で起こっていた、25人の真実

                  




                    ウィンザー通信 様の記事から


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薔薇、または陽だまりの猫さんのブログ に、ずっと読みたいと思いつつ叶わないでいた幻の記事の、

今現在までのものが、まとめて掲載されていました。

福島県、浪江町の津島地区で起こった、津波と原発事故直後の様子が詳しく語られています。
『プロメテウスの罠』と題されたこの記事は、前田基行記者が取材した、現在連載中のものです。

その第1シリーズとなった『防護服の男』が、ずっと読みたいと思っていた記事なのでした。

ギリシャ神話によると、人類に火を与えたのはプロメテウスだった。

火を得たことで人類は文明を発達させた。化石燃料の火は生産力をさらに伸ばし、

やがて人類は原子の火を獲得する。それは「夢のエネルギー」とも形容された。

しかし、落とし穴があった。

プロメテウスによって文明を得た人類が、いま原子の火に悩んでいる。

福島第一原発の破綻(はたん)を背景に、国、民、電力を考える。


■防護服の男 (1)
(記事中の敬称は略しています)

福島県浪江町の津島地区。
東京電力福島第一原発から、約30キロ北西の山あいにある。

原発事故から一夜明けた3月12日、原発10キロ圏内の海沿いの地域から、1万人の人たちが

津島地区に逃れてきた。小中学校や公民館、寺だけでは足りず、人々は民家にも泊めてもらった。

菅野(かんの)みずえ(59)の家にも、朝から次々と人がやってきて、夜には25人になった。
多くが親戚や知人だったが、見知らぬ人もいた。
築180年の古民家を壊して、新築した家だ。
門構えが立派で、敷地は広い。
20畳の大部屋もある。
避難者を受け入れるにはちょうどよかった。
門の中は人々の車でいっぱいになった。

「原発で何が起きたのか知らないが、ここまで来れば大丈夫だろう」
人々はとりあえずほっとした表情だった。

みずえは2台の圧力鍋で米を7合ずつ炊き、晩飯は握り飯と豚汁だった。
着の身着のままの避難者たちは大部屋に集まり、握り飯にかぶりついた。

夕食の後、人々は自己紹介しあい、共同生活のルールを決めた。

一、便器が詰まるのを避けるため、トイレットペーパーは横の段ボール箱に捨てる。
一、炊事や配膳はみんなで手伝う。
一、お互い遠慮するのはやめよう……。


人々は菅野家の2部屋に分かれて寝ることになった。
みずえは家にあるだけの布団を出した。

そのころ、外に出たみずえは、家の前に白いワゴン車が止まっていることに気づいた。
中には白の防護服を着た男が2人乗っており、みずえに向かって何か叫んだ。
しかしよく聞き取れない。

「何? どうしたの?」
みずえが尋ねた。

「なんでこんな所にいるんだ! 頼む、逃げてくれ」

みずえはびっくりした。
「逃げろといっても……、ここは避難所ですから」

車の2人がおりてきた。2人ともガスマスクを着けていた。
「放射性物質が拡散しているんだ」
真剣な物言いで、切迫した雰囲気だ。


家の前の道路は国道114号で、避難所に入りきれない人たちの車がびっしりと停車している。
2人の男は、車から外に出た人たちにも「早く車の中に戻れ」と叫んでいた。
2人の男は、そのまま福島市方面に走り去った。
役場の支所に行くでもなく、掲示板に警告を張り出すでもなかった。

政府は10キロ圏外は安全だと言っていた。
なのになぜ、あの2人は防護服を着て、ガスマスクまでしていたのだろう。
だいたいあの人たちは誰なのか。

みずえは疑問に思ったが、とにかく急いで家に戻り、避難者たちにそれを伝えた。

 

■防護服の男(2)
 
3月12日夕、菅野みずえは自宅に駆け戻り、防護服の男たちの話を避難者に伝えた。
議論が始まった。

「本当に危険なら町や警察から連絡があるはずだ。様子をみよう」
やっと落ち着いたばかりで、みんな動きたくなかった。

しかし深夜、事態が急変する。
数台のバスが、避難所になっている公民館に入って行った。
それに避難者の1人が気付く。
バスの運転手は「避難者を移動するのだ」と言ったという。

当時、浪江町は、逃げ遅れた20キロ圏内の町民たちを、津島地区まで、バスでピストン輸送していた。
しかし、みずえはそんなことは知らず、やはりここは危ないのではないかと思った。
みずえは寝ていた人々を起こし、再び議論となった。

多くは動きたがらなかった。
しかし、一人の女性が「みんながいたら、菅野さん家族が逃げられないでしょう」といった。
それで決まった。

「車のガソリンが尽きるところまで避難しよう」
深夜0時すぎ、若い夫婦2組が出発した。
2月に生まれたばかりの乳児や、小さい子どもがいた。
夫婦は最初、「こんな深夜に山道を逃げるのはいやだ」と渋ったが、「子どもだけでも逃がしなさい」

とみずえがいい、握り飯を持たせた。

翌13日の朝食後、再び話し合った。
前夜「逃げない」といっていた若い夫婦連れが「子どものために逃げます」と言った。
年配の女性が、夫婦に自分の車を貸した。
「私は1人だから、避難所でバスに乗るわ」

夕方までには、25人全員が福島市や郡山市、南相馬市などへそれぞれ再避難した。

みずえは近くの家で避難している人たちにも、防護服の男たちのことを伝えた。
1人が笑って答えた。

「おれは東電で働いていた。おれらのつくった原発がそんなに危ないわけねえべ」
男は原発事故からではなく、津波から逃れてきたのだ。
みずえはこれで気が抜けた。
みずえと長男の純一(27)は避難を取りやめた。

純一は避難所の活性化センターの炊き出し係で、握り飯をつくっていた。
「おれだけ逃げるわけにいかないよ」
このとき津島地区から10キロほどの地点で、30マイクロシーベルト用測定器の針が

振り切れていた。



■防護服の男 (3) 警察官、なぜあんな格好を

3月13日に、菅野家の25人が出て行った後も、津島地区の避難者は、大半が残っていた。
避難指示は、12日午前5時44分に、10キロ圏内に拡大。
1号機が水素爆発した後、午後6時25分に、20キロ圏内に広がった。

しかし、官房長官の枝野幸男は、12日夜の記者会見で、

「放射性物質が大量に漏れ出すものではない。20キロ圏外の地域の皆さんに、

影響を与えることにはならない」と語った。
要するに、たいしたことはないが、念のため避難してくれ、という趣旨だ。
人々は、30キロの津島地区は安全だと信じていた。

東電の社員が、12日と13日に、浪江町の津島支所を状況報告に訪れた。
彼らは防護服ではなかった。
「ここは危ない」ともいっていない。


菅野みずえが会った男たちの様子とは大きく違っていた。

役場職員も区長も、みずえの会った防護服の男を見ていない。
しかし、みずえは、見聞きしたことをしっかりメモに書きとめていた。

15日早朝、前日の3号機に続いて、2号機で衝撃音がし、4号機が爆発した。
政府は初めて20~30キロ圏内の「屋内退避」を要請する。

津島地区の住民が避難したのはそのころだった。
町長の馬場有らが、14日の3号機の爆発をテレビで知り、隣の二本松市に、15日から自主避難

することを決めたのだ。

福島第一原発の正門では、15日午前9時に、毎時1万1930マイクロシーベルトの高い

放射線量が観測された。

それでも、枝野の発言は楽観的だった。

「放射性物質の濃度は、20キロを越える地点では相当程度薄まる。人体への影響が

小さいか、あるいはない程度になっている」

「1号機、2号機、3号機とも、今のところ順調に注水が進み、冷却の効果が出ている」

原子炉が、12日のうちにメルトダウンを起こしていたことが国民に知らされるのは、

後になってからだ。

12日朝、浪江町で交通整理などにあたる警官が、防護服を着用した。

「警官はなぜあんな格好をしているのか」
住民は不安を抱いた。

浪江町議会議長、吉田数博(65)は津島地区の警察駐在所を訪れ、

「不安を与えるので防護服は着ないでほしい」と要請した。
吉田はいう。
「知らないのはわれわれだけだったんだ」

 

■防護服の男 (4) 殺人罪じゃないか

SPEEDI(スピーディ)という、コンピューター・シミュレーションがある。
政府が130億円を投じてつくっているシステムだ。
放射線量、地形、天候、風向きなどを入力すると、漏れた放射性物質がどこに流れるかを、

たちまち割り出す。

3月12日、1号機で水素爆発が起こる2時間前、文部科学省所管の原子力安全技術センターが、

そのシミュレーションを実施した。

放射性物質は、津島地区の方向に飛散していた。
しかし政府は、それを住民に告げなかった。


SPEEDIの結果は、福島県も知っていた。
12日夜には、東京の原子力安全技術センターに電話して、提供を求め、

電子メールで受け取っていた。

しかし、それが活用されることはなく、メールはいつの間にか削除され、

受け取った記録さえもうやむやになった。

3月15日に津島地区から避難した住民に、県からSPEEDIの結果が伝えられたのは、

2カ月後の5月20日だった。県議会で、この事実が問題となったためだ。

福島県の担当課長は5月20日、浪江町が役場機能を移していた二本松市の東和支所を、

釈明に訪れた。「これは殺人罪じゃないか」
町長の馬場有は、強く抗議した。
馬場によると、県の担当課長は涙を流しながら「すみませんでした」といい、

SPEEDIの結果を伝えなかったことを謝ったという。

知らされなかったのは、SPEEDIの情報だけではない。
福島県は、事故翌日の3月12日早朝から、各地域の放射線量

を計測している。

同日午前9時、浪江町酒井地区で毎時15マイクロシーベルト、高瀬地区では14マイクロシーベルト。
浪江町の2地点は、ほかの町と比べて、異常に高い数値を示した。
1号機水素爆発の6時間以上も前で、近くには大勢の避難民がいた。

これらの数値は、6月3日に経済産業省のHPに掲載された。
しかし、HPにびっしり並ぶ情報の数字の中に埋もれ、その重大さは見逃された。

8月末、浪江町の災害救援本部長、植田和夫にそれらの資料を見せると、植田は仰天した。
「こんなの初めて見た。なぜ国や県は教えてくれなかったのだろう」

菅野みずえはいう。
「私たちは、国から見捨てられたということでしょうか」
 


まだまだ続きますので、以下のものから御覧下さい。



数日後、ネコを引き取りに、再び家に帰った。
警視庁のパトカーが敷地に入ってきた。
「ここって高かったんですね」と、30代ぐらいの警察官に聞いてみた。

「そうなんです、高いですよ。でも政府から止められていて

いえなかったんです」

警察官はそう答えた。
和代はびっくりした。ジープの自衛官がいったことは何だったのか。

「もし自分の家族だったら、同じことがいえますか。真っ先に逃がすでしょう。私らのことは、しょせんひとごとなんですかね」






wanton


この記事のコメント欄に、朝日新聞に連載されているもので、著作権云々の問題が


論じられておりますが、私に言わせれば枝葉末節の議論に過ぎません。


ここまで、各新聞マスコミ等は、東電を始めとした電力会社から、およそ累積2000億円もの


お金をもらって、原発推進を働き続けて来た、まさに確信犯です。


しかも、最低限、国民の命を守るための放射能拡散シミュレーションさえも流さないのです。


それに加え、米国CIA>電通の支配下において、世界の真実を隠蔽し続け、それどころか、情報操作


まで行って、日本国民を家畜国民化したあげく、更には、日本の政治そのものもメチャクチャに


し続けて来た巨大権力=犯罪者たちでもあります。


しかし、それらの国家反逆罪にも相当する、天下の大罪が裁かれる事は一切ありません。


これは、著作権云々の罪よりも1000億倍、罪の重いものです。


逆に、これらの権力を糺そうとすると、こういった些細な刑法を持ち出して封殺しようとするのです。


まして、今はまさに国家存亡の時、そのような小さな事にこだわっている時ではありません。


覚悟がどうこう問われるなら、はっきりアルと申し上げておきます。







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